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第91話 生涯の友

 ――ああ、こいつは予想以上だ。


 かの王宮、ラビットロード宮殿に足を踏み入れたその瞬間。史上最強の格闘王こと花村天は、半ば条件反射的に警戒レベルを引き上げた。宮殿の中は思っていた通り、それはそれは美しい、壮大なファンタジー絵画のような空間が広がっていた……だが。


 その第一印象は最悪に近いものだった。


 ようやく辿り着いた旅の終点に、しかし感動や喜びはなかった。あるのは今すぐ引き返したいという欲求と、吐き気を催すような激しい嫌悪感だけ。ともすればランドの王城よりも酷い。それがここラビットロード宮殿に対する、天の率直な感想だった。


 ――こんな(おぞ)ましい空気を感じたのは久しぶりだ。


 天は以前いた世界で、父・花村戦とともに彼の元部下達、傭兵崩れの快楽殺人集団をハントしたことがある。もっとも、その頃まだ十八だった天は、社会勉強ならぬ裏社会勉強の一環として、戦に付き添っただけだが。


 ――嫌なことを思い出させてくれる。


 感覚的には、視界にも入れたくない汚物の中を歩く、そんな気分だった。それは十年以上前の吐き気すら催す記憶。相手の根城、連中は『遊び場』と呼んでいたが、そこへ乗り込んだ際に感じた猛烈な不快感を、天は思い出していた。


『キミらのやり方ってさ、僕の美学に反するんだよねぇ』


 今思えば、戦があそこまで粛々とした態度で、つまらなそうに狩りをする姿を、天はそれまで見たことがなかった。そして不本意ではあるが、同じ人格破綻者であっても、やはり父と連中は違う。彼らと彼らの遊び場が否応なしにそれを教えてくれた。


『よくもまあこんな糞溜めで日常生活を送れるよね。ああでも、クソみたいなキミらにはお似合いっちゃお似合いなのかな』


 灰色の部屋の中は、陰鬱な負の空気と毒のような悪意の残り香が充満し、強烈な死の気配に満ちていた。壁や床にこびりついた赤黒い無数の血の塊は、あたかも断末魔の叫び声のように。一方的な蹂躙、殺戮の跡が、そこにはあった。


 そしてそのとき感じたもろもろを、この宮殿にも感じた。この国に不穏な『ナニか』を感じていた、このタイミングで。


 つまるところ、そういう事なのだろう。



 ◇◇◇



「冒険士の皆様、お待ちしておりました」


 宮殿の侍女と思わしき狐獣人の女性が、慇懃な態度で天達を出迎える。


「……」


 無論アポは取ってない。なのにこの対応の早さ。明らかに不自然だった。


「こちらです」


 と。人狐の侍女は急な来客の素性をろくすっぽ確かめもせず、白いしなやかな体と黄金色の尻尾をふわりと向き変えて、一行を宮殿の奥に案内する。


「な、なんだ。ちゃんと連絡してたんだな」


「はい。ほんの少しだけホッとしましたわ」


 とは、淳と弥生。


「そりゃそうだよな? あのルキナ女王に挨拶に行くんだから、アポなしなんて普通に考えてあり得ないよな」


「きっと、シストおじ様が気を利かせてくれたんですわ」


 その可能性もなくはないが、限りなくゼロに近い。コソコソと小声で話をする貴族の兄妹を尻目に、天は思った。そもそもルキナにアポを取るなと言ったのはシスト本人だ。もし仮に何らかの事情でそれを覆すにせよ、天に一言断りを入れるはずだ。シストの性格上そこは間違いない。では女王ルキナが国の情報機関を通じてこちらの動きを把握していたのか。いや。これもまた考え難い。ここまでの道中でそんな気配はなかった。なんだったら、エクス帝国の諜報員やソシスト共和国の調査員は何人か見かけたが、ラビットロードのそれは一人として見当たらなかった。単に見逃していただけかもしれないが。リナの鼻と野生的勘、シャロンヌの魔力探知と魔術結界、そして天の超広範囲にわたる達人センサー。これら全てを掻い潜り、天達の行動を見張ることのできる人型はおそらく、というかほぼ確実に、この世界には存在しない。ならば残る可能性は――。


「女王陛下のご依頼の件につきましては、のちほど係の者がご説明いたします」


 侍女は淀みない口調で、淡々と言った。予め録音された案内放送のように。突然訪ねてきた冒険士の集団に対して。つまりは。今現在この宮殿では、それは不自然ではなく、それが自然なことなのだ。


