61.俊作の作戦
黒野と佐知絵は偽装カップルだった。
全てはこの計画のためだった。
会田「はっはっはっ。どうだ、いいアイディアだろ? 彼氏持ちの女にセクハラやらかしたんじゃあ、柴田の節操のなさが露わになるしなぁ!」
ヒナコ「あたしが店を辞めた後、佐知絵目当てに妙な客が来てたって聞いたけど、それはあんたね?」
会田「ああ、そうだ。柴田追放作戦の打ち合わせをするために通ったんだ」
佐藤「何故キャバクラを使った?」
会田「あくまでオレは裏方に徹しなければならない。決してオレが関与した痕跡を残さないためにだ。普通に外で会うと誰かに見られるかもしれない。それと、あの店に笹倉を通わせていたことも理由の一つだ」
佐知絵「笹倉課長、だんだんあたしに夢中になっちゃったのよ。“会社には黙っててやるからデートしよう”とかよく言われてたわ。あの人それが元で離婚しちゃったみたいだけど。まぁ、作戦は実行しやすくなったわ」
会田「そうだな。わりとスムーズにいったよな。この作戦は短期決戦だったからな」
佐藤「どういうことだ?」
会田「……短期決戦といっても、実際にあいつを追い出す時だけ急げばよかったんだけどな。“状況証拠”はそれまでに準備できていたし」
佐藤「写真…か?」
会田は静かに頷く。
会田「オレは秋池に命令してあの写真を撮らせた。いかにも柴田が羽村をホテルに連れ込んでるような感じに見せるためにな」
ヒナコ「秋池さんを利用したの!?」
会田「悪いか? あいつは黒野たちに粗相をしたんだぜ? 罪は償わないと。そのために道玄坂の“源”で働かせたんだ。損害賠償代わりにな」
ヒナコ「ひどい…秋池さんを悪事に巻き込むなんて……!」
会田「オレたちは“源”ともう1件の店にいる仲間に、後々柴田が聞き込みに来た時のことを考えて口止めを命じた。しかし、秋池は裏切った。あいつが写したホテルは既に廃業してたんだ。それだけじゃなく、秋池は今回の計画を知ってしまっていた。これはオレのミスだった」
佐藤「そうか…だから秋池を拉致する必要があったんだな。じゃあ、実行を急ぐ必要があったのは何故だ?」
会田「さっき、“柴田には藤堂という後ろ盾がいる”と言ったよな。藤堂がいると作戦に失敗する恐れがある。だから、藤堂が不在になる時を利用したのさ。あの時、ちょうど出張が入っていたからな。出張でいない間に全ての処理を済ませれば、いくらヤツとて文句も言えまい」
佐藤「…笹倉を車ではねたのもお前らだな? 何故はねた?」
会田「邪魔になったから。万が一のことを考えると口を封じといた方がいいだろうと思ったまでだ」
ここまできて、会田の横で話を聞いていた黒野がしびれを切らしたようだ。貧乏ゆすりをしたり、意味もなくその場をうろついたりし始めた。
黒野「会田さん、そろそろやっちまいましょうよ! これ以上こんなヤツらにつき合う必要ないっすよ!」
瀬高「そうですよ。早くオレらの恐ろしさを思い知らせてやりましょう!」
会田「うむ…それもそうだな。やっちゃうか」
黒野たちの目がどす黒く光る。だが……
ヒナコ「待って! まだ話は終わってないんじゃない!?」
黒野「あ?」
ヒナコ「残りの一つを聞いてないわ。“あなたがどうしても手に入れられなかったモノ”の、残りの一つよ」
黒野「何言ってんだよ! そんなこと聞いてどうする! おめーには何の関係もねーだろうが!」
ヒナコ「二つあるうちの一つをあたしたちは既に聞いちゃってるのよ? そうなるともう一つも聞きたくなるのが人の心でしょ?」
黒野「黙れ! おめーらに聞く権利はねぇ!」
ヒナコ「話してくれないかな? 是非聞きたいわ」
戸川「鴨川さん、我々もヒマじゃないんでね。くだらないおしゃべりにつき合っていられないんですよ。そろそろ覚悟を決めたらどうですか?」
ヒナコ「覚悟?」
佐藤「鴨川さん、ヤツの話術につき合うな。話題をそらされて肝心なことが聞けなくなるぞ……!」
黒野「てめーは黙ってろ!」
黒野が佐藤刑事の腹を蹴り込む。
佐藤「がっ…! げほっ! ぐはっ!」
腹を両手で抱え込み、痛みでのたうち回る佐藤。
ヒナコ「ちょっと、何するの!? 話の途中じゃない!」
黒野「おめーも黙れ!」
黒野はヒナコの頬を平手で打ちつけた。
佐知絵「あーあ、やっちゃった」
