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6.疑惑

俊作「会田さん、昨日はオレが酔って寝てる間に帰ったらしいじゃないですか。何か用事でも?」


翌朝、俊作は昨夜会田が先に帰った訳を尋ねてみた。


会田「あぁ、ごめんな。ちょっと野暮用だったんだ」


また何かぼかすような答え方をしている。

どうせ女か何かだろうな。


俊作はそれ以上深く聞かなかった。


会田「それより、羽村さんは大丈夫なのか?」


言われて、俊作は営業法人二課の方へ目をやった。


確かに佐知絵がいない。二日酔いがひどいのだろうか。


会田「…お前、やっぱ何かしたか?」

俊作「だから何もしてないっすよ! 変な冗談やめてください」

会田「ふぅーん……」

会田はこないだよりも冷ややかな目で俊作を見た。


俊作は少しだけイヤな気分になった。冗談混じりとはいえ、変なことは何もしていないのに疑われるのは不快なものだ。


今日は金曜日だ。きっと佐知絵もこの週末で体調を整えてくることだろう。



しかし、週が明けても佐知絵が会社に来る気配はなかった。


何かあったのだろうか。


週も半ばに差し掛かると、さすがに佐知絵を心配する声がチラホラと聞こえてきた。

当然ながら、俊作の不安も大きくなる。



そんな時だった。



笹倉「柴田、ちょっといいか?」


電話をし終えたばかりの笹倉課長が俊作を呼び付けた。


俊作が課長席まで歩いてくるなり、笹倉はスクッと立ち上がり、「ついて来い」とだけ言うと、さっさとエレベーターの方へ歩いていってしまった。


俊作「ちょ、ちょっと、課長ッ!?」

慌てて後を追う俊作。

俊作「課長、どこへ行くんですか?」

笹倉「……」


笹倉は何も答えなかった。


虚しく、エレベーターの動くモーター音だけが鳴り響く。


笹倉「降りろ」


着いたのは2階だった。

このフロアには様々な広さの会議室が5〜6部屋あるだけだ。


ワケがわからずキョロキョロ辺りを見回す俊作の腕を、笹倉は強引に引っ張った。


笹倉「こっちだ」


引っ張られて着いた先は、会議室の中でも一番小さなF会議室だった。


こんな所まで連れ出して、いったい何をしようというのだろう。

俊作にはおおよそ見当などつくはずもなかった。


中に入ると、男が独りで椅子に腰掛けていた。


パッと見た感じ、年齢は30歳前後だろうか。円い小さなレンズの眼鏡が印象的だ。

そして彼は、シャープな輪郭で、黒い髪をオールバックにしているが、不思議なぐらいそれが似合っている。


俊作が不思議そうにその男を見ていると、彼のほうから立ち上がり、俊作に向かって軽く一礼をした。


インテリな空気が俊作にブワッと押し寄せる。


何だ、このオーラのようなものは?

確かにインテリだが、どこか冷たい。


俊作の身体が自然と強張る。自分が一礼を返し忘れてしまうほどだ。


男「あなたが柴田俊作さんですか?」

眼鏡の男は、冷たい空気と共に丁寧な口調で話し掛けてきた。

俊作「は…はい。そうですが」

おそるおそる返答する俊作。


男は目にもとまらぬ速さで懐から名詞を取り出し、俊作の目の前に差し出した。


この間約2秒。

本当に素早い。


男「申し遅れました。私こういう者です」


俊作は視線を名刺に落とした。


“戸川法律事務所

弁護士 戸川とがわ 昭雄あきお


名刺にはこう書いてあった。


俊作「弁護士……?」

俊作は、視線を今度はスーツの襟に移した。


男の襟には、金色のバッジが輝いている。


これって、弁護士バッジってヤツじゃないだろうか?

どうして弁護士が自分に会いに来るのだ?


戸川と名乗る眼鏡の男は、口元だけで笑みを作った。


戸川「突然お呼びだてして申し訳ありません。実は柴田さんにお話がありまして」

俊作「お話…ですか」

笹倉「…まぁ、立ち話もなんですから座りましょうや」


3人はゆっくりと椅子に腰掛けた。


俊作「それで、私にお話というのは何なのでしょうか?」


一瞬、俊作は、自分が法律事務所にヘッドハンティングされるのではないかと思った。

しかし、彼は法律の知識は初級者程度のものしか持ち合わせていないし、そもそも、この笹倉課長がそんな話を持ち込んでくるとは到底考えにくい。


では、いったい何の話なのだろうか。


戸川「私は無駄話をするのが好きではないので、単刀直入に申し上げます」


じっと戸川の顔を凝視し、俊作は息を呑んだ。


戸川「…こちらに、羽村佐知絵さんという女性が勤務されているとお聞きしております。柴田さんと同じ、営業部にいらっしゃるそうですね?」

俊作「…はい…」


佐知絵の名が突然飛び出し、俊作の頭は再びビジー状態になり始めていた。


戸川「先週の金曜日から会社を欠勤なさっている、とのことですが?」

俊作「…はい、その通りです。ずっと休んでるんですよ。こんなに休みが続くとさすがに気になっちゃって……」


変な緊張感からか、俊作は必要以上に言葉を発していた。そうでもしないと心が落ち着かないのだ。


笹倉「…フン。とぼけてんじゃねぇよ、柴田」


俊作は思わず、笹倉のいる方向へ首だけを半回転させた。

そこには仁王像のようなギラついた目で俊作をにらみつける笹倉がいた。


……とぼける? 何を言ってるんだ?



