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 そんなことがあった数日後、アディの部屋で椅子に座りながら手紙を読んでいたメアリが「まぁ」と呟いた。

 それを聞き、メアリの背後に立っていたアディがどうしたのかと覗いてきた。ちなみに今メアリはアディに背を向けて座っている。といっても喧嘩しているわけではなく、彼が髪を梳いてくれるというのでそれに甘えているのだ。

 二人でいるのに彼の姿を見られないのは惜しくもあるが、優しく髪を掬い、愛しそうに撫でられるのはなんとも言えぬ心地よさである。背後から聞こえてくる声は耳を擽り、時には髪を撫でていた手が頬に優しく触れる。

 ……まぁ、ことあるごとにドリル時代のことを話されるので、甘い空気に浸りきることもできないのだが。


「まさかお嬢の髪を梳いて三つ編みにできる日がくるなんて、ドリル時代には思いもしませんでした」

「そうねぇ、我ながら恐ろしいほど強固なロールだったものね」

「引っ張って手を離すとバネのように戻るんですよね。俺たまにあれやって遊んでました」

「知ってたわよ」

「……え?」


 ぴしゃりと言い切ったメアリの言葉に、銀糸の髪を梳いていたアディの手が止まる。


「たまに貴方が人の髪の伸縮で遊んでいたこと、知ってたわよ」

「そ、そんなまさか……」

「それどころか、ドリルの中に物が通るかってペンを入れて実験したことも気づいてたわよ」

「な、なんでそんなことまで……」

「あれだけ私の意志に反した強固なロールだったけど、核である私とは繋がっていたのよ。別パーツじゃないのよ」

「……じ、時効ですよね?」


 ね? と念を押すように窺ってくるアディに、メアリはふっと穏やかに微笑み……。


「時効なわけないでしょ!」


 と喚いた。


「時効です!ほら、ドリル時代のことは水に流して!」

「流せるわけないでしょ!そもそもドリル時代ってなによ!」


 キィキィとメアリが怒りのままに喚き、そうして「今日こそ解雇通知を叩きつけてあげる!」と怒鳴りつけた。もちろん、これも昔から続く流れなのは言うまでもなく、解雇云々ももう数え切れぬほど繰り返してきたやりとりなのだ。

 だからこそ互いにフゥと一息つき、メアリが「まったくもう」の一言で終いにした。


 そうして改めて「それでね」と話を改めて視線を手元の手紙に落とせば、アディもまたメアリの肩越しに顔を寄せて手紙を覗き込んでくる。その際に軽く頬にキスをしてくるのは彼なりの交渉であり、この甘さにメアリはぐぬぬと唸り、了承の意を込めて彼の頬にキスを返した。

 これにて時効成立である。――「時効にされてやるのは今回の件に関してだけなんだからね!」というのはメアリの心の中の訴え――


「それで、この手紙がどうかしました?」

「例の流通ルートの件よ。ようやく話し合いに応じてくれるって返事が来たの。渡り鳥丼屋にかける熱い想いを便箋十枚に綴ったかいがあったわね!」


 想いが通じたわ! と瞳を輝かせてメアリが手紙を握りしめる。

 便箋に綴った渡り鳥丼屋にかける想いと可能性、そして緻密に練ったオープンまでの計画と今後のビジョン……。きっとこの手紙の主はそれらを読み、そして胸を打たれ、話し合いに応じる気になったに違いない。

 だけど……と考え、メアリが小さく溜息をついた。


「お嬢?」

「少しだけ事情が書かれてたわ。以前にもこの道を使おうと思った業者がいて、領主が道を改築したんですって」

「それならどうして?」

「途中でもっと良い道があるとかで、工事も半ばで放り出されてしまったそうよ。後に残ったのは、中途半端で碌に使えない道だけ……」

「なるほど。そりゃ貴族嫌いにもなりますね。……でも、お嬢なら大丈夫ですよ」


 そう断言するアディの言葉に、メアリが「それって私が貴族の令嬢らしくないってことかしら」と冗談めいて睨み付ける。もっとも、口でこそ彼に反論しているが、胸の内は彼の「大丈夫」の一言が優しく溶け込んで安堵さえ抱き始めていた。


「貴方も話し合いの場に同席してくれるのよね?」

「まさか俺を置いていくつもりだったんですか?」


 分かり切っていることを尋ねれば、わざとらしくアディが返してくる。この応酬もまたメアリの胸に安堵を湧き上がらせる。

 アディが一緒なら大丈夫。きっと説得できるはず……。

 あぁ、なんて頼りになる夫なのかしら!と、思わず安堵に愛が加算される。


「当日は手土産を持っていきましょう」

「手土産って、渡り鳥丼ですか?」

「さすがに今回は無難にお菓子よ」


 ふんとメアリが拗ねたふりで返せば、アディが冗談だと笑う。

 そうしてメアリの銀の髪を掬い、次いで後ろからそっと腕を伸ばして抱きしめてきた。背後に触れる暖かさ、ぎゅっと強く抱きしめられればメアリの頬が赤くなり、手紙のことが一瞬にして思考から消え去ってしまう。

