59.首謀者
午後8時過ぎ、警視庁豊島東署。
俊作と伸子は、それぞれ個別に取り調べを受けていた。
俊作は第一取調室で取り調べを受けている。
担当刑事は、あの小堤だ。
小堤「あなたは、ご自分の上司である笹倉さんとは日頃から折り合いが悪かった。会社を解雇されたことを根に持って笹倉さんを陥れようと画策し、ついには笹倉さんを事故に見せかけ負傷させた――そうですね?」
俊作「違います。事実ではありません」
俊作はきっぱりと否定した。
小堤「同期の仲間たちや笹倉さんの上司でもある藤堂部長をも利用し、ご自分が有利になるよう証拠を捏造した」
俊作「いいえ。証拠を捏造したのは連中の方です」
小堤「本当は笹倉さんに対する殺意があった」
俊作「…あのよぉ、いい加減にしてくんねーか? さっきから何回言わせんだよ。事故に見せかけてケガさせたとか、自分で証拠を捏造したとか、全部ウソだって言ってんじゃねーか!」
小堤「いいですか柴田さん? あなたが早く罪を認めればいいんですよ」
俊作「ウソを認めてどうする」
小堤「確かな筋からのタレコミがあったんです。ほぼ事実に間違いないと踏んでいます」
俊作「ケッ、どんな筋だか知らねーがよぉ、そのタレコミとやらがウソだったら覚悟しとけよ!」
小堤「覚悟? 何を言ってるんですか? あなたが罪を犯している可能性は極めて高いんですよ」
俊作「フン! おめーらが何て言おうがオレはシロだ!」
俊作は腕組みをすると、そっぽを向いてしまった。
第二取調室でも、伸子に対する取り調べが行われていた。
刑事「羽村佐知絵さんとは普段から仲が悪かったんですか?」
小堤以上に大柄で太った中年の男性刑事が伸子の担当だ。
伸子「…いえ、今回の事件が起きるまでは特に仲は悪くありませんでした」
伸子はうつむきながら、無気力な声色で返答した。長時間に渡る取り調べで散々悪者扱いされ、そのたびに否定し続けたので気力をかなり消耗していたのだ。
刑事「羽村さんはあなたに名誉を傷つけられたとお怒りですよ」
伸子「そんなことしてません」
刑事「大勢の見ている前で、ものすごい剣幕で羽村さんに対してあることないこと言ったそうじゃないですか。どうしてそんなことを?」
伸子「そんなこと言ってません」
刑事「じゃあ、羽村さんがウソをついているとでも?」
伸子は力を振り絞るかのように顔を上げ、刑事を睨みつけた。
伸子「いい加減に信じてください! あたしは無実です! どうしてここまで犯人扱いされなきゃいけないんですか! ただ、柴田くんの無実を晴らそうと協力してるだけなのに……」
伸子の目に涙が浮かび始めた。いくら訴えても通じないもどかしさや悔しさが限界を超えたのだろう。そのうちに伸子は再びうつむき、今度は両手で顔を覆ってしまった。そして、その両手の下から、彼女のすすり泣く声が漏れてきた。
刑事「……」
さすがに担当刑事も、これには困り顔だ。
突然、第二取調室のドアが開いた。
伸子も、取り調べを担当した刑事も一斉にドアの方を注視した。
湊だ。
なんと、湊刑事が豊島東署に姿を現したのだ。
湊「いた!」
湊は伸子を見つけるなり、そう大声で叫んだ。
刑事「何です、いきなり? 今取り調べ中ですよ!」
刑事が立ち上がり、湊の行こうとする道を塞ぐ。
湊「本庁捜査一課の湊だ。彼女の身柄を引き渡してもらおう」
刑事「はぁ?」
湊「何の容疑で引っ張って来たか知らんが、その子は何にもしちゃいねーぜ」
刑事「いや、確かな筋からのタレコミでここへ連行したんですよ。引き渡すわけには……」
湊「所轄がでしゃばるんじゃねぇ! わかったらそこをどけぇ!」
湊が一喝すると刑事は立ちすくんでしまった。その間に伸子を取調室から連れ出す湊。
