60.佐藤刑事奮闘
サイレンを鳴らし、明治通りを渋谷方面へ影を縫うように突き進む覆面パトカー。
もうすぐ東京メトロ副都心線・西早稲田駅の入口が見えてくる頃だ。
先刻、神宮前署に駆け込んできた秋池の証言や純の報告を俊作たちに伝える湊。その純からの報告の中で、総務部時代の伸子の先輩だった前岡の名前が出て来たのだ。
伸子「前岡さんが、どうかしたんですか?」
湊「結果から言うと、前岡って男は今回の事件で金の受け渡しを任されていたらしい」
俊作「金の受け渡し……あの腕時計の男か! 確かのぶちゃんが総務にいた頃の先輩で、会田さんと同期だっていう……」
伸子「お金の受け渡しって、どういうことですか?」
湊「今回の事件で、首謀者の会田はいろんな人間を動かした。協力者には報酬を払うと約束していたそうだ。その報酬の受け渡し役が前岡だったというわけだ」
俊作「協力者の中には笹倉もいたってことか」
湊「ところで、のぶちゃん」
伸子「はい?」
俊作「待った。何で湊さんまで“のぶちゃん”って気易く呼ぶんすか!」
湊「細かいことは気にすんなよ。のぶちゃん、鳴海から聞いたけど、キミは昨日、前岡と柴田のパソコンを捜しに行ったそうだな。“エクストラ・マジシャン”の割り出しをするために」
伸子「はい。ですが、どこにも見当たりませんでした。後で前岡さんから“既に業者が引き取った”と連絡をもらいました」
湊「そうか。キミはそのことを鳴海に伝えたんだよね?」
伸子「はい。そうですけど…」
湊「実はな、あれは前岡のついたウソだったんだ」
伸子「えっ?」
湊「ヤツは、柴田のパソコンを前もって地下3階に隠しておいたんだ。のぶちゃんからの報告を受けた鳴海は、パソコンを返してもらおうと業者に問い合わせた。しかし業者は“パソコンは引き取っていない”と言った。おかしいと思った鳴海は今日の午前中に柴田のパソコンを捜索しに行ったところ、地下3階で前岡にバッタリと遭遇したそうだ。そこでヤツを問い詰め、前岡は関与を認めたってわけ。そして同時に鳴海は柴田のパソコンについた前岡の指紋を採取し、オレの所へ持ってきてくれた。そのおかげで身元不明の指紋が明らかになったんだがな」
藤堂「しかし刑事さん、ちょっと妙じゃないですか? どうして柴田のパソコンだけが隠されるんです? 私や、人事部にいる米本くんのパソコンもあのソフトに侵入されていた。条件が同じなら、わざわざ隠す必要はないでしょう?」
湊「柴田のパソコンとあなたがたのパソコンとでは、明らかに違う箇所があるんです」
藤堂「明らかに違う箇所?」
湊「ええ。それは、パソコンを覗いた人物です」
藤堂「え?」
湊「あなたや人事部の米本くんのパソコンには笹倉が侵入していた。柴田のパソコンにも笹倉は侵入していましたが、ヤツ以外にも侵入者がいたんです」
俊作「――! 湊さん、それってもしかして……!」
湊「会田だ。ヤツもあのソフトを使ってお前のパソコンに侵入してたんだよ」
俊作「……!」
伸子「ウソ……」
藤堂「会田のヤツ、何てことを!」
湊「…何故ヤツがそんなことをしたのかまではわからん。だが、会田が柴田のパソコンを遠くから覗いてたのは事実だ」
俊作「ちっ……。湊さん、急ぎましょう! これ以上ヤツらに好き勝手させたくねぇ!」
湊「よーし! そんじゃあ行くか! 佐藤が鳴海と黒木を連れて既に現場へ行ってる。あいつらを待たすわけにもいかねーしな!」
俊作「え? 純たちも向こうへ行ってるんすか?」
湊「おう。外からヤツらの様子を探らせてる」
俊作「そうか……」
湊「どうした?」
俊作「湊さん、オレに考えがあります。あいつらを先に潜入させましょう」
湊「なっ、何だと?」
俊作「それと、秋池から秘密の抜け穴の場所は聞いてますか?」
湊「あ、あぁ。あのアジトは坂の斜面に建ってるから、裏から回るとちょうど目の前が2階の非常階段になる。そこを3階まで上がると、壁に秋池が監禁されてた部屋へと繋がる穴が開いてるそうだ」
俊作「よし、それらを使いましょう」
湊「お前、いったい何を考えてるんだ?」
場面は変わり、ここは道玄坂にあるロック・ボトムのアジト。
3階の、秋池が監禁されていた部屋で椅子に座らされ、ロープで縛りつけられているヒナコ。
