【第二話 ~沖弓~】3
さて、メディア研究会では、目下、研究対象にしているものがあった。
即席人員とはいえ「研究会」らしくテーマを据えるべきだろうという、幾分殊勝な動機があった――というわけではない。
その「研究対象」は、修学院には既に当たり前に普及していたものだった。沖弓が入学し、クラスメイトと話すようになると真っ先にインストールを促されたそれは、「リリー」と呼ばれていた。
ゴールデンウィークが明けて、高校生最初の定期テストが近づいていた頃。
沖弓はある推測に行き着いた。
これがあるから、新聞部は潰れたのではないか。
その考えに至ったとき、沖弓は「しまった」と思った。情報発信において、便利で、スマートで、クールで、学生ならみんなファッショナブルに使いこなせてしまうものが、すでにあった。
学内専用のソーシャルネットワーキングサービスである「リリー」は、修学院大学の学生、附属中、附属高の生徒のみアカウントを作成することができる。大まかな機能は昨今溢れているメジャーなSNSと大差はない。知り合いをフォローし、承認を得る。フォローした相手の投稿は自身のタイムライン上に表示される。表示したくなければ「ミュート」できるし、自分の投稿を見られたくなければ「ブロック」できる。
個別にメッセージをやり取りすることもできる。任意の「コミュニティ」を作成し、そのコミュニティからの発信を全登録者の目の触れるところに掲載することもできる。各団体の掲示板へ飛ぶと「軽音部です! 定期演奏会を告知します!」というような情報を目にすることができる。
作成されたコミュニティに「加入する」ことができる。加入が承認されると、コミュニティのメンバーのみで会話することも可能だ。
そして全ての機能において、画像、動画の添付もできる。おまけに邪魔な広告、宣伝は一切なし。スマートフォン、タブレット、PCどの端末からも見やすい、シンプルなブラウザ。
登録率は全生徒の九割。
文句のつけようがない。
生徒が皆「リリー」でコミュニケーションをとり、情報を手に入れ、意見を交わし、日々を送っている。
その中で「学校新聞」なんてものを発行するとしたら、情報には相当な付加価値がなければいけないだろう。新聞の発行元は、皆が誰も掴んでいないことを、気付いていないことをスッパ抜かなければならない。
そして「メディア研究会」も、その付加価値を見出さなければ用無しになるのではないか。
沖弓は焦りを感じ、倉木と加瀬に話した。
三人は、もう何度かそうしているように部室に詰めていた。高校生初の定期テストをなんとか切り抜けた後、フリーペーパーの創刊号発行のための作業がピークだった時期だ。
五月の最終週。木曜日。今も覚えている。
二人とも、沖弓の話を一部肯定。部分的には、否定した。口を揃えて「リリーとうちは競合し得ない」という意見だ。
倉木は珍しく表現に迷いがあったが、それでも明確に意見を述べた。
「上手くは言えないんだが、両者の性質は違うと思うんだ。『リリー』と、うちの公式サイトやフリーペーパーは」
「どう違うと思うの?」
「うん、そうだな。『リリー』は皆、顔を作って他者と繋がることで、一種の『安心』というか『居場所の確保』をしていると思うんだ。でも、うちが提供しようとしているのは、そうじゃない。沖弓と意見の相違があったらいかんが――そう、例えば『驚き』。もっと突っ込んで『新たな好奇心を刺激するもの』とでも言うと、幾分カッコがいい」
うまい表現だと思うよ、と加瀬が同意する。
「ちょっと視点が違うけど――アニメオタクの中には、自分の好きなキャラクターを使って二次創作をする人がいるんだ。『同人』って言ったりするんだけど。そういう同人作家の人って、売れっ子には大抵〝ファン〟が付いてるんだよね。その人の作品が好き、っていうのを通り越して、レベルアップして、『その人を応援したい』っていう〝ファン〟がさ。『リリー』には〝ファン〟はいないけど、僕らの活動は、これから〝ファン〟を作り出せる種類のものだと思うよ」
あ、これは同人に限らず、何にでも言える話かな、と加瀬が少し照れ笑いをこぼした。頬の脂肪が揺れる。
意見を述べた後も、二人のいくつか側面を変えて「リリー」のことを分析するようにディスカションしている。
沖弓は少し悔しくなった。専門外のはずの話題でも一通り語れてしまう彼らに、僅かながら劣等感を抱いたのだ。そして同時に、心強いと思った。差し詰め、猪八戒と沙悟浄を従えた三蔵法師の気分だろうか。片方は河童ではなく駱駝だが。
沖弓は、議論を四方八方に展開する二人の会話を聞いていた。
分かったのは、まだ私は「リリー」のことをほとんど知らないということだった。
そして沖弓は、倉木と加瀬から始めて話を聞き、率直に言えば「リリー」に対して不気味さを覚えたのである。
このサービスは販売元もデベロッパも同じく「Relie Co.,Ltd」と表示がある。サービス名とも同じであることは珍しくない。WEBで検索をかけると公式サイトがヒットするが、内容は「リリー」のマニュアルやトラブルシューティングがメインだった。問い合わせフォームも、プライバシーポリシーも、一応存在する。役員の名前や資本金の記載もある。証券取引所のホームページを探しても見当たらないので、上場企業ではないらしい――倉木がまめまめしく検索をかけていた。ただ、隈なく調べても、「リリー」のサイトには外部リンクがない。修学院大学管轄のサイトとは、切れている。
つまり「リリー」は、非公式のサービスだということだった。「学校法人修学院大学」は何も関与していない。
「実際見るのは初めてだが、ちょっと無機質だな、このサイト。代表取締役の顔写真がないし、事業内容も全然詳しくない。学校側は、どういうつもりで運営しているんだ?」
倉木が口元をひん曲げて訝る。
「そもそも、運用していないよ」加瀬は真顔でパソコンの画面を見ていた。「やっぱり、運営は、この会社なんだ。学校とは無関係のね。だから、情報のやり取りも全くない。とりあえずうちの生徒の間じゃ、そういうことになってるよ。まあ、そこが一番の『リリー』の謎なんだけど」
「謎って? どういう意味?」
沖弓が問うと、加瀬はにやりと口元で笑う。
「考えてみて沖ちゃん。このSNSは『学内専用』なんだよ」
学校側と情報のやりとりがないとしたら、修学院の生徒じゃない人間のアクセスを、「リリー」の開発元はどうやって弾いてるのか――加瀬は台詞を読むように言った。