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「あら」とメアリが声をあげたのは、廊下の向かいから見知った顔が歩いてきたからだ。
パトリックをはじめ、アリシアやパルフェット……と、それらはみな見舞いに来てくれた面々で、少し話があると数時間前に別れたばかりである。
どこに居たのかしら、と疑問に思いつつ、トップスピードで駆け寄って腰に抱き着いてきたアリシアを引きはがす。そうしてアリシアをパトリックに返却し、「メアリ様ぁ……」となぜか涙目で震えだすパルフェットをガイナスに押しやり、次いで顔ぶれを見まわし、「あら」と再び声をあげた。
もちろん、集団の後ろにリリアンヌの姿を見つけたからだ。
てっきり彼女は帰ったものだと思っていたが、どうやらまだ屋敷内に残っていたらしい。それどころかいつの間にかパトリック達に加わり、メアリと目が合うと深々と頭を下げてきた。
次いでメアリが視線を向けたのはカリーナとマーガレット。意味深なメアリの視線に気付いたか、彼女達もまた苦笑を漏らして肩を竦めて返してくる。その仕草と表情から、心の底から許せたわけではないが、共に同行する程度には怒りを収めたことが分かる。
その程度で十分だとメアリが小さく笑みを零し、次いでその笑みを悪戯気なものに変えるとガイナスへと視線を向けた。
「リリアンヌさんが居るってことは……誰かさんは大丈夫かしら? また色香に誘われて……なんて事になったらどうしましょう」
ニンマリと口角を上げたメアリが、わざとらしく名前を濁し誰にというわけでもなく話す。
これに慌てたのは言わずもがなガイナスだ。メアリの言わんとしていること、そして暗にぼかした『誰かさん』が自分であることを自覚し、そんなまさかと首を横に振る。
「メアリ嬢、俺はもうパルフェットだけを見て、彼女と添い遂げると決めました。もう二度とあんな真似はいたしません!」
「そうねぇ、でももしそんな事になったら……」
相変わらず悪戯気に笑ったまま、メアリが今度はカリーナへと視線をやった。
この流れで話を振られるとは思っていなかったのか、彼女はキョトンとした表情で「私が何か?」とメアリを見つめ返した。
「もしもガイナスさんがまた何かしでかしたら、カリーナさんに二泊三日で預けましょう」
「メアリ様、それはどういう意味でしょうか?」
「お嬢、それはやりすぎですよ」
「アディ様、それはフォローにはなっていませんよ?」
「メ、メアリ嬢……過去の俺の行いがあるとはいえ、そ、そんな恐ろしいことを仰らないでください……」
「ガイナス様、何が恐ろしいのかしら? 露骨に私から顔を背けないで、こっちを見て説明してください」
「ひぁぁ、お、恐ろしい……恐ろしいですぅ……!」
「パルフェットさん!」
とどめと言わんばかりに震えだすパルフェットに、カリーナが茶化さないでと訴える。
その必死な様子はなんとも彼女らしくなく、メアリが堪えきれないと笑いだした。
そうしてしばらくは雑談を続け、ふとメアリが面々を見まわし、
「そういえば、みんな今までどこに居たの?」
と誰にでもなく尋ねた。
そもそも彼等は見舞いに来てくれたのだ。その後「話がある」と揃って立ち上がったものだから、てっきり別の場所に移動したものだと思っていた。だが様子を見るに彼等は別れた以降もアルバート家に居たようで、その間に何をしていたのか疑問に思うのも仕方あるまい。
そんなメアリの質問に、いち早く反応したのがパトリックだ。
「まぁ、色々とな。そのうちわかるさ」
そう当たり障りのない言葉で返す。
今回の犯人を自分たちで捕まえようとしていることも、アルバート家跡継ぎの噂も、メアリの耳に入れない方がいいと考えてのことだ。周囲もそれを悟ったのかちょっとした雑談だと誤魔化し、メアリもさほど疑わずに頷いた。
そうして今度はパトリックが「そういえば」と呟き、リリアンヌとメアリを交互に見やる。
「彼女は北の方に住んでいるらしいな。わざわざこっちに呼ぶほどの用があったのか?」
不思議そうに尋ねてくるパトリックに、今度はメアリがコロコロと上品に笑って「そのうち分かるわ」と誤魔化した。
それを聞いたパトリックがピクと片眉を揺らしたのは、もちろんメアリのこのわざとらしい誤魔化しに気付いたからだ。だが自分達も先程の集まりのことを隠している以上むやみに言及するまいと考え、メアリの上品な笑いにこちらも微笑んで返す。
