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5―4


 パトリック・ダイスは優れた男だ。

 程よく鍛えられたしなやかな身体つきに長い手足、切れ長の瞳に藍色の髪と、まさに女性の理想を具現化したような男である。文武両道で家柄も良く、非の打ち所がない。『王子様』と陰で呼ばれるのも納得である。

 その人気は学園内に留まらず、女ならばその階級に限らず誰でも一度は彼と自分の恋物語を思い描くだろう。

 メアリも同様にパトリックを恰好いいと思っていた。読む物語に王子が出ると、決まって彼を思い浮かべていたほどだ。

 だがどういうわけか、物語の中でパトリック王子と結ばれるのはメアリではない。どんなに熱中して読みふけった物語の、心の底から焦がれた王子だとしても、思い描く光景の中でパトリックの隣に立つのは自分ではない誰か(・・)だった。

 それは大きくなっても変わることなく、同年代の女子がこぞって彼に想いを寄せるのを眺めつつ、至極平然とパトリックと接していた。


 現に今だって、誰もが焦がれるパトリックと踊っているというのに、メアリの胸中はいたって平穏。高鳴りもしなければ幸福感に包まれることもない。

 かといって嫌悪感が抱くわけでもなく、只々冷静に彼の動きに合わせるだけだ。

 それどころか、この状況においても思考は別のところにある。


「私はどこかおかしいのかしら」

「どうした? さっきから様子がおかしいな」

「いいえ、なんでもないわ……貴方こそ、さっきからチラチラと外野を見てるわね。この私を相手にしながら、いったいどこの誰を探しているのかしら」

「そ、それは……君には関係ないだろ」

「そうね、ならお互い様だわ」


 ニッコリと微笑んで、メアリがパトリックを見上げる。

 目の前の王子様は爽やかで誰もが見惚れるのも納得の麗しい見目をしている。だというのにメアリの胸が高まる気配はない。他所を向いていても、嫉妬も何も起こらないのだ。

 どうしてかしら……とメアリが小さく溜息をつくと、今まで流れていた音楽がゆっくりと静まっていった。

 一曲の終わり。

 となれば当然、パトリックは軽く頭を下げ、メアリはスカートの裾を摘み上げて僅かに身を沈め、心ここにあらずなダンスを称えあった。




 それが終わるやメアリがそそくさとパトリックの前から逃げだしたのは、勿論彼の次のダンスの相手になろうと令嬢たちが熱い視線を送ってくるからだ。

 嫉妬の視線など気にも留めないメアリではあるが、流石に身の保全を考えれば逃げるのが得策である。下手に留まって二曲目に誘われでもしたら、いよいよをもって嫉妬の炎で焼き殺されかねない。

