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玄関に見慣れた靴があるのを見て、宮崎は急いでキッチンに向かった。いつもなら当然、こんな時間にあるはずのないものだからだ。
「母さん、いるの?」
張り上げた声質は硬く、厳しいものであった。ドアを開けると、居間のソファにもたれかかる母がいた。
「あら、直弘。おかえりなさい」
母は宮崎の声に反応してふり返る。いつもと変わりない笑顔ではあったが、ふり返る一瞬に疲れた表情を見せた気がして、不安は一掃されなかった。とりあえず宮崎はかばんをソファに置く。なにか飲み物をと立ち上がった母親を制してキッチンへ向かった。
「もう仕事終わったの?」
弁当を洗いながら尋ねると、母親は明るい声で答えた。
「半休をもらったの。今月はたくさん働いたから、ごほうびだって。普段はできないところまで掃除してたらあっという間に夕方になっちゃった」
陽気に笑う母親に合わせて笑い返すが、宮崎にはわかっていた。残業時間が一定をこえると強制的に休みをとらされるのだ。「働きすぎ」という忠告である。今の学校に編入するまでこんなことはなかった。
「学校の方はどう? お友達はできた?」
母からの質問に宮崎は手を止めた。水道の音が遠くなる。
あの学校に転入してきてから二カ月がたとうとしている。それまでに自分の身に起こったあらゆることが思い起こされる。けれどもどれも、彼女に話すわけにはいかなかった。
クラスメイトの能面のような顔。部員が自分に向ける無関心そうな顔、奇異なものを見るような目。水藤斎に、伏見。そして、竟。さまざまな人物が浮かんでは消え、また巡って浮かんでくる。母はそんな宮崎の頭の中を読みとっていたのか、ただ単に世間話のひとつであったのか、今の宮崎には考える余裕すらなくなっていた。
「うん、楽しいよ。友達も何人かできたし……」
震える声で答え、少し乱れはじめた息を整える。ぬれた手をタオルでふき、かばんをとろうとソファに戻った。
「今度家につれてくるよ」
「そう……ねえ、直弘」
かばんを手渡した母親が神妙な声を出す。
「部活動には、きちんと出ているのよね。毎日こんなに帰りが早いわけじゃないんでしょう?」
かばんを受けとろうと手を伸ばしたまま宮崎は顔を引きつらせた。なにかを訴えかけるような母の目に見つめられ、指の先が冷たくなる。しかし再び口を開いた彼女の言葉を遮るように、笑顔を作った。