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50.ガサ入れ

俊作は思考回路が一時停止した。


石原社長が伸子に会いたい?

何のために?

いったい彼女との間にどのような関係が?


俊作「高根…伸子ですか?」

石原「ええ。ご存じですかね?」

俊作「はい。同期ですから。しかし、何故彼女と会いたいんですか?」

石原「ちょっと、話しておきたいことがありまして……」

俊作「何を話すんです? そもそも石原さんと高根にどんな関係が……?」

石原「実は私も、かつてはマグナム・コンピュータの社員だったんですよ」

俊作「えっ!? そうだったんですか!? 部署はどちらで……?」

石原「総務部。彼女の教育係をやっていました」

俊作「えぇぇーっ!!?」

人は、こういう時に世間の狭さを感じるのだろうか。この日初めて会った人物である石原社長が、かつては同じ会社で働いていて、しかも入社当初から仲の良かった伸子と同じ部署にいたなんて。

俊作は落ち着きを取り戻し、まじまじと石原の顔を見た。

そういえば、昔、まだ伸子が総務部にいた頃、用事があって彼女の所へ行くとこんな顔をした男が伸子の隣にいたかもしれない。そんな気がしてきた。

俊作「でも、ただかつての同僚という間柄であれば、わざわざ私が仲立ちするほどのことではないかと思いますが、何か事情でもあるのですか?」

石原「……実は、仕事を教えているうちに私が彼女に…その…いわゆる恋愛感情を抱いてしまいまして……それがもとでちょっとしたトラブルになっちゃいまして。それで会社を追われてしまったんです。だから、私からはどうも連絡がしづらくて」

俊作「トラブル……」

石原「詳しいことは彼女と会わせてくれたらお話します。なんだったら柴田さんに立ち会っていただいても構いません。お願いです。高根さんと会わせてはいただけませんか?」

石原は、日本海溝を上回るぐらいの勢いで頭を下げた。

俊作「石原さん…頭を上げてください。あなたの想いは十分に伝わりましたよ。高根には私から伝えておきますから」

石原「ホントですか? ありがとうございます!」

俊作「……」

俊作は、なんだか変な気分になった。


だが、これでエクストラ・マジシャンの対策用ソフトであるハイパー・バイティングは手に入った。あとはこれを使ってアクセス元の割り出しを急ぐだけだ。


その頃、マグナムコンピュータで清掃業に勤しむ純は、喫煙室で広報部の新田と接触していた。

タバコの火を借りに行き、それをきっかけに雑談に持ち込むという、いつものやり方である。


純「――しかし、今会社は大変そうですね。なんでも営業部でセクハラ騒動があったらしいじゃないですか」

新田「え? あぁ、そうですね」

新田は、40歳前後で中肉中背、年相応な顔つきの男性だ。

純「上司は大変ですよね。部下のケツ拭かなきゃいけないんだから」

新田「本来ならそうでしょうな」

純「本来なら?」

純がオウム返しに尋ねる。

新田「あの笹倉さんという人は、平然と自分にかかる責任をどこかへ転嫁してしまう……」

純「えぇ? それってまずくないですか?」

新田「でしょう? 以前からそのはありましたが、ここ最近は特にひどい。コネ入社だから誰にも叱られなかったのが原因だと思います。今じゃやりたい放題やる始末だ」

純「なんか、結構その笹倉さんって人について詳しいじゃないですか」

新田「ちょっと前までは、あんな乱暴者でもわりと仲良くしてたんです。周りからは“笹倉派”なんて呼ばれてバカにされてましたけど」

純「笹倉派……」

新田「きっと、ああいった人種とつき合えるから変な目で見られて、それであんな呼ばれ方をしたんでしょう。それでもボクは構わなかった。少し前までは」

そう言って、新田は灰皿にタバコの灰を落とした。

純「何があったんです?」

新田「1年ぐらい前、笹倉さんは奥さんと離婚しました」

純「り、離婚!?」

意外や意外! 笹倉に結婚歴が……!