そして、それに向かい合う形で、使い古しの革製ソファーにどかっと座り込み、ヒナコを睨む佐知絵と戸川、そして会田。
佐知絵はいわゆるギャル系ファッションに身を包み、戸川は黒のブルゾンに黒のパンツでまとめている。そして会田は黒のレザーテーラードジャケットに黒のレザーパンツといった、レザーアイテムで身を固めている。
そして、黒野や瀬高、その他の手下たちがヒナコを囲むようにして立っている。手下の中には、あのヒップホップ男もいた。ロック・ボトムは、ざっと10人ほどのメンバーが部屋の中にいた。下のフロアには6~7人ほどのメンバーがタバコを吸いながらダラダラとだべっている。
黒野「…おい、秋池はどこへ行った?」
ヒナコ「……」
黒野「知ってるんだろ?」
ヒナコ「……」
黒野「言えよ」
ヒナコ「……」
黒野「オレの言うことがわかんねーのか!」
15人は余裕で入るほど広い部屋に、黒野の怒号が鳴り響く。しかし、ヒナコはそれでも答えようとしなかった。
しびれを切らした黒野は、ソファーから立ちあがり、ドスドスと一歩一歩踏み鳴らしながらヒナコに近づいて行った。
黒野「どうあっても答える気はねーってか」
ヒナコ「……」
ヒナコは、黙秘を続けるどころか黒野と視線すら合わそうともしなかった。
そのような態度が余計に黒野の癇に障ったのだろう。黒野がヒナコの髪の毛を力いっぱい掴み、無理矢理顔ごと自分の方へ向けさせた。
黒野「お前、オレの怖さを忘れたわけじゃねーよなぁ? オレに逆らうとどうなるか、思い出させてやろうか?」
ヒナコ「うぐ……」
佐知絵「黒野くん、女の子に乱暴しちゃダメよぉ」
その瞬間、黒野がヒナコの髪の毛をパッと離す。
佐知絵「ヒナコ、あなたが質問に答えないと、思い切り恥ずかしいことしちゃうからね! イヤだったらちゃんと秋池の行き先をしゃべることよ」
ヒナコ「何考えてるの!? バカじゃないの!? そんなことしたって無駄よ!」
佐知絵「あらぁ、“バカ”なんて、負け犬のあなたがよくもそんなこと言えるわねぇ」
ヒナコ「あら、あたしはあんたに負けたつもりはないわよ?」
戸川「鴨川さん、あなたまだ負けを認めてなかったんですね。ここまで往生際が悪いと、かえって尊敬してしまいますね」
ヒナコ「どうして認めなきゃいけないの? あたしはもともと無実なのよ!」
会田「関係ねぇ。言ったモン勝ちなんだよ、大人の世界ってのは。お前の負けだといったら負けなんだよ」
ヒナコを見据えながら会田が言う。その目には、あの営業マンとしての爽やかさは既に消え失せていた。その代わりに、何ともいえない不気味さが顔を覗かせていたのであった。
会田「柴田のヤツもそうだったけど、どうしてこう物分かりの悪い人間がいるのかね。自分で自分を窮地に立たせてることが理解できてねーんだろうな」
そう言ってほくそ笑む会田。
ヒナコ「…何がおかしいの?」
会田「…いや、こんな滑稽なことはないなと思ってよ」
ヒナコ「どういうこと?」
会田「もう、オレらの勝利は決まっているからだよ。柴田がいくら自分が無実だって証拠を見せようと、あいつの有罪が覆ることはない。オレたちは法律をも支配した。まさに神の力だ!」
ヒナコ「……」
ヒナコは、唇を噛みしめながら会田の高笑いを見ているしかなかった。
――が、その高笑いが突然ピタリと止んだ。
会田のこめかみに、何やら鉄のようなごつごつしたモノが押しつけられていたのだ。
それは、拳銃だった。
佐藤刑事が、拳銃を会田のこめかみに突きつけていた。
会田「何のマネだ?」
佐藤「警察だ。そこを動くな」
黒野たちが一斉に身構える。
佐藤「お前ら動くな! 動くと撃つぞ!」
すかさず、会田が両手をあげてホールドアップの姿勢を示す。
会田「よせ。やめろお前ら」
佐藤「お前も動くなよ、会田修。お前の悪事はもうわかっている。おとなしく警察まで来てもらおうか」
会田「よく警察がここまで来れたな」
佐藤「警察をなめんなよ。お前らのやることぐらいお見通しなんだ。みんな逮捕してやる」
会田「そうか、もうお手上げか」
佐藤「そういうことだ」
会田「なぁ刑事さん、せめてオレの話を聞いていかないか?」
