18.クラブ「RYU-JIN」
秋がだんだんと深まり、夕方ともなれば肌寒さをひしひしと感ずることができるようになってきた。しかし、ここ渋谷センター街は、夕方になっても未だ肌寒さを知らないままでいた。
ブラックジーンズ(古着)に白のブランドロングTシャツを合わせ、その上に薄手のレザージャケットを羽織った俊作がそのセンター街を、スペイン坂に向かって歩いている。
少し暑かったかな、と俊作は感じた。センター街の若者たちは彼より薄着でいる者が多かった。
これも人混みのせいだろう。俊作は気にせずABCマートを右折する。
井の頭通りに入ってすぐ右折し、路地に入る。ムラサキスポーツを左手に見ながら坂を上ると、目の前にパルコが見えてくる。
スペイン坂周辺に到着した。
千里が言っていたクラブ「RYU-JIN」はこの辺りだ。
俊作の記憶だと、ここから少し東急ハンズ方面に行った所にあったはず。俊作はその方向へ足を向けた。
まさに今、歩き出そうとしたところを、後ろから誰かに肩をポンと叩かれた。
脳より先に肩の細胞が早く反応した。俊作は何も考えずに後ろを振り返った。
いわゆる「反射的に」というヤツだ。
誰だ?
警戒する俊作の視界全体に、爽やかな笑顔の男性が映った。
純だった。
俊作「な、何やってんだよ?」
純「米本さんから、羽村がこの辺のクラブによく来るって聞いてさ。もしかしたら彼女本人が来るんじゃないかと思って出向いてみたんだ」
俊作「オレもだ。江坂千里から同じことを聞いた」
純「マジか? こりゃ、高い確率で羽村が現れるとみて間違いなさそうだ」
俊作「そうだな。運よく今日現われりゃいいんだけど」
純「確か、店の名前は“RYU-JIN”だったな」
俊作「あぁ。オレは行ったことないけど」
純「オレはあるよ」
俊作「ホント? いつ?」
純「事務所を開くちょっと前だったかな。でも、あそこは有名なDJとかがしょっちゅうイベントやってっから、チケット代が高いんだよ」
俊作「へぇー。あの子、学生時代から通ってたって話だよな? よく通いつめる金があったな」
純「そう言われてみりゃ……。まぁ、おおかた時給のいいバイトでもしてたんだろう」
俊作「…だろうな。とにかく行ってみようぜ」
俊作と純の前に、中華テイスト溢れるごつい建物が現れた。
ここが「RYU-JIN」である。
入り口のドアは閉まっている。
鉄製の、真っ黒で重厚感ある観音開きのドアだ。それぞれの扉に描かれた龍がこちらを睨んでいる。
その左脇に、かわいくデフォルメされた子供と思しき龍が「INFORMATION」と書かれたプラカードをくわえている。
今夜は、DJ Dazaiなる人物が主催する「テキサス・ナイト」というイベントが行われるようだ。実力派のDJが集まるらしい。更に目玉企画として、DJ Dazaiと、現在注目のヒップホップアーティスト・Thai:Showによるコラボレーションが見られるという。しかもこのイベントは来週半ばまで行われる。
純「ほーう。こりゃ面白そうだな」
少し値が張るチケット代を支払い、店の中へ。
内装も、どこか中国の匂いを感じさせるものになっている。
まず目に入ったのがコインロッカー。ここに荷物を預けることが可能。しかも1回100円とかなりお得。
そこから更に奥へ行くとバーカウンターがあり、ここで飲み物を注文できる。
周りにはいくつかテーブル席が設けてあり、そこに腰掛けて頼んだ飲み物を飲めるほか、店内の各所に設置されている立食パーティーで使うテーブルでも飲むことができる。しかし、実際はみんなそれぞれどこでも好きな場所で飲んでいる状態である。
バーカウンターを右に折れると階段が見える。ライブショーケースなどが行われるフロアへ降りる10段ほどの階段と、それを見下ろせるギャラリー用通路へ上がる階段に分かれている。
その通路はフロアを囲むように造られており、まるで学校の体育館に似ている。
ジンジャーエールを注文した(アルコール類は任務中なので避けた)俊作と純は、上のギャラリー用通路からフロアを見下ろすことにした。
すでにフロアでは、実力派のDJが腕をふるっていた。客も楽しそうに、DJが流す音楽にあわせて踊っている。
しかし、まだ目玉企画まで時間があるせいか、客の数はさほど多くない。
さりげなく、ざっと店内を見回す俊作と純。
佐知絵及び彼女に関係する人物の姿はない。
今日は来ないのだろうか?