新田「以前から夫婦仲はあまり良くはなかったらしいんですが、そこへ笹倉さんのキャバクラ通いが重なりましてね。奥さんから別れを切り出したそうなんです」

純「キャバクラに通いつめてたってことは、誰か入れ込んでた子でもいたんですかね?」

新田「そうみたいです。周りのボクたちにも嬉しそうに話をしてましたから」

純は、そのキャバクラ嬢はもしや羽村佐知絵ではないかと直感した。昨晩、フェアリー・ナイトのミィから聞いた話から考えると合点がいく。

新田「それで奥さんは、弁護士を雇って笹倉さんに慰謝料を請求しようとしたんです。ところが笹倉さんも弁護士を雇って、奥さんと徹底抗戦の構えを示したんです」

純「それで、結局どうなったんですか?」

新田「……勝ったのは笹倉さんでした。奥さんや奥さん側の弁護士は、いつの間にか全ての個人情報を盗まれ、“これ以上法廷で争うつもりなら個人情報を売り捌く”と脅されたらしく、引き下がるしかなかったそうです」

純「それって脅迫じゃ……?」

新田「立派な脅迫です。でもね、知らない間に個人情報を盗まれてるんですよ。防ぎようがありません。いつの間にか弱みを握られては、ひとたまりもない」

純「いったい、どうやって盗むってんだ…」

新田「離婚の少し前、笹倉さんが“面白いモノを手に入れた”って自慢してきたことがあったんです」

純「面白いモノ?」

新田「詳しくはわかりませんが、どうやら他人の個人情報を盗むことができるソフトウェアのようです。彼はボクにもそれを勧めてきましたが、なんだか気味が悪いので断りました。それからというもの、笹倉さんはまるで悪魔のようになってしまいました。気に入らない人間はそのソフトを利用して個人情報を盗み、それをネタに追いつめる……」

純「ひでぇ……」

純は唸った。


おそらく、そのソフトはエクストラ・マジシャンのことだろう。エクストラ・マジシャンを使って他人のパソコンや人事のデータベースにアクセスすれば、簡単にあらゆる情報を盗み出すことができる。笹倉派が社内の事情や社員のプライベートに詳しい理由はここにあった。


新田「そして今回の騒動が起きた。ボクには、あの営業の柴田という社員がどうもクロだとは思えないんです。この半年間、笹倉さんは柴田くんの悪口ばかり言っていたそうで、その時、“まぁ、そのうちオレの秘密兵器でこの会社から葬り去ってやるよ”なんて豪語していたと聞きました。おそらく笹倉さんが何か裏工作でもしたのでしょう」

純「やることが汚いですね」

新田「女性社員を味方につけていたのは意外でしたがね」

純「え?」

新田「いつもはただ精神的に追い込むだけなのに、今回は手の込んだことをしてるなって思って」

純「関わってもないのに、結構詳しいじゃないですか」

新田「本人からしゃべってしまうんですよ。親のコネだから誰にも咎められないのをいいことにね」

純「社内にはヤツを戒める人間がいないのか……」

新田は、力なくタバコの日を揉み消した。

新田「…でもね、ボクは、今の笹倉さんにはついていけない。かといって下手にやめるよう説得たりしたら何をされるかわからない。誰かが、彼を正してくれることを祈るだけです……」

純は、大きく煙を吐き出した。

純「……大丈夫です。お天道様はちゃーんと見てますから」

そう言ってニコリと爽やかに微笑んだ純は、力強くタバコの火を揉み消した。チラリと喫煙室の出入り口を見遣った純を見て、新田自身もハッと何かを思い出したような顔をした。

新田「そうだ、まだ仕事中でした。なんかすいませんねぇ、くだらない話をしちゃいまして」

純「いえ、気にしないでください」

新田は軽く頭を下げ、喫煙室を出て行った。

それを見届けると、純は軽く伸びをしてから持ち場へ戻って行った。


純(…しかし、新田さんは笹倉がソフトを“手に入れた”って言ってたな。自分で作ったわけじゃないんだな。それに、今回だけ手口が違う点も気になる。どういうことだ?)


