第8話 邂逅
キラキラと光り輝く贅を尽くした城内。それはさながら城の形をした巨大な宝石箱。不自然なほど純白に輝く広い廊下。金色の天井に豪華なシャンデリア。通路を一つ曲がるたびに、煌びやかな美術品や工芸品の数々がこの城を訪れた客人達を迎え入れる。そんなこの王城のありさまを見て、天は失笑を禁じ得なかった。
「まるで黄金の肥溜めだな」
「は?」
「お気になさらず、こちらの話です」
「は、はぁ……」
悪趣味なほど絢爛豪華な王宮内を城の兵士に案内されながら、天はつい率直な感想を口ずさでしまう。ある程度予想していたが、いやはやこれは予想以上である。
――案内役の兵士を含めて合計七人。
天がこれまで見つけた〔外魔〕の数だ。
今のところ、城の中で出会う三人に一人が人の皮をかぶった魔物というありさま。まさに現在のこの城は、モンスターハウスならぬモンスターキャッスルと言っても過言ではないだろう。天は人知れず頭を抱える。
……カイトとアクにもあとでこれ伝えなきゃ駄目なんだよなぁ。
帰ってからの事後報告のことを考えると今から気が重くなる。ぶっちゃけ約十年ぶりの礼服着用より気が重かった。
『君達の古巣は見事なまでに真っ黒でした』
と気心の知れた仲間達に伝えねばならないこの気苦労。少しは理解してほしいものだ。
「……天兄。そんなに多いの……?」
顔は前を向いたまま、隣を歩いていたリナがぼそりとそんな事を訊ねてきた。あんな何気ない一言でも完璧にこちらの考えを読み取る察しの良さ。流石としか言いようがない。
「パッと目についただけでも、七匹」
「うわぁ」
依然として話の内容は必要最低限。そんな中でもリナは当然のように会話を成立させてくれる。まさにやりやすさの塊である。
「っ……」
ふと前を見れば、天とリナの三歩前を行くシャロンヌの肩がプルプル震えていた。
「……」「……」
天とリナはお互いの目だけ見て、無言で頷き合う。もうこの話はよそうのサインだ。
……俺としたことがうっかりしていたな。
耳がよく勘が鋭いシャロンヌのことだ、きっとリナと同じように、さっきの天の言葉の意味を瞬時に理解したに違いない。
……あいつ邪教徒のことがGの百倍嫌いだとか言ってたしな。
つまりシャロンヌにとって、この城は小汚い台所や便所以下。そんな場所を歩かされているのだ。心中穏やかではない、どころの話ではないだろう。
「こちらです」
「……………」
しかも間の悪いことに、今まさにその邪教徒が城の兵士に化けてシャロンヌの目の前にいるのだ。この事をもし本人が知りでもしたら……
「……ギリッ」
いや。あの顔はもう手遅れなやつだ。絶対にもう勘付いてるやつだ。天はこめかみを押さえた。
――あれは臨界点ギリギリってツラだな。
差し当たって、シャロンヌが我慢できずにヤッちゃったら足がつく前に速攻で魔物ボックスに収納しちまおう、と天がポケットのドバイザーに手を伸ばしたところで。
「ここが謁見の間です」
無愛想なモンスター兵士が見るからに立派な扉の前で立ち止まった。どうやら、世にも奇妙な魔物の案内はここまでのようだ。
「これはまた、随分と仰々しい扉が現れたものだな」
先ほどまでの刺々しい態度とは打って変わり、彼女は実にふてぶてしい笑みを自然に浮かべて見せる。この辺はやはりプロ。超一流のそれと言わざるを得ないだろう。シャロンヌは不敵な態度で扉の前に進む。すると謁見の間へと続く扉がひとりでに開かれた。
――演出はバッチリだな。
などと緊張感のかけらも無いことを考えたのは、ここだけの話である。
「行くぞ」
「了解」「アイアイサー」
鮮やかな紫色のマントを翻し、いかにもなポーズをとるシャロンヌの後に続いて、天とリナは城門のごとき巨大な扉を潜るのであった。
◇◇◇
「っ……っ……」
身体の震えが止まらない。
冷や汗が背中一面からとめどなく流れる。
ランド王国騎士団団長・暁グラスは、少し前から悪寒などという表現では到底言い表わせない、全身を氷漬けにされたかのような戦慄を感じていた。
「大丈夫ですか、グラス殿?」
