短編7
それはまだ、メアリの縦ロールがドリドリと強固なロールを描いていた時のこと。
極平凡な茶会でありながらさり気無くパトリックと隣りあうように座らされ、同席する者達に「お似合い」だの「麗しい」だのと持て囃される、メアリにとって退屈でしかない時間。
それでもアルバート家の令嬢として「あら嫌だわそんな」等と言って愛想笑いをしなければならないのだ。うんざりだと心の中で溜息をつきつつ、被った猫の尻尾を揺らす。
こんなに天気が良くて気持ちの良い風が吹いているのに、なんでおべっか合戦なんて聞かなくちゃいけないのかしら。こういう日は散歩して外でコロッケを食べるべきなのよ。
と、そうは思えど言葉にも態度に出せるわけがない。ならばせめてとメアリが脳内で一人しりとり大会を開催させていると、ふと何かが動くのが視界の隅に映り込んだ。
何かしら、と周囲を窺う。
だが別段変わった様子もなく、周囲は相変わらずおべっか合戦の真っ只中。アルバート家とダイス家夫人が揃った今こそアピールの機会だと皆必死である。
時にアルバート家夫人が「紅茶が美味しい」と言えば皆が同意しさすが味のわかる御方だと盛り上がり、ダイス家夫人が「あの花が綺麗」と見惚れれば我先にと一輪差し出し麗しい自然の美しさが映えると持ち上げる。そうして母親達の視線の先を追う令嬢子息に「お似合いだ」と賛辞を送るのだ。
これといっておかしなことはない退屈な光景。でもいま一瞬、何かが飛んできたような……とても近く、肩のあたりに……。
いったい何だとメアリが肩口のそれを覗きこみ、中に収まる春の訪れに目を丸くさせた。
そうしてしばらく、相変わらずおべっかが飛びかう茶会でメアリがパトリックの名を呼んだ。
誰にも聞かれないようにコッソリと。丁度良いことに周囲は今アルバート家夫人へのご機嫌取りタイムなのでこちらに気付く者はいない。それでも隣に座る彼はメアリの呼ぶ声に気づき――平然と構え時折は話題に合わせて相槌をうったり笑みを浮かべているが彼もやはり退屈なのだろう――視線を向けてきた。
「どうした、メアリ」
「パトリック、私のドリルを覗いてご覧なさい」
そう告げられパトリックの頭上に疑問符が浮かぶ。
だがそれも仕方ないだろう。なにせ茶会の最中に『ドリルを覗いてご覧なさい』なのだ。
といっても、もちろんドリルが分からないわけではない。それがメアリの縦ロールであることは日頃の彼女とアディのやりとりで知っている。――知った上でアディを咎めも止めもしないのは、口にこそしないがパトリックも心の中でメアリの髪型をドリルと呼んでいるからだ――
だが覗いてみろとはどういうことか。そもそもメアリはドリルを何本も所有しており、そのどれを覗けばいいのかも分からない。そうパトリックが視線で訴えれば、察したメアリがチラと己の肩口を見た。
「前面右ドリルよ」
「前面右……あ、これか」
どうやら彼女の顔のサイドに構える縦ロールの右側らしい。
ならばとパトリックが覗き込み……「ぐっ」とくぐもった声をあげた。
銀糸の髪で巻かれた強固な縦ロールの奥深く、ちょこんと姿を見せるのは小さく赤い……テントウムシ。
たまたま飛んできたに過ぎず、髪にテントウムシがとまるなど春先のこの季節であれば普通に起こることだ。
だが入り込んだそこがドリルなだけにまるで吸い込まれたかのような印象を与える。というより、モゾモゾと動くさまがいかにもドリルに取り込まれて脱出しようともがいているようではないか。蟻地獄ならぬドリル地獄。
「メ、メアリこれは……」
「巻き込み事故よ」
「むぐっ…」
笑いかけたのだろうパトリックが再びくぐもった声をあげ、次いで盛大に咳き込みだした。
もちろんそれはたんに笑いを堪えたからであり、それでもメアリはしれっと彼の背を撫でながら「大丈夫?」なんて言ってみる。
もちろん、未だテントウムシはドリルの中だ。銀糸の渦に囚われて抜け出せずにいる。
「メアリ、なぜそれを俺に知らせた……」
「さっきアディにも教えたわ」
「なるほど、どうりで変なタイミングでケーキの追加をとりに行ったわけだ。逃げたな」
アディの逃げた先を眺め、そして今頃従業員用食堂あたりで笑い転げているであろう姿を想像してパトリックが恨めしげに呟く。