そこへ、俊作からハイパー・バイティング入手の一報が入る。直接渋谷のマグナム・コンピュータ付近まで現物を届けに行くと言っている。初めは純がいったん池袋に向かうと提案したが、俊作が伸子にも用事があると言ったため、変装するという条件付きで俊作の渋谷行きを許可した。


一方、湊刑事は佐藤刑事以下20人を従えて笹倉の親が経営する会社・株式会社 SETエスイーティーへガサ入れに来ていた。

SETはJR千駄ヶ谷駅と東京メトロ銀座線・外苑前駅のちょうど中間地点にある小さな雑居ビルの3階に拠点を構え、何やら怪しげな空気を漂わせている。


湊「警察だ!」

踏み込んだ瞬間、中にいた12~3人ほどの従業員が一斉に湊を睨む。

否、従業員というよりは単なる不良やゴロツキの類だ。

「何の用だ!」

「勝手に入るな!」

次々に飛び交う怒号。

湊「違法ソフトの密売容疑で、今から家宅捜索を行う。みんな大人しくしてろよ!」

湊の合図で、刑事たちがどっとなだれ込む。

抵抗しようとする従業員たちを、佐藤刑事が制する。

佐藤「動くな!」


やがて、湊が事務所の隅に積まれた段ボール箱の中から、正体不明のCD-Rを発見した。

湊「おい、これは何だ? これも売り物か?」

従業員の一人が仕方なさそうに答える。

従業員「…何でもねぇよ」

湊「あ、そう。じゃ、念のため中身確認するからパソコン借りるぞ」

従業員「何でだよ! 何でもねぇっつっただろ!」

唐突に大声を張り上げる従業員。

湊「だから何でもねーんだろ? 中身見ても問題はないよな? それとも、やばい内容だったりして……?」

従業員「……」

誰一人答えなかった。いや、答えられないのだ。湊がニヤリと笑う。

湊「…クロか。お前ら全員署まで来い。それから、社長はどこだ?」

そう言って湊が事務所を見渡していると、奥の方にある個室から70歳ぐらいの男性が怯えた目でこちらを覗いている。ひょろひょろしていて、吹けば飛びそうなぐらい細身の老人だ。

湊「あの爺さんが社長か?」

従業員たちは黙って頷く。

社長――笹倉課長の父親だ。

湊「そうか」

湊は素早く佐藤刑事に向き直ると、従業員を連行するよう合図をした。次々に引きずられていくゴロツキたち。併せて、備品も全て押収するよう指示をした。

湊刑事は社長の目の前まで歩いて行くと、警察手帳と捜査令状を提示した。

湊「笹倉社長ですね。警視庁の湊です。こちらの会社で違法ソフトの密売容疑がかけられているために家宅捜索をやらせてもらいました。備品類も押収させていただきます」

社長「……これは、息子が絡んでいるのでしょうか?」

社長は心配そうな目で湊を覗き込んでいた。この親は、我が子の行いを知っていたのだろうか。

湊「…おそらく、その可能性は高いかと」

その瞬間、社長のこうべがガクンと垂れ下がった。

形容できない痛みが、湊の胸を突き刺す。

湊「……ちょっとお話を伺いたいので、署までご同行願えますか?」

残酷なのはわかっていた。子供を持つ者であれば我が子の犯罪など、ある意味死よりも辛いことであろう。しかし、だからといって真相をつきとめなければ無実の若者が濡れ衣を着せられたまま人生に汚点を残してしまう。それに、真実を導き出すのが刑事の仕事でもあるのだ。


湊に促され、社長がふらりと歩き出した。

目は虚ろで焦点があわず、どこを見ているのか傍目からはわからない。

湊は、社長が何かうわ言のように独り言を言っているのに気づいた。

湊「……?」

社長「あぁ……何てことだ……全てはオレのせいだ……」

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