告白
次の日、私はリクに言われたとおり二時に駅前広場に来た。だけどすぐには出て行かないで、物陰から広場の様子を眺めていた。上手くいきすぎて騙されてるんじゃないかと、今更だけど不安になったのだ。
だけどそんな不安は杞憂に終わった。駅前広場の時計台の下にリクの姿が見えたからだ。
疑ってごめんなさい。
内心で反省しながら、私はリクに近づいた。
「リクっ、お待たせ」
リクは私に気づくと、ぱっと笑顔になってくれた。なんか嬉しい。小さくリクが何か言った気がしたけど、聞き取れなかった。聞き返しても、リクは教えてくれなかった。
ボウリングに行って、懲りずにまたゲームセンターで遊んで、あっという間に夕方になった。リクと過ごす時間は、楽しくてずっと続いていて欲しいのに、普通の時間の倍以上の速度で進んでしまう。
真っ暗になった空を見上げて、それからリクは手元の腕時計を見て顔を顰めていた。昨日と同じく、もう帰らなきゃいけないらしい。
もっと一緒にいたい。また会いたい。……そんなことを言ったら迷惑かな。
「ね、リク」私は思い切って、リクに声をかけた。ショルダーバッグの取っ手をぎゅっと握る。「あのね……また会えないかな?」
「うん。いいよ」
ドキドキする間もなく、リクはあっさり承諾してくれた。
「本当に!?」
「うん。あ、でも平日は学校あるから、週末になっちゃうけど」
二月も半ばになったこの時期、大学生の私はとっくに春休みに突入している。今更だけど、もしかしてリクって年下なのかな。高校生なら二月は、まだ普通に授業がある時期だ。
彼氏になって欲しいって言ったら、びっくりするかな。まだ二回しか会ってないけど、私はリクに夢中になっていた。だから年下でも構わない。リクが彼氏になってくれたら、すごく嬉しい。リクは年上の彼女ってアリなのかな。
「じゃあね、しおり。また来週」
笑顔で手を振るリクに、私も手を振り返した。次に会えるのは一週間後。別れたばかりなのに、私は早くも次の週末が待ち遠しくて仕方なかった。
それからリクとの待ち合わせは、二時に駅前広場が定番となった。
その日、電車の中でスマートフォンに表示された時間を見て、私は青ざめていた。もう二時になってる。髪の毛が上手くまとまんなくて、出るのが遅れてしまったのだ。
とりあえず遅れることをメールしなくちゃ。メールの作成画面を立ち上げて、私は落ち込んだ。そうだ。リク、ケータイ持ってないんだった。
ケータイがないって、こんなに不便だなんて思わなかった。焦っても仕方ないのはわかってるけど、私はじりじりしながら何の役にも立たないスマートフォンを握り締めていた。
「遅い」
待ち合わせ場所に着いた私に、最初に放たれた言葉はシンプルで、それだけに余計に胸に刺さった。うう、ごめんなさい。
落ち込んで俯く私の頭の上に何かが載せられる。何だろう。頭の上の重量が、ぽんぽんと私の頭を優しく叩いた。
「でも全力で走って来てくれたから許す」
リクの声が優しく響く。
こ、これが噂の頭ポンポンってやつか!
