【第三話 ~善~】4
先輩と話していて、素朴に思ったことを善は聞いてみた。
「松本さんと先輩、すごく仲が良いですよね。そういえば昨日も」
そのときふと思い出した。
松本さん、高橋先輩のこと「美緒ちゃん」と呼んでいたのだ。
「え、そう? まあ郁は幼馴染だしね。そう見えるかも」
先輩は少し照れくさそうに笑って、お弁当のウインナーをひょいっと口に入れた。それに合わせて、善も惣菜パンにかじりつく。
小学校に通っていた頃から、ずっとなのだと、先輩は続けた。
二人は同じマンションに住んでいた。そのマンションは駅から少し距離があったが、小学校は目と鼻の先にあったので、当時から核家族世帯を中心に分譲を見込んで建てられたらしい。目論見通り、多くの若いファミリーが居住していた。
「そのマンションにも、ここの中庭みたいな、共有部分があったの。小学校の頃は毎日、もう本当に毎日、そこで遊んでたなあ」
適度に木々が植え込まれ、小規模ながら遊具も設置されていたらしい。そのマンションに住む子供たちの憩いの場になっていた。同じくらいの歳の子供はたくさんいた。その子たちも一緒になって大勢で遊ぶこともあったし、二人きりで遊ぶこともあった。ただ、高橋先輩がずっと一緒にいたのは、松本郁だった。他の子供たちが夕食どきになりパラパラと解散しても、最後まで残って遊んでいたのは、松本郁だった。
また、松本さんは何でもかんでも高橋先輩の真似をする女の子だったそうだ。
普段着るものや身に付けるもの。聴く音楽。習い事。何でも真似っこだった。
「私がつけてたマーブルカラーのシュシュなんか、あの子欲しい欲しいって、かなりしつこくお母さんにねだったらしくって。善くん知ってるかな、『SBY』の。当時すごく流行ってたんだよね」
そう話す高橋先輩は、当時のことを懐かしむような顔だった。そして、僅かに誇らしそうにも見えた。
先輩が前を歩き、その後ろを松本さんが付いて行く。ちょうど昨日中庭へ移動したときの構図は、そのまま二人の関係も表していたようだった。
「中学受験を決めたのも、そうなの。ワタシのうちがもともと教育熱心なところがあって、小学四年生から塾に通ってた。そしたらあの子も受験するって、塾に通うって言い出して。当時、郁のお母さん、ずいぶん困ってたな。修学院大学附属中学校を受験したのも、進学先をここにしたのもそう。なんか本物の妹よりも懐いててさ。あ、ワタシも郁も一人っ子なんだけどね」
また、松本さんは自分が目立つようなことが苦手で、引っ込み思案なところがある。そのことが話題出ると、先輩は少し肩を落とした。
そこが、欠点といえば欠点なのよね。緊張しいで、優柔不断。思い切れない。
「決める」ということが苦手なのだという。
「ピュアがゆえになのかな。考え込んで、身動き取れなくなっちゃうタイプなんだよね」
逆にそれが、将来悪い人に騙されないように「バリア」みたいな役目を果たすと良いんだけど――先輩はちょっぴり寂しいそうに笑う。その顔が、僅かに木漏れ日で揺れた。
決めるのが苦手――ただそうすると、善の頭に一つ疑問が浮上するのだった。
留学だ。
海外に行く。それも一人で、ホームステイをする。半年間もだ。
それを決めるのは、体力を要する。たとえ優柔不断な人でなくとも、じっくり考え、悩むことではないだろうか。
ましてや、松本郁は当時中学一年生だった。見送るという選択肢もあった。
そうだ。「今は決めない」という選択肢も、あったはずだ。
しかし実際には、彼女は二月にエントリーし、来月日本を発つ予定である。
「松本さんって、やっぱり英語は得意なんですか?」
善は少し回りくどい質問をしてみた。
「英語? まあ、同好会やってるくらいだからね。成績良かったと思うけど」
その返答ではまだ、浅い。欲しい答えではなかった。
もう一歩踏み込みたい。
「やっぱり。智視、実は映画がめちゃくちゃ好きで。ときどき『洋画を字幕なしで見れたらカッコいいよね』っていうんですよ。松本さんがそのくらいすごかったら、きっかけとしては良いかなって」
多少脚色はしたが、智視が映画好きなのは事実だ。
善は先輩の返事に、ひっそりと期待した。それ! ナイスアイディアだね! ――そんなふうに、大げさに反応してくれる高橋先輩を、期待した。実は郁、同好会の中でもすごく評価されててね、うちのエースなんだよ。映画の和訳とかも、いけるんじゃないかな。でも実は、来月から留学しちゃうの。その前に、あの子には気持ちを整理させてあげたいと思ったから、今回お願いしたんだ――
きっと、そんな反応が返ってくる。やっぱり先輩は松本さんの大いなる味方で、全くの白だったということになり、今の同好会の状況改善にも協力的になってくれる。
期待した。でも、反応は違った。
高橋先輩の表情は明らかに曇った。
「郁は……そうだね。簡単な内容だったら、字幕なくても見れるかも。でもそれだったら同好会の部員みんな、どっこいどっこいだよ。二年生の中でも、もっとできちゃう子はいるんじゃない? 国際学部の子なら特にさ」
後半は少し早口になった。曇った顔は、途中から不自然な作り笑いに変わった。
「そうなんすね――でも、きっかけくらいにはなりません?」
「うん、まあそうだね。きっかけには。じゅあ郁に好きな映画、聞いとくね。邦画とか、アニメだったらごめん」
予鈴が鳴る。
「なんだかあっという間だね、昼休みって。どうだろう? 原くんの気持ちは動かせそうかな?」
「まだ分からないですけど、とにかく伝えて、前向きに考えさせます」
「よろしく頼むね、善くん」
高橋先輩は弁当の包みを結び直して立ち上がった。
「すみません、もう一つだけいいですか?」
「うん、何?」
「先輩、料理します?」
先輩は首を傾げる。「料理? ワタシのこと? なんで?」
「お弁当、自分で作ったのかなと」
ニッコリと笑って、先輩は自分の弁当を顔の高さまで掲げた。「善くん随分よく見てるね。実は、密かに得意技なの。そこら辺の女子には負けないから」