部屋の外には、既に身柄を解放された俊作がいた。
俊作「のぶちゃん! 大丈夫だったか?」
次の瞬間、伸子は無意識的に俊作の胸に飛び込んでいった。
俊作「お、おい……」
俊作の胸で涙を流す伸子。すすり泣きからむせび泣きに変わりつつある。
伸子「…柴ちゃん、ウチらのやってることは間違ってるの? どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの?」
俊作「……」
警察の取り調べを受けたことがなかった伸子にとっては、相当辛いモノだったのだろう。それを悟った俊作は、伸子の頭を優しく撫でた。
俊作「のぶちゃん…よく頑張った。辛かったよな。でもオレらは何も間違っちゃいねぇ。本来ならこんな目に遭っちゃいけねーんだ」
湊「おそらく、お前らが連行されたのは戸川弁護士の圧力だろうな。お前らをブタ箱にぶち込んで、その間に全てをうやむやにしちまおうってハラだったんだ。たぶんな」
俊作「……」
俊作は、取調室のドア付近で立ち尽くしている小堤たちをなめるように睨む。
俊作「てめーら……無実の人間にこんな思いをさせやがって! 覚悟はできてんだろうな!」
ドスのきいた咆哮が建物全体に響く。小堤たちは緊張し、思わず身構えた。
湊「おい柴田、今は相手が違うだろ。こいつらだってホントの事情は知らないんだ。それより急ぐぞ!」
湊が、俊作に急いで外へ出るよう促す。俊作は殺気を残すと、伸子の手を引いてその場を後にした。
湊「邪魔したな」
湊もその後を追う。
俊作「湊さん、急ぐって、どこへ急ぐんすか?」
後ろから追いついてきた湊に、俊作が尋ねる。
湊「ロック・ボトムのアジトだよ! 鴨川ヒナコがヤツらに捕まったかもしれん!」
俊作「えっ!? 彼女ならロッキーの所にいたはずじゃなかったんすか!?」
湊「さっきその黒木から連絡があってな。どうやら自分が家を空けてる間に秋池を迎えに行ったらしいんだが、あまりにも帰りが遅いから捜しに行ったら見当たらなかったんだそうだ」
俊作「そうか、秋池は隙を見て逃げ出した。身を隠すために鴨川さんの所へ行こうとしたんだな。だが、その途中でヤツらに見つかっちまって……」
湊「しかし、さっき神宮前署に秋池だけが駆け込んで来た。傷だらけでな」
俊作「えっ? どうやって…?」
湊「一度は2人ともアジトへ連れて行かれたらしい。だけど、秋池はアジトに、ヤツらも知らない抜け穴があることに気づいていた。初めはその穴から2人で脱出しようとしたようだ。だが、一度秋池には逃げられてるからヤツらも見張りは徹底するようになってて、隙をついて逃げるって方法は不可能に近かったらしい。そこで鴨川さんが自ら囮になって、秋池だけを逃がしたんだ」
俊作「鴨川さんは、何でわざわざ危険を冒してまで秋池だけを……」
湊「わかんねーか? 秋池がこの事件の裏事情を知ってるからだよ。せめて秋池だけでも逃げて、柴田に事実を伝えて欲しかったんだ」
俊作「何てことを…!」
伸子「ヒナコさん…」
湊「そういうわけだ。さっさと行かないと彼女自身も危険だぜ!」
その時、ちょうど豊島東署の玄関を出た。
目の前に、湊の乗って来た覆面パトカーが停まっている。
俊作「む?」
俊作が、覆面パトカーの後部座席に浮かぶ人影に気づいた。
俊作「湊さん、車に誰かいますよ?」
湊「あぁ、お前らの上司も連れて来た」
俊作「上司? …まさか!」
その「まさか」だった。
後部座席には藤堂が座っていたのだ。
伸子「ぶ、部長!」
藤堂「柴田、高根さん、大変な目に遭ったな。オレも一緒に行かせてもらうよ」