謁見の間の上段に設けられた真紅に輝く二つの座席。その一方に座っていた銀髪の女性が、心配そうな顔をしてグラスを見つめる。
「先ほどから、なにやら顔色がすぐれぬようですが……」
「い、いえ」
グラスは得体の知れない恐怖に取り乱しながらも、女性に丁寧な会釈で応える。
ランド王国第一王妃リスナ。
彼女は知識の女神ミヨの加護を持つ『英知の英雄』であり、この城でグラスが尊敬する数少ない人物の一人でもある。
「フン、大方かの女傑との顔合わせを考えて気が滅入っている、そんなところか」
リスナに続いて口を開いたのは、もう片方の席に座っていた赤髪の青年。ランド王国第一王子アレックスである。
ちなみにだが、ランド王城には玉座の間と謁見の間に、それぞれ国王だけが座ることを許される玉座が用意されている。
しかし今、この謁見の間の玉座にはアレックスが座っていた。客を招いておいて玉座が空いていては示しがつかない、そのようにして第一王子アレックスの独断で勝手にそれを決めてしまったのだ。
「おい、グラス」
我が物顔で玉座に座りながら、アレックスは咎めるような視線をグラスに飛ばす。
「貴様はこの国の騎士団の代表なのだ。そのことをくれぐれも忘れるなよ」
「……はっ」
王妃リスナとは違い、こちらは心配というよりも叱責。王国の騎士団長としてシャキッとしろ、アレックスはグラスにそう言っているのだ。
「フン、未来の主に噛みつく威勢があるのならば、それに比例する気概を身につけてほしいものだなグラスよ」
「アレックス。そのぐらいに」
「面目次第もございません」
リスナが息子アレックスを宥めるように声を発し、グラスがそれを遮る形で謝罪の言葉を発した。理由はどうあれ、今の自分のありようが騎士団のトップとして相応しくないのは事実だ。叱責を受けても仕方がない。
「おい見ろよ、お堅い騎士団長殿がお叱りを受けてるぜ……ボソボソ」
「こいつはいいや……クスクス」
そのやり取りを見ていた周りの騎士達のうち数名が、意地の悪い嘲笑を浮かべる。若くして王国騎士団の団長まで登り詰めたグラスのことを快く思わない者は、騎士団の中でも少なくない。そういう輩にとって、生真面目な年若い団長が叱られるさまはさぞ愉快なことだろう。
もともとグラスは万人受けするキャラではなかった。
それはグラス自身もよく分かっている。しかしだからといって自分を曲げられる性分でもない。それになにより、今はそのような事はどうでもよかった。
――出来ることなら、今すぐにでもここから逃げ出したい。
グラスの偽らざる気持ちだ。
騎士としての矜持をなによりも重んじる自分が、そんなことを切に思ってしまうほどの何か……先日エクス帝国に現れた【災害級】モンスター、かの〔ヘルケルベロス〕と対峙したときですら、これほどの畏怖を覚えなかった。
――いったい自分たちは“ナニ”を城に招き入れてしまったのか。
その答えは、やがて唐突に開かれた扉の向こうからやって来た。
「ッッ――‼︎‼︎⁉︎」
瞬間、グラスは危うく尻餅をつきそうになった。言うなれば、腰を抜かす一歩手前だ。それと同時に、謁見の間にどよめきが起こった。
「フッ」
大冒険士の風格を携え、威厳すら感じさせる態度で謁見の間に入ってきたのは、薄紫色の髪をした思わず息を呑むような美女。彼女こそ協会最高峰の冒険士の一人、『常夜の女帝』シャロンヌその人である。かの女史が扉の向こうから姿を現わした瞬間、あちこちから感嘆の声が漏れる。
絢爛豪華な城内に見劣りせぬ絶世の美貌。
圧倒的な存在感とカリスマ性。
選ばれし英雄種。
彼女がその他大勢の観衆を魅了する――グラス本人はおぞましさしか感じないが――材料を挙げたらきりがない。当然のように皆の視線がシャロンヌに集中する。それは玉座に着いていたアレックスやリスナも例外ではない。しかしその中でただ一人、グラスだけは違った――
――真に注目すべきはその後ろの人物。
グラスは大きく目を見開く。それは息をするのも忘れるほどの衝撃。まるで心臓を直接鷲掴みにされたような感覚であった。
……ダメだ! “あの者”とは絶対に敵対してはならぬ!