佐藤「何?」
「ドゴッ」
鈍い音が佐藤の脳内に響いた。
佐藤「あ……」
いつの間にか、戸川が佐藤の背後に回り込んでいた。佐藤は床に落ちていた石で殴られたのだ。
ゴロリと転がるように倒れる佐藤刑事。
戸川「愚かな刑事だ。単身乗り込んで来るとは」
会田「オレを捕まえたところで、こっちには弁護士がいる。無罪放免は確実だ」
黒野「会田さん、こいつどうしましょう?」
会田「そうだなぁ、オレたちの恐怖を味わせてやれ。ただし殺すなよ。命までとっちまったらかわいそうだからな」
黒野「へい!」
佐藤「ま…待てよ……」
なんと、佐藤が起きあがった。
黒野「まだそんな元気があるのか!」
黒野が佐藤の顔面を足蹴にする。今度は仰向けに倒れ込む佐藤。
佐藤「ぐふっ……あ…会田、何故だ? 何故こんなことを……」
黒野「うるせぇっ!」
黒野が佐藤の顔をもうひと蹴り。
佐藤「な…何故なんだ……? お前は、できる営業マンだって話じゃないか…」
黒野「この野郎……!」
三度蹴りにいこうとする黒野を、会田が制する。
会田「オレができる営業マンだと? 笑わせるな。あんなモン、オレにとっちゃガキの遊びと一緒なんだよ」
佐藤「ガキの…遊びだと?」
会田「ああ。オレには容易いモンさ。パソコン関係の商品とか売ってても何の刺激にもならん。もっとスリルのあるモノを売らなきゃな」
佐藤「…“エクストラ・マジシャン”か…!」
会田「ほう、さすがは刑事。よくご存じで。あれを作ったのは何を隠そうこのオレだ。ははは」
佐藤「何で、あんな恐ろしいモノを作った?」
会田「あれのどこが恐ろしい? 素晴らしいじゃないか。他人の行動が読める――こんな快感は今まで味わったことはなかった」
佐藤「そ…そりゃ幸せなことで。だが、どうやったらそんなソフトを作れるんだ?」
会田「最初は偶然だった。適当にプログラミングして遊んでたらできちまったんだ。まぁ、その瞬間はさすがに恐ろしくなったがな。しかし、こいつを売れば金になる――オレはそう確信した。他人のプライベートを知りたい人間なんてこの世にはごまんといるからな。そうやってインターネットを利用して売り始めたのが7年前。オレが会社に入って間もない頃だった。当時はまだ不十分な部分もあったが、それでもよく売れた。その金で戸川の独立も援助できたんだからな」
佐藤「そ…そうか。じゃあ普通の仕事じゃ満足できないかもな。そ…それなら、何で今もマグナムコンピュータにいるんだよ?」
会田「オレの営業先でもあのソフトを必要としている人間がいると思ったのさ。マグナムコンピュータの商品をカムフラージュにすれば、ばれずに売り捌くことができるだろうとオレは考えた。それは当たるには当たったが、大幅に売り上げを伸ばす結果にはならなかった。オレはソフトのバージョンアップを繰り返したり、サイトに工夫を凝らしたりして売上アップに努めた。その甲斐あって“エクストラ・マジシャン”は着実に売り上げを伸ばしていった。そして1年前、オレは強力な販売ルートを手に入れることができた」
佐藤「そ、それが、SET…だったんだな?」
会田「そうだ。笹倉課長の親の会社は倒産寸前で形骸化していた。こいつを利用しない手はないと思ってな。実は2年ぐらい前から目をつけてたんだが、戸川と笹倉の協力で手に入れることができた。もちろんオレは裏から仕切るんだがな」
佐藤「その、笹倉って男は、前妻と別れる時に戸川が相談にのったらしいな」
会田「オレが笹倉に紹介したんだ。あの会社を手に入れるためにな。ソフトは売れる。会社は持ち直す。一石二鳥じゃないか」
佐藤「その時に黒野たちがSETに入社しているな」
会田「こいつらの噂は前々から聞いていた。こんなイキのいい連中を放し飼いにしとくのはもったいないだろ? いいパートナーになれそうだと思ってた時に、ちょうど黒野が揉め事を起こしたって情報を嗅ぎつけたんだ。そして戸川を介入することによって問題を解決させ、黒野たちをオレたちが引き取った」
黒野「オレは会田さんと戸川さんに感謝してるぜ! いつもいい仕事させてくれるからよ!」
会田「まぁ、これで億万長者も夢じゃなくなったってわけだ」
