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「相手の事情など関係ない。問答無用だ。徹底的にやろう」
という物騒な発言は、アルバート家の一室で発せられた。もちろん、発言の主はパトリックである。
これにはアリシアとパルフェットが「そうです!」と怒りながら同意し、カリーナとマーガレットが優雅に微笑み合う。その温度差にあてられたガイナスが冷汗と共に震え……と、先日とほぼ似たような光景が広がっていた。
変わったことといえばパトリックの手元に資料が積まれていることと、パルフェットとガイナスの椅子が近くなっていることくらいか。資料はもちろんこの騒動の犯人についてのものであり、アリシアが唸りながらそれを睨み付けている。椅子の距離については、今回の話し合いで冷気にあてられるに違いないと踏んだガイナスが予め寄せておいたのだ。
そんな一室の中、パルフェットが急かすようにパトリックを呼んだ。
「パトリック様! メアリ様を襲ってアディ様に怪我を負わせたのはどなたなんですか!」
「まぁそう焦らないでくれパルフェット嬢。……かといって泣かないでくれ」
怒りのあまり涙目でふるふると震えだすパルフェットを宥め、パトリックがコホンと咳払いをした。
「俺なりに該当しそうな家を絞って、リリアンヌ嬢に入り込んでもらっている」
「まぁ、リリアンヌさんが?」
「彼女の行いこそ知れ渡っているが、実際に彼女の顔まで知っている者はそういない。そもそも、戻ってきていることを知っているのも俺達だけだ。立場的にも彼女は動きやすいし、実際によく働いてくれている」
「そう、そうなんですね……」
「彼女のおかげで殆ど確定している。あとは証拠集めだな」
そう話しながら、パトリックが社交界に名を連ねるとある家の名を口にした。
ロートレック家。
案の定、以前にメアリの陰口を叩き、そしてアディに対しても横暴な態度をとっていた家だ。そのうえ、メアリとパトリックの縁談が解消されるや権威欲しさに求婚を申し出て、歯牙にもかけずに断られている。
かつての己の行いと、そしてメアリに縁談を蹴られた恨み。それらが合わさり、なんとしても二人にアルバート家を継がせるものかと考えたのだろう。
テーブルの上に地図を広げ、その家と管理している領地をペンで囲いながらパトリックが話せば、誰もが聞きながら地図を覗き込んだ。そうして眉間に皺を寄せるのは、良い噂の聞かない土地だからだ。
以前にとある豪商に唆されて領地の一部を工事し、すぐさま気が変わったとほかの場所に鞍替えしたと聞く。
金や権威に弱く、儲け話があると周囲の声も聴かずに直ぐに飛びつく。それでいて飽き性……と、ダイス家の嫡男であるパトリックからしてみれば眉を顰めてしまう家だ。
そしてそれはこの場に居る者にとっても同じなのだろう。各々資料や地図を覗き込み、三者三様に呆れを示している。
「酷いです。その土地で生活している人のことを考えてない……」
とは、しょんぼりと俯くアリシア。
金に目が眩み好き放題に手を出すその傲慢な記録に、心苦しそうに眉尻を下げている。今でこそ王女として生活しているがかつては庶民として生きていた彼女は、振り回される者達の気持ちが分かって余計に辛いのだろう。呟く声は彼女らしくなく覇気がなく、パトリックがそっと肩を抱き寄せた。
パルフェットとガイナスもまたあんまりな記録に眉間に皺をよせ、自分達はこうなるまいと誓い合っている。ちなみにカリーナとマーガレットはといえば、チラと資料を一瞥し、互いにホホホ……と笑いあったのち、声を揃えて「無様」と言い放った。
「大方、メアリを脅してアルバート家の跡継ぎを辞退させようと考えたんだろう。その程度の家だ、証拠もじきに揃う。……揃えてみせる」
淡々と、そして冷ややかにパトリックが言い切る。
次いで彼はテーブルに広げた地図に手を伸ばし、ダイス家に親指を置き、手を広げてロートレック家の領地に人差し指を乗せた。そうしてにやりと笑い、
「ふぅん、悪くないな」
これである。
見た目が麗しいだけに、その冷ややかな恐ろしさと言ったらない。
彼の言わんとしていることを察したガイナスが「ひっ」と悲鳴をあげ、慌てて椅子をずらしてパルフェットに寄る。パルフェットも勿論怒ってはいるのだが、頬を膨らませて怒りを訴える彼女の怒りなどパトリックの冷ややかさに比べれば可愛いものだ。
そんなガイナスの気苦労も知らず、パトリックはいまだ口角を上げたまま地図上で件の領地を眺め……ついと視界に入った細くしなやかな指に顔を上げた。
まるで先程のパトリックのように己の領地と目当ての領地とを指で測る……その手の主はマーガレット。麗しい彼女はパトリックと目が合うと優雅に微笑み、わざとらしく「あら」と声をあげた。もちろん、彼女の人差し指もまたロートレック家の領地にかかっており、そして親指はもちろんブラウニー家に置かれている。
