もう一人の復讐者
アジトの外に出ると、少し湿気を含んだ風が頬を撫でた。見上げると星が散りばめられているはずの夜空が黒い雲に覆っていた。もうすぐ雨が降り出しそうだ。濡れ鼠で帰ると、確実にクリスに怒られるから、さっさと話を済ませてしまおう。
「で、なんだよ?」
「アンタさ。なんで私たちに協力してるわけ?」
「? どういうことだ……?」
まさか、正体がバレてしまったのだろうか。いや、それなら奇襲をかけて殺害しようとしているはず。なら、バレていないと考えるのがべきか……。
俺は唇を舐め、無難な答えを返した。
「それは……協力しないと殺されるからだろう。自分で言っておいて忘れたのか?」
「そう……そうよね。アンタは裏切らないわよね」
「……どういうことだ……?」
そこにいるのは傲慢で尊大で我儘な彼女ではなかった。これまで見てきたどんな顔とも違う。まるで、俺を復讐に駆り立てたあの女のような。いつもの傲慢不遜な態度はどこへいってしまったのだろうか。
「私がエトス・ギルバート王国の娘ってことは覚えているわよね?」
「ああ、別に誰にも口外してないが……?」
「そういうことじゃないの。あんたは今、エトス・ギルバート国がどうなったか知ってるわよね?」
「いや、悪いが掲示板とかは本当に見ないんだ」
修行で外界から隔絶して生活していたため、情勢や時事問題には疎いのだ。そもそも、最近は王子としての行事やレジスタンスの活動で忙しくてそういった情勢に全く触れていない。そういう意味では俺はダメ王子なのかもしれないな。
「そう……私の国はね……なくなってしまったの」
「なくなった……? エトス・ギルバート王国が?」
エトス・ギルバートといえば小さな領地ではあるが、魔導と武術を融合させて戦う列強国の一つである。そんな国が消えたというのか。
「ええ。この国、アルス・レヴァンティリア王国に侵略され、吸収されたの」
「アルス・レヴァンティリア……」
一陣の風が吹き抜けていく。彼女の国を滅ぼしたのは俺の国。
だとしたら、パーティーにいなかったり、商店で働いていたり、レジスタンスにいたりするのも……全部俺の国のせいだ。俺の国が彼女の故郷を壊し、彼女に帰る国を失わせたのだ。
俺は彼女から目をそらした。黒雲は相変わらず俺たちの頭上を漂っている。
「家臣の中にアルス・レヴァンティリアの裏切り者が紛れ込んでいたの。そいつは魔族に襲われて国が弱っているときを狙って……アルス・レヴァンティリアと共謀して私の国を滅ぼしたの……」
「そうだったのか……」
俺はカラカラに乾いた喉から声を絞り出す。
知らなかったとはいえ、彼女を破滅に追い込んだ罪はある。俺の国がやったことだ。どう詫びたらいいだろうか。彼女に俺が王子だということを打ち明けたらいいだろうか。
「でも、そのことはもう過去のこと。そんなことをいつまでも引きづっていては前に進めないわ」
「えっ、いいのか……?」
「仕方ないでしょ。魔族に侵略されて疲弊しているところを狙われたのだもの。別にアルス・レヴァンティリア王国じゃなくても、別の国でも同じ結果になっていたわ」
「そうか……」
意外と切り替えが早い。さすが元王女といったところか。それとも強がりだろうか。アリスに視線を戻すと、彼女は腕を組んで息を吐き出していた。だが、彼女への罪が消えたわけではない。俺は彼女の瞳をまともに見ることができなくなっていた。
「……じゃあ、なぜレジスタンスに? 一般人と同じように暮らしていくのも悪くないんじゃないのか? わざわざ危険に身をさらす必要もないはずだが……?」
「ええ。最初はそう考えていたわ。嘆いているだけで何もできない無力な女ですもの。だから、一緒に国から逃げたエスタと慎ましく暮らすつもりだったわ。でも……」
彼女は俺に向き直り、俺の顔を真っすぐ見つめた。
「この国では一部の人間が富を独占し、他の人間は重税で貧しい生活を強いられているのよ。子供を食べさせるために必死で働いている人、病気の親の面倒をみるために働いている人、満足に稼げないから身売りする人……皆が還元されない重い税に苦しみ、必死で今日1日を生きている。そんな大変な人を尻目に贅沢三昧をする王族、貴族……そんなの許せるわけないじゃない!」
怒気を孕ませた声が路上に響き渡る。彼女の歪んだ顔が黒い空を睨みつけている。そんな彼女に俺は何も言えない
「こんな腐った国に侵略されて滅ぼされたと思うと憎くて、悔しくて……お父様もお母様も報われないわ……何よりも、何もできない自分に腹が立つわっ……!」
ポツリポツリと黒い雨が降り出してきた。
「だから、私は復讐するの。こんな腐りきった国叩き潰して、もう一度、エトス・ギルバート王国を復興させる。それでこの国をもっと豊かで誰も苦しまない国にするの。そのために私はレジスタンスに入ったのよ」
冷たい雨が肌を撫でていく。
自ら危険に身を投じても叶えたい彼女の望み。理想のような国を掲げ、そのために自らの命を掛け金として活動していく。そんな彼女の根底には俺と同じ復讐があった。
「そのため足がかりとして、明日、この国のゆとり王子を殺害する。絶対に成功させたい作戦なの」
「……」
「だから、約束して……明日絶対に来て、私に力を貸してちょうだい……」
俺の手を取り、懇願するように俺を見上げる彼女。雨が二人の身体を濡らしていく。俺は科の彼女から目を離せなくなっていた。
かつて家臣に裏切られ、家を失った王女。そんな彼女は裏切りを絶対許さないだろう。復讐の炎は際限ないことは俺自身がよく知っている。
なら、彼女の理想のために死ぬのか。小さな復讐者に今すぐ自分が王子だと告白して、彼女の国を滅ぼした罪を償うか。
それとも、彼女をこのまま裏切り続けるのか。俺の国のせいで何もかもを失った彼女を?
「俺は――――」