アイボリー色をした、薄手のVネックセーターの下にホワイトのシャツを着込み、茶色のコーデュロイパンツを合わせた藤堂の私服は、シンプルだがどこか品のある感じがした。
湊「よし! シートベルトは締めたか?」
湊がアクセルペダルを勢いよく踏み込んだ。
車は、あっという間に明治通りへ躍り出る。湊の視界は、既に学習院大学を前方に捉え始めていた。
俊作「それにしても……ど、どうして部長まで……」
湊「お前の無実を証明するには証人が必要だろ? 黒幕の正体はつかめたが、お前らだけだと、いくら有力な証拠を提示したところで会社側に信じてもらえない可能性がある。だが管理職に就いた人間が証人になれば、信憑性も増す。だからついて来てもらった」
俊作「藤堂さんが証人になる必要があるってことは……まさか黒幕は……!」
湊「会田修。お前らの先輩だ」
藤堂「何だって?」
俊作「そうか、やっぱり」
湊「なんだ、気づいてたのか」
俊作「はい」
俊作は、岩殿のことや“サム”のこと、そして伸子の調査したことを話した。
湊「なるほど、会田と戸川が大学時代の同級生で、それにIT系のサークルに入っていたとはな。じゃあ、ソフトを作る知識があっても不思議じゃない。しかもキャバクラで副収入があることを公表してりゃなおさらクサイな」
俊作「それだけじゃないですよ。会田さんは、“エクストラ・マジシャン”を使ってかつての同僚――つまりのぶちゃんの元先輩を退職に追いやった疑いがあります」
湊「何? それ、ホントか?」
俊作「はい。その人はのぶちゃんに片想いをしてました。でも、会田さんがしゃしゃり出て来て、“エクストラ・マジシャン”を悪用し、その人がのぶちゃんにまるで付きまとってるかのように仕立て上げたんです。それで気を病んだ元先輩は……」
湊「何て野郎だ!」
藤堂「どういうことなんだ? まさか会田がそんなことをするなんて……」
湊「犯行に至った動機まではわかりませんがね、ちゃんと状況証拠は出て来てるんですよ。まずは秋池の証言。彼は今回の事件が全て会田の計画だったこと、“エクストラ・マジシャン”を作ったのも会田だったことを知ったために拉致・監禁されたんです。それだけじゃない。秋池はあの日――つまり柴田が羽村と飲んで帰った日のこともしっかり記憶していました。羽村は柴田と別れた後、会田や黒野と落ち合って、急に泥酔状態から回復し、何事もなかったかのような態度で“作戦は成功だ”と報告したそうですよ」
俊作「なるほど、それで会田さんだけ先に帰ったのか。でも、何で秋池があの日のことを?」
湊「…実は、あの写真を撮ったのは秋池だったんだよ」
俊作「秋池が?」
湊「無理矢理やらされたそうだ。彼は黒野に表立って逆らえなかったんだ。自分のクラブを営業停止にされてるからな」
俊作「その話ならチラッと聞きましたよ。ただ営業停止までの詳しい経緯はわかんないんですけど」
湊「…秋池のクラブに黒野たちが現れ、好き勝手暴れて迷惑かけたもんだから、見かねた秋池がそれを注意したんだ。それを根に持った黒野は秋池を“反逆者”として戸川と結託し、“クラブで出された酒を飲んだロック・ボトムのメンバーが食中毒になった”と言いがかりをつけた。保健所はちゃんと事実を確認しないまま、秋池のクラブを営業停止処分としてしまったって話だ」
俊作「メチャクチャやりやがるな、あの野郎め」
湊「だけど、秋池は完全に服従したわけじゃなかったんだぜ」
俊作「? どういうことです?」
湊「昨日聞き込みをしたラブホあっただろ? あの後公安に問い合わせたらよ、案の定3ヶ月も前に廃業してやがったのよ。で、秋池は写真の背景にわざとあそこを選んだんだ。あのホテルが廃業してるって知っててな」