会田「おいおい、フライングかよ。まぁ、やっちゃったもんはしょうがないな」
黒野「よーし! オレらの恐さを思い知らせてやるぞ!」
ロック・ボトムの連中が二手に分かれ、ヒナコと佐藤刑事をそれぞれ取り囲む。
ヒナコ「最低ね。あんたたちこんなことして恥ずかしくないの?」
会田「どうして恥ずかしがる必要がある? 邪魔者は排除する……それだけだ」
佐知絵「ヒーナコォ、あんたもうゲームオーバーだよ。思いっきり恥ずかしいことしちゃうから。おとなしく秋池の行き先をしゃべってればよかったのに。まぁ、あんたはあたし程じゃないにしろ、そこそこかわいいから、それなりに見応えはありそうだけど」
ヒナコ「佐知絵、あんた、もしかして自分がかわいい女だとでも思ってるの?」
佐知絵「だって、かわいくなかったらいろんな男が寄って来ないじゃん?」
ヒナコ「バカじゃないの? 笑わせないでよね!」
佐知絵「はぁ?」
ヒナコ「あたしに言わせれば、あんたは醜い! 醜さが顔からにじみ出てるのがよーくわかるわ!」
佐知絵「何よ、あたしに嫉妬してるの? そりゃ、あたしはお店での指名率もトップだったし、毎日キレイになるための努力は欠かさないからひがむのも無理ないとは思うけど」
ヒナコ「そういう問題じゃなくて、心が醜い人は自然と顔にも表れてくるものなのよ!」
佐知絵「失礼ね! このあたしにエラそうな口聞いてんじゃねーよ! 負け犬は負け犬らしくおとなしくしろよ!」
怒鳴り方がまるでヤンキーだ。会社の人間が、今の佐知絵を見たら驚くに違いない。
ヒナコ「化けの皮がはがれたってトコね。だいたい失礼なのはあんたのほうよ」
黒野「いちいちうるせー女だなぁ! 街を歩けねーようにしてやってもいいんだぞ!」
佐知絵「黒野くん、そうしちゃってよ! この女、いい加減頭にきた!」
黒野「よぉし……」
黒野が、イヤらしい薄ら笑いを浮かべながらヒナコに近づいていく。ヒナコは、ただ黒野を睨みつけているだけだった。
佐藤「黒野!」
不意に、佐藤刑事が黒野を呼び止める。
黒野「あ?」
佐藤の方を振り向く黒野。
見ると、佐藤刑事が黒野に銃口を向けている。先程、戸川に殴られた際に落としてしまっていたのだが、ヒナコと佐知絵が口論をしている隙を見て拾い直していたのだ。
佐藤「動くなよ。そこを1mmでも動いたら撃つぞ」
黒野「やってみろ。フラフラのてめーに何ができる?」
佐藤「フン、引き金を引くことぐらいならできるさ」
黒野「状況を考えろよ。周りにてめーの味方はいねーんだぞ? また頭カチ割られてーのか? 次割られたら死ぬぞ?」
確かに佐藤の頭部からは血が出ており、早急に病院で手当てをする必要があった。頭痛や吐き気もしている。しかし、今の彼にはそれを気にしている余裕はないのだ。いち警察官として、暴漢から鴨川ヒナコを救わなければならない。
――とはいえ、黒野の言うとおり今の佐藤刑事は味方が周りにいない。更には頭部に打撃を受けて大きなダメージも負っているので、素早く動くこともできない。ヘタに引き金を引こうものなら、再び多方面から攻撃を受ける可能性は非常に高い。「自分が早撃ち名人だったら、おそらく敵を一掃できただろう」と、佐藤は思った。もっと射撃の訓練をしておけばよかったという後悔の念もあった。
どれぐらい睨み合っただろうか。
佐藤刑事も黒野も、時間の経過を忘れていたようだ。
佐知絵「何やってるの!? 早くやっちゃって! その刑事は何もできないから!」
黒野「おっと、そうだったな」
我に返り、再びヒナコに向き直る黒野。
佐藤「やめろ黒野! 動くんじゃない!」
その時だ。
階下から、何やら騒音が聞こえてくる。
戸川「…何だ? 下が騒がしいな」
会田「んん? そういえば……」
だんだんとその騒音は大きくなっていく。どうやらこちらに近づいてくるようだ。
佐藤「…湊さんだ……湊さんが、柴田たちを連れて来てくれたんだ!」
会田「何だと?」
俊作「いたぞ! この部屋だ!」
全員が部屋の入口に注目する。
会田「!」
俊作だ。俊作、伸子、湊、そして藤堂の4人がついに到着したのだ。
湊「佐藤! 大丈夫か!」
湊が佐藤のもとへと駆け寄る。
佐藤「み…湊さん、遅いじゃないですか。どこで道草を……」
湊「すまねぇ。宮益坂交差点の辺りが工事の影響でちょっとばかし混んでてな」
