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短編4

 

 日中こそ陽の光に春の訪れを感じはするが、それでもまだ夜は冷える。当分はこんな日が続くのだろうか、早く暖かくなってくれればいいのに……と、そんな他愛もない会話を交わしてしばらく、


「アリシア、王宮の庭に花が咲いたら結婚しよう」


 そう告げられた言葉に、アリシアは頬を赤くしながら嬉しそうに表情を綻ばせ、愛しい人の腕の中へと飛び込んだ。



 今から数時間前のことである。



「それで! それでメアリ様! その時のパトリック様がとても素敵で、照れくさそうなところがまた可愛らしくて!」

「そう、そうなの……そうなのね……」

「パトリック様、今とてもお忙しくて……でも暖かくなるころには全て落ち着かせるって仰ってくださったんです! そのうえ王宮の庭に花が咲いたらだなんて……素敵、パトリック様素敵!」

「そうね、そうね、そうなのね……ところでアリシアさん、いま何時かしら……」


 時計が見える?と問うメアリに、興奮気味に――というか興奮しながら――話をしていたアリシアがキョトンと目を丸くさせた。

 そうしてメアリのベッドの枕元を見れば、綺麗な細工の施された置き時計が小さな音を立てながら時間を刻んでいる。メアリはベッドの縁に座っており時計に背を向ける形になってはいるが、文字盤が見えないわけがない。聞かずとも振り返れば確認できる。

 だからこそ「どうしました?」とアリシアが首を傾げて尋ねれば、メアリが元々細めていた瞳をいっそう細めて優雅に笑った。


「眠たくて目が開かないの。それで、今は何時かしら?」

「そうだったんですね。今は……今は朝の三時(・ ・ ・ ・ )です!」

「そう、朝の……朝じゃないわよ!」


 キィ!と喚きながら、メアリが枕を掴んで椅子に座るアリシアに叩きつける。といっても寝起きのメアリの腕力などたかが知れており、ボフンボフンと景気のいい音をたてるだけだ。さほどの痛みもないのだろう、アリシアがキャーと悲鳴を上げるが、それもどこか楽しげである。

 ……ちなみに、現在時刻はアリシアの言うとおり午前三時(・・・・)。窓の外は当然だが真っ暗で、貴族の令嬢が起きて枕を振り回すような時間ではない。ましてや、貴族の令嬢が部屋に飛び込んできた王女に叩き起こされる時間でもない。


田舎臭い鶏時計(鶏が鳴いたら朝)どころじゃないわ! 奇行に走るにも節度があるのを知りなさい!」

「だって嬉しかったんです! だからメアリ様に早くお伝えしたくって!」

「だからって寝てる人を叩き起こすんじゃないわよ! 王宮に帰って時間を改めて出直してきなさい!」

「馬車は私が着くと同時に帰しましたから帰れません!」

「追い返されること前提で知恵つけるんじゃないわよ!」


 枕を振り回しながらメアリが喚く。だが所詮メアリは貴族の令嬢、活発が魅力の一つであるアリシアに体力で勝てるわけがなく、しばらくするとゼェゼェと息を荒らげながら枕を放り投げた。

 そうして恨めしそうにアリシアを睨みつけるのだが、それに対してアリシアからの返答は「えへへ、ごめんなさぁい」という人懐っこく愛らしい笑顔である。これがまったく反省に繋がらず、むしろ近いうちに再犯するフラグだというのはもう嫌というほど思い知らされた。

 だからといって、ここで「まったく仕方ないわね。ゆっくりしていきなさい」なんて言ってやる気はなく、メアリは一度アリシアをきつく睨みつけるとふんと不満そうにそっぽを向いてベッドから降りた。


「アディ! いるんでしょアディ! この田舎娘を追い出してちょうだい!」


 そうアディの名を呼んで部屋の扉へと向かう。

 アルバート家において、アリシアが訪れる(襲撃する)と必ずアディが応対(迎撃)役として呼び出されていた。

「メアリ様とパジャマパーティーがしたいんです!」という夜中の襲撃には「お嬢は寝ちゃったから、また今度」とお土産のクッキーを手渡してやんわりと馬車に乗せ、「メアリ様、お散歩に行きましょう!」という夜明けの襲撃には「鶏が鳴く前に起こすと怒られるから、鶏が鳴くまで俺とチェスでもして待っていよう」とさり気なく客間へと誘導する。

 主人であり妻でもあるメアリの睡眠を守ろうとするその健気かつ見事な手腕に、いつしかこの重要なポジションが確立されていたのだ。


 だからこそ、メアリは彼の名を呼びながら部屋の扉を開け……そこで寝間着のまま(うずくま)るアディの姿に目を丸くさせた。


「ア、アディ……どうしたの?」

「お嬢、申し訳ありません……アリシアちゃんの訪問(襲撃)を聞いて急いで来たんですが……鮮明に一字一句違えぬ勢いで再現話を聞かされて、恥ずかしさで悶えてる間に侵入を許してしまいました……」

「そ、そうなの……」


 よっぽどアリシアの惚気話が恥ずかしかったのか、顔を赤くしながら「パトリック様に会ったら思い出してしまう」と悶えるアディにメアリが唖然としながら頷く。

 きっと男と女では惚気話の受け取り方も違うのだろう。とりわけアディはパトリックと親しくしているのだから、アリシアの話を聞いている最中にも彼の顔が浮かび悶えにも拍車がかかったに違いない。

 まるで自分の恋愛事のように顔を赤くさせるアディをひとまず自室に回収し、改めてメアリがアリシアに向き直った。パトリックのことを考えているのだろう、うっとりとしたその表情は微笑ましくもあるのだが、この惨状の原因と考えれば腹立たしさが勝る。


「で、私への報告をしてどうするつもりなの? まさか屋敷中を叩き起こすわけじゃないわよね」

「とりあえず、まずメアリ様と四時間位お話して」

「やだっ!」

「そのあとメアリ様と朝ご飯を食べて」

「いやっ!」

「そうしたらキャレル様をはじめアルバート家の方々とお世話になったメイドさんや従者さんにお伝えして、カレリア学園の先生達にも報告に行って……」

「いやっ! 帰って!」

「お嬢、眠さを含めて色々と限界が近いのは分かりますけど拒否がストレート過ぎます。というかアリシアちゃん、このまま報告に行くつもり?」

「はいっ!」


 嬉しそうに屈託のない笑顔で頷くアリシアに、対してメアリがキィキィと喚く。再び枕を引っ掴んで叩き出すあたり眠さはピークである。

 そんな二人をよそにアディがふむと考えこむ。これは、この流れは……と。そうしてアディの心の奥底に鍵をかけて眠らせておいた記憶が蘇りかけた瞬間、溜息をついたメアリが発した


「だいたいね、いくらプロポーズされたからって浮かれ回るんじゃないわよ」


 という言葉に、蘇った記憶に悲鳴をあげながら部屋を飛び出した。もちろん「アリシアちゃん!お嬢の部屋でごゆっくり!」という言葉も忘れない。


 そうしてメアリの部屋を飛び出したアディは一旦自室へと戻るや大慌てで着替え、用意させておいた馬車に……は乗らず、馬車をひく馬に飛び乗った。


 向かう先はもちろん、ダイス家である。



「早朝失礼致しま……いや、夜分遅くに……微妙な時間過ぎる!」


 と、そう声を上げながらもダイス家に飛び込む。時間が時間なだけに人は少ないが、それでも名家ダイス家だけあって無人というわけではない。たまたま居合わせた従者が驚いた様子でアディを迎え、いったいどうしたのかと怪訝に首を傾げた。

 それだけおかしな時間の訪問なのだ。


「アディ、どうした?」

「パトリック様……パトリック様は!」

「この時間だぞ、まだ休まれてるに決まってるだろ」

「すぐに起こしてくれ!」

「おい、本当にどうした?」


 アディの様子に異変を感じたのか、ダイス家の従者が宥めるように肩を叩いた。共に名家に仕える身として古くから親しくしている彼は、アディがメアリと結婚しても変わることなく接している。だからこそこんな時間にパトリックを起こせというのが理解できず、それでも追い返さず理由を聞いてくれるのだ。

 だがアディはそれに対して口を開きかけ……むぐと言葉を飲み込んだ。もしかしてパトリックがアリシアにプロポーズしたことはまだ誰にも言ってないのかもしれない……と、そう考えたのだ。

 パトリックと同じ男であるアディだからこそ――そして過去に(メアリ)により黒歴史を築かれたアディだからこそ――の判断である。


「理由は言えないけど、とりあえずパトリック様にお伝えすることがある」

「理由は言えないってお前なぁ……」

「伝言を頼む!」


 鬼気迫る迫力の錆色の瞳に、対面する男が眉をしかめた。だが「伝言って?」と聞き返すあたり無下にする気はないのだろう。

 それに対してアディはジッと彼を見据え、ゆっくりと口を開いた。



「花畑よりアリシアちゃん襲来。胞子爆散の恐れあり。俺の二の舞いになりたくなければ至急回収されたし」



 ……と。

 その伝言内容に当然だが言われた男が眉間にしわを寄せた。当然である。

 だがここまできてもなお無下にしないのは、アディがこんなことを冗談でするとは思えないからだ。もしくは、冗談でしていた場合、背後にアルバート家令嬢が構えているか。


「なんだよそれ、花畑なのに胞子って」

「頼む、伝えてくれ。パトリック様ならこれだけで分かってくださるはずだ」

「そこまで言うなら……」


 そう告げて足早に屋敷の奥へと去っていく男の背中を、アディが落ち着きなく急かすように見送った。


 そうしてしばらく、といっても時間にすれば十分程度か。やにわに屋敷内がざわつきだし、奥から駆けてきたのはもちろんパトリック。

 上着に袖を通しながらという彼らしくない慌てようで挨拶もお座なりに「どういうことだ」とアディに詰め寄った。


「ま、まさかアリシアが」

「パトリック様……」


 伝言から嫌な予感を感じているのか、顔色を青ざめさせながらパトリックがアディを見つめる。

 その瞳の深刻さといったらない。対してアディは悲痛そうに顔を伏せ、それでもポツリと、


「早く……王宮の庭に花が咲くと良いですね」


 と決定打になるであろう台詞を告げた。

 その瞬間、もとより青ざめていたパトリックの顔が更に青ざめ引きつったのは言うまでもない。

 なにせ「王宮の庭に花」は、昨夜パトリックがアリシアに告げたプロポーズの言葉。あれからまだ数時間しか経っていないこんな夜更けにアディが知っているわけがないのだ。

 ……浮かれたアリシアが言い触らさない限り。


「ば、馬車の用意をっ! 出かけてくる、アルバート邸だ!」

「馬車はこちらで用意してあります!」


 早く!と互いに急かし合いダイス家の屋敷を飛び出す二人に、伝言を伝えた従者はもちろん他のメイド達もいったい何事かと首を傾げた。



 そうしてパトリックをつれたアディが再びアルバート家の屋敷に戻り、挨拶も後回しだとメアリの部屋へと飛び込めば……


「それで、それで! パトリック様があの藍色の瞳でジッと私を見つめて! 手を優しく繋いで下さって!」


 と、興奮をあらわに話すアリシアと


「そう、そうなのむにゃむにゃ……それは、むにゃむにゃ……よかったわねぇ」


 と、枕を抱きかかえつつ最早ひとの話す言葉とは言い難い相槌を返すメアリの姿があった。


「それで、パトリック様が照れくさそうに……なんて言ってくださったか分かりますか!」

「……そうね、そうね……それはむにゃったわね……」

「そうです!『王宮の庭に花が咲いたら結婚しよう』って! なんて素敵なお言葉!」

「ぐぅ……」


 と、おおよそ成り立っているとは思えない会話を続ける二人に、さすがに見兼ねたパトリックがアリシアの名前を読んだ。

 その声を聞き振り返る彼女のなんと嬉しそうなことか。輝かんばかりの表情は愛らしさを感じさせ、こんな時間のこんな場所でなければさぞやパトリックの胸を温めていたであろう。


「アリシア……」

「パトリック様! こんなお時間にどうなさったんですか?」

「こんな時間とか……あんたやっぱり自覚あるんじゃない……」


 夢と現の間、というより殆ど夢の中にいるような状態でそれでもメアリが悪態をつく。

 だがそんなメアリの暴言もよそに、パトリックはアリシアに近付くとそっと彼女の肩に手を置いた。


「アリシア、大事な報告だから二人で皆に伝えに行こう」


 な、と柔く微笑んで同意を求めるパトリックに、それを聞いたアリシアの瞳が更に輝く。

 そうして「はい!」と嬉しそうに頷くのだ。これにて一件落着、胞子爆散は最小限に留められた。

 それを見てとり、アディがやりきったと安堵の溜息をつきつつ……


「さすがにお嬢が可哀想すぎます。お二人には客間をご用意しますので、鶏が鳴くまで待っていてください」


 と、見つめ合い二人の世界に行こうとする仲睦まじい恋人達にストップをかけ、通りかかったメイドに押し付けるように部屋から追い出した。



 そうしてようやくメアリの部屋に静けさが戻る。

 窓の外は変わらず暗く、本来であればこの静けさが続いている時間なのだ。


「お嬢、アリシアちゃんもパトリック様も出て行きましたよ。もう一度休まれたらどうですか」

「除草剤と……ありったけの(はさみ)を……」

「はいはい。ほら布団に入ってください」


 アディに促され、ウツラウツラと頭を揺らしながらメアリが布団の中へと戻っていく。

 その令嬢らしからぬ姿はなんとも間が抜けており、アディが布団を捲りつつ思わず「巣にお戻り」と呟いた。それほどまでに、モゾモゾと布団に潜るメアリの姿は動物のようなのだ。

 もっとも、いかに動物のようであろうとそこはメアリ・アルバート、アディの呟きに聞き捨てならないと潜りざまの後ろ足で蹴りをいれているのだが。

 ――ちなみに、布団の中に潜り込むメアリがしきりに除草剤と鋏をと訴えているのは、言わずもがな王宮中の花の蕾を狩りとってやるためである――


 そうして再び就寝の体勢についたメアリが布団の中から顔だけを覗かせ、とろんとした瞳でアディを見上げた。


「はた迷惑な花畑ね」

「えぇ本当に。お幸せそうでなによりです」

「……胞子が飛んだわ」

「お嬢?」


 どうしました?と尋ねかけたアディが言葉を飲み込む。

 布団の隙間から伸びたメアリの手がアディの服を掴んでいるのだ。それどころか、まるで誘うようにグイと引っ張ってくる。


「……あの子の花畑から胞子が飛んだの」


 ねぇ、と強請るように小さく笑うメアリに、その意味を察してアディもまた笑みをこぼし、


「奇遇ですね、俺もです」


 そう答えると、誘われるままに布団の中へと潜り込んだ。



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