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2.溝

その日、俊作は外回りを早めに切り上げて会社に戻り、事務仕事に打ち込んでいた。

昼間に株式会社 白鷺堂はくろどうという広告代理店から外づけハードディスク2台と会計ソフト1本の注文をもらってきたので、商品を仕入れる手続きをするためである。


この白鷺堂という会社は、俊作にとって初めての顧客だった。それだけに思い入れが強く、5年目を迎えてもなお、良好な関係が続いている。


商品を仕入れるのに必要な発注書をパソコンで作成する俊作。

画面上では完成し、あとはプリントアウトするだけの状態になったところで、俊作に話し掛ける者がいた。


俊作の3年先輩である会田あいだおさむだった。

会田は法人営業一課の稼ぎ頭であり、若手社員のリーダー的存在だった。さっぱりとした短髪がよく似合う、まさに模範的なサラリーマンといった感じだ。

俊作とは特に仲良しでもなければ犬猿の仲というわけでもなかったが、俊作自身は何となくタイプが違うと感じていた。


俊作「会田さん」

会田「おっ、頑張ってるな。また白鷺堂から注文もらってきたんだって?」

俊作「さすが会田さん、情報早いっすね。…まぁ白鷺堂はつき合い長いですから」

会田「あぁ、そうだったな。ところで柴田、今度の木曜夜あいてるか?」

俊作「木曜ですか? あいてますよ」

会田「おぉ、よかった! 実はさ、二課の羽村さんとかと飲みに行くんだけど、お前も来れるかなーって思って」

俊作「そうだったんですか。じゃあオレも参加させていただきます」


羽村さんとは、俊作たちがいる法人営業一課の隣である、法人営業二課で営業事務をやっている女性だ。フルネームは羽村はむら佐知絵さちえ。俊作や伸子の2年後輩にあたる。


俊作と会田が話しているところへ、一人の女性が通り掛かる。

伸子と同じような中肉中背だが、伸子より若干背が低い。顔立ちも美形ではあるが、目鼻立ちが整っており、何となく妖艶なオーラがある。

この女性が羽村佐知絵である。


会田「羽村さん」

会田が佐知絵を呼び止める。

会田「木曜の話だけど、柴田も来てくれるってさ」

佐知絵「あっ、そうなんですかぁ!」

佐知絵が笑顔で応える。

彼女の笑顔は素敵だと営業部内でも評判なのだが、人によってはどこか男に媚びたような印象を受けるという。

佐知絵「柴田さん、木曜はよろしくです!」

佐知絵は馬鹿丁寧に挨拶した。

俊作「何だよ、急に改まっちゃって」

佐知絵はエヘッと笑ってごまかし、小走りで自分の席へ戻っていった。

会田「じゃ、木曜な! 詳しくは後でメールするよ」

会田も自分の席へ戻った。


俊作はわずかに胸を躍らせつつ、パソコン画面の印刷ボタンを押した。



木曜日。

時刻が午後2時を回った頃だった。


俊作が慌ててオフィスに駆け込んできた。事務仕事をしていた伸子が何事かと顔を上げる。

伸子「柴田くん、そんなに慌ててどうしたの?」

急いでパソコンをたちあげる俊作に伸子が尋ねる。

俊作「いや、ちょっと…」

今の俊作には、質問に答えている余裕はなさそうだ。よほどの緊急事態なのだと伸子は悟った。


俊作「…あっ、やっぱり間違えてる!」

画面を見て、俊作は唸るように言った。

この時俊作が見ていたのは、発注書の入力フォームだった。

実は、先日株式会社白鷺堂から受注した外づけハードディスクに関して手違いが発覚したのだ。

先方が欲しかったのは250GBのハードディスクだった。しかし、実際に俊作が納めようとしたハードディスクは、2台とも160GBの容量しかなかった。


客先で初めてそれに気付いたため、俊作は一瞬にして頭が真っ白になった。

いまだかつて、こんなミスをやらかしたことはなかった。どうしよう。大事な顧客に迷惑をかけてしまった。

「すぐに新しい商品を手配します!」と深々と頭を下げ、俊作は大急ぎで会社へ引き返した。


俊作「おかしい……どこで入力を間違えたんだ…?」

パソコンの画面とにらめっこしながら、俊作は必死に心あたりを捜していた。だが、いくら考えても出てこない。あるとしても、あとは印刷だけだというところで会田や佐知絵と軽く雑談したことぐらいだ。それで最終確認を怠ったか。しかしその可能性も低いだろう。