傍から見れば、麗しい男女が微笑みあうなんとも美しい光景ではないか。ここに何も知らない第三者が居れば、きっと見惚れて熱い吐息を漏らし、誤魔化しあいだ等とは思うまい。
そんな誤魔化しあいの最中、アリシアがアディに近付いて彼を見上げた。次いでパルフェットも続き、おずおずとアディを見上げる。
「アディさん、大丈夫ですか?」
「平気だよ。特に痛くもないし、腫れてもない」
「でも不便そうです。片目ではさぞや生活もお辛いでしょう。それを想うと、私っ……!」
「大丈夫ですから、俺を想って泣かないでください!」
ふるふると震えだすパルフェットをアディが慌てて宥めれば、アリシアが「そうだ!」と声をあげ、次いでスカートのポケットを探った。
「アディさんが早く元気になるよう、飴をあげましょう!」
「はい、どうも」
「わ、私も……嫌いじゃなければ、チョコレートを……!」
「ありがとうございます。というか、仮にも一国の王女と貴族の令嬢なんだから、おやつをポケットに常備しないでください。そういうのは俺の仕事です!」
断言し、アディがそっと上着のポケットを探る。
そこから取り出したのは……砂糖菓子だ。綺麗で可愛らしい包み紙に覆われたそれは随分と華やかで、外観だけで美味しいとわかる。
思わずアリシアとパルフェットが瞳を輝かせ、アディがそんな二人の反応が楽しいと言いたげにクツクツと笑いながら砂糖菓子を配りだした。
そうして片や優雅に探りを入れあい、片やキャッキャと砂糖菓子を堪能する。外野もこの随分な温度差に肩を竦め、賑やかな光景を眺め時には混ざったりと過ごしていた。
だがそんなやりとりも数刻過ぎれば徐々に一人また一人と減っていく。
用事があるからと深く頭を下げてリリアンヌが場を離れ、カリーナとマーガレットも暗くなる前にとアルバート家を去る。「メアリ様ぁ、また来ますから……」とメアリと離れる寂しさで震えだすのは言わずもがなパルフェットで、その肩を擦りながら馬車に乗るよう促すのはガイナス。
最後にパトリックが見舞い代わりにアディの肩をポンと叩き去っていけば、それらを見届けてメアリがふぅと一息ついた。
なんとも騒々しいやりとりではないか。あっちこっちで話をして、時に加わり時に離れ……。社交界一の名家アルバート家の屋敷とは思えない賑やかさだ。
そもそも、どこの部屋にも入らず立ち話なんて、社交界に身を置く者の談笑には似つかわしくない。身分のある者なら、相応に整った場所で紅茶を片手に優雅に談笑すべきなのだ。
だけど、これこそが友人と過ごすというものなのだろう。
恋と同様、友情に関しても遅咲きのメアリはふとそんなことを考え、思わず小さく笑みを零した。騒々しい時間だったが、なんとも楽しい時間だった。思い出すだけで胸が弾む。
だがはたと我に返って隣を見れば、随分と穏やかな表情でアディが見つめているではないか。胸の内を見透かされているようで、その気恥ずかしさにメアリがふいとそっぽを向いた。
だがそれもまたアディにとっては愛でる要素なのだろう。錆色の瞳を柔らかく細め、そっと肩を撫でてくる。
先程までの賑やかさはどこへやら、あっというまに夫婦の空気だ。
「騒いでいたら喉が渇いたわ。夕食まで庭園でお茶にしましょう」
「えぇ、そうですね。今手配いたします」
「メアリ様の紅茶は私がお淹れしますね」
「アディ、私紅茶を淹れるのが上手くなったと思わない? たまに零しちゃうけど、前みたいにソーサーいっぱいまでは注がないわ」
「そうですね。ですがソーサーいっぱいだろうが何だろうが、お嬢が淹れてくれた紅茶が俺にとって世界で……ん?」
「私も上手になったんですよ、アディさんにも淹れてあげますね!」
「「……ん?」」
おや? とメアリとアディが顔を見合わせる。
何か自分達の会話に混ざっていたような……と、そう考えつつ、二人で揃えたように声のした方へと向く。そこに居たのはもちろんアリシアだ。
彼女はさも平然と「さぁ行きましょう」と先導し、メアリとアディの視線が自分に向けられていることに気付くと太陽のような笑顔を浮かべた。それはそれはもう、にっこりと音が付きそうなほどの輝かしい笑顔である。
それを見たアディがそっと耳を塞ぎ、メアリがスゥと息を吸い込み……、
「なんで当然のように残ってるのよ! 空気を読んで帰りなさいよ!」
と声を荒らげたのは言うまでもない。
そして、そんな怒声が上がって数時間後「悪かった回収し忘れた」とパトリックがアリシアを迎えに来たのもまた言うまでもなく、そしてアルバート家では頻繁に見られる光景であった。