高崎雄介
アジトの中に戻っていくアリス。残された俺は氷雨に打たれていた。ちょうど、あの日もこんな感じの天気だった。
「おい、キョロ助! パン買って来いよ!」
「えっ……この前買ったよ……」
「え? なんだって?」
「いや、何でもないです……」
俺がチビデブハゲだった遠い昔。
容姿の悪さからクラスメイトから避けられ、頭もスポーツもまるでできないダメな男子高校生だった。自分から誰かに話しかけるコミュニケーション力もないため、休み時間には顔を伏せて時間をやり過ごす。それが俺にとって平穏だった。
が、そんな俺に目をつけた奴らがいた。
「今日は焼きそばパンとあんパンな」
「俺はクリームパンとチョコパン」
「あの……もうお金が……」
「あ? なんか言ったか?」
「いえ……えっと、お金が……」
クラスでもカースト最上位にいるような威勢のいい連中で、そいつらは俺が気に入らないのか、俺に自腹で買い物を行かせたり、意味不明なイタズラやそれを動画にとって面白がったり、万引きさせようとしたりなどなど……悪行は数え切れない。
特に『皇帝』と書いて『フランツ』と読むリーダーを張っている男子の暴力癖がひどく、挨拶が代わりに右ストレート。嫌なことがあったら右足。気に入らなければ左足。俺の行動が気に食わなかったら袋叩きである。
俺も抵抗しようとするが、持ち前の運動神経の悪さと人数に押し切られ、ボロぞうきんのように打ち捨てられるのが常だった。
「ねぇ、大丈夫?」
そんな俺に手を差し伸べてくれたのは、幼馴染である桜井優実だった。
「もう見てらんないよぉ。ねぇ、なんであんな奴らとつるんでるの?」
「いや、別につるんでるわけじゃ……あっちから来るわけだし」
「そうなの? じゃあ、誰かと一緒にいなよ。そうすれば、あいつらもやりにくくなるかもよ?」
「そんな人いたら俺は苦労してないよ」
「じゃあ、そういう人をも見つけること。それまで、私がいてあげるからさ」
「……いいよ。迷惑をかけるよ……」
「何言ってんの? 昔からの付き合いでしょ? 高校に上がってからは話さなくなっちゃったけどさ……これを機に幼馴染再開ってことでさ!」
言葉だけじゃなく、実際に彼女は俺と行動を共にするようになった。最初、俺は彼女に被害が及ぶと思い、彼女を振り切ろうとした。が、しつこく彼女はついてきた。そのおかげかあいつらは手を出してこなくなったため、俺は彼女を無理に振り払うことはしなくなった。
「ねぇ、優実! 帰りにカラオケ寄ってかない?」
「うーん、ごめん。今日はちょっと用事が……」
「そうなの? なんか最近付き合い悪くない?」
「そんなことないよー。今度行くからさ」
「分かったー」
クラスで人気者の彼女であるが、友達の誘いを断ってまで俺と共に行動する彼女。俺のためにそこまでしてくれるなんて本当にありがたい。が――
「いいのか? 無理して俺と一緒にいる必要なんかないぞ?」
「別に雄介といるとは言ってないよー」
「ぐっ……」
「嘘だよっ! そんなにダメージ受けないでよ。今日も一緒に帰ろ!」
「ああ……」
そんな風にからかっても優しいのは彼女だけだった。快活に笑う彼女につられて、俺も笑ってしまう。彼女には人を笑顔にする特別な力があるみたいだった。
「でも、なんで俺と一緒にいてくれるんだ?」
「……だって、私といれば、あいつらも手を出してこないでしょ?」
「そうだけどさ……」
「もちろん。大人になったら借りは返してもらうからね。倍返しで!」
「ああ」
「楽しみにしてるっ! ねぇ、今度の土曜日カラオケに行こうよ」
笑顔で俺と一緒に帰ってくれる彼女は、まるで天使のようで眩しくて……一緒に過ごすようなっているうちに、いつの間にか俺は彼女に惚れていた。
が、数週間すると、彼女と一緒に帰る日がだんだん減っていったのである。
「ごめん。今日は別の用事があって……」
「今日もごめん……友達の誕生日で……」
「ごめん……今日も一緒に帰れないや……」
別に彼女が俺と一緒に帰ったり時間を共にする義務はないわけだから「別にいいよ」と言うしかないわけだが、少し寂しかった。俺はそこで自分を抑えておけば絶望せずに済んだのかもしれない。
とある日、自分でも気持ち悪いと思うが、俺は彼女の後をつけていた。黒い雲が空を覆い、迷い風が吹きすさぶ日だった。
「こんな日にどこへ行くんだ?」
彼女の向かう先は公園だった。と、電話で話し始める彼女。こんな天気の悪そうな日に誰かと会うのだろうか?
