短編5
メアリが産まれる前まで、アディはアルバート家の二人の子息に仕える予定だった。
アルバート家に仕える家系なのだから当然といえば当然で、物心ついた時には既に父や兄のようになろうと意識するほどである。
だがアルバート家の二人の子息はアディより二つ歳が離れていた。そのうえ、彼等の隣には既に自分の兄の姿。三人共幼いながらに才知の片鱗を見せ始め、二人の子息に至っては既に周りが「将来安泰だ」と微笑ましく将来の姿に思いを馳せ敬意を表すほどである。
これをコンプレックスに思うなという方が無理な話。とりわけ、ようやく片手の年齢に達しようとしているアディの目には、七歳の兄達は立派な大人のようにうつっていた。
文字も書けるようになった、本だって同い年の子達より難しい本を読んで理解も出来る。
それでも二歳の差は子供のアディにとっては絶望的で、三人の会話についていけず、教えを請うたびに焦りを感じていた。彼等の手を煩わせてしまう、とまで思っていたのだ。
そんなジレンマに周囲の誰もが「大人になれば二歳の差なんて」と笑うが、幼いアディにとって『大人』なんて遠すぎる未来の話でしかない。
そのもどかしさは焦りに変わり、悲観へと繋がる。
このままいつまでも兄達に追いつけないのでは無いか、自分はずっと彼等のお荷物でしかないのではないか。
「僕、そのうち要らないって言われちゃうんじゃないかな……」
というのが当時のアディの口癖だった。
――ちなみに、これを今のアディに告げると真っ赤になって悲鳴をあげて逃げだすのだが、それがまた周囲の冷やかしの種になるのは言うまでもない――
とにかく、他の者が聞けば何を馬鹿なと笑ってしまいそうな話だが、それほどまでに幼いアディは悩み胸を痛めていたのだ。
そんな中、改まった様子のキャレルに「話があるの」と声をかけられ、アディがいよいよかと表情を青ざめさせた。
頑張ったつもりだった、本もたくさん読んだ、いつか父のようにアルバート家に仕えるために、兄のようにアルバート家の子息と並ぶために、出来得る限りのことをして頑張ったつもりだった。
それでもダメだったのかと思えばアディの視界がジンワリと揺らぐが、日々兄達との差を見せつけられているだけあってか、心のどこかで諦めに似たものも湧き上がる。
別の仕事を言い渡されるのだろうか、それとも他所の家にやられるのだろうか……と、そんな考えさえ浮かぶ。
――ちなみに、この件についてアディに言及すると「本気でそう思ってたんですよ!」と自棄になった返答が返ってくる――
そんなアディに対してキャレルは柔らかく微笑むと、細くしなやかな指で彼の錆色の髪を優しく撫でた。
「アディ、あなたにお願いがあるの」
「はい」
「三人に追いつくように貴方が頑張っているのは知ってるわ。でも、これからは別の仕事をしてほしいの」
「……はい」
やっぱり、とアディが心の中で呟く。
必死に追いすがったつもりだったが、やはり駄目だったのだ。アルバート家に仕えるレベルに達することができなかった。
まだ五つになったばかりのアディは『不甲斐ない』等という言い回しこそ知らなかったが、それでも背負うには重すぎる感覚が胸を締めつける。
そんなアディに対して、キャレルは柔らかく微笑むと彼の錆色の髪を掬い、涙を溜め始める目尻を指で擽るように撫でた。
「アディ、これからはこの子のために生きてちょうだい」
そう告げるキャレルの優しげな声に、アディが顔を上げるのも辛いと頷くふりをして俯いた。
「この子」ということは別の家の子息令嬢だろうか。アルバート家は歴史のある家だ、家系図はそれこそ一枚の紙面では収まらない程に壮大で、同年代の親戚はたくさんいる。
そこの子供に仕えるのか……と、そんなことをアディが考え、それでも一向に現れる気配のない「この子」にそっと顔を上げた。
キャレルが微笑んでいる。彼女の隣にも背後にも誰もいない。ただそっと左手を腹部に当てて、我が子を見守るような穏やかな笑みを浮かべている。
……手を、腹部に当てて。
それを見て取った瞬間、アディが錆色の瞳をパチンと瞬かせた。
奥方様は最近、ゆったりとした服ばかり選んでいなかったか?
旦那様はやたらと奥方様の体を気遣い、クッションだ膝掛けだと騒いでいなかったか?
駐在の医者とは別の見慣れぬ医者が屋敷を出入りして、それでも奥方様や旦那様は嬉しそうにしていなかったか……?