――いや、来るだろう。
千里も米本も同じことを言った。
俊作と純がほぼ同時刻に、まったく接点のない2人にそれぞれ聞き込みを行い、その2人から同じような情報を得ることができた。
何の偶然だろう。
あり得ない話ではないが、あまり聞かない話である。
そしてその偶然は、俊作と純に、「出現する確率が高いなら、もしかしたら今日“RYU-JIN”で遭遇できるのではないか?」という期待を抱かせた。
なんか、羽村佐知絵と遭遇できそうな気がする――こんな思いが俊作と純の頭から離れなかった。特にこれといった根拠はなかったのだが。
それにしても、店内に流れる音楽が心地よい。仕事を忘れてしまいそうだ。
――と、突然、雑に歪んだ騒音がそれをかき消した。
俊作「――!?」
純「なんだ?」
バーカウンターの方から聞こえてくる。
よくよく耳を傾ければ、騒音ではない。声だ。
それも若い男性の。
バーカウンターの前で若い男性が5〜6人、バカでかい声で会話しているのだ。
純「ちっ……やかましいヤツらだ」
純が舌打ちをする。
一方の俊作は、会話の中心にいる男に注目していた。
俊作「…おい純、顔を見られないようにサングラスか何かしとけ」
純「え? どうして?」
俊作「あの連中の中に、ギャル男だかホストだかわからんヤツがいるだろ?」
俊作は、会話の中心にいる、髪をライトブラウンに染めた男を指差した。
純「あぁ…あのジーンズに黒のスーツジャケットを着たヤツか?」
俊作「そうだ」
純「そいつがどうかしたのか?」
俊作は、その男に見覚えがあった。
俊作「あの男は、羽村佐知絵の彼氏だ」
純「えっ?」
純は目を見開いて俊作の方向に振り返った。
純「彼氏って、お前の会社まで怒鳴り込んできたっていう……?」
俊作「あぁ。まさか羽村より先にヤツと遭遇するとはな」
俊作と純が抱いた期待は、少しずつ確信へと変わりつつある。
佐知絵の彼氏と名乗る、あのホスト風の男がここに現われたのだ。
佐知絵は今日、ここに来る。
ホスト風の男は「黒野」と呼ばれており、連中の中心格であることは誰の目から見ても明らかだった。
それにしても、話し声が非常にうるさい。フロアで踊っていた客の一部が不快感を露にしている。
俊作と純はサングラスで素顔を隠し(更に俊作はニット帽もかぶったらしい)、創からもらった携帯電話型マルチデジタルカメラをセットした。
純「二手に分かれよう。同じようなカッコをした2人が揃ってケータイいじってりゃ怪しまれるかもしれん」
俊作「そうだな。オレが反対側の通路へ回ろう」
純「よし、そうしてくれ。オレが連中全員の顔を写真撮影する。俊作は動画の撮影に専念してくれ」
俊作「わかった」
俊作は気配を殺しながら反対側の通路へ回った。
撮影開始。
依然として、連中の話し声はボリュームダウンする気配がない。
会話の内容も、ただの世間話だ。
粘ること約10分。
連中の一人がこんなことを黒野に尋ねた。
「黒野、今日は彼女来ないの?」
俊作と純の意識が更に集中する。
黒野「あぁ、もうじき来るよ」
俊作「――!」
佐知絵が来る――!
