短編3
「せっかく前世の記憶があるんだから、もっと有効活用しようと思うの!」
メアリが瞳を輝かせて話をしだした瞬間、それと対照的にアディの瞳が死んだ魚のように濁った。どうせろくでもないことになると、そう彼の長年の勘が訴えたからである。
だが確かにメアリには他人にはない前世の記憶がある。それもこの世界が前世でプレイしたゲーム云々、他人に話せばもれなく医者の前に突き出されそうな代物ではあるが、それでも『ひととは違う知識』として考えれば価値がある記憶だ。
独創的、とでも言えばわかりやすいか。北の地で密かなブームを起こしつつある渡り鳥丼屋がまさにである。――もっとも、渡り鳥丼屋が前世の記憶ゆえか元々メアリにあった感覚ゆえかは定かではないのだが、そこらへんを確認する勇気をあいにくとアディは持ち合わせていない――
とにかく、前世の記憶があるんだからもっと有効活用するべき! と訴えるメアリの自信たっぷりな表情に、それでも一言いわねばとアディが飲んでいた紅茶のカップを置いた。
「もっと有効活用、ですか」
「えぇそうよ! 私だけの記憶にしておくには惜しいわ!」
「もっと有効活用、ですよね?」
「……そうよ、なにが言いたいの?」
「そりゃ結果的に有効活用できましたけど、そもそもお嬢は」
「黙りなさい!」
それ以上言うんじゃないわ! とメアリが声を荒げれば、言いたいことは通じたかとアディがわざとらしく口元をパタとおさえ「失礼いたしました」と謝罪の言葉を口にした。
それに対してギロリとメアリが彼を睨みつけるのは、もちろん自分が前世の記憶を有効活用して没落しようとした結果、王女アリシアに慕われアルバート家が王族と肩を並べるような立ち位置になってしまったからである。はたから見れば万々歳ではあるが、メアリの初志を考えれば斜め上どころか正反対と言える。
そんな言い訳もフォローもいれようのない現状に、かといって失敗を認めるのも癪でメアリがコホンと咳払いをして話題を逸らした。今は前世の記憶だ、それを有効活用することを考えなくては……と、ニヤニヤと笑うアディの足を踏みつけながら考えを巡らす。
それと同時に眉間に皺を寄せつつ記憶を辿るのは、ここ最近、前世の記憶がさほど鮮明には蘇ってこないからだ。
「記憶が消えてるってことですか?」
「そういうわけじゃないんだけどね、普通に忘れてきたって感じよ」
元よりメアリは前世の自分にもゲームのメアリにも興味がなかった。前世の記憶が流れ込もうと自分を失うことも無かったし、今までと考えを違えることもなかった。
もちろん、前世の自分にもゲームの自分にも従うつもりも似通わせる気もさらさらない。
自分はメアリ・アルバートだ。いや、自分こそがメアリ・アルバートなのだ。
前世の記憶はありがたく貰っておくが、かわりに自分の思考や性格を捧げようなどとは欠片も思わなかった。
そんなメアリの考えがあるからか、あれほどまで色濃く流れこんできた前世に関しての記憶も徐々に薄まっていった。
とりわけ前世の自分に関しての記憶は薄まるのが早く、どんな性格だったのか、どんな人生を歩んだのか、どのキャラクターを目当てにゲームをしていたのか、思いだそうと記憶をひっくり返しても手応え一つないのだ。
「ゲームと同じだ」と、そう寒気すら覚えたはずの台詞も今ではアリシアやパトリックと交わした会話の思い出でしかない。
「別に元々私の記憶じゃないし忘れたってかまわないんだけど、でも勿体ないじゃない?」
「なるほど、それで忘れる前に使っておこうと」
「そういうこと。それにこうやって貴方に話せば、記憶じゃなくて思い出として残るでしょ」
名案だわ、と紅茶を飲みつつ告げるメアリに、アディがなるほど確かにと頷いた。