戸川「その羽村さんが、“柴田さんからセクハラを受けた”と、先日私の所へ相談しにいらしたんですよ」


俊作「…………は??」


俊作の頭はいよいよ混乱した!


戸川の言ったことがよく理解できなかったようだ。


俊作「セ、セクハラって…どういうことですか? おっしゃることがよくわかりませんが」

戸川「言葉通り、セクシャルハラスメントですよ。ご自分で心当たりはないんですか?」

俊作「あるわけないでしょう! 私は彼女に対して何もしてませんからね!」

戸川「ほう…。では何故彼女は私の所へ相談しに来たのでしょう? あなたが何もしていなければ、相談なんかする必要はないはずですよ」

俊作「……じゃあ、私が羽村に何をしたというんですか!」


戸川は眉間に中指を当て、眼鏡の位置を直した。


戸川「…まず、“以前からジロジロとイヤらしい目つきで見られていた”ことと、“仕事が終わった後、執拗に食事に誘ってくる”ということをおっしゃっていました」

俊作「し、執拗にだなんて…! しかもそれは彼女が構ってほしそうな素振りを――」

戸川「あのね柴田さん、セクハラした人って、そういう言い訳をよくするんですよ。“セクハラされるほうにも落ち度がある”といった意味あいのね。彼女に何の罪があるというのですか?」

俊作「うぐ……で、ですが実際に私は……」

戸川「次に!」

強引に戸川が口から出かけた俊作の言葉を遮断した。


戸川「次にですね……柴田さん、こちらのほうが重罪ですよ。あなた、彼女を強引にホテルへ連れ込もうとしたでしょう」

俊作「な……! そっ、そんなこと……」

あまりにも事実とかけ離れたことを言われ、俊作は驚きのあまりかえって言い返す言葉が出てこなくなっていた。

俊作「事実を捏造しないでください! 何を証拠にそんなことを……!」

戸川「証拠…?」


戸川はフン、と鼻で笑い、名刺と同じぐらいの素早さで懐から1枚の写真を取り出すと、俊作の目の前につきつけた。


写真には一組の男女が写っている。

俊作はその写真を見て、一瞬で頭が真っ白になった。


写っていたのは、ホテル街を歩く、ほろ酔い気分の俊作と半ば泥酔状態の佐知絵だった。

しかも、ラブホテルのちょうど入り口前で俊作が佐知絵を抱きかかえるような構図になっている。


何故こんな写真が……?


俊作は想定外の“証拠写真”をつきつけられ、背筋が凍りついた。

いつの間に撮られていたのだろう。


戸川「どうです? これでもまだシラを切り通しますか?」

俊作「ど…どうしてそんな写真が撮れるんだ…?」

戸川「私にそんなことを説明する義務はありません。今、大事なのは、あなたがセクハラの事実を認めるかどうかということです」

俊作「認めませんよ、私は。セクハラなんて根も葉もない話だ」

戸川「ほう…」

俊作「それに、そもそもどこからそんな話が出てくるんだ! 彼女は特に思い悩んでる感じじゃなかったぞ!」

戸川「それは職場のみなさんに迷惑をかけたくないから平静を装っていたのではないですか? しかし、もう我慢の限界だったのでしょう」

笹倉「柴田ぁ、おめぇよぉ、何であの子の気持ちを考えてやんねぇんだ? あ?」

俊作「考えるも何も、オレは何もしてないッ! だいたいこの写真も、泥酔した彼女を家の近くまで送って行ったものだ! それをセクハラ扱いするなんて、被害妄想も甚だしい!」

戸川「いいですか柴田さん。セクハラになるかどうかというのは、相手の考え方次第なんです。つまり相手がセクハラだと感じたら、そこでもうセクハラなんですよ」

俊作「しかし今回のケースだと――」

戸川「羽村さんは」

戸川が再び俊作の言葉を遮断した。

戸川「彼女は、これまでずっと我慢してきたんです。“余計なトラブルは起こしたくない”と、誰にも相談することなくひたすら耐えてきたんですよ。お友達にも、ご両親にも、上司にも、そして恋人にも」


ちょっと待て。

俊作の耳に、戸川が発した言葉の中で、最後の単語が引っ掛かる。


俊作「恋人……?」


笹倉「知らなかったのか? あの子には彼氏がいるんだぞ」


ヒートアップした俊作の顔が、少しだけ冷めた。

羽村佐知絵は、交際している男性がいながら自分を誘うような素振りを見せていた、というのか?


俊作は彼女の神経を疑った。



笹倉「お前よぉ、彼氏持ちの子に手ェ出すなんて、何考えてんだ?」

戸川「彼氏さんは大変お怒りだそうです。怒りに任せて、いつあなたを襲いに来てもおかしくない状態でしょう」


俊作は、ただ黙って聞いていた。


戸川「そして羽村さんなんですが、“柴田さんが会社を辞めるまで出社はしない”とおっしゃっています」

俊作「な、何だと…!」

戸川「…まぁ、当然ですよね。いつも通り会社へ行けば、あなたにまた何かされるかもしれないんですからね」

俊作「……」


不意に、戸川が身を乗り出してきた。

そして俊作の目に、その冷たい視線を突き刺す。


戸川「さぁ、いかがなさいます?」

俊作「そう言われたところで――」

戸川「あなたに選択の余地はないはずです!」

三度みたび、俊作の言葉は遮られた。


笹倉「おい柴田」

俊作が笹倉の方に振り返る。


会議用長机の上に、A4の白いコピー用紙とペンが置かれていた。


笹倉「退職届を書け。今なら自己都合退職で処理してやる」

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