通話を切ると彼女が動き始めた。その先は公園の男子トイレだった。おいおい、男子トイレって、優実のやつ、間違えているぞ。
尾行を止め彼女に間違いを教えようと、男子トイレに入っていく。が、トイレに入った途端、目に飛び込んできた光景に俺は言葉を失った。
「んんっ……ん……」
「……ッ!」
目にするのは初めてだったが、それがどういうことなのかは理解していた。理解しているつもりだった。
今まで聞いたことのない甘く艶のある優実の吐息。乱れた上半身の着衣。そして、優実の唇が男のそれと密着しているのである。男は彼女の服を一枚ずつ乱暴に脱がしていく。その手の主は俺をいじめていたリーダーの皇帝だった。
「優実……」
「……っ! 雄介!」
皇帝から体を離し、目を見開く優実。
「あの、雄介、これは……」
「おお、誰かと思えばキョロ助じゃねぇか。スゲー顔してる。傑作だなぁ!」
「そうか……そういうことだったのか……」
「! 違うの。これは……っ! んっ――!」
二人の唇が再び密着する。昏い感情が渦巻く。
「んんっ……んぱぁ! おいおい、なんでそんな怖い顔してるんだよ。合意の上だよ合意。だって、お前後をつけてきたんだろ? じゃあ、分かんだろ? こいつの意思で俺の元に来たんだよ」
「……なんでお前が……」
「おいおい、まさかお前こいつに恋しちゃってたのかよ? マジ受ける! お前みたいなやつを選ぶ奴なんてどこにも居ねぇよ。それとも、お前みたいな知能の低い奴には分かんないのかな? じゃあ、教えてやるよ! お前みたいにチビでデブでハゲでどんくさい男なんて誰も望んでいないんだよ」
「そんなこと……」
「おいおい、まだ分かんないのかよぉ? なんでお前みたいなゴミに優実が近くにいると思ってるんだ? お前が可愛そうだからだよ。顔面も体も性格も可哀想なお前によ! 冗談は顔だけにしろよ! ははは!」
「そんなこと言わないで――んんっ!」
皇帝からの無理やり口づけであったが、優実はそれを強く抵抗していない。それだけで十分だった。
俺はその場から駆け出した。ぐちゃぐちゃの汚泥を蹴り、土砂降りの中を突っ切っていく。とにかくどこかに行きたかった。ここから消えていなくなりたかった。
「クソッ! クソッ! クソッ!」
彼女にとって俺なんてただの幼馴染だ。俺はただいじめられていて、それが可哀想だったから彼女は俺の近くにいただけだ。
逆に皇帝は認めたくはなかったがイケメンだった。スポーツもでき、背も高く、勉強もできる。暴力や粗暴な振舞いを除いたら完璧な男だった。
普通の女の子が冴えない男かイケメンを選べと言われたらイケメンを選ぶだろう。
息が切れる。それでも、走りつづける。が、あの光景は振りきれない。
足が何かに躓き、体が宙に浮く。唇や手を切る。立ち止まった瞬間、胸までせりあがっていた吐き気を抑えられず、道にぶちまける。
自分の感情が嫉妬だということが分かっていた。でも、俺にはどうしようもなかった。
俺がイケメンでさえあれば良かったのか? あいつよりもイケメンだったら、優実はあんな奴と……。
胃の中の物を全部吐き出してからも、脳内では絶えずあの光景がちらつく。
胃酸が絡む唾を吐き出し、俺は再び足を動かす。あの光景から逃げるために。誰も信じられないこんな世界から逃げ出すために。そして、気づいたときにはトラックが目の前にいた。
そうして、『高崎雄介』の生を終わらせた俺。だが、その先では女神さまのご厚意でイケメン王子に転生する千載一遇のチャンスを得た。
「復讐してやる……」
俺は次の世界ではイケメンになって、俺を見下していた女たちに復讐してやろう。あんな惨めな後悔を繰り返さないために。そう考えていた。だが――