何か事件について重要な証言が聞けるかもしれない。
黒野の仲間が問い返す。
「でも大丈夫なのか? 黒野の彼女って、会社の先輩にセクハラされたのがショックで会社休んだらしいじゃん」
俊作「ぐ……」
無意識のうちに、俊作のカメラを握る力が強くなる。
黒野「まぁ、リハビリってヤツだ。いつまでも引きこもりのヒッキーちゃんってわけにもいかないしな」
「何が“ヒッキーちゃん”だ」と、俊作は思った。今すぐにでも黒野をぶっ飛ばしてやりたかった。
「さすが黒野さん! 優しいっすね!」
別の、後輩らしき仲間が単純に感心している。
黒野「当然だ。傷ついた彼女の心をケアするのはオレの役割なんだからな!」
黒野は得意気な顔をした。
「おぉ〜、言うねぇ〜」
周りもはやしたてる。
俊作は思った。
俊作「野郎……そんなでかい口叩いてられんのも今のうちだぞ。調子にのってんじゃねーぞ、このクソガキめが。オレの無実が明らかになるのは時間の問題。その時は秒殺してやるから覚悟しとけよな!」
黒野「おーし、んじゃフロアの方へ行こうぜ!」
黒野たちがドリンクを片手にフロアへ移動した。
反対側の通路にいた純がメールを送ってきた。
『バーカウンターの人に連中のことを聞いてみる。お前は引き続き撮影を続けてくれ』
すかさず俊作は、向こう側の純に『了解』とアイコンタクトを送った。純もそれを確認し、親指を立てて答える。
純「すいません、ジンジャーエールもう1杯」
バーカウンターに移動した純は、プラスチック製のカップを差し出した。
デトロイト・ピストンズのキャップをかぶった、三十路ぐらいの男性スタッフが愛想よく応対する。
会話の切り口として、純はその男性に「バスケットが好きなんですか?」と尋ねてみた。
すると、「たまに観る程度だ」という返答が来た。
バスケットの話題は途切れたが、そこからスポーツの話を少しだけしたため、うまく会話の糸口を見つけることができた。
そこで初めて、黒野たちのことを聞いてみる。
純「なんか、さっきの連中やかましいっすね。よくここに来るんですか?」
男性「そうですねぇ、最近ちょくちょく来ますよ」
純「最近? 前からいたわけじゃないんだ? それにしちゃあずいぶん態度がでかいっつーか、マナーがなってないっつーか」
男性「…あ、確か初めて来たのは半年近く前……ゴールデンウィークぐらいだったかな。ここの常連で“サチエちゃん”って子がいるんですけどね――」
純「――!」
“サチエちゃん”――羽村佐知絵のことだな。
男性「――最初はサチエちゃんが連れてきたんですよ。“彼氏の紹介だ”って言ってね」
純「へぇ〜、やりますねぇ」
男性「もうそりゃあラブラブでしたね」
純「あらあら」
男性「そのうち彼も1人で来るようになって、気づいたら仲間を引き連れてたって感じですね」
純「いつもああやって騒いでるんですか?」
男性「はい。正直ちょっと迷惑してまして」
そう言って、男性スタッフは苦笑した。
当然だろう。あんなに騒がれたら、誰だって不快になる。
男性「…でも、彼女にしては珍しいなぁ」
純「何がです?」
男性「いや、あの子理想が高いのか派手好きなのかわからないんですけど、付き合う男はそれなりに地位や名誉がある感じの人なんですよ。一流の商社マンだったり、モデルだったり……。今回みたいな人は初めてですね」
純「やっぱ一般人のほうがよくなったんじゃないすか?」
不意に、男性スタッフがカウンターから身を乗り出して顔を純に近付けた。
男性「一般人っていっても、あんな半分チンピラみたいな人ですよ? ビックリしちゃいました」
チンピラ……か。この男性は内心、黒野をかなり迷惑がっているな。しかし純は、あえて次のような質問をしてみた。
純「チンピラって、あの人一流ホストか何かじゃないんですか?」
男性「違いますよ。まぁ、確かに以前はホストをやってたみたいなんですがね、今はどんな仕事をしてるのかもよくわかりません」
純「いや、でもチンピラは少し言い過ぎなんじゃ…」
男性「あなた、この店に来るの初めてみたいだから教えますけどね、あの連中、店を半分私物化してるんですよ」
純「――と言いますと?」
男性「大音量で騒ぐのはさっきも言いましたよね。それを注意しようものなら、因縁つけたり、ひどい時は人目につかない場所へ連れていって暴力をふるったりしてるらしいんです」
純「そりゃひでぇな」
男性「それだけじゃありません。その日のDJが気に入らないと、ブーイングを飛ばすどころか物を投げつけたりもするんです。こないだなんか勝手にVIP席を陣取ろうとしましてね。さすがにその時はスタッフ全員で説得して止めましたよ」
純「…やりたい放題っすね。でも、それなら何で出禁(出入り禁止)にしないんですか?」
男性「情けない話なんですけど……復讐が怖いんです。これは噂ですが、あの連中って前に原宿のあるクラブとトラブルを起こしたことがあるらしいんですよ。聞いた話だと、今みたいな彼らの迷惑行為を店側が注意したのが事の発端だったみたいで。そしたらそのクラブ、どうなったと思います?」
純「……さぁ」
男性「なんでも、営業停止に追い込まれたそうなんです」
純「えっ、何で? そんなことあり得るんですか?」
男性「詳しいことはわかりません。普通はあり得ないと思いますよ。だけど現実に起こった以上、他人事には思えないじゃないですか。ウチは、有名な方がよくいらっしゃる所です。“ここが好きだから”と言って来てくださる方もいます。ヘタに揉めて、店を潰したくないんですよ」
純「……」
純は、何も言えなくなってしまった。
男性「…あっ」
しばらく沈黙が続いた後、男性スタッフが何かに気づいて声をあげた。男性スタッフは入り口の方向を見ている。純も、つられてそちらを振り向く。
入り口のほうから、女性が歩いてくる。
派手目だが、見覚えのある女だ。
純は、ハッとした。
純(まさか――)
男性「あぁ、サチエちゃん」
羽村佐知絵だ。
羽村佐知絵が現れた。
佐知絵「あら、こんにちは」
佐知絵は笑顔であいさつすると、まっすぐバーカウンターまで歩いて来た。
佐知絵「カシスオレンジもらえます?」
男性スタッフは手早くカシスオレンジを作り、スッとカウンターの向こうにいる佐知絵に差し出した。
佐知絵「どうも。ところで黒野くんは?」
男性「もう来てますよ。フロアにいるんじゃないかな」
佐知絵「そう。どうも〜」
佐知絵はニコリと微笑んだ。そして、カシスオレンジをチビチビ飲みながらフロアへ下りていった。
俊作が言う通り、人懐っこいがどこか媚びたような感じのする笑顔だ。
純「…あんな子が常識知らずの無法者と付き合うとはねぇ」
ボソッと、純が男性スタッフに言う。
彼は、再び苦笑いを浮かべた。
男性「…そうですね。ちょっと男を見る目ってのを疑っちゃいましたよ」
俊作は、いつも会社で見ていたのとは違う姿の佐知絵を、何も考えず画像に収めた。
プライベートなので多少服装が派手になるのは当然だとしても、ここまでイメージが変わるなんて。会社の人間が見たら驚くだろうな。
フロアに下りた佐知絵は、黒野たちを見つけると笑顔を浮かべながら駆け寄る。
黒野の取り巻きが、「大丈夫か?」と口を揃えて言う。
佐知絵「大丈夫だよ。心配かけてごめんね。会社も週明けから復帰する」
俊作「――!!」
「よかったね」と歓声が起こる中、俊作は無心になって携帯電話を操作した。そして佐知絵が週明けから職場復帰する旨のメールを、バーカウンターにいる純に送信した。
俊作は更にマルチカメラによる録画を続ける。
佐知絵「ねぇ黒野くぅん、次の月曜なんだけどぉ、あたしの会社の友達連れて来てもい〜い? 長いこと休んじゃったから、お詫びがしたいのォ」
俊作「うげ……」
俊作は、ひいてしまった。
この女、彼氏の前だとこんな猫なで声になるのか。
傍から見るとかえって気色悪い。
黒野「おう、いいぜ!」
佐知絵「ホント? やった!」
佐知絵は胸の前で両手を合わせる仕草をして喜んだ。
俊作は絶句していた。
佐知絵も佐知絵なら、黒野も黒野だ。
こんな連中のために職を失った自分が情けない。しかし、だからといって泣き寝入りするのはイヤだ。早いところ真相を明らかにせねば。
純「よし、月曜の晩もう一度RYU-JINへ行くぞ。昼間は勤務中の羽村を徹底マークだ」
帰り道、車の中で純がそう言った。
俊作「黒野って野郎のことも調べとく必要があるな。少なくともどんな人間なのかがわかる」
純「あぁ、そうだな」
とにかく、次に2人がとるべき行動が決まった。
佐知絵、ついに職場復帰!
本格的な調査開始だ!




