だんごむしのコロちゃん(はじめての冒険)
暖かな落ち葉のベッドの中で、ダンゴムシの『コロちゃん』は目を覚ましました。
「……コロ?」(……朝?)
黒いボールみたいに丸くなっていた身体を、パカッ、と少しだけ開けて、隙間から辺りをキョロキョロと見回します。
どうやら森の中は、いつもと変わらない静かな朝のようです。
コロちゃんは、にゅっと手足を伸ばしてから、身体を開いて起き上がりました。
円らな黒い瞳にぴょんと突き出た二本の触覚。
黒くて硬い殻に覆われた丸い身体には、細い手足と、小さな義足が沢山生えています。
二本の後ろ足で立ち上がったコロちゃんは、うんっ……! と背伸びをしました。
けれどダンゴムシの身体は、そういう風には出来ていません。ごきごきっ! と背中で怖い音がしたので驚いて、思わず「くるん!」と丸くなりました。
「コロロー」(わ、びっくりしたー)
びっくりする事があると、コロちゃんはすぐに丸くなってしまいます。
そして「ドキドキ」が収まるのをじっと息を潜めて待つのです。
怖い何かが来ても、丸くなれば平気です。
怖い音が鳴っても、丸くなれば聞こえません。
怖い夜になっても、丸くなって眠ればへっちゃらです。
とにかく丸くなれば何があっても平気なのです。
けれど、誰かが近づいて来るだけで、コロちゃんは心臓がドキッとなって、「くるん」と丸くなってしまいます。
だから「お友達」はまだ居ません。
ダンゴムシのコロちゃんは生まれてまだ半年、人間にたとえれば6歳ぐらいの歳でした。
一緒に生まれた兄妹たちも沢山居るのですが、今はみんなバラバラに森のどこかで暮らしています。
朝露を飲んで目が覚めたコロちゃんは「なにか楽しいことないかな?」と考えながら、ニコニコ顔でお散歩をはじめました。
今日も暖かくて気持ちのいい日です。
お母さんが以前「ここは楽園島っていうのよ」と教えてくれた事を、ふと思い出しました。
――島って、なんだろう?
コロちゃんは外の世界を知りません。
知る必要もないのです。
なぜなら、探さなくても美味しい果物や葉っぱが沢山あるのです。
森にはヤシの木やいろんな葉っぱが茂っています。葉っぱのすき間から見えるお日様はいつもまぶしくて、森の中を明るく照らしていました。
見上げると「ごろん!」と後ろにひっくり返ってしまうくらい大きな木と、緑色の葉っぱ間から見える青い空、そこからはキラキラとした光が降り注いでいます。
それがコロちゃんの暮らす世界の全てでした。
「コロ」(きれいだなー)
と、とつぜん、空からガサガサッと音がして、何かが落ちてきました。
『――――きゃぁあああ!』
「コロ?」(え、なに?)
悲鳴を上げながら、木の上から落ちた何か、ぺちゃん! と見上げていたコロちゃんの顔にぶつかって、へばりつきました。
冷たくて、ぬるぬるで目が見えません。コロちゃんはびっくりして叫びました。
「コローコロー!?」(目がー!? 目がー!?)
思わず驚いて、そのまま丸くなりましたが、落ちてきた何かが顔にくっついているので、一緒に丸くなったカラの中にいれてしまいました。
『た、たべないで――きゃぁあああ!』
「コロ――!?」(ひゃあああ!?)
驚いたのはコロちゃんです。身体をパカッと開くと、ようやく「それ」を手で引き剥がしました。すると……。
『あ……あれ?』
「ココロ!」(食べないよ!)
それは、透明でピンク色の「ゼリー」のようなプニプニした丸い身体の見た事もない透明な生き物でした。
目(?)らしきものが二つあって、コロちゃんをじっと見つめています。
手のひらを通じて、冷たくて不思議な感触が伝わってきました。手足も無いのにモゾモゾ動く、変な生き物でした。
動くと少しくすぐったくて、けれど不思議と怖いとは思いませんでした。
きっとこれは素敵なものなんだ、とコロちゃんは思いました。
何故なら、ピンクの身体は透明でキラキラと輝いていて、まるで葉っぱの上で見つける朝露みたいに、とてもきれいなのです。
「コロ? コロロ?」(君はだれ? どうして空から落ちてきたの?)