王子であるがゆえに、小さなころ生まれたての子猫の如く甘やかされ、糖分塩分脂肪の余分三兄弟を浴びるように食べて育った。イケメンに生まれ替わったという慢心もあったからだろう。俺の身体はすくすくと横に成長していき、せっかくイケメンになる才能を潰し、再びデブの道を進みだしていた。前世もデブだったことから、生粋のデブであったことを認めざるをえない。
それによって、貴族友達や女の子、召使いにまで陰でバカにされるようになっていた。そのストレスを余分三兄弟と仲良くすることで解消し、お腹の友情を厚くしていった。そんなデススパイラルのせいでいつのまにか転生前と同じ不細工でデブなどうしようもない王子になっていた。
「俺はイケメンにはなれないのか……?」
そんな不安に駆られる毎日だが、どうしてもデススパイラルからは逃れられなかった。
そんな時、俺の目の前に現れた女こそルシア・エトス・ギルバート。あの女と全く同じ顔を持つ少女だった。初めて見たときは彼女も転生してきたのかと驚いたほど、彼女と同じ顔である。
そんな彼女の言葉は今でも鮮明に思い出せる。
「こんなデブなんか眼中にないわよ。自己管理もできないダメ人間に」
貴族の女の子とふざけあって言った言葉であったが、優実の心情を代弁しているようで、俺の心を深々と切り裂いた。
同時に俺は悟った。女神さまにイケメンや王子にしてもらっても、自分で努力しなければ何も意味がない。外見をいくら変えられても中身が変わらなければ意味がない。
イケメンというのは生得的な才能だけじゃなく、生まれた後の努力も必要なのだと。そんな単純なことにも気づかなかった自分を恥じ、俺は決意した。
「母様、父様、修行に行かせてください」
俺は父と母の許可を得て修行に行くことにした。母の紹介で母の故郷で修行することとなり、そこで魔導の師匠である男にイケメン修行、魔導習得、体術、武術、その他知識を詰め込まれ、イケメンに生まれ変わったのである。
そうして、イケメンになり、俺はルシアに復讐するためにこの地に訪れたんだ。あの惨めな惨劇を繰り返さないために。だから、彼女への答えは――
「もちろんだ。俺が裏切るわけないだろう」
王宮に戻るころには雨は激しくなっていた。この分だと、明日の天気も荒れるだろう。せっかく新調したスケッチブックも濡れて使い物にならなくなっていた。
「ちょ、ちょっと、ロイ様! どうされたのですか?」
「あ、ああ……傘を忘れたんだ……」
困惑した表情のクリスが俺を出迎えてくれる。抜け出すことには慣れたのか、小言をあまり言わない。いや、ずぶ濡れの俺に驚いているからだろうか。
俺はクリスに濡れたスケッチブックを手渡し捨てるように言うと、浴場に行き濡れた服を捨て湯を浴びた。雨によって奪われた体温が戻っていく。体の芯が熱を取り戻していく。
「クリス。いるか?」
「はい。なんでしょう、ロイ様?」
「明日のパーティーなんだが、俺は参加しない」
「え? 何言ってるんですか? ソフィー様はどうするおつもりなのですか?」
「すまいないが、先の雨で少し体調が悪いんだ。だから、代役のものを立てておいてくれないか? 結構ぽっちゃりとした男で」
「分かりました。手配しておきます……」
「ああ、頼む……」
彼女の暗殺計画に協力し代役を暗殺。そうすることで、ロイ・アルス・レヴァンティリア王子を死んだことにするのだ。そして、オネイロスパーティーが終われば、俺は自由の身にもなる。俺は彼女の復讐に集中できるようになるのだ。
「待っていろ。ルシア・エトス・ギルバート……」
屈折した感情だったとしても、俺は復讐をやり遂げる。あの女と同じ顔を持つ少女に。彼女を俺に惚れさせて、俺と同じ惨めな思いをさせてやるのだ。
「これが俺の予襲復讐だ……」
俺は浴場から出た。




