その後の更に後の話※アリシアとパトリック※2
アルバート家令嬢の結婚パーティーを越えるものがあるとすれば、それはもちろん王女アリシアの結婚パーティーである。
幼い頃に攫われ、自分の身分も知らず孤児院で育てられた悲劇の王女。その後、家族と再会した彼女はアルバート家令嬢の助力を得て――この件に関して、本人はいまだ眉をひそめているが――立派な王女となり、誰もが認めるダイス家嫡男と結ばれる……。
まさに夢物語。誰もがアリシアの話を聞けば感動し、年頃の少女であればうっとりと聞き入るほどだ。おまけに国内だけにはとどまらず、国外へも感動の物語として届き、一部では脚色された書籍や劇にまでなっていた。
――それらに目を通したメアリが「誰、このいい人」と覚えのない登場人物に首を傾げるのだが、それはまた別の話――
とにかく、そんな夢物語のような人生を歩んだアリシアの結婚パーティーとなればその規模が通常の内でおさまるわけがない。とりわけ今回のパーティーはアルバート家が全面的に協力しているのだから華やかさも一入。
そんなアルバート家の令嬢はと言えば、クラシカルなデザインと落ち着いた色合いのドレスに身を包み、誰もが見とれるような美しさで会場に姿を現した。その隣には勿論、夫であるアディの姿。妻に合わせた色合いのスーツ、胸元には揃いの飾りをつけており、誰もがその仲睦まじさに柔らかな笑みを浮かべた。
「お嬢、アリシアちゃんは?」
「もうドレスに着替えてるはずよ。……というか、どうしてあの子の予定を私に聞くのよ」
あの子のことなんか知らないわ、とこの期に及んでそっぽを向くメアリに、アディが小さくため息をつき……ふと、聞こえてきた声に顔を上げた。
「メアリ様ぁー!」と聞こえてくる、そして徐々に大きくなってくるこの元気の良い声は間違いなくアリシアのもの。現にその声を聞いたメアリがビクリと肩を震わせ、身構えると同時に振り返った。
「おぉすげぇ。アリシアちゃん、よくあんな重そうなドレスであのスピードを出せるな……」
「感心してる場合じゃないでしょ! でも、いいわ……かかってきなさい!」
意気込むメアリに