【第二話 ~沖弓~】5
そうしたことが五月にあり、メディア研究会の三人は、疑惑のSNS「リリー」にターゲッティングし、情報を追って、一ヶ月が過ぎた。
結局フリーペーパー七月号の発行部数はぴったり千部を妥協点とした。倉木はぶつくさ文句を言っていたが、沖弓が押し切った。ホームページの更新と記事の推敲が一区切りしたところで、三人は解散した。
今日も「リリー」について真新しい情報はなかった。
そういえば少し前の情報だと、英会話同好会のコミュニティが絶賛荒れているらしい。倉木の友人が所属しているそうで、情報を持ってきた。ただ聞いてみると、海外留学の枠をめぐって内部に亀裂があるようで、「リリー」上でも悪口合戦になっている、というだけだった。
沖弓は学校の東門を出た。
まだ午後四時前だ。今日はもう少し「リリー」の各掲示板をチェックしよう。そう思い、彼女は行きつけの喫茶店へと足を運んだ。
東門は高校の最寄駅とは反対方向に位置するので、利用する生徒は少ない。部活帰りの生徒が二、三人、まばらに門を出て行く程度だった。対照的に、校庭の位置する南門はいくらか賑わいでいる。
ただその日はいつもよりも生徒が多いのか、余計に騒がしい気がした。
〈なにか、あったみたい。見に行ってみようよ?〉
隣に女の子が立っている。
淡いピンク色のワンピースをひらひらさせて、沖弓の周りを踊っているみたいに、歩幅を合わせて歩いている。背丈は沖弓よりも小さく、小学生の高学年か、あるいは中学生くらいに見える。
〈ねえ桃〉
「行かない」
女の子の提案を、沖弓は拒絶する。女の子は、まるで欲しいおもちゃを買ってもらえなかったみたいな、悲しそうな顔をして立ち止まる。
沖弓は歩き続ける。きびきびと歩いて、東門を出る。
女の子は遠のき、じきに見えなくなった。
学校の東側に広がる森林公園の遊歩道を抜けた辺りにある喫茶店「フィリップ・マーロウ」は、渋い年配のマスターが個人経営している店だ。マスター以外の店員には会ったことがないから、たぶん一人で切り盛りしているのだと、沖弓は推測していた。
取り立てて特徴のある喫茶店ではなかった。扉や窓、椅子やフロアランプも特別年季が入っているというわけでもなく、現代アート的な目を引くデザインというわけでもない。ただ、視界に煩くないシンプルなデザインだし、手入れが行き届いていた。
繰り返すが、沖弓は「キラキラ」を求めていた。
彼女の中にいくつかある「キラキラ」定義の中に、カフェ巡りをする女子高生というのが含まれていた。その定義に則り、学校の周りに点在する店を訪ね回ってみたことがある。その際に作成した「リサーチ・メモ」は今もまだパソコンのデスクトップに放りっぱなしだ。
当時気分が乗っているときは、顔文字をちりばめながら高揚して文章を綴ったが、およそ「カフェ巡り特集」など似つかわしくないメディ研の面子であるため、そのメモは未だ使われることなく放置状態だ。「フィリップ・マーロウ」はそのとき発掘した。
実際、沖弓はこの店を気に入っていた。駅と反対方向になるため、あまり混み合わない。その日も店内は奥のボックス席に男子学生が二人、談笑しているだけだった。沖弓はいつもカウンターに座るが、パソコンを開くつもりだったので今日はテーブル席を選んだ。グラスの水を運んできてくれたマスターに、カプチーノを注文する。
五月に「リリー」を研究対象にすることを高らかに宣言した沖弓だったが、所詮は女子高生が一人と頭でっかちな評論駱駝、それに二次元的思考を生業とする豚で構成されているパッとしない布陣だ。その上、一応は進学校らしいカリキュラムのもと、日々授業で知識を嚥下、消化する高校生なので、調査ばかりに時間を割ける訳ではない。
当然「リリー」側も、叩けば埃が出るように簡単には行かなかった。
普段は一ミリたりとも読んでいない「利用規約」を一から百まで読み、他のSNSと見比べてみたが、不備はなかった。プライバシーポリシーもテンプレートだ。
パソコンを開き「リリー」にログインする。今日は運動部の公開掲示板を中心にウォッチしようか。大会も近いため、更新が活発になっているはずだ。そう思っていた矢先、自分のタイムライン上の投稿のいくつかが目に止まった。相互フォローしているクラスメイトの投稿だ。
〈野上先輩諦めないでください。きっと大会までには間に合います〉
〈ここまで頑張ってきたの、みんな知ってます。絶対大丈夫〉
〈監督も初戦のスタメン変えるつもりないって。さすが三村! 野上先輩、みんな待ってます!〉
皆口々に「野上先輩」にエールを贈っていた。
三年の野上先輩は、たしか野球部の主将だ。
何か、あったのか。
野球部の掲示板にアクセスし、見つけた。
いつもは活発で、エクスクラメーション・マークで溢れている投稿なのに、その記事だけは様相が違った。タイトルも「応援してくださっている学内の皆様へ」。沖弓は読み込んだ。
今日の練習中、部員の投げたボールが野上先輩のこめかみに直撃し、救急車で運ばれたのだという。