第92話 銀の聖女
――なんて無礼な男だろう。
エメルナは瞳を鋭く細めた。目の覚めるような美貌には憤懣と不満の色がありありと浮かんでいる。
――その青年の第一印象は最悪だった。
シャロンヌの変貌ぶりにも驚いたが、既にエメルナの意識の優先順位は、レオスナガルと対峙するTシャツの青年の方が上だ。偉大なる祖国の英雄を、エメルナがこの世で最も敬愛する父を、初対面でいきなり「あんた」扱い。なんたる粗暴で、尊大な態度か。目上の者に対する礼儀も、先達者に対する敬意もない。他者とは違う特別な力を有する者、自らの力に溺れている者の典型だ。
「ところで、一つ気になったんだが……」
その青年――花村天が全冒険士の中でも破格の戦力を持つことは、協会の上層部や高ランク冒険士達のあいだでは周知の事実だ。
「……っ」
エメルナはレオスナガルの背中越しに、天を睨みつける。傍若無人は強者の特権。そういった価値観を持つ者は、本国の王侯貴族の中にも一定数いた。この青年もそういう類の人種なのだろう。誰に対しても自分の方が立場が上だと決めつける、エメルナが最も嫌うタイプの人型だ。だからエメルナは密かに決心した。次に父を見下すような発言をしたら物申してやろう、と。
――しかしそうはならなかった。
天が続けざまに言ったこと、それは意外な台詞だった……
◇◇◇
「間違っていたらすまない。もしや親類に王位にある人物がいるのでは?」
真剣な面持ちで、天が訊ねる。
「ナスガルド王国の現国王・ナスガルド三世は、私の異母兄にあたる」
「失礼した」
レオスナガルが答えると、天は即座に謝罪の言葉を口にする。
「知らぬこととはいえ、重大な失言があったようだ。許してほしい」
「いや、名も名乗らずに話しかけたのはこちらが先、謝罪はご無用」
レオスナガルの背後で、エメルナは驚嘆した。口元に手を当てなかったのは、準備していた難癖を飲み込む作業で手一杯だったからだ。今しがたの二人のやり取り、その意味を正確に理解できる者はおそらく、当人達を除けばエメルナだけだろう。娘である彼女だけが知っていた。父であるレオスナガルが、心から嫌がることを。
レオスナガルは『嵐の皇帝』と呼ばれることを極端に嫌う。
理由はレオスナガルの腹違いの兄・ナスガルド三世が、彼の祖国であるナスガルド王国の“片方の王位”にあることに起因する。ナスガルド王国、別名ナスガルド双王国には二人の王がいた。一人は時の英雄王ナスガルド一世の孫、ナスガルド三世。そしてもう一人は五大勢力聖騎士団の長、『騎士王』ヘルロトである。このヘルロトとレオスナガルは、南大陸では二大英雄と評されるほど民衆から圧倒的な支持を得ていた。当然、彼等の母国ナスガルドでも両者の人気は絶大だった。それこそナスガルド三世のソレとは比べ物にならないほど。そしてある日、事件が起こった。
ナスガルド王国の国民達が、英雄レオスナガルこそ双王の片翼に相応しいと、城に押しかけたのだ。
レオスナガルが『嵐の皇帝』と呼ばれるようになったのも、この頃からだ。ナスガルドの民達は自国の王を差し置いて、レオスナガルのことを「皇帝」と称えた。それは有り体に言えば、弟に王位を譲れという王への強烈な皮肉と揶揄だった。
国は即刻この二つ名の取り下げを要求。
レオスナガル本人もこれを了承した。
しかし、世間がそれを許さなかった。
ルキナ、シストに次ぐ三柱の寵愛を受けたSランク冒険士。世界最強の雷使い。雷鳴轟く嵐の中、ドラゴンを単騎で討ち果たした竜殺しの英雄。良くも悪くも、レオスナガルの知名度は高すぎた。二つ名の禁止を強行すれば国内で暴動が起き、国外からは器の小さな王が統治する国と罵られるのは目に見えていた。そうでなくても英雄の異名とは特別な意味を持つ。国や法の下に管理することは難しく、安易に干渉できるものではなかった。
結局、ナスガルド三世は国民の不敬を黙認し、レオスナガルが自ら城を去ることで一応の決着がついた。
以来レオスナガルは自国の政には一切関わらず、仲が良かった兄とも疎遠となった。大きすぎる肩書きは時として悲劇を生む。中にはシャロンヌのように『女帝』の肩書きを利用して義母への当てつけにするという逆パターンも存在するが、大抵の場合はこの限りではない。
嵐の皇帝、それはレオスナガルにとって勇名ではなく忌み名なのだ。
エメルナも『聖女』と呼ばれるのは苦手だが、父親のそれとは比ぶべくもない。ただそうはいっても世界的に知られる通り名だ。レオスナガルの事をその代名詞で呼ぶ者は少なくない。甚だ遺憾で痛ましいことだが、レオスナガル自身もすっかり呼ばれ慣れてしまっていた。
――だから父は、決してそれを表には出さない。
エメルナの記憶の中で、恐らく初めてだった。偉大なる父の、英雄という仮面の下に隠した感情と、その本質まで見抜いた人物は。
「なら、謝罪の代わりに約束しよう」
軽やかだが誠意のこもった声で、天は言った。
「俺はこの先もう二度と『その名』を口にしない。失言はこれきりだ」
糸のような細目を片方だけあげる仕草はウインクにも似ていた。父を相手にこれほど気安く、清々しく、それでいて堂々と接する者も今まで見たことがない。エメルナはそんな事を考えながら、恐る恐るレオスナガルのほうを窺い見た。そして、再び驚愕した。
……お父様が笑っていらっしゃる⁉︎
彫刻のような表情から窺える変化はほんのわずか。しかしレオスナガルは確かに笑っていた。とても穏やかに。それは娘であるエメルナにも滅多に見せない顔だった。
「レオスナガル、そう呼んでほしい」
「花村天だ。こちらも天で構わない」
握手を交わす二人を見て、エメルナは激しい嫉妬に駆られた。つい今しがた出会ったばかりだというのに、その青年は英雄レオスナガルの仮面を易々と外してしまった。長年そばにいた自分を差し置いて。エメルナの聖女の仮面はもはや崩壊寸前であった。
だが、その嫉妬の炎はすぐさま鎮火した。
「……お兄ちゃん」
「!!」
天の背後からひょっこりと顔を出したその少女を見た瞬間、エメルナの時が止まった。
「大丈夫。彼らは俺達の同業者だ」
「は、はいです」
白いワンピースを着た獣人の少女は天の言葉を聞き、心から安心したように笑った。その笑顔はどこまでも可憐で愛くるしく。まさに天使のそれだった。
「あ、あの」
「……ッ!」
エメルナの心臓が激しく震えた。天の背中にくっついたまま、光りかがやく猫耳の少女がこちらを向いたのだ。
……これは事件でございます‼︎
まるで臆病な子猫を思わせる挙動。エメルナは一瞬にして心を奪われてしまった。
「は……はじめましてですぅ」
少女は天の背中から離れて、前に出る。
エメルナも、自然と一歩前に進み出た。
「ラムです。よろしくお願いしますです!」
「エメルナと申します。こちらこそ、どうか末永いお付き合いを」
銀の聖女エメルナ。彼女は父親の次に、カワイイものをこよなく愛していた。
執筆作業が思いのほか順調に進んだので、明日も同じ時間帯に一話投稿いたします。