今されていることに気づいて、私は硬直して動けなかった。心臓がうるさく鳴り響く。リクの手はそのまま私の頭を撫でて、乱れているだろう髪を整えてくれた。
「まあ、でも」そっとリクの手が離れて、私はやっと顔を上げることができた。まだ頬が熱い。「さすがに二時間待たされたら怒るかも」
「そんなに遅れたりしないよ!」
大真面目な顔で思案するリクに、私は慌てて否定した。いくらなんでも、そこまでの大遅刻はしないと思う。ドキドキなんか一気に吹っ飛んでしまった。
でもちょっと気になった。だから歩き始めたリクに並ぶと聞いてみた。
「ね、もしもだよ。もしも私がずーっと来なかったらどうする?」
リクはケータイを持ってない。私に連絡をとることはできない。何があったのかわからない状況で……それでも私のことを、
「待ってるよ」
リクは迷わずに答えた。私は目を見開いた。心音がとくんと跳ねる。リクの声が続く。
「僕はケータイ持ってないしさ、それに」一度言葉を切って、リクは私を見た。「しおりはそんなことしないでしょ?」
心臓の音が静まってくれない。こんなにドキドキしたら死んじゃいそう。
何かしゃべってないと落ち着かなくて、私は急いで言葉を紡いだ。
「……えっと、じゃあ……待ってる間、何考えてた?」
この質問には、リクは少し考えてから答えた。
「……うーん、しおりのことかな」再び私の心臓が鼓動を早くする。「何かあって遅れているなら心配だし。そうじゃなくても、今日はどんな格好で来るのかなとか、どこ行ったら楽しんでくれるかなとか」
右上から降り注いでくる言葉に、私は段々と頬が熱くなるのを感じていた。
「やっぱりしおりのことばっかだね」
リクが照れたように笑って私を見下ろす。ずるいよ、リク。そんなこと言われたら、私、リクのこともっと好きになっちゃうよ。
日が落ちて、いつもと同じようにさよならを言う時間が来る頃には、私の心は決まっていた。
「リク、あのね」帰ろうとするリクを引き留めて、私は言った。「私、これからもリクに会いたい」
「?うん。いいよ」
何を今更、とリクの答えはあっさりとしていた。嬉しいけど、そうじゃなくて、
「あのね……えっと、そうじゃなくてっていうか……その、私の彼氏になってください!」
言った。言っちゃった。心臓が痛いくらいにばくばく鳴っている。真冬だというのに身体中が熱い。リクが何か言うまでの時間が、判決を待つように長く感じた。
「……いいの?」
「え?」
返された小さな声を聞き返す。リクは少し赤い顔をして、私を見ていた。
「僕でいいの?」
言われた言葉の意味を少し考えて、理解して、私は思い切り頷いた。「もちろん!リクがいいんだよ!」
リクははにかんで笑って、私を真っ直ぐに見つめた。どうしよう。何でリクまでそんなに嬉しそうなの?
「じゃあ、これからよろしくね。しおり」
……すごい。本当にできちゃった、彼氏。誕生日の前に。
ふと私は思い出した。そういえば、私はまだリクの年齢も本名も知らない。もちろん私のことも教えていない。
付き合うなら、そういうのはちゃんと言わなきゃだめだよね。
「リク。私ね本名は西園寺栞っていうの。いま大学二年生で、明後日で二十歳になるんだけど」言いながらちょっと自信がなくなってきた。でも訊かなきゃ。「たぶんリクの方が……年下……だよね?」
少しの沈黙の後、リクが頷いた。
「……ごめん。しおりのこと、勝手に高校生くらいかなって思ってた」
ちらりと見上げると、リクは俯いていて、その表情は見えなかった。
「ごめんね。黙ってて」さっきまでの幸せな気持ちが、シャボン玉みたいに弾けて消えていく。「……年上の彼女って、イヤ……だよね」
自信のなさが、声を小さくさせる。やっぱり言わなきゃよかった。でも、リクに嘘をつきたくなかった。ほんの少しの後悔が、私の胸をちくちくと刺す。
「そんなことないよ!」
大きな声に、わたしははっとしてリクを見た。リクはすごく真剣な顔をして私を見ていた。
「しおりが僕より年上だって構わないよ。そうじゃなくて……僕もしおりに黙っていたことがあって…………僕、本当は」
リクの言葉を遮るように、通りすがりの人がリクにぶつかる。弾みでリクが何かを落とした。
何だろう。私は反射的にそれを拾い上げていた。手のひらサイズの……手帳?
リクが慌てたように私を止める声が聞こえた。だけど、私の目はその手帳の裏面に記載された文字を追っていた。
「桜葉市立桜葉中学校」
ん?
「3年2組」
んん?
ちらりと見上げると、リクが居心地悪そうにしているのが見えた。リクは溜め息交じりに、私が読み上げていた続きを言った。
「……鷹羽司理玖。…………十四歳、中三です」