佐藤「で…でもよかった…。これで連中を逮捕できる……」
佐藤は、それだけ言うとそのまま気を失ってしまった。おそらく、緊張の糸が切れてしまったのだろう。
会田「フン、所詮はその刑事もヘタレだったか。それにしても、お揃いで来るとは意外だったぞ」
藤堂「会田、バカなマネはもうやめろ! まっとうなサラリーマンに戻ってくれ!」
会田「藤堂さん、あなたにそんなことを言われる筋合いはないですよ。別にオレは何も悪くありませんからね」
俊作「てめぇ…藤堂さんに対して何て言い草だ!」
会田「おい、口の聞き方に気をつけろよ。オレはお前の先輩だぞ」
俊作「もうさん付けはやめだ。てめーは敬う価値もねーからな」
会田「何を根拠にそんなことを? オレは何も悪くないと言っただろう?」
俊作「今までのやり取りは全部聞かせてもらった。こいつでな」
俊作は懐から携帯電話を取り出した。
会田「ケータイだと? それでどうやって今までの会話を聞き取るってんだ?」
俊作は電話に向かってしゃべり始めた。
俊作「おい純、ご苦労だったな。おかげで会話は全部聞き取れたぜ!」
すると……
「そうか、それは何よりだ」
部屋の奥から、甲高い声が返ってくるではないか。
瀬高「なっ、何だこの声は?」
ヒップホップ男「瀬高さん、あいつ…!」
ヒップホップ男が、奥にいた見慣れない男を指差した。
ニットキャップを深めに被ったその男は、俊作と同じように携帯電話を手にしている。
黒野「誰だてめぇ!」
男がキャップを勢いよく取る。
純だった。純がロック・ボトムのメンバーになりすまして潜入していたのだ。
純「抜けてるなぁ、お前ら。オレが潜り込んでることに気がつかねーなんてよ。念のため、ばれそうになった時のことを考えてロッキーにもらったヘリウムガスを吸い込んでおいたけど、わざわざ声を変える必要はなかったな」
純の声が甲高かったのはこのためである。しかし、もう効き目が切れる頃だ。だんだんと元の声に戻りつつある。
会田「あいつは…会社にいた清掃スタッフ!」
純「残念だったな会田さん。会話は全部筒抜けだったってことだ」
俊作「オレも聞きてーなぁ、あんたが“どうやっても手に入れられなかったモノ”をよ」
会田「……」
会田は、チラリと戸川を見た。視線に気づいた戸川は小さく頷く。
会田「この女だよ」
俊作「え?」
会田は、伸子を指差していた。
伸子「あたし……?」
ヒナコ「え? 伸子さん…?」
伸子もヒナコも、目を丸くした。
会田「キミが新卒で入って来た時から、オレは気になっていた。総務にいた同期の前岡に頼んでどうにか仲良くなろうと思ったが、当時キミには彼氏がいた。オレはいい相談役としてキミの近くにいれば、いつか自分のモノになると思っていた」
「いい相談相手」から恋愛に発展する、というのはよくある話だ。
会田「石原のヤツは運が悪かった。高根さんは彼氏がいた身なのに好意を持っちまったんだからな。同じ職場の仲間としてやっちゃあいけないことだ。そうなると、もう石原を排除するしかないだろう? 石原は会社を辞め、キミも彼氏と別れた。次の相手にふさわしいのはオレしかいない――そう確信していた。だが、どうだ。キミのそばにはいつも柴田がいるじゃないか!」
伸子「別にウチらはつき合ってるわけじゃ……」
会田「わかってるよ。だけどな、それならオレだって条件は同じはずだろ? 条件が同じなのに、オレより柴田と仲良くするなんてどういうことだ?」
伸子「柴田くんとはただの同期で……」
会田「2年前にキミが営業部に来たのは奇跡だと思ったよ。柴田を会社から追い出せばキミも落ち込む。そこでまたオレが相談にのれば気持ちも傾くだろうと思った。でも、状況は変わらなかった」
純「会田さんよぉ、あんた前にのぶちゃんを笹倉から救ったことがあったな。あれ、ホントはあんたの自作自演だろ?」
伸子「え?」
会田「…どうしてわかった?」
純「タイミング的に無理があるんだよ。あれは朝礼終了直後に起きた。朝礼が終わった後、あんたは喫煙室でタバコを吸ってた。笹倉に連れて行かれるのぶちゃんを目撃しない限り、素早く彼女を助けることは不可能だ。あんたは笹倉がのぶちゃんを連れていくところは見ていない。喫煙室から出て来た時にオレとぶつかってるからな。それに、今朝検証してみたんだけどな、1階のエントランスホールから会議室がある2階の物音を聞き分けるのは非常に難しい。例え物音を聞きつけたとしても、いくつもある会議室からピンポイントで1室だけを当てるのは至難の業だ」
