午後の一コマ
地裏ムカサが教室に戻ると、一組は部分的に相変わらず静かだった。部分的にとは、ムカサと呪香ミツコの席の周辺である。
席に戻り午後の授業の準備を始めるムカサに、ミツコが不機嫌そうに話しかけてきた。不機嫌な理由は多々あるだろうが、ムカサには、ミツコはムカサに話しかけること自体を嫌っているのではないだろうかと思っている。
「何かが起きているわね。すぐ近くで、大きな月匣が展開されたわよ。鈍感なあなたにも、それぐらいは感知できたわね? あるいは、裏会の門が開いたのかしら?」
ムカサはミツコのほうを向くこともせず、机から教科書を取り出しながら答えた。
「隣のクラスで、教室全体を覆う月匣が展開された。ウィザードが不在だったから、一人残らず意識を失って寝ているよ。授業にならないだろうな」
「授業どころじゃないでしょう。ずいぶん詳しいわね。あなたの大好きな蛇の魔王にでも教えてもらったのかしら?」
ムカサが横目で見ると、ミツコは分厚い本で顔の下半分を隠し、まるで覗き見るように淀んだ瞳を向けていた。分厚い本は教科書ではない。日本語でも英語でもない、見たこともない文字で書かれた魔法書だ。ミツコが中身を読めるのかどうかまではわからない。
「俺の契約主のことをとやかく言うのはやめてもらおう。お会いしたこともない。隣のクラスについて、詳しいのは当然だよ。俺が月匣を展開させたからな」
ミツコが体勢を崩した。何らかの衝撃を受けたようだ。ムカサはミツコの様子を注意深く観察する趣味がなかったため、何に衝撃を受けたのかはわからない。
ミツコは立ち上がった。すでに授業が始まっている。誰もミツコには注目しない。関わり合いになるのを恐れているのである。
「あなた、何をしているのよ」
「驚くようなことか? ウィザードがいないことが分かったんだ。収穫はあった」
「それぐらいのこと、見ればわかるでしょう」
「そいつらの顔も知らないのにか? イノセントたちにわざわざ聞いて回るのか? どうやって説明するんだ?」
「だからって……じゃあ、今ごろ隣のクラスは……」
「静かだろう? ミツコも座ったほうがいいぞ。授業中だ」
ムカサは話が終わったと判断し、教師の話に耳を向けようとした。終わったと思ったのは、ムカサだけだった。
「やり方ってものがあるでしょう。常識はないの?」
もはや、ミツコは声を落とすことさえ忘れていた。完全に激昂している。普段の、呪いの最中であるかのような口調は面影もない。
さすがに、授業中の教師が迷惑そうな視線を向ける。注意されるのも時間の問題だろう。
「イノセントの常識なら、持ち合わせていない。お前も同じだろう?」
「あんたと一緒にしないで」
「二人とも……」
教師がついに声をかけた。ムカサは予期していたため、何もしなかった。激しく反応したのはミツコだった。
「邪魔をしないで」
言葉と同時に広範囲の月匣が展開される。クラス全体を包み込み、ウィザードの二人を残して同級生たちが机に突っ伏した。
激昂したミツコは、それだけではとどまらずに月衣から愛用の箒である魔剣を取り出そうとしていた。ムカサは自分の机を投げつけるようにミツコに向けてスライドさせてから、壁際によった。戦闘を予期した準備である。
ミツコの魔剣が学校の備品である机を分断したのと同時に、月匣に侵入した者がいた。
「お前たち、職員室に来い」
二組で授業を受けるはずの生徒たちを全員眠らされ、さらに隣で広範囲の月匣を感知した古文の教師、犬神ヤシャだった。