佐藤「……な…なるほどな。お前らが儲けてるのはよくわかった。だ…だが、それと今回の事件と、ど…どう関係がある? 何故柴田を陥れた?」
会田「“陥れた”だと? 人聞きの悪い言い方はよしてくれ。別にオレが悪いわけじゃない」
佐藤「どういう意味だ…?」
会田「…例えばだ。大雪が降ると雪かきをするよな? 何で雪かきなんかしなけりゃならない? 生活に支障が出るからだろう? それと一緒さ。つまり、柴田は大雪だ」
会田は、不気味なほど誇らしげな笑みを浮かべてみせた。
佐藤「……し…柴田が邪魔だった…ってことか…?」
会田「だから、そういう誤った見方はやめろっての。支障のあるモノは排除しなきゃいけないだろうが。違うか?」
佐藤「わからない……どうして柴田が……?」
会田「あいつはな、オレがどんなに“エクストラ・マジシャン”で儲けても手に入れることのできなかったモノを二つ持ってやがったんだ。一つは“客”だ」
佐藤「客?」
会田「あいつはマグナムコンピュータにとっての上客をいくらか担当していた。そのうちの一つに、白鷺堂という広告代理店があってな。この白鷺堂は、仕事柄いろんな業界に太いパイプを持っている。そこに“エクストラ・マジシャン”を持ち込むことができればマーケットは一気に広がる――オレはそう考えた。その頃から、オレは白鷺堂を我がモノにするため柴田を陰から観察することにした。“エクストラ・マジシャン”を使って柴田のパソコンを覗いたりもした。だが、いくら待っても一向にチャンスは来なかった。そこで目をつけたのが笹倉だ」
会田は気分がのってきたのか、次から次へと事の経緯を語り続ける。
会田「――笹倉は社内でも有名な危険人物だが、コネ入社であるために悪さしても会社は簡単に罰則を与えられない。それにヤツは自分の派閥も抱えている。こいつを利用して柴田の客を奪っちまおうとオレは考えたんだ」
佐藤「笹倉派…だな?」
会田「ほう、そこまで知ってるとはな。そうだ、笹倉派だ。まずオレは笹倉に羽村のキャバクラを紹介し、何度か通わせた。次に大成人事部長を抱え込むために、昔営業部で一緒だった笹倉を大成に接近させた。下地作りはできた。そこへ笹倉が営業部へ戻って来るという情報をキャッチした。チャンスだと思った。オレは“エクストラ・マジシャン”を笹倉に与え、柴田の悪評を吹き込んで個人攻撃の対象にさせた。そうしたうえで笹倉に柴田のパソコンを遠隔操作させて白鷺堂向けの発注書をちょいと改ざんした。そしたら見事に責任は柴田一人のモノになり、白鷺堂がオレの手中に飛び込んで来た。これは気分がよかったな。しかし、あいつには藤堂部長という大きな後ろ盾がいる。再び白鷺堂の担当が柴田に戻ることは目に見えていた」
佐藤「そうか…それでセクハラ騒動も……」
会田「まぁ、そんなところだ。まずオレは羽村に目をつけた。黒野が羽村のいたキャバクラへ出入りしていたことから、羽村の本性は知っていたからな。この女は金のためなら何でもする。すぐさまオレは羽村にこの話を持ちかけた。当然多額の報酬つきでな。しかし、最初は断られた。信用を得られていなかったから、当然といえば当然だ。そこで必要になってくるのが、デモンストレーションだ」
佐藤「デモンストレーション?」
会田「ああ。ちょいと実力を見せてやったのさ。そこの鴨川って女と秋池にはその材料になってもらったんだ」
佐藤「な…何ぃ…?」
ヒナコ「…や…やっぱり…罠だったのね…!」
会田「デモのためだ。悪く思うな」
佐知絵「さすがは会田さんね。この生意気な女を店から追い出すために、“とりあえず黒野くんとカップルになってくれ”って言われた時は正直不安だったけど。でも、これでキャバクラにいる必要を感じなくなったのは確かね」
会田「すまんな。柴田を追い出すために、いずれは必要な工程だったからな」
佐藤「ちょ…ちょっと待て! お前たち本物のカップルじゃないのか…!?」
佐知絵「あら、今頃気づいたの? あたしは昔も今もセレブ好きよ」
黒野「こいつはとんでもねーバカだぜ! まぁ、たまにOLとつき合うのも悪くはねーけどな」
ヒナコ「じゃ、じゃあ、初めからあたしや柴田さんを罠にはめるのが目的で佐知絵に乗り換えたっていうの……?」
会田「そうだよ」