第89話 ラビット王家
「カグヤの行方はまだ分からないのか!」
バンッと机を叩く乱暴な音が、神聖なる宮殿の広間に響いた。
「ラビットロード本国はもとより、もはや大陸の隅々まで隈なく探し尽くした。にも拘らず、いまだ連れ去られたカグヤの居場所はおろか、王宮を襲った賊の手掛かりひとつ得られない。これは一体どういうことなのだ!」
怒りと不満を撒き散らしながら作戦会議のテーブルを殴りつける、赤毛の兎女人。分厚い皮の胸当てに、必要最低限の箇所だけを隠した黒のパンツ。貴人でありながら一切の飾り気を捨てた格好から窺える血気盛んな気性と、筋肉質の引き締まった体つき。生粋の王族であると同時に、生粋の戦士。ワルキューレナイツに席をおく赤目の女副長。ラビットロード第四王女、カサンドラだ。
「クソッ! 賊どもめ、どこに隠れている。姿を現せ、卑怯者めが!」
「あるいは、もうとうに北大陸を離れたのやもしれません」
作戦テーブルの上に広げられた北大陸の全体地図。ところどころに赤いバツ印がつけられたそれに目をやり、兎の麗人は片眼鏡の奥に光る碧眼を鋭く細めた。カサンドラとは正反対の清楚で華やかな礼装。気品と知性を備えた洋銀の毛並みが艶やかに輝いている。ラビットロード第三王女、グレーテルは言う。
「そも、既に宮殿襲撃から一週間以上もの時が経過しております。この状況で、まだ賊が国内にいると考えるほうが不自然でしょう」
「ならば、国外にも追っ手を出すまでだ」
烈火の気迫を放つカサンドラ。対するグレーテルは、失笑を禁じ得ないという顔を対面に座る妹に向けた。
「それを実行するのに、国がどれほどの損失を受けると?」
「カグヤの喪失こそ国の損失ではないか!」
睨み合う二人。だがそれも、ほんのひとときの間だけ。
「カサンドラ。あなたもそろそろ現実を見なさいな」
白い指先で片眼鏡についた鎖をジャラリと鳴らして、グレーテルは今度こそ失笑した。
「カグヤが安否不明になってから、いったい幾日が過ぎたことやら。一縷の望みにしてもとうに消えていることくらい、子供でも分かりそうなものですがねぇ」
「っ……いくら姉者でも、言って良いことと悪いことがあるぞ‼︎」
「私は現実を正しく見極めた上で、実のある話をしているまでです。ただ感情的にわめくだけのアナタと違ってね」
「なにをっ‼︎」
そこで。
「鎮まれ」
高貴なる声があった。
「カグヤが常闇にかどわかされ、国勇ワルキューレナイツの戦士達も、今やその半数以上が母なる大地へと帰った。このうえ身内同士で言い争いを続けるか否かを、私はお前達に問いたい」
「「……」」
カサンドラとグレーテルは、沈黙をもって返答とした。しかしそれは納得した、反省したといった類の反応ではない。彼女達はただ純粋に気圧されたのだ。その巌のような迫力を帯びた、赤と青のオッドアイの眼差しに。
「これは私の勘だが、カグヤを奪い勇敢なる同胞達を手にかけた賊は、今もなおこの地に潜んでいる」
鮮やかな真紅の女騎士は言った。
ラビットロード第二王女、ラナディース。
世界警察と双璧を成す母国の守護神。王家騎士団ワルキューレナイツの長は、静かに喉を震わせ、研ぎ澄まされた容貌をまだ見ぬ敵へと向ける。あたかもそれは狩りに出かける前の猛獣のようだ。
「やるべきことは既に決まっている。であるならば、情報の公開とともに我らも捜索に加わるべきだ。――いかがでしょう、母上」
「…………そやね……」
と、今にも消え入りそうな返事があった。
「……それがええかもしれんね……」
神使の白兎。ラビットロード初代女王ルキナは、壇上の玉座に腰を沈めたまま曖昧に頷いた。
「うむ、妙案だ。オレは大姉者の意見に賛同するぞ。もとより、待機など性に合わなかったのだ!」
「私も異存はございません」
ラナディースに続いてカサンドラ、グレーテルと、次々と娘達が自分の意思を女王に伝えた。だが。
「……せやね……」
と、やはりルキナは曖昧に返事をするだけで終始ぼんやりとしていた。
「……カグヤ……」
ぽつりと呟かれた言葉は、鏡のように磨かれた宮殿の床を、力なく滑り落ちていった。
◇◇◇
ここ最近のルキナの憔悴ぶりは酷いものであった。
行方知れずとなった第六王女カグヤは、ルキナの寵愛を一身に受けていた、文字通り目に入れても痛くないほど可愛いがられていた娘である。これはラビットロードでも有名な話だった。そしてルキナは愛情の深い女王としても知られていた。
カグヤが攫われた夜は、月に一度の家族会の日だった。
ルキナが定めたその記念日は、ラビット王家の皆で集まって食事をする日と決められていた。だがカグヤは生まれた時から病弱であったため、皆での晩餐会に出席できる日とそうでない日がまちまちであった。
そして事件が起こった月夜の晩は、たまたまカグヤが宮殿で留守番の日だった。
一報を受けたルキナは、すぐさま宮殿に戻った。だが彼女やラナディースらが駆けつけたときには、全てが終わっていた。王宮を守る精鋭ワルキューレナイツの騎士達は皆殺しにされ、愛娘の姿はどこにもなかった。
ルキナは半狂乱になって、宮殿を飛び出そうとした。
深い悲しみと怒りの感情を剥き出しにして暴走する自国の女王を、ラナディースとカサンドラ、そして第七王女のサランダが三人がかりでようやく止めた。それからルキナはあらゆるツテとコネを使い、カグヤと賊の行方を追った。しかしいくら探しても、それらは見つからなかった。有力な情報もほとんど得られない。そんな毎日が続いた。
ルキナは大病にかかったかのように、日に日に衰えていった。
◇◇◇
「………………」
捜査会議の席上でも自分からはまったく発言せず、ルキナは玉座の上でずっと顔を伏せていた。まるで人形のようにその目に光はなかった。あたかも生ける屍ようにその身に力はなかった。今の彼女を見たら、ラビットロードの国民達はどう思うだろうか。少なくとも、境界の英雄、亜人の女王などともてはやされる人物と同一とは思われないだろう。玉座に坐す、雪兎の如き真白な幼女の姿は、今はより小さく儚いものに見えた。
「情けない。仮にも貴方様は、五大国家ラビットロードと世界警察のトップなのですよ」
国の英雄にして偉大なる母の失意に打ちひしがれた有様に、ルキナの三番目の娘、グレーテルが全身から嘆息する。
「たかだが身内をひとり亡くした程度で気落ちし、あまつさえ自暴自棄になるなど、とても大衆の上に立つ者とは思えませんね」
「言葉が過ぎるぞ、姉者!」
カサンドラが口を挟む。一方で、今回はラナディースは口を挟まなかった。
「陛下がこの有様では仕方ありません。組織には私から呼びかけましょう」
「ならばこちらも評議会に話を通しておく」
どころか、ラナディースはグレーテルの意見を後押しという型で支持した。
「待て。それでは先程と言っていることが違うぞ」
これに不満を覚えたのは彼女達の補佐役にして妹、ルキナ支持派のカサンドラだ。
「大規模の捜索を行えば、国が多大な損失をこうむるのではなかったのか?」
「組織全体と国個人では負担の大きさが天地ほど違いますよ」
チッとカサンドラが舌打ちする。グレーテルは妹王女の揚げ足取りを片手間にあしらいながら、席を立つ。ちなみにグレーテルの言う組織とは世界警察のことである。
「組織を動かすにあたり、多少の情報公開はさせてもらいます。よろしいですね陛下?」
「……好きにしいや」
ルキナから必要最低限の言質を取ると、グレーテルは優雅に身を翻した。
「では、私はこれで……」
「亡くしたんはワルキューレの子らもや」
弱々しくも意志のこもった声が、去りゆくグレーテルの背中を弾いた。そして――。
「カグヤは生きとるよ。アテには分かる」
「……失礼します」
祈るように呟くルキナ。しかしグレーテルが母の想いに応えることはなかった。