コロちゃんはおそるおそるたずねました。
『驚かせてごめんね、私……ラーナっていうのデース!』
透明なゼリーのような生き物は、くちもないのにしゃべりました。それは頭の中に直接話しかけられたみたいな、不思議な声でした。
「ラ……ナ?」
『うん。光……雫、”ひかりのしずく”っていう意味なのでーす』
その子は元気よく話しました。
どうやら、声からして女の子のようです。
素敵な名前だなってコロちゃんは思いました。語尾がなんだか変だけど、変じゃないって思います。
(ラーナが『スライム』と呼ばれる生き物だって事を知るのは、ずっと後の事です)
「コロ、コロ」(ぼくは、コロ)
『コロちゃん……! ねぇ! 私とお友達になってくださいデース』
「コ、コロ!」(い……いいよ!)
二人はこうして友達になりました。
コロちゃんに初めてのお友達が出来たのです。
『海を見に行こうと思ったのですが道に迷ってしまったのデース。気がついたら木の上で、落ちちゃったのデース』
へてっ☆、と舌もないのに舌を出しているようです。
「コロ……?」(うみ?)
『コロちゃんは、海を見た事ある?』
「……コロ、ロ」(ない。知らないもの)
コロちゃんは島に住んでいるのに、周りに広がる「海」を見た事がなかったのです。
『じゃ一緒にいくでーす! 私が道案内、しますデース!』
「コロロ!?」(迷ってたのに!?)
迷っていたくせに道案内をするというラーナの言葉に、すこし不安を覚えたコロちゃんでしたが、なんだか楽しそうな気がして、ワクワクしてきました。
けれどラーナは歩くのがナメクジみたいに遅くて、コロちゃんの一歩分を進むのにも沢山の時間が必要なのです。
だったらボクが運んであげるよ。と、コロちゃんは言いました。
じゃぁその代わり私が海を見せてあげるね! とラーナが言いました。
こうして、二人の小さな冒険が、はじまりました。
コロちゃんはラーナを頭に乗せて歩きだしました。
木の根を飛び越えて、倒れた木を乗り越えて、道なき道を進みます。コロちゃんにとっては平気な道も、ラーナが歩くのはとても大変です。
ラーナもコロちゃんの頭の上ならば、とっても楽ちんです。
『すごい! どんどん進めるのデース、コロちゃんは凄いのデース!』
「コロッ」(こんなの普通だよっ)
ラーナがほめてくれたので、コロちゃんは少し照れくさくて、けれど嬉しくなりました。
むずがゆくて、けれど楽しい気持ち。
これが友達なんだって、思いました。
二人はどんどん森を進みます。
いつしか太陽は森の真上で輝いていました。
ラーナが指し示す方向に森を進んでいくと、やがて、とても明るく開けた場所が見えてきました。
まぶしい光が木々の向こうから差し込んでいます。
『コロちゃん! その先に海が見えるはずデース!』
「コロロ!?」(ほんと!?)
コロちゃんは思わず走り出しました。明るくてまぶしい場所にむかって走ります。
森を抜けたとたん、そこには……びっくりするぐらい青く、目もくらむほどに広い世界が広がっていました。
「コロ……!」(海!)
『海、海なのデース!』
と――――二人の身体が、急に落下し始めました。
そこはなんと、ガケだったのです。勢いあまってコロちゃんはガケから飛び出してしまったようです。
「コロ――!?」(落ちる――!?)
『――きゃ!?』
落ちながらも、コロちゃんは海を見て驚きました。
どこまでも広くて、青くて、始めてみる大きさなのです。
透き通った青い空に、キラキラと光りながらどこまでも青く輝く水面――
思わず見とれてしまいましたが、真下には緑色のヤシの林がぐんぐん近づいてきます。
いくらラーナが柔らかくてぷるぷるしていても、このまま落ちればつぶれてしまうかもしれません。
友達が痛くて泣くのを見るのはイヤだって、コロちゃんは思いました。
コロちゃんは、その時、初めて勇気を出しました。
空中で「大切な友達」のラーナを抱き寄せると、コロちゃんは「くるんっ!」と丸くなりました。
ラーナを大切に胸に抱いて、硬いカラの中に閉じ込めます。
『コロちゃん!?』
「コロ、コロロ!」(へいき。だって、丸くなれば大丈夫なんだから!)
ラーナを守りたいって思いました。
大切な、初めての友だち。
ボクは痛くても、これならラーナは痛くないよね。と、コロちゃんは覚悟を決めて目をつぶりました。
――バキン、バキバキ! ゴロゴロ!