会田「ちっ、まさかあれを見られるとは思わなかったな」
伸子「会田さん……ホントに自分で仕組んだの?」
会田「キミを振り向かせるためだ。笹倉に頼んでキミを襲わせた。だが、やっぱりキミはオレより柴田の方がいいんだな。新宿で一緒に食事をしたり、こいつの無罪を晴らす名目で味方についてるもんな」
伸子「新宿で食事……? やだ、あれ見てたの……?」
詳しくは第21話を見て欲しい。
会田「ちょくちょくキミの行動は見ていた。つけ入る隙を見計らってたんだ」
伸子は絶句した。これではまるでストーカーではないか。いや、伸子だけではない。俊作や純たちも呆れかえっている。
俊作「おい、自分が何をしてるのかわかってるのか? そんなことして人の気持ちを惹きつけられるわけないだろう?」
会田「黙れ! オレを不快にさせるモノは全部視界から消えればいいんだ!」
俊作「――だから、オレと彼女を警察に連行させたのか?」
会田「そうだ。お前は往生際が悪いし、この女はオレに興味がないみたいだからな。揃って社会から脱落させてやろうと思ったんだ」
ここまでで、会田の気持ちを理解できる読者はいるだろうか。今の会田は、タチの悪いガキと一緒である。しかし、会田は体だけは大人であるので、「駄々っ子」というレベルではない。
湊「しかし、それは叶わなかったようだな」
会田「あ?」
湊「自分で全部悪事の限りを吐いちまっただろうが。オレらは全員それを聞いちまった」
会田「無駄だ。お前らを黙らせればいいだけの話」
湊「無駄な努力をするのはお前らの方だ」
会田「何?」
湊「あそこを見てみな」
湊は、純が立っている所よりも更に奥、つまり部屋の入口とは反対側の壁を指差した。
ちょうど壁と床の接合部分に、人一人が通れるぐらいの穴があいている。
湊「あの穴はな、秋池がここに監禁されてる時に見つけた“秘密の抜け穴”なんだそうだ。あの穴からも外に出られる――ということは、逆にあそこから建物の中に入ることもできるってことだ。鳴海はあの穴からここへ潜入した」
会田「何が言いたい?」
湊「スパイは一人とは限らないってことだ」
会田「何ッ? どういうことだ?」
俊作「ロッキー!」
俊作が抜け穴に向かって呼びかけると、それに答えるかのように、穴からひょいと人の手が伸びてきた。続いて、創の顔が出てくる。
会田「なっ…?」
創「いやー、窮屈だったぜこの穴は! まぁ、おかげで貴重な証言が録音できたけどな!」
創は、手にICレコーダーを持っていた。
俊作「よく考えてみろ。警察は組織捜査が信条なんだ。この佐藤って刑事が一人で乗り込んでくること自体疑ってかからなきゃな。つまり、佐藤刑事には申し訳ないが囮になってもらって、その間に純とロッキーが潜入し、純はやり取りをケータイで実況中継してもらい、ロッキーにはICレコーダーで録音してもらったんだ。証拠を集めるためにな」
これが俊作の考えた作戦だった。手堅く証拠を集めてから叩くつもりでいたのだ。
湊「それに、いろいろ状況証拠だって出てきてるんだ。秋池を拉致した際、彼のマンションに残された下足痕と会社で採取した下足痕が一致したこと、会田のスーツのボタンが秋池の拉致や笹倉をはねた時に使われた車の中から見つかったこと、それに秋池やお前の同期である前岡の証言。廃業したホテルを営業中と見せかけたことも命取りだったな」
会田「前岡のヤツ……」
純「前岡はあんたに借金があった。“手伝えばチャラにする”と言われたから断れなかったと言っていた。後悔してたぞ、金の受け渡し役や俊作のパソコンを廃棄する役を引き受けたことを。オレだって、あんたに殴られた後頭部がまだ少し痛むんだ」
俊作「観念しろ、会田」
戸川「しかし、いくら証拠を収集したところで意味はないぞ。オレたちは警察にも影響力を持っている」
俊作「バカめ。肝心なことに気づいてねーらしいな」
戸川「何?」
俊作「どうしてオレらがここにいると思う? 警察に連行されたはずのオレらがよ」
戸川「……はっ! き、貴様、何をした!?」