突然、俊作は背後に邪悪な気配を感じた。


課長の笹倉だ。

笹倉がポケットに手を突っ込んだまま、やや半身になって俊作を睨みつけている。

笹倉「どうしたんだ?」

ゆっくりと、恐いくらい丁寧な口調で尋ねる笹倉。俊作も、堅く重い口をこじ開けた。

俊作「それが…白鷺堂に納めるはずのハードディスクに手違いがありまして……容量が違ってたんです」

笹倉「あぁ? 容量が違うだぁ?」

俊作「はい…」

笹倉「入力ミスか?」

俊作「そのようです」

笹倉「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!! てめぇでやったんだろうが!!」

俊作「でも、どこでミスしたのか全然記憶にないんですよ!」

笹倉「じゃあ何で間違った商品が届くんだ!」

俊作「…わかりません」

笹倉「…ケッ、“わかりません”じゃ済まねぇぞ。これからどうするつもりだよ? 客に迷惑かけてよぉ!」

俊作「す、すぐ新しい商品を発注し直します!」

笹倉「いいよ、そんなことしなくて」

俊作は一瞬耳を疑った。

俊作「…え? いや、しかし…」

笹倉「発注し直さなくていいっつってんだよ。それよりも柴田、ちょっと来い」

笹倉は俊作を、人気のない給湯室付近まで連れ出した。


俊作「課長、どういうことですか? 発注し直さなくていいだなんて」

ほんの数秒間をあけて、笹倉は口を開いた。

笹倉「…その前に、お前、どうしてミスをした?」

俊作「それが…本当にこれといった心当たりがないんです」

笹倉「そんなはずはない。よく思い出してみろ。お前のことだからきっと何かあるはずだ」

俊作(“お前のことだから”ってどういうことだよ、クソが)

俊作は少々ムッとしながらも、発注書作成時の経緯を思い返してみた。

俊作「そういえば、9割がた作ったところで会田さんと話してました」

笹倉「会田と? そうか、会田としゃべってたから注意力が散漫になって入力ミスをしたってんだな?」

俊作「いや、それはないんじゃないかと…。その時点でもうあとは印刷だけだって段階でしたから」

笹倉「じゃあ他にどんな理由が考えられる? 結局はおめぇの不注意だろうが」

俊作はもう、何が原因なのかよくわからなくなっていた。考えれば考えるほど頭が混乱してくる。本当に自分の不注意だったのだろうか。そう言われればそうかもしれない……。


何も言い返せないでいると、笹倉が大きくため息をついた。


笹倉「…わかった、もういい。柴田、お前には白鷺堂の担当から外れてもらう」


俊作「な……!」

俊作は再度耳を疑った。そして笹倉に詰め寄る。

俊作「ど、どうしてですか!?」

笹倉「自分のミスを認めらんねぇヤツは信用できねぇ」

俊作「あれはホントに心当たりがないんです! それに今まで大きなミスなんかしたことなかったじゃないですか!」

笹倉「あぁ? 今日やったじゃねぇか。今さっき、発注ミスをなぁ! そして間違ったモノを客に納品しようとした! 違うか!?」

俊作「そりゃそうですけど…。ですが課長――」

笹倉「うるせぇ!! 客に迷惑かけたヤツが口応えすんな! だいたい、お前みてーないい加減なヤツに顧客管理なんか任せらんねぇんだよ」

俊作「どこが……オレのどこがいい加減なんですか!」

俊作がたまらず笹倉の両肩に掴みかかり、激しく前後に揺さ振った。

笹倉「おっかねぇヤツだなぁ…終いにゃ暴力かよ。そんなことしたらクビだぞ?」

俊作は思わず手を離した。気まずそうにうつむく俊作を見て、笹倉は不敵な薄ら笑いを浮かべる。

笹倉「まぁ、そう落ち込むな。飛び込みでもやってりゃ、そのうち新しい客が見つかるさ」

機械的に言うと、笹倉はドレスシャツの胸ポケットからタバコを取り出し、喫煙室の方へ歩いていった。


大事な客を理不尽な形で奪われた俊作は、その場に呆然と立ち尽くすのがやっとだった。

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