ろくなことにならないという勘はいまだ働いているが、彼女の言い分も一理ある。有効活用できるかどうか定かではないが、それでも異文化の知識として考えれば前世の記憶は貴重なのだ。
「それで、どんな記憶があるんですか?」
「そうねぇ、とりあえず貴方について思い出そうとしたの。それでね、確か前世では貴方の仕事が人気があったはずなのよ」
「俺の仕事が?」
どうしてまた、とアディが目を丸くした。
確かに従者という仕事は一般的な仕事より高給取りである。アルバート家をはじめとする名家で働くことが出来れば、生涯金に困ることはないだろう。
だが言ってしまえば従者は仕える側の仕事。その格差は顕著で、横暴な主人に仕えたが最後まるで物のように扱われることだってある。アルバート家にはそういった心配はないが、他家に仕える仕事仲間の話はなかなかに壮絶だ。
――そういった話を聞くたびにアディは心の底からメアリはもちろんアルバート家の寛大さに感謝し、最近では直に感謝を伝えるべくメアリを抱きしめて頬にキスしてそのままベッドに押し倒し三割の確率で脇腹に一撃くらっている――
そういうわけで、メアリから「人気がある」と言われても今一つ理解できないとアディが首を傾げた。
やりがいのある仕事だ、もちろん自分は誇りを持っている。メアリを初めて見た時から生涯仕えていこうと思っていたし――そう告げた瞬間の「その結果がこの態度なの!?」というメアリの反応の良さといったらない――どんな仕事に就いても良いと言われても、迷うことなくこの仕事を選ぶだろう。
だがその反面、環境の違うメアリの前世でどうして従者が人気があるのかが理解できない。聞けばメアリの前世では今のような格差はなく、誰だって好きな仕事に就け、そして家柄や身分で一生が決まるわけではないという。
「それなのに俺の仕事が人気なんですか?」
「そうなのよ、でも……そうね、仕事としてというより……女の子が従者に憧れる……ような?」
そう辿々しくメアリが告げるのは、思い出そうとしているもののだいぶ記憶が朧気だからだ。そのうえ、今のメアリにも従者の人気が今ひとつ理解できないときた。
元より感覚も価値観も何もかも今のメアリにあり、前世の記憶が知識でしかないからこそ、今とは違うその価値観にメアリ自身も共感出来ずにいる。
それでも……と必死になって記憶を探り、メアリがハッと勢いよく顔をあげた。そうだ、思い出した。
「そうよ、貴方の仕事、前世では萌えるって人気があったのよ!」
「燃える!?」
なんで!? とアディが声をあげる。
それに対してメアリは記憶を思い出しつつあることに気をよくし、人体発火でもするのかと怯えを見せるアディにも気付かず「いいこと」と話をすすめた。
記憶の限りでは、好意や好感を萌えると言っていた。特に『ドラ学』はどのキャラクターも良い男として描かれており、プレイヤー間では萌えると好評だったはずだ。
とりわけ、上流階級揃いの攻略対象者達の中で一人仕える身分だったアディはよりその傾向にあった。
「貴方の仕事は萌えるのよ」
「そ、それは未熟な奴が燃えるんですか? 試験に合格しないとそういう目にあうとか……?」
「いいえ、むしろ完璧な従者ほど萌えるのよ」
「完璧なほど燃える!? なんですかそれ、おっかない」
誰だって、たとえ別の世界のこととはいえ自分の職業が燃料たっぷりと言われれば恐れを感じて当然である。とりわけアディは本気を出せば従者としてかなり優秀な部類なのだ、アルバート家に代々仕える家系として徹底した教育や知識を叩き込まれ、そこいらの従者とは比較にならないレベルに仕上がっている。
そんなアディなのだから「優秀な方が燃える」と言われて恐れを抱かないわけがない。
