呪香ミツコの戦い
花屋とカフェを併設した喫茶店『五芒の月』の店長兼ウェイトレスが背を向けた直後、地裏ムカサはメニュー表を手に取った。
「ここ、先生のおごりでいいですか?」
「よく今の空気で、そういうことが言えるな」
獣にちかい風貌の教師犬神ヤシャの言葉を理解できず、ムカサが呪香ミツコを見ると、相変わらず水を睨んでいる。
ムカサは自分で支払う意思が全くないまま、店長の女性に向かって片手を上げた。歩いてくる姿が少し怒っている風に見えたが、ムカサは一向に気にしなかった。
「バナナチョコレートパフェとブレンドコーヒーをください」
「なんですって!」
答えたのはミツコである。店長の女性の視線が鋭く向けられた。
「おひとり分でよろしいですか?」
やや鋭い口調で店長が尋ねた。犬神ヤシャが慌ててコーヒーを追加する。ミツコは水が入ったグラスとムカサの顔を見比べ、いかにも苦しげに声を絞り出した。まるで、すでに毒を飲んだ後ででもあるかのようだ。
「あなた、汚いわよ」
「どうして?」
罵声を浴びせられても、ムカサに後ろ暗いところはない。
「私が……バナナチョコレートパフェが好きだと知った上で、目の前で食べて苦しめようというのね」
「……困ったな。ミツコと食べ物の趣味が重なるとは……実に不愉快だ」
「どういう意味よ!」
ミツコは激昂して立ち上がる。
「お前たち、いい加減にしろ!」
犬神もさすがに立ち上がりミツコの肩を抑えるが、ミツコは犬神の手を振り払った。ムカサは椅子に座ったまま、首だけを犬神に向けた。
「先生のおごりですよね」
ムカサはまっすぐに犬神を見据え、犬神はただ小さく首を動かした。ムカサは視線をミツコに戻す。
「だそうだ。二つお願いします」
後半の言葉は、店長に向けて発したものだ。同時に指を二本突き出して見せる。
「……二つ食べるつもり?」
「そんなはずがないだろう」
「……なら、いいわ」
ゆっくりと、ミツコは席に座った。
「では先生、本題をお願いします」
犬神も腰を下ろした。二人の生徒に安くないパフェをおごることになった教師に睨みつけられたが、ムカサは他人の顔色をうかがうのがとても苦手だ。さぞ可愛くない生徒だと思われているのだろうという推測はできた。
「お前たち、グルじゃないだろうな」
「ご心配なく。私はこいつのこと、大嫌いですから」
ミツコは迷いなく指先をムカサにつきつけた。
「ご同様」
妥協するつもりはない。ムカサはミツコが嫌いだった。
犬神ヤシャは、普段より三割ほど獣に近づいたのではないかと思えるほど顔を歪め、しぶしぶと話しだした。