 考えられるのは背後に感じるアディの気配と、体をとらえるこの腕のことだけ。微睡むような心地よさが体中に満ちていき、それでいて胸は高鳴る。

 正面から抱きしめてほしいと思う反面、背後からこのまま包むように抱きしめていてほしいとも思う。なんて幸せな我が儘だろうか……。

 そんなことをメアリがうっとりと考えつつ、首筋にキスされるくすぐったさに僅かに身をよじった。


「だめよアディ、あとがついちゃうじゃない」

「髪を結わいて隠しますから、問題ありません」

「……まったくもう」


 言葉とは裏腹に心地よさそうにメアリが微笑み、背後に居るアディに体を預けるように身を寄せた。

 甘えるようなその仕草に気をよくしたか、アディの腕がさらに強くメアリを抱きしめ……そして片腕がひょいと伸び、メアリが来ているワンピースの胸元にかかった。

 首元のリボンがスルリと解かれ、次いで彼の指先がブラウスのボタンに掛かる。そのさり気無さにメアリが「あらあらまったく」と柔らかく笑み……、


「節度ぉ!」


 勢いよく振り返ると共に右ストレートを放った。

 毎度お馴染みとさえいえるこのやりとり……。だが今回に限ってはメアリの威勢のいい掛け声に続くのはアディの呻き声ではなく、メアリが息を呑む音だった。

 放った拳はアディの脇腹にめり込み……はせず、彼の手に止められている。そう、受け止められたのだ。先程までボタンを外さんとしていたアディの手が、今はメアリの拳をガッチリと掴んでいる。


「そ、そんなまさかっ……!」

「甘いですよお嬢。俺がいつまでもやられっぱなしだと思っ……!」


 思ってるんですか、と言いかけたアディの言葉が止まり、うぐっというくぐもった呻き声に変わる。

 そうして押さえたのは脇腹。先程メアリが拳を放った方とは逆。本来であれば何もないはずだが、そこにはメアリの拳が……左の拳がめりこまれていた。


「お、お嬢……まさか、サウスポー……」


 なんてこった……と呻くアディに、メアリが頬を赤くさせ「まったく!」と咎める。次いで手早く胸元のボタンとリボンを結びなおし、スカーフを見繕って首元に巻いた。

 そうしていまだ脇腹を押さえて床に膝をつく彼に近付くと、その背に「よいしょ」と腰かけた。


「ねぇ見てアディ『道が整備されていないので道中はお気を付けください』だって」

「……馭者に伝えておきますね」

「向こうが貴族嫌いなら、あまり華美過ぎない服装が良いわね。用意しておいてちょうだい」

「はい、かしこまりました」


 そう話しながら読み進め、読み終わった便箋をアディの目の前に差し出す。もたれかかられるどころか背に座られているアディはさしてそれには文句をつけず、目の前で揺れる便箋を受け取った。

 ここに第三者がいればいったい何事かと思うだろう。いや、この二人のことを知っている者が見れば、相変わらずだと小さく溜息をつくだけで終わるかもしれない。むしろ横目で一瞥するだけの可能性もある。


「きっと誠意をもって話せば理解してくれるわ」

「そうですかねぇ」


 背中越し……とは言えず、背中より幾分下、正確に言うのであれば腰あたりから聞こえてくる歯切れの悪い返事に、対してメアリがはっきりと「そうよ」と返した。

 今のアディはきっと少し呆れを抱いた表情をしているに違いない。彼の背に寄りかかり、肩に腰を下ろし、顔もまったく見えていないというのに、「まったくお嬢は」とでも言いだしそうな表情が容易に思い浮かべられる。


「きっと理解してくれるわ。だって世の中には、不遜な態度の従者を受け入れてくれる心優しい令嬢もいるんだもの」

「そうですね。世の中には、変わり者で突飛な行動ばっかとる令嬢を受け入れる器の大きい従者もいますもんね」


 そう互いに冗談めいて話し、互いにニンマリと笑う。

 次いでメアリがひょいとアディの背中から立ち上がった。身を屈め、いまだ背を向けて手紙を読んでいるアディにそっと顔を寄せる。

 先程のお返しよ、そう心の中で呟いて、彼の首筋に唇を寄せる。ちゅっとわざとらしく音をたてれば、横目に見えるアディの錆色の瞳がパチンと瞬いた。


「お、お嬢!?」

「さぁアディ、話し合いのために準備をしましょう!」


 パンッ! と手を叩いてさっさと話を改めてしまうメアリに、不意打ちをくらったアディが首筋を押さえて立ち上がる。

 その頬は赤く、それどころか耳までも髪色に負けじと真っ赤に染まっている。だがムグムグと何やら言い淀んだのちに「かしこまりました」と同意した。

 動揺を隠しきれぬその反応はメアリにとって満足のいくもので、思わずニンマリと口角が上がる。さぞやしてやったりと悪戯気な笑みを浮かべていることだろう、そんなことを思いつつ、アディにも一枚スカーフを渡してやった。もちろん、首筋の跡を隠すためだ。


「ねぇ、手土産は何が良いかしら?」

「あまり高価な物だと相手が気負ってしまいますから、市街地で見繕いますか」

「上手くいかせましょうね。絶対に分かり合えるわ!」


 瞳を輝かせながら意気込むメアリに、アディが首にスカーフを巻きながら頷いて返した。



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