 だからこそ、足早に外野の中へと逃げ込めば、それすらも分かっていたのであろうアディが苦笑を浮かべながら待ち構えていた。


「流石です、完璧でしたよ」

「それはダンスがかしら? それとも逃げぶりが?」

「両方ともです」


 クツクツと笑みを噛み殺すアディに、メアリが苦笑で返し、グッと背を伸ばした。


「それじゃ、お客様のおもてなしでもしてこようかしら」

「いってらっしゃいませ」

「貴方はあの子(アリシア)の所に行ってあげて、知り合いが居ないと不安でしょうし」

「はい、かしこまりました」


 周りの目を気にしているのか、まるで出来の良い従者のようにわざとらしく頭を下げるアディに、メアリが小さく笑い、人混みへと向かっていく。

 横目でチラとパトリックを伺えば、知り合いらしき男に娘を押し付けられているのが見えた。



 そうしてしばらくはメアリも来客のもてなしに徹していた。

 アルバート家の令嬢として挨拶しなければならい人物は多く、ダンスに誘われば応じないわけにはいかない。

 なにより今日は父親の祝賀会なのだ。わざわざ足を運んでくれた人をないがしろにするのはアルバート家の娘として頂けない。

 だからこそ、あちこちで愛想を振りまき、被っていた猫がそろそろ逃げ出しかねないと思い始めていたころ、グイと腕を掴まれた。


「お嬢……じゃなくてメアリ様、ここに居られましたか」

「アディ、どうしたの?」


 人混みの中から顔を出したのはアディだ。

 いったいどうしたのかと問えば、彼はそのまま「こっちに来てください」と腕を引っ張って歩き始めた。



 言われるままにアディの後を追えば、辿り着いたのは屋敷の外、庭園。

 薄明りの外灯で照らされたそこに人の姿は少なく、屋敷からの音楽が風にのって聞こえてくる。

 そんな庭園の中央、月の光を浴びながら踊っているのはパトリックとアリシアだ。

 まるで二人だけの世界といったその光景に、見覚えのある(・・・・・・)メアリは呆然としていた。


「お嬢とパトリック様を見てたら、アリシアちゃんも踊ってみたくなったらしいんです。でも俺も教えられるほどじゃないし、そうしたらパトリック様が来てくださって」

「それで、私も?」

「せっかくだからお嬢に指導してもらった方が上手くなるでしょ」


 アディの説明を聞いていると、こちらに気付いたのか二人が足を止めた。

 アリシアが呼ぶように片手を上げる。

 月の光を受けて金の髪を輝かせ笑う彼女の姿は美しく、正体云々を抜きにしてもまるで物語に出てくる麗しの姫君のようだ。

 だがそれを素直に言ってやる気にもならず、メアリが開口一番

「もっと背を正しなさい!」

 と叱咤の声を飛ばした。それを受けたアリシアが慌てて背筋をただし

「はい!」

 と声をあげる。


「令嬢なんてものは威張った者勝ちよ! 背筋を正して胸を張って堂々とすれば、次の夜会では型落ちドレスが溢れてるわ!」


 そう言い切るメアリに、アリシアが再び「はい!」と答える。

 おおよそ貴族の夜会とは思えないやりとりに、男二人が苦笑をもらした。


 そうして再びパトリックと――先程より幾分胸を張った――アリシアが聞こえてくる音楽に合わせてゆっくりと足を動かすと、メアリが満足そうに一息ついた。

 目の前には月の光を受けて踊る男女。貴族の礼装に身を包んだパトリックと、美しく着飾ったアリシア。片方が初心者故ぎこちないダンスではあるが、幾度か飛んでくるメアリの叱咤によって幾分はマシになっている。

 そんな夢物語のような光景を眺めながら、メアリは思考を巡らすように瞳を細めた。


 ……この光景を見たことがある。

 いや、目の前の光景を一瞬切り取ったような一枚絵(スチル)を見たことがある。と言った方が正しいか。


 そう、今メアリの視線の先で踊る二人こそ、『ドラ学』で起こるイベントスチルそのものなのだ。

 もちろんゲーム上ではそこにメアリとアディが居たという描写は無かった。ストーリー的にもいるとは思えないが、それでも今この状況はあのイベントと考えて間違いないだろう。

 となると……とメアリが考えを巡らせた。


『ドラ学』において、この夜会のイベント自体はストーリーを進めていけば必ず起こる。いわゆる強制イベントというものだ。

 だが一枚絵(スチル)を出すには条件が有り、それを満たしていないと立ち絵と会話だけで終わってしまう。


 一枚絵(スチル)を出す条件……それは、イベントが起こる時点で既に特定キャラクターのルートに入っていること。


 パトリックの場合、いくら好感度が高くてもルートに入っていないとドレスを褒められるだけで終わってしまう。逆に言えば、彼とこうやって踊れるのはアリシアがパトリックのルートに入った証だ。

 そう隣に立つアディに説明すれば、彼は「そうですか!」と表情を明るくさせた。

 そのあまりの喜びように、思わずメアリが目を丸くしてしまう。


「なにその喜びよう、どうしたの?」

「いやぁ、パトリック様は優れた方ですから、アリシアちゃんみたいに優しく支えてくれる女の子がお似合いだと思っていたんですよ!」

「そ、そうなの……まぁ確かにお似合いだけど」

「ですよね! お似合いですよね! むしろパトリック様にはアリシアちゃん以外に考えられないですよね!」


 断言するアディに、圧倒されたメアリがコクコクと頷いて返した。

 いったいどうして自分の従者が他人の恋愛事をここまで押してくるのか、さっぱり見当がつかないのだ。

 だがメアリもまたパトリックとアリシアがお似合いだと思っていた。パトリックは貴族らしい思考の持ち主ではあるが、その反面、他者を尊重し意見を取り入れることもできる男だ。

 今は周囲に貴族しかいないからガチガチの堅苦しい思考回路をしているが、素朴なアリシアと付き合っていけば彼も変わるはず。

 ――その変化は貴族であるダイス家にとって良いものかどうか定かではないが、結局のところアリシアは王女なのだからダイス家の安泰に繋がる――


「そうね、確かにあの二人はお似合いよ。このままいけば、きっと結ばれることでしょう。でも……」


 言いかけ、メアリがゆっくりと立ち上がる。

 不穏な言い回しに気付いたアディが彼女を見上げ「でも、なんですか?」と率直に聞いた。



 アリシアとパトリックは惹かれあっている。

 月夜の下で踊る二人の楽しそうな表情を見るに間違いないだろう。

 だからこそ、メアリは思う所があった。この世界が乙女ゲームのストーリーのままに進むのであれば……。



「その前に、私とパトリックは婚約させられるわ」



 そう呟いたメアリの言葉は、風に乗って聞こえてくる音楽の盛り上がりに掻き消された。



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