適当な理由をつければ逃げられる従者のアディと違いパトリックはダイス家嫡男として茶会の席を不用意に立つことが出来ず、とりわけ話題がダイス家当主へと移った今、自分達に無関係のそれこそ聞き飽きたような話でも聞いていなければ――聞いているふりをしなければ――ならないのだ。
だからこそメアリのドリルとその中に囚われているテントウムシから意識と視線を逸らすべくそっぽを向く。もっとも、パトリックのそんな考えをメアリが分からないわけがなく、都度、
「いま八合目よ」
だの
「落ちたわ」
だのと実況してくる。
そのたびにパトリックはフルフルと震えながら、代わりにメイドを寄越したアディを羨んだ。
そんな中、メアリが「あら」と小さく声をあげた。
次いでまたも小声でパトリックの名を呼ぶ。幸いなことにこの二人のやりとりを誰も気付かずにいたが、まぁ気付いたところで『仲睦まじい美男美女が談笑している』とでも取ったことだろう。こうやって周囲の話を聞いていなくても『話が盛り上がって二人の世界』と良いように取ってくれるのだから退屈ではあるが便利なものだ。
しかしいったいどうして、片や巻き込み事故の実況と片や笑いを堪えて肩を震わせていると思えるのか。それほどまでに傍目から見れば二人はお似合いなのだ。
「ねぇパトリック、私の前面左ドリルを覗いてご覧なさい」
「もう勘弁してくれ……」
と、そんなパトリック・ダイスらしからぬ弱音を吐きつつ、それでもどれと身を乗り出してメアリの左側の縦ロールを覗き込む。
そこにいるのは、小さく赤い……テントウムシ。
「悲劇、再び」
「うぐぅ……」
慌ててパトリックが口を押さえる。
そうしてゲホンゲホンと咳込み、それだけでは足らないと胸元から質の良いハンカチを取り出すと口元を覆った。さすがにこれには周囲が心配そうに窺ってくるが、片手をあげて「失礼」と平静を取り繕って返すあたり流石はパトリック・ダイスである。
「メアリ、君はテントウムシを呼び寄せるフェロモンでも放ってるのか」
「失礼ね、アルバート家の令嬢がそんなもの放つわけがないじゃない。テントウムシも人間も同じってことよ」
そう応えてメアリが茶会の席を見回した。
アルバート家夫人の服装を褒めるもの、さすがだと庭園を眺めつつご機嫌取りをするもの、ダイス家夫人の装いが春らしく華やかだとかご子息は優れていて将来安泰だのとおべっかが飛びかう。
誰もが皆アルバート家とダイス家の名前を前に必死なのだ。
そんな光景を眺めつつ、メアリがうんざりだと言いたげに、
「テントウムシも人間も、長い物には巻かれろってことよ」
と告げれば、その瞬間左右のドリルからテントウムシがふわりと飛び立ち、我慢の限界に達したパトリックが立ち上がるやアディの後を追うように走りだした。
「こんなところに紙コップ。お嬢、何か飲んでたんですか?言って頂ければ紅茶を用意しましたのに」
「あ、駄目よアディ。それ片しちゃ駄目」
「……?なんでですか、いま用意しますよ」
「それ糸電話なの」
「糸電話」
「糸電話よ」
「……いったい誰とですか?」
「パルフェットさんよ」
「へぇ、パルフェット様……隣国!!」
――――――――……….. .
「おぉ、遥か彼方まで糸が伸びている……このとんでも玩具箱世界であえて言わせてもらいます『そんな馬鹿な』」
「……あら、パルフェットさんが何かお話したいみたい。アディ、その糸電話を構えてあげて」
「糸電話なしでも会話できてるじゃないですか」
「受信は出来ても送信が出来ないの。ほら早く、待たせると泣くわよ」
「待たせなくても泣いてるような……まぁ良いか。もしもし、パルフェット様ですか?」
『(´;ω;)ごきげんようアディ様』
「(やっぱり泣いてる)お久しぶりです。それで、今回はどういったご用件ですか?続巻の発売が決まりましたか?」
『(((´;ω;)))先手をー!先手を打たないでくださーい!』
「そういうわけで『アルバート家の令嬢は没落をご所望です2』が8/1に発売よ」
「ですね。それじゃ糸電話はここにしまっておきますね。……ん?」
―(´;ω;)詳しくは2015/6/26の活動報告をご覧くださぁい―
「またも脳内に直接!」
「あらパルフェットさんってば、伝え忘れたみたいね」
「やっぱ要りませんよ、糸電話」