外見こそ平凡な人間種の若者。しかしグラスは、その若者から一瞬たりとも視線を外すことができなかった。
戦わずとも分かる。自分ではどうあがいてもあの者には勝てない。
生物としての格が違う。次元が違う。
その姿を一目見ただけで、グラスは白旗以外の選択肢はないと悟らされた。
この時。グラスは以前、盟友シストに言われたある言葉を思い出す。
『グラス君は《B》。そして彼は《SS》なのだよ』
間違いない。この者がそうだ。
あの時は俄かに信じられなかった。
どうしても納得ができなかった。
――だが今なら分かる。
シストが言ったことは、紛れもない真実であると。
「エクス帝国での一件以来だな、暁グラス」
不意に声をかけられた。見れば、シャロンヌが今まさに自分の目の前を通り過ぎるという位置までやってきていた。
「……、……」
グラスは咄嗟に何か言葉を返そうとした。
しかし極度の緊張からうまく声が出ない。
結果、金魚のように口をパクパクさせるという醜態を晒してしまった。よりにもよってこの女史の前で。
「クス」
案の定、シャロンヌはそんなグラスを見て口元に笑みを浮かべる。ただそれはグラスの予想に反して、人を小馬鹿にした笑いではなく、どこか満足げな微笑だった。シャロンヌのその反応は、心なしかグラスを評価しているとさえ思えた。
「ほう」
そしてそれは唐突に訪れる。
――あんたは俺の脅威が分かるのか――
その瞬間、彼からのメッセージが直接頭の中に届いた気がした。シャロンヌから三歩遅れて歩いてきた例の若者が、自分に語りかけてくれた気がした。
「小生はランド王国騎士団団長、暁グラスと申します!!」
気がつけば、グラスは一も二もなく最敬礼の所作に移っていた。理由は自分でもよく分からない。だがとにかく嬉しかったのだ。
周囲の者達は何事かとグラスを見やる。
おそらく、共に列席していた御剣ユウナや英雄リスナも含め、王国サイドでグラスの奇行に理解を示した者は誰一人としていなかっただろう。しかしそんな中。
「冒険士協会零支部所属、花村天です」
「同じく、リナと言うのです」
彼とその隣を歩いていた獣人の娘は、さも当然のようにその場で立ち止まり、さも当然のようにグラスの声に応えた。
――なんと気持ちのいい方々か。
それは久しく忘れていた感覚。こんな清々しい気分は本当に久しぶりだ。グラスは顔を上げると、今度は畏怖ではなく尊敬の念を込めて、彼の目をまっすぐ見た。
「なんだ、紛い物以外もちゃんといるじゃないか」
「……!」
先刻とは違い、彼の言葉遣いはかなり砕けていた。だが嫌な気は全くしなかった。彼の声から伝わってきた感情がこの上なく友好的なものだったからだ。それになにより、グラスは彼のその言葉に強い共感を抱いた。
「紛い物、とは?」
「俺がいちいち答えずとも、あんたならとっくに気づいていると思うが」
それだけ言い残すと、彼は止めていた足を再び前に進め、威風堂々と玉座の方へ歩いていった。
これが花村天と暁グラスの、最初の邂逅であった。