第88話 旅の最終目的地
王都ルナピア。ラビットロードの中心部に位置する、北大陸一の巨大都市である。その面積は小国並みに広い。とにかく広い。そしてそんな果てしなく広がる王都の街並みはどこまでも幻想的なものだった。
「うわぁあ、なんだよ、ここ……!」
「こんな綺麗な所は、初めてですわ」
とは、世にも美しい貴族姉妹ならぬ貴族兄妹の弁。かくいう俺も、そのあまりの美しさにメルヘンの世界にでも迷い込んだような気さえした。地上の楽園、などと呼ばれているらしいが、それも頷ける光景である。光るでっかいキノコとか、思わず引っこ抜いて持ち帰りたい衝動に駆られた。
極めつけは都の中央にある湖の上の宮殿。
絶対キレイなお姫様とかキラキラ王子様とかいるよ。弥生とか淳みたいなのが高確率で住んでるよあそこ。とまあ、前置きはこのくらいにして。なるほど素晴らしいところだ。そこは疑いの余地はない。
ただ問題は、最初の病院があった街からここまで来るのに丸二日もかかったことだ。
また丸二日だ。ホームシックになりやすい中年と思われたくないので、流石に今回は帰らなかったが。山形から仙台に行くぐらいの距離で移動に二日かかった。列車やらバスやら使ってこのザマだ。ママチャリだって頑張ればもう少しなんとかなりそうなものだが。まあ仕方ない。地元出身のリナも、そこは終始諦めモードだった。
「……一般道で法定最高速度三〇キロとか地獄なのです……」
と、何やらブツブツ呟いていた。
「……ハンドルを握るのがストレスになる国なんて世界中探してもここくらいなの……」
とも。
気配り上手なハイスペックの妹分が、この二日間でかつてないほどグロッキーになっていた。彼女が故郷を飛び出して冒険士になった理由の一端を垣間見た気がした。
妹といえば、最近かわいい義妹ができた。
「お兄ちゃ〜ん」
と甘えるように身を寄せてくる黒猫耳の美幼女。俺が頭を撫でながら「なんだ?」と訊ねると、新しくできた小さな妹君はグリグリと額をこすりつけて、花の笑顔でこう答えるのだ。
「えへへ、なんでもないですぅ」
癒しの化身か。
おかげで、ここのところモチベーションがハンパない。特別何に対してというわけではないが。強いて言えば何にでもやる気まんまんだ。今ならあのむっつり邪神も片手でヤレる自信がある。ぶっちゃけそれぐらい調子がいい。これが妹パワーというやつか。ラムと並んで歩きながら、そんなことを考えていると、なんだかんだで元の鞘に収まった仲間内での他愛ない会話が聞こえてくる。
「そういや、ジュリのやつ旅行先で両親が仲良すぎてキツイとか何とか言ってたな」
「それはまた、少し前までは想像もつかない悩みですね」
「でも、ちょっと不本意だけど、俺もジュリの気持ちが何となく分かるよ……」
「あぁ……」
「この前さ……父さんからプライベート回線で初めて連絡がきたんだけどさ……ナース姿の映像を送ってくれとか何考えてんだよ、あの人は!」
「情報提供者は、間違いなく真冬様ですわ」
まあなんだ、調子が良いのは他にも色々と肩の荷が下りたからかもな。
「にゅふふふ。またみんなで笑顔になれたのも、ぜーんぶお兄ちゃんのおかげですぅ」
ただ最大の要因はやはり天使、もとい猫耳の妹さんだ。これだけは譲れない。あ、ちょっと待ってろ。いま兄ちゃんがそこの屋台でフランクフルト10本買ってきてやるから。
「仲が良すぎるといえばさ、あいつらもここのところベッタリだよな」
「はい。羨ましいですわ」
淳と弥生がこっちをチラチラ見ている。ああ分かってるよ。もう淳のことをシスコンなどとからかえない。もはや自分もそっち側の人間だ。まあ年の差を考えれば、兄妹といより親子に近いかもしれんが。世の中には姉妹にしか見えない兄妹もいるしな。三十を過ぎていても「お兄ちゃん」と呼ばれるのも見逃してほしい。あ、マスタードはかけなくていいです。ケチャップだけで大丈夫です。
「あ、あのさ弥生。なんだったら俺達も、あっちに負けないぐらい仲良く――」
「申し訳ございません兄様。私は天さんとイチャイチャできるラムちゃんと、ラムちゃんにイチャイチャされる天さんが羨ましすぎるだけであって、決して兄妹でイチャイチャしているのが羨ましい訳ではございませんわ」
「――……」
「さらに言わせてもらえば、私が今一番イチャイチャしたいのはお姉様ですわ。そう、私はリナお姉様とものすごくイチャイチャしたいですわ!」
「……あのさ弥生。真面目な顔でイチャイチャ連呼するの止めてもらっていいか」
「淳さ〜ん、弥生さ〜ん! お兄ちゃんがいっぱいフランクフルト買ってくれたですぅ! 一緒に食べませんかぁー!」
ワイワイガヤガヤ。お祭りのように賑やかな大通りを、始まりの五日間を共にした仲間達と歩いて行く。少し前からシャロンヌとリナの姿が見えないのは、二人が気を利かせてくれた証拠だ。つくづく思うが、俺ってやつはとことん仲間運に恵まれてるようだ。
それはそうと、相変わらず『嫌な気配』が無くならない。
ねっとり肌にまとわりつくような感覚。まるで化け物の腹の中にでもいる気分だ。あんまり刺激するなよ。めちゃくちゃに食い破りたくなるだろ……。
「マスター。宮殿への入口は少々分かりづらいところにありますので、ここからは私とリナが先導いたします」
「あそこ、初めて来た人はほぼ確実に迷うのです。ルキナ様の性格の悪さを具現化したような場所にあるから」
いかにも城下町といった通りを抜けてしばらくすると、緑豊かな郊外の森についた。森の奥には美しい泉が見える。静かな光に包まれたその光景は、きっと何十年も変わらぬままなのだろう。おとぎ話にでも出てきそうな景色を前に、ラム、淳、弥生の年少組は茫然と足を止めた。シャロンヌとリナが再び姿を見せたのはそんなタイミングだった。
なにはともあれ、ようやくここまで来た。
今回の旅のラストミッション――亜人の女王、ルキナとの対談。ちなみにアポは取ってない。その方がいいと、彼女のことをよく知るリナと親父殿の両方から言われた。なんでも下手に連絡を入れると面白がられて振り回されるから、いきなり行って主導権を握るのが得策とのことだ。
「私もリナと会長の考えに賛同します。ルキナ様は良くも悪くも癖のあるお方ですので」
「あの人に正攻法は悪手なのです。攻めるなら先手必勝。奇襲と強行突破でガンガン行くのです」
山小屋のトイレの下に隠されていた宮殿につづく地下通路――こんなもん分かるわけねぇだろ――を歩きながら、シャロンヌとリナが言った。大国の女王様を相手にそれでいいのかとも思ったが、よくよく考えたら毎回そんな感じだった。ならばいつも通りTシャツで会いに行くことに躊躇いはない。シャロ、お前もメイド服で行け。一緒に女王を驚ろかしてやるぞ。
「かしこまりました」
当然ですとばかりに即答するS級メイドのなんと頼もしいことか。仕事が絡んでないと初対面の女とろくに目も合わせられない程度には人見知りな俺だが、皇族とメイドのハイブリッドである彼女がいれば、城でも宮殿でも一安心である。
それにしても、今日はなんだかいい予感がするな。
思いがけない出会いやら超弩級のトラブルやらが待っていそうな、そんな感じだ。なんだか年甲斐もなくワクワクしてきた。実に楽しみだ。
――そして俺達はこの旅の最終目的地――
神秘なる青の湖に浮かぶ王宮、ラビットロード宮殿に到着した。
「さあ、行こうか」