伸子「何でわざわざそんなことを? ウソの証拠だってばれたら何されるかわからないのに」
湊「秋池は柴田に“あの写真が捏造された証拠で、いつか真実を暴いて欲しい”という無言のメッセージを伝えたかったんだって」
俊作「無言のメッセージ……」
湊「写真の背景が廃業したホテルだと知った連中は大慌てで偽装に取りかかったそうだ。あの防犯ビデオも、よーく解析したら柴田とよく似た別人だった」
俊作「まさに悪あがきですね」
伸子「だけど、保健所もいい加減ですね。ちゃんと調べれば秋池さんって人の店も営業停止なんかしなくてもよかったかもしれないのに」
湊「それは、戸川が“エクストラ・マジシャン”を使って保健所上層部のプライベートに侵入し、弱みを握って黙らせたのさ。今回と同じようにな」
伸子「今回と同じように?」
湊「戸川は“エクストラ・マジシャン”を使って本庁刑事部長の不祥事を知った。そしてそれをネタに警察を脅し、自分たちに口出しをさせないようにした」
俊作「何が目的で…?」
湊「黒野たちを街で好き勝手暴れさせるためだって。あいつら、SETで働く傍ら戸川の事務所でバイトもしてたらしいぜ。だから、ロック・ボトムの誰かが警察に連行されるとすぐにすっ飛んできたし、柴田たちも簡単に引っ張って来ることができたんだ」
俊作「そうか、前にクラブで羽村たちにバイトがどうとか言ってたのはそれか。そのバイトの内容ってのは、秋池の店に言いがかりをつけたり、黒野をウチの会社で暴れさせたり――そういった実力行使的な仕事のことなんですかね?」
湊「どうやらそうみてーだぜ」
俊作「じゃあ、前にオレが神宮前署で戸川に会ったのは何だったんすか? あの時はロック・ボトムの連中なんかいやしなかった」
湊「あれは単にロック・ボトムの誰かがケンカに巻き込まれたって聞いて、ヤツが勝手に勘違いしただけの話らしい」
俊作「なんだ、そうだったんすか」
湊「だが、戸川が警察を脅したのには“黒野たちを好きに暴れさせる”以外にもう一つ理由があるんだ。それは、今回の計画の下準備だ。どちらかといえばこっちの理由がメインらしい。会田は警察にばれた時のことも考えてたんだな」
俊作「用意周到っすね」
湊「ああ。だが、もうその手は通じねーけどな。刑事部長の不祥事はマスコミに密告したし、下足痕やあの車の鑑定結果からも会田の犯行は明白だ」
俊作「結果出たんすか? 早いっすね」
湊「ああ。会田はいつも朝9時15分頃にトイレへ行くから特定がしやすかったよ。見事に秋池のマンションで採取された下足痕と会社のトイレで採取した下足痕が一致した。ヤツの場合、ビジネスシューズでも日本国内じゃなかなか売ってない高級な靴を履いてたってのも早期特定の一因だったけどな」
俊作「車のほうは?」
湊「車内に会田の指紋はなかったが、ボディにはいくらかあった。それとお前、あの時小さなボタンを見つけたろ? あれ、会田のスーツのジャケットの袖についてたボタンだったことがわかったぜ」
俊作「ジャケットの袖?」
湊「ああ。ボタンにくっついてた糸から繊維を分析して、スーツのメーカーを割り出してたらそこへ行き着いたんだ。心当たりないか?」
俊作「…そういえば、秋池のマンションで会田さんに会った時(第41話参照)、右の袖のボタンが一つなくなってた!」
湊「お手柄だったな、柴田!」
俊作「いやいや、気づいたのは純の方ですよ」
湊「…それから、あの車から身元不明の指紋が出てな。ずっとわからないままだったんだが、鳴海の協力でその身元がわかった」
俊作「身元不明…いったい誰だったんです? オレも知ってる人ですか?」
湊「マグナムコンピュータの前岡って知ってるか?」
俊作「前岡……?」
伸子「え? 前岡さん?」