対してメアリも、彼の反応を最初こそ疑問に感じはしたものの、確かに自分が萌えといった興奮材料にされれば気分が悪いかと自己完結しつつあった。
前世では定かではないが、少なくとも今のメアリは不特定多数に興奮されて喜ぶ趣味はない。
「そうそう、メイドも萌えるのよ」
「燃え盛りますね……ひたすらおっかないじゃないですか」
「そうねぇ、確かに萌えるとか言われても困るわよね」
「困るとかいう話じゃないですよ。燃えるんですよ?」
「そりゃそうだけど、でもある意味では名誉でもあるんじゃない?」
「名誉!? 燃えることが!」
「えぇ、そうよ。一種のステータスでもあるわ。前世の世界では、萌えることを利用すれば一財産築くことだって出来たのよ」
「人身御供か……」
不安げに、それでもどこか納得しつつアディがポツリと呟いた。
彼の解釈はこうだ。
前世の世界とやらでは、人材を差し出し燃やすことでそれ相応の利益を得ることができる。その人材が優れていれば優れているほど得る利益も多く、また差し出される側もそれを誇りに思い生涯を終える……と。
今の世界でこそ非人道的と恐怖すら抱くが、メアリの前世の世界ではそれが当たり前で、むしろ選ばれることこそが従者にとって名誉あることだったのだろう。家側からしても、いかに優れた従者を差し出すかで家柄や裕福さを誇示できたのかもしれない。
随分な話ではあるが、生涯忠誠を誓った家のために、そしてその家から優れた従者であると認められたからこそ喜んで命を差し出す……と、そう考えれば納得もいく。
なるほどそういうことか、とアディが改めて頷いた。
「それは例えば、祭事かなにかで燃えるんですか?」
「そういうのもあるし、あとは専門の喫茶店とか」
「燃えるための喫茶店!? 他のお客に飛び火したらどうするんですか」
「大丈夫よ、専門ですもの。そういうのに萌える客ばかりだから」
「うーん、考えれば考えるだけ恐ろしい」
「そういうお店や祭事では萌えると叫ぶのよ」
「そりゃ叫びますよ、燃えてるんですし」
「確かね、そのまま『萌え!』って叫んでたはず」
「なぜ燃えてることを実況するんですか。でもですよ、静かに大人しく人が燃えてても怖いじゃないですか、叫ぶのが普通です」
「でも案外に静かで大人しい人も実は激しく萌えてるのよ」
「そりゃもう燃えすぎて声も出せないんです」
「なるほど」
「なんて恐ろしい話だ……」
ブルブルと震えながら、アディがメアリの淹れてくれた紅茶に口を付ける。若干渋みが出てしまっているが、それでも生涯仕えると誓った主人が、そして愛する妻が、目の前で淹れてくれた紅茶なのだ。世界で一番甘く暖かく感じるのは言うまでもない。
そうして今度は自分が注いでやろうと、適温かつベストタイミングに蒸らしたティーポットに手を伸ばし、アディが小さく溜息をついた。
「従者が燃えるなんて、まったく役にたたない知識ですね」
少なくともこの世界では、従者が燃えたところで何の利益も得られない。それどころか働き手が一人減り、下手すれば火が移って火災に繋がりかねないのだ。
「そうねぇ、従者が萌えるって言ってもねぇ」
同様にメアリが溜息をつくのは、この世界では従者やメイドは単なる職業の一つでしかなく、これといった興奮材料にはならないからだ。
互いにうんと頷きあい、それぞれ淹れあった紅茶に口をつける。
結局のところこの知識は有効活用できないと判断され、メアリはさっさと萌えに関する知識を薄れゆく記憶の奥底に押し返し、アディもまた聞かされた恐ろしい話を忘れるべく話題を変えた。
そうして昨夜の牛ステーキがどうの盛られていた皿が一等品でどうのとまったく関係のない話を始めれば、もえに関する記憶はあっというまに霞んでいった。