 ――これはほぼ確定だな。


 水晶の輝きに照らされた螺旋階段をのぼりながら、天はある一つの結論に至った。


 つい最近

 この国で

 この場所で

 何らかの事件があった

 それも人が何人も犠牲になるような

 思わず目を覆いたくなるような

 凄惨極まりない出来事が起こった

 そしてそれは未だ解決していない


 ラビット王家は、神の英雄すらも退ける邪悪なるもの、 強烈な悪意に満ちた『ナニか』に襲われたのだ。


「お兄ちゃん……」


 ぎゅっと天の手にすがりつくラム。その様子はいかにも不安げで、ひどく怯えていた。


「ラム、俺のそばから離れるな」


「……はいです」


 ラムは小さく頷きながら、できるだけ体を天に密着させる。獣の危機感知能力を持つがゆえに、気づいてしまったのだろう。この場に渦巻く、ドス黒く淀んだ空気に。


 ――失敗したな。


 天は内心で舌打ちする。ラムや淳達を連れて来たことはやむを得ないとしても、シャロンヌを従者としてこの場に連れて来たのは失敗だった。


「……」


 現在。シャロンヌは集団の最後尾に控えていた。静かに。とても静かに。一言も口を利かず。一貫して無言のまま。それが当然のことように。完璧なまでに、メイド然としていた。


「…………」


 何故なら今のシャロンヌは、天の従者だから。主人の許可がないと喋れないし、喋らない。これがもし女帝バージョンのシャロンヌなら、堂々と皆を引き連れて、一団の先頭を歩いていたに違いない。ともすれば、天が変わって最後尾を歩いていたはずだ。


 はっきり言って、そちらの方が都合が良かった。


 シャロンヌが表方に回れば、情報収集がスムーズに行えた。常夜の女帝シャロンヌであれば、それはあまりにも容易いことだ。美貌のSランク冒険士、シャロンヌが力を貸すとささやけば、相手は勝手に信頼し、勝手に安心して、自ら進んで口を開いてくれるのだから。今この瞬間にだって、案内人の侍女から情報を引き出せたはずだ。逆に天が裏方に回れば、宮殿の内部を調査できた。相手の目を盗み、隙を見て。建物の中を隈なく見て回れた。()()()もっとよく調べられた。天とシャロンヌ、お互いに。


 しかし、今さら二人が立ち位置を変えるわけにもいかない。


 天が空気のように存在感を消して最後方に回るのも、シャロンヌが女帝然とした態度でビキニマントを着て最前方に立つのも、不自然極まりない。


 ――だからここは、もう一人の人材に任せるとしよう。


 こういう時に頼りになる、彼女に。


「挨拶が遅れちゃったけど、ご無沙汰なのです。クウコさん」


 と、リナが前を歩く人狐の侍女へ、気さくに声をかけた。


「お久しぶりです、リナさん。少し見ない間に立派になられましたね」


「あはは。少しって言っても、あたしがここを出てから、もう五年は経つのです」


 顔見知りだったらしい彼女達は、それからしばらく無難なやり取りを続けた。といっても、時間にして数分ほどだが。リナが雑談と情報収集とを兼ねた絶妙な話題を振り、その都度クウコが必要最低限の言葉を返す。表面上は私的な会話だが、明らかにどちらも仕事を優先していた。


「ルキナ様は顔が広いから、あたし達の他にも宮殿に来た冒険士が結構いそうなの」


「只今、御殿には三名の冒険士の方が滞在しています」


 とくにクウコは、王宮の侍女として事務的に、作業的に、無感情に、リナのごくありふれた会話に応じるだけだった――その質問をされるまでは。


「そういえば、コハクは元気にしてる?」


「…………あの子はここにはおりません」


 息を呑んだ。その場にいた誰もが。彼女の口から絞り出された、氷の声を聞いて。


「冒険士の皆様、これより先は係の者がご案内いたしますので、こちらの部屋でお待ちください。既に他の冒険士の方々も、こちらにお集まりになっておられます」


 とりわけ立派な扉の前に辿り着くと、クウコは体ごと振り返って、一行に恭しくお辞儀をした。つい今しがたのやり取りなど、まるで無かったことのように。彼女はただの案内人に戻っていた。


「皆様、それにリナさんも、また後ほど」


「うん。いろいろ話せて良かったのです」


 リナもそれ以上踏み込むことはなかった。



 ◇◇◇



 王宮の客間で暇を持てあます冒険士達に向けて、弱々しくもどこか熱を帯びた声が発せられた。


「オニ申し訳ないッス、皆さん」


 長椅子から立ち上がって、白銀の頭を下げたのは、赤い瞳をした男装の麗人。部屋に流れる重苦しい空気を払拭するかのように、彼女は言葉を重ねる。


「今はこんなんすけど、近いうちに必ず皆さんの力が必要になるッス」


 言葉遣いはともかく、その真摯な態度は高潔さすら感じさせた。


「母ちゃ……ルキナ陛下も絶対に立ち直るッス。どうかそれまで待ってほしいッス。このとおりッス、皆さん」


 最後は強い口調で言って、麗人はより深く頭を下げた。縦ではなく真横に伸びた獣耳はエルフと獣人の混血である証。ルキナの三番目の夫ハインリヒの娘、ラビットロード第七王女サランダ。王家の側であり冒険士側でもあるAランク冒険士の姫君は、客間にいた他の冒険士達に心からの謝罪と嘆願を行う。大好きな姉が拐われ、頼りの母は失意の底。それでも他者への礼を失うことなく、前向きな姿勢を示し続けることができるのは、ひとえに彼女の鋼の精神力が成せる業といえる。


 冒険士の下積み時代、小さな農村に現れたハイオークにたった一人で立ち向かい、武器を失いながらも最後まで諦めなかった。当時Eランクの冒険士でありながら、Cランクモンスターを相手に一歩も引かなかった。英雄の娘として、弱き者達を背に闘い抜いた。そしてついには勝利を収めた。そんな彼女を称えて付いた二つ名が『闘拳』。獣人族を中心に絶大な人気を誇る、冒険士協会の若きカリスマである。


「あなたが謝る必要などありませんし、まして今さら頼むようなことではないしょう」


 とは、優雅に髪を持ち上げてブリジット。


「ブリジット様の仰る通りでございます」


 続いて声を発したのは客間にいた三人目の冒険士、銀髪の聖女エメルナである。


「どうか頭をお上げくださいサランダ様。もとより我々は同じ依頼を受けたパーティーのメンバー、助け合うのは当然でございます」


「契約がある以上、一度引き受けた仕事は最後までやり遂げますわ。そんな当たり前のことでいちいち頭を下げられても困りますの」


「エメルナさん、ブリジットさん……」


 ともに女のAランク冒険士、加えて年齢も近い三人は以前から仲が良かった。


「……オニ恩に着るッス」


 そう言って、サランダは顔を上げながら表情を和らげる。友人二人の言葉は、彼女の心の重荷を取り除くものだった。


 ただし、和気あいあいとした雰囲気になることはなかった。


 この部屋にいる最後のひとり、四人目の冒険士が口を開いたのだ――。


「――来たか」


 静かだが威厳に満ちた、男の声が流れた。


「「「……、」」」


 三人の女冒険士が一斉に口を噤む。広々とした客間が一瞬で静まり返った。水を打ったような沈黙が、部屋を支配した。たった一言で。これが男の持つ影響力の大きさだ。男は壁に預けていた背をゆっくりと離すと、紫色の瞳を正面の大扉に向けた。まるで誰かを待っていたように。男は扉を見据える。


 ……キィ。


 ノックは無かった。主人のいない部屋の扉が開く音だけが、静寂の中に響いた。客間にいた四人の冒険士の視線が、一点に固定される。そして大扉から入ってきたのは、異質な存在感を放つ男女の集団だった。


「リナっち……!」


 最初に声を上げたのはサランダ。


「なっ‼︎」


 次いでブリジットが大きく目を見開いた。


「シャロンヌ、さま?」


 ぽかんと口をあけたのはエメルナである。


 ある者は旧友との再会に驚き。

 ある者は至高の美を前に息を呑み。

 ある者は恩師の変貌ぶりに困惑した。


 そんな中、二人の男は互いに惹かれ合うように……歩み寄った。



「失礼ながら、花村天殿とお見受けする」


「ああ、なるほど。あんたが嵐の皇帝か」



 史上最強の冒険士――花村天。


 史上最高の冒険士――レオスナガル。


 生涯の友となる二人の冒険士は、この日に出会ったのだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] 最近、[ナニか]の正体が気になって仕方ありません。
[良い点] 新章の主要人物とも言えるレオスナガルとは最初は反発する展開を予想していたのですが、これはこれで面白いです 天の人たらしの特質が存分に発揮されたかたちですね [気になる点] 侍女が言っていた…
[一言] 役者が出揃いまたしたな(ゝ`ω・)
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