上品に笑っているが、指を退かす様子はない。
「はは、どうしたんだいマーガレット嬢」
「なんでもございませんの。ただ、良い土地だと思いまして」
「奇遇だな、俺も良い土地だと思ってる。こんな家が管理するなんて勿体ない」
そう互いに優雅に微笑みながら話す。
傍から見ればなんとも麗しく絵になる光景ではないか。だが背後では様々なもの――あえて一つ挙げるなら野心である――が渦を巻き、見る者が見れば猛獣が澄ました顔で佇む幻覚でも見ただろう。なにせ、未だ二人の指先は件の土地から離れていないのだ。
そんな中、パトリックがポツリと「弟が」と呟いた。
「弟が最近良い女性と出会えたみたいでね」
「まぁ、良い女性と」
「俺の跡継ぎ交代で弟達には迷惑をかけてしまった。もしその家に婿に入るのであれば、少しでも多くのものを持たせてやりたいと思ってるんだ」
そう弟のことを思い浮かべ話すパトリックに、マーガレットが「そうでしたのね」と感動したように呟いた。次いでそっと地図上から手を引く。
勿論、ロートレック家の土地はパトリックに譲るという事だ。それを察してパトリックもまた苦笑を浮かべた。
これもまたなんとも麗しい光景ではないか。野心を抱く令嬢が、弟を思う兄の話に胸を打たれて手を引いたのだ。美談とさえ言えるだろう。
パトリックの弟が出会ったという『良い女性』というのが他の誰でもなくマーガレットだとか、そもそもパトリックがロートレック家の領地をぶん取る気満々だとか、そういう点に言及する者はいない。
仮にここにメアリがいれば、呆れながら「茶番だわ」とでも言い切っていただろう。だがあいにくと彼女はここには居らず、アリシアとパルフェットはこのやりとりに感動し、カリーナは付き合っていられないと肩を竦めるだけ。ガイナスに至ってはいまだ震えている。
そんな傍目には麗しく内情は随分と白々しいやりとりの中、パトリックが「そういえば」と呟いた。
「メアリはやっぱりアルバート家を継ぐつもりなんだな」
と、その言葉に隣に座っていたアリシアがふと彼を見上げた。
「やっぱり、ですか?」
「あぁ、きっとリリアンヌ嬢とやりとりをしているのも跡を継ぐからだ」
リリアンヌがいる北の大地はアルバート家の親族が管理する場所。そこに住むリリアンヌとやりとりをしているのは、きっとメアリが当主としてその土地の管理を引き継ぐことになったからだろう。かつては敵対していたとはいえ、今のリリアンヌにその気はない。となれば、管理する土地に顔見知りがいるに越したことはない。
それも含めて、すべてを秘密裏にしているのだ。先日の「パーティーで教えてあげる」という発言も、きっとそのことに違いない。
「アルバート家は近々パーティーを開く予定だ。表向きは夫人の誕生日という名目だが、きっとそこで正式に発表する気なんだろう」
それまでに今回の件を片付けよう、そう語るパトリックに面々が頷いて同意を示す。だがアリシアだけはいまだパトリックを見上げ、不思議そうに小首を傾げた。
「パトリック様は……」
「どうした、アリシア」
「パトリック様は、メアリ様がアルバート家を継ぐのは反対なんですか?」
アリシアの問いかけに、誰もが目を丸くさせた。
だが誰よりも驚いたのはパトリック本人だ。藍色の瞳をキョトンと丸くさせたのち、何かを悟り彼らしくなく雑に頭を掻いた。
「いや、べつにメアリが継ぐことは反対じゃない。アディと組めばアルバート家をより良く出来るだろうし、国のためにもなるだろう。そのためなら俺も喜んで協力するつもりだ」
「ならどうして、そんなに不満そうに仰るんですか?」
紫色の瞳で真っすぐに見つめて疑問を口にするアリシアに、誰もが改めてパトリックに視線をやった。不満そうって、そんな顔していた? と、そんな視線を浴び、パトリックがムグと言葉を飲み込んで表情を隠すように頬を押さえた。
その頬はどことなく赤みを帯びており、藍色の視線が居心地悪そうに泳ぐ。
「メアリ達が跡を継ぐのは良いと思う。反対する理由もないし、発表の時まで隠すのもわかる。……だけど」
「だけど?」
「……俺にくらい、話してくれても良いのにと思って」
そう最後にポツリと漏らし、パトリックが注がれる視線から逃げるように顔をそらした。
どこか不満気で拗ねているようで、それでいて悟られたことが恥ずかしいと言いたげなその表情は彼らしくなく、誰もが意外だと目を丸くさせる。文武両道、眉目秀麗、落ち着き払った態度が令嬢達の王子様と謳われた、あのパトリック・ダイスがこんな表情をするなんて……と。
もっとも、アリシアだけはクスクスと笑いながらパトリックの腕を擦り、愛しそうに名前を呼んで彼を宥めていた。