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肥前屋、いわし

 「えっ、なくなるんですか?」

僕は思わず大きな声をあげた。あの池之端演芸場が閉館するというのだ。なんでも、築60年を超え、老朽化が進み、採算が取れなくなっていることがその原因らしい。そのことを、2日前の公演のとき、支配人の常田秀夫さんから聞かされた。

僕の胸にはいろんな思いが去来した。前座時代の思い出、苦しかった二つ目時代、そして襲名披露・・・・・。初代の和吉さんにもお世話になった。常田さんご家族ともこうして演芸場でもう会えなくなるのか。

そうした、数々の思いが高まってどうしようもなくなり、僕は公演の予定もないのに、池之端演芸場へと向かうことにした。

弟子の文次郎君が運転する車の中で、僕はぼんやり物思いにふけっていた。

「師匠、どうされました?」

文次郎君が聞く。

「いや、やっぱりあの演芸場がなくなるというのが信じられないんだ。僕にとって池之端演芸場は第2の故郷そのものだからね。」

「本当ですね。いくら時代の流れとはいえ、胸に迫るものがあります。」

「君は、どれくらいあそこでお世話になった?」

「かれこれ6,7年ですかね。前座修業が5年続きましたから。」

「でも君は、その前からあそこに通い詰めてたじゃないか。だからもう10年はなるだろう。」

「確かにそうです。師匠の一ファンの頃からでしたから。」

演芸場をめぐる取り留めもない話が続いているうちに、池之端町に入った。商店街が続くこの道は僕を含む芸人たちが足しげく通う食堂や居酒屋が並ぶ。その一角に、肥前屋という蕎麦屋がある。来年創業110年を迎えるこの老舗は、どんぶりを軽くはみだすくらいの海老天丼が有名だ。演芸場に向かう前に、僕たちはここで食事をとることにした。草書体で「名物生蕎麦」と書かれた額を堂々と掲げる肥前屋ののれんをくぐる。


―あれは、22歳の頃だった。大学を卒業する前の年の8月の暑い日に、僕は師匠となる落語家本田文蔵とここで会った。当時、僕は就職というものに漠然と嫌気がさしていた。会社勤めは何となくいやだと感じていた僕に、落語家の道を示してくれたのが文蔵だった。何気なく見ていたテレビの演芸番組。最初の演目が文蔵の「やかん」だった。落語家というのはべらんめえ口調だと持っていた僕にとって、衝撃的な語り口だった。端正かつ華やかといった形容詞が似合う、そんな語り口だった。くせのない、それでいて深みを感じる話芸に惚れた。そうだ、僕はこの人みたいな落語家になろう。そう決意した僕は、数日後この池之端演芸場に向かった。師匠は、突然弟子入り志願した僕にとても驚いていたけれど、まあ一緒に食事でもするか、とこの肥前屋に連れて行った。

色々話を聞いてくれたうえに、海老天丼まで御馳走になってしまった。そして、師匠はこう言ったのだ。

 「この海老天丼を、自分のお金で食べられるようになるまで、修行に励むことだね。」

事実上の入門許可だった。それ以来、師匠はここに僕を連れて行き、色々助言をしてくれた。助言というより、小言に近かった。けれども、肥前屋に連れて行くときはいつも海老天丼を食べさせてくれた。やさしい師匠だった。そしていつも言うのだった。

「この海老天丼を、自分のお金で食べられるようになるまで、修行に励むことだね。」

 

 あれから月日がった。今では僕が師匠の立場になった。弟子の文次郎君が弟子入り志願した時からずっとこの肥前屋に通い、一緒に食事する。もちろん、注文するのは海老天丼だ。今日ももちろん、注文する。

 「女将さん、海老天丼2つお願いします!」

 ごま油の香ばしい風味のする、ぷりぷりの海老天丼は僕にとって忘れられない味だ。


 腹ごしらえを済ませた後、いよいよ演芸場に向かう。黒字に白の格子模様の外壁に、「池之端演芸場」と書かれた赤い提灯。軒先にはこれでもかと提灯が並ぶ。入り口近くに並んだのぼり。そこには僕の名跡「2代目本田文吉」もある。今日が公演のない休館日だったが、事前に電話を入れ、開けてもらうことになった。

 受付横の階段を登り、2階の楽屋へと向かう。楽屋は大部屋だ。ここに、前座から大看板まで勢ぞろいし、高座の準備をする。大きな鏡が数枚設置されている、ごく普通の楽屋。壁一面に出演者の落書きがある。

 「今日も客1人、明日は?」

これはあの人気タレント、姫路家いわしの落書きだ。僕が入門した時、いわしはすでにスターだった。野球選手のものまねで一世を風靡し、全国を回っていた。この池之端演芸場にもよく公演に訪れていた。人気があってもおごった様子はなく、楽屋の人気者だった。いわしはお茶の入れ方をいつもほめてくれた。僕の前座名は文乃助だが、いわしはいつも「文ちゃん」と呼び、励ましてくれた。いつぞや、僕が奈良高校出身だと知ると、

「文ちゃん、奈良高校なんや!なんで噺家なん?」

と笑いながらも驚いていた。いわしは僕と同郷、奈良県なのだ。そんなわけで、いわしは僕に一目置くようになったし、僕もいわしのことを尊敬している。

 「文ちゃんはええ落語家になるで!俺が保証する!」

 いわしのこの言葉にどれだけ励まされただろう。いわしと一緒に弁当を食べた楽屋のちゃぶ台の前に坐ると、いわしとの思い出がよみがえってくる。またここでいわしの物まねがみたいものだ。

 

 


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