二人を激しい衝撃が襲いました。
すごい揺れと回転に、ラーナは悲鳴をあげて目を回しました。
コロちゃんはじっと耐えて、叫び声もあげませんでした。怖いこと、痛いことが終わるのを待っているのです。
やがて……辺りが静かになりました。
聞えるのはザザァ……ザザァ……という何かの音です。
『コロちゃんの心臓の音……聞こえるデース……』
「コロ、コロ」(うん、生きてるみたい)
暗闇の中で、二人の顔が驚くくらい近くにありました。コロちゃんの丸いカラの中は暗いのに、何故かラーナの姿が見えました。
にっこりとやさしく微笑んでいるようでした。
ドキリとして、けれどすごく安心してホッとしました。
友達は無事だったのです。
『ありがとう、コロちゃん』
「コロ」(よかった)
コロちゃんは丸くなった身体を、ゆっくり開きました。
目に飛び込んできたのは、白い砂が何処までも続く砂浜でした。
後ろには、落ちてしまったガケと、ヤシの林が見えました。
砂浜の上にはコロちゃんが転がってきた跡が、くっきりと残っていました。
どうやら、ヤシの生い茂る葉っぱが何枚も重なり合い、上手くクッションのようにコロちゃんの身体を受け止めてくれたようです。
林の中に落ちたコロちゃんは、そのままの勢いで転がって、海岸まで来てしまったのです。
背中が少し痛くて、傷があちこちについていたけれど、どうやらケガはありません。
背中のカラは、お父さんとお母さんが自慢するぐらい固いのです。
少し傷がついていましたが、そんなのへっちゃらです。
『痛くない? 大丈夫?』
ラーナが心配そうにモゾモゾと背中をはいまわりました。
「コロロ!」(くすぐったい、平気だよ!)
そしてコロちゃんは立ち上がりました。砂は白くて、サラサラでした。
「コ……コロロ!」(これが……海!)
『そうなのです、海なのデース!』
目の前にはとてつもなく広い海が広がっていました。青く澄んだ水、光る波間、そして優しい潮の匂い。
コロちゃんは瞳を輝かせました。
「コロ……!」(きれい……!)
『きれいデース……!』
それは始めて見る光景でした。
空を白いカモメが飛んでゆきます。太陽が気持ちよさそうに真っ青な空に浮かんでいます。
ここは、楽園島と呼ばれる、素敵な島なのです。
「ラナ、コロロ!」(ラーナはこれを見たかったんだね!)
『はいデース』
二人はしばらく海を眺めてしました。
その後、二人は日が暮れるまで遊びました。
海の水はしょっぱくて、温かくてコロちゃんはびっくりしました。
遊び疲れると頭の上にラーナを乗せて、太陽が海の向こうに沈んでゆく様子をずっと眺めていました。
白い昼の光が黄味を帯びて、それが少しずつオレンジ色に変わり、最後は青と黒と、輝く星の世界に変わるのを、驚きながら眺めていました。
その夜、二人はヤシの葉っぱのお布団で眠りました。
そして沢山のお話をしました。
ラーナは生まれたばかりなのに、いろんな事を知っていました。
コロちゃんの知らない昔のこと未来のこと。
コロちゃんの頭の中には、まるで子守唄のようにラーナの優しい声がきこえてきました。
世界はこの島の外にも広がっているという事。
人間という知恵を持つ生き物がいて暮らしている事。
海の向こうでは、やがて恐ろしい魔王が生まれ、人間達を苦しめる事。
けれど、世界を救う英雄達が現れて平和をもたらす事を。
自分が、時間と空間の狭間から零れ落ちた、魂の欠片だということを。
そして――。
「いつか、わたしたちも……旅をするかも……しれないデース」
『コロ……コロロ……』(そんなの……わかんない。眠いから、寝るね……)
コロちゃんには、ラーナの話は難しくて、よくわかりませんでした。
けれど、コロちゃんは思いました。
友達と、ラーナと一緒なら……きっと冒険も楽しんだろうな、って。
そんな風に考えると、明日もきっと良い事が起こりそうで、コロちゃんはワクワクした気持ちのまま眠りにつきました。
ここは暖かな南の海に浮かぶ楽園島。
満点の星たちは、静かに眠る二人を、そっと見守りつづけました。
◇
――これは世界がまだ平和だった頃。
コロちゃんとラーナが、はじめて出会った時の、ちいさな冒険の物語。
<おしまい>
【作者よりのお知らせ】
本作は、拙作「人生相談は賢者タイムの後で ~ニート賢者ググレカスの優雅な日常~」(n6450bt)に登場するダンゴムシ半昆虫人、「コロちゃん」が主人公のスピンオフ作品です。