そういえば、メイドの一人が見慣れぬ医者の出入りを案じて「どうなさいました?」と尋ねたところ、奥方様が嬉しそうに笑って「大丈夫よ、そのうち教えてあげる」と返してきたと、そう言っていなかったか……。
それらを考えれば、そうして腹部周りがゆったりとした作りになっている服を纏って笑うキャレルを見れば、アディの中で一つの考えが浮かび……。
「おめでとうございます!」
と、声をあげて頭を下げた。
それからのアディの生活は目まぐるしいものだった。
元より励んでいたアルバート家の子息に仕える為の勉強はもちろん変わらず努めていたが、キャレルが出産のために避暑地に移りそこで生まれたのが令嬢だとわかると、学ぶべきことの方向性も変わってくる。
なにせアルバート家の令嬢に仕えるのだ。彼女が立派な淑女に育つようサポートすることがアディの仕事であり、そのためには貴族界の令嬢の立ち振る舞いやマナーを熟知しなければならない。
紅茶の淹れ方はもちろん、茶会の開き方や持て成し方。ドレスの選び方や、花を贈る際に困らぬようにと花言葉も覚えた。
本人だけが気付けずにいたが、元よりアディはアルバート家に仕えるにあたり十分な才知を持っていた。そのうえ「仕えるべき存在」を明確に胸に刻んだのだから、その吸収具合は周囲が目を見張るものであった。
そんなアディの生活の変化から約一年、子育てのため避暑地で生活していたキャレルが屋敷に戻る日のこと。もちろん、彼女は令嬢を連れて帰ってくる。
その日は屋敷中が朝から落ちつきなく彼女達の到着を心待ちにし、メアリの兄に当たる二人の子息に至っては玄関と自室を何度も往復していた。アディもまた同様に、それどころか屋敷の中で誰よりも落ち着きを失い、流石アルバート家と言える広さの玄関をグルグルと犬のように回っては通りかかる者達に冷静さを取り戻させていた。
――勤続年数が長く、当時を知る者達は語る。「あの姿を見れば誰でも我に返る」と――
そうして、ゆっくりと馬車が停まる音がする。
耐えきれなくなったアディが玄関から外へと飛び出せば、そこにはアルバート家らしい質の良い馬車が一台。開かれた扉からはキャレルに仕えているメイドが姿を現し、足場を用意すると促すように馬車の中へと手をさしのべた。
それに支えられながら出てくるのはもちろんキャレル。彼女の姿を見て、待っていた夫や子供達が駆け寄っていく。
待ちわびすぎたからか、アディが屋敷から飛び出たもののどうすれば良いのかわからず呆然とすれば、ふと顔を上げたキャレルと目があった。柔らかな瞳が嬉しそうに微笑む、そうして腕に抱いたものをゆっくりと揺らしながらこちらへと歩み寄ってきた。
「アディ、久しぶりね」
「お、おかえりなさいませ奥方様」
「貴方も随分と大きくなって……あら、メアリが起きたわ。さっきまで寝てたのに、アディの声に気付いたのかしら」
キャレルの腕に抱き抱えられたタオルの山がモゾモゾと動き、ふにゃ、ふにゃ、と不思議な声が聞こえてくる。
その声にキャレルが柔らかく笑い、主従の初対面のためにとゆっくりとしゃがみこんだ。
「ほらメアリ、アディよ」
と、そう告げてキャレルが腕の中の赤ん坊を軽く揺らす。
アディが恐る恐る覗き込めば、大きな瞳の愛らしい赤ん坊と目があった。幼いながらに目鼻立ちのはっきりとした端正な顔つき、パチパチと瞬きするたびに揺れる長いまつげ。伸びたばかりの柔らかな銀の髪はまるで絵画に描かれる天使のようにクルクルと巻いており、しばらくアディを見つめると「きゃっ」と子供特有の高い声を上げて笑った。
「まぁメアリ、アディのことが好きなのね」
よかった、と微笑みながらキャレルがアディへと向き直る。
錆色の瞳はキラキラと輝いており、はじめてみる令嬢、そして生涯仕える相手との対面に興奮が隠しきれず頬が上気している。
そうしてアディはゆっくりとメアリを見つめ、恭しく、そしてアルバート家に仕える者らしく頭を下げた。幼い少年のその行動は僅かにぎこちなさが残るが、それでも従者らしい。
「は、はじめまして、僕の……」
そこまで言い掛け、アディがムグと言葉を呑み込んだ。
僕、なんて子供らしい言葉は止めなければ。自分はこの愛らしい御令嬢を守り抜くのだ。二歳の年の差に挫けるような弱さを捨てて、強くならなくては……。
と、そう考えてアディが再びキャレルの腕の中のメアリに視線を向けた。親譲りの美しい色合いの瞳がジッと何かを期待するかのように見つめてくる。その瞳に応えるよう、アディがゆっくりと口を開いた。
「はじめまして、俺のお嬢様!」
「そういうことがあってね、本当にその時のアディは可愛かったわ」
そう微笑みながら当時を語るキャレルに、話を聞いていたアリシアが「素敵です」とうっとりとした瞳で応えた。彼女の隣に座るメアリは言葉こそ返しはしないが、ニマニマと口元が緩んでいるあたりこの話にご満悦なのは言うまでもない。
対してメアリの隣にいるアディはご満悦とは言い難く、それどころか両手で顔を覆っていた。チラと見える耳が彼の褐色の髪に負けぬほど赤く染まっているのは、言わずもがなこの話が恥ずかしく、それでいて話し手が話し手なだけに逃げ出すわけにもいかないからだ。おまけに所々でキャレルが話をふってくるのだから、むげにもできず当時の心境を語らざるをえない。
そんなアディの肩を叩いてやるのは勿論パトリック。この場において唯一と言える彼の理解者とも言える。
「その後は本当に面白かったわ。息子達は小さな女の子の扱いなんて分からないから、メアリを喜ばせようとしていっつも泣かせてばかりで」
いかに優れた貴族の子息と言えど本質は只の幼い少年、同い年の令嬢との接し方ならばまだしもヨチヨチと歩く妹の扱いなど分かるわけがない。
池で捕まえた蛙を見せては泣かれて、プレゼントに虫を差し出しては泣かれて。立派な馬を見せては泣かれて、少年ならば胸躍らせる戦記を読み聞かせては泣かれて……。
そうして約一年奮闘したのち、彼等は「これは未知の生き物だ」と察してアディを頼りだした。兄達の気持ちなど露知らず、幼いメアリはアディの後をついて回っていたのだ。
「蛙や虫なんて喜びませんよ。女の子なんですから、リボンやお花をあげなくちゃ」
と。そうしてアディが蛙を池に戻して近くに咲いていた一輪の花を差し出せば、火がついていたように泣いていたメアリの涙が止まる。
グズグズと洟をすすりながらアディの手から花を受け取り、その際に解けかけていたリボンを綺麗に結び直してやれば涙の跡の残る瞳が嬉しそうに細まるのだ。
メアリは女の子だ。蛙や虫よりもリボンや花を愛で、雄々しく精悍な馬よりも猫や兎といった小動物に触れたがる。戦記なんてもってのほか、お姫様と王子様が結ばれるキラキラした話を好み、華やかなドレスを「お姫様みたいですね」と誉めればキャッキャと喜ぶのだ。
「アディが三人に教えてて、まるで逆転したみたいだったのよ。特にメアリの誕生日なんてね……」
思い出しているのだろう、キャレルが小さく笑う。それを聞いたメアリがニマニマと頬を緩めながら隣に座るアディを肘で小突くのは、もちろんこの話が嬉しいからだ。メアリの物心つく前、記憶にすら無いときから彼は誰より自分を理解して大事にしてくれていたのだから、これを喜ばない女はいない。
対して肘で小突かれるアディは気が気ではなく、誤魔化すためか白々しく「お淹れします」とパトリックのティーカップに手を伸ばした。
もちろん顔は真っ赤で手が盛大に震えているのだが、カップを持つ手もティーポットを持つ手も震えており絶妙なバランスで紅茶を零さないあたり流石はアルバート家に仕える家系である。
そんなアディの態度もまた愛しいと言いたげにメアリが微笑み、悪戯気に彼の顔を覗き込んだ。
「究極の一目惚れね」
嬉しそうなメアリの言葉に、限界まで赤くなったアディがコホンと咳払いをした。そうして「一目惚れなんかじゃありませんよ」と告げる。
「貴女が奥方様のお腹にいる時から、俺にとって世界で一番大事な方だったんですから」
一目見る前です。と、そうハッキリと告げるアディの言葉にメアリがポッと頬を赤くさせる。
アリシアとキャレルが嬉しそうに顔を見合わせ、この場の空気に流されきれないパトリックは渋めに淹れてもらった紅茶をグイと飲み干した。
「アディ、パルフェットさんが来てるわ」
「パルフェット様が? なにか約束でもされてたんですか?」
「いいえ、してないわ。でも来てるはずよ」
「……?」
「ほら、待たせたら更に泣くからさっさと玄関へ迎えに行くわよ」
「(´;ω;)…」
「わぁ、居る」
「パルフェットさん、ごきげんよう」
「(´;ω;)!!」
「なるほど、それでわざわざ来てくれたのね」
「(´;ω;)――――! ――!」
「えぇ、本当に有難い話よね。貴女の言うとおりだわ」
「(´;∀;)――!――!」
「(パルフェット様が全く声を発していない…なぜ会話が成り立つんだ……)」
「((´;ω;))――!!」
「そうね、本当にその通りよね。ねぇアディ、貴方もそう思うでしょ?」
「俺に話をふらないでください。さっぱり分かりませんよ」
「(´;ω;)――――!」
「ですから、俺には仰ることが……」
――――ですぅ。
「ん?」
「(´;ω;)――!」
――アルバート家――を―――ですぅ。
「ん? ん??」
「(`;ω;)――――!」
―『アルバート家の令嬢は没落をご所望です』発売中ですぅ!―
「脳に直接!!」
「((`;ω;)))――!!」
―詳しくは2015/4/5の活動報告をご覧ください!―
「やめてください! 脳に直接話しかけないでくださいっ!」
………
「(`;ω;)――!」
――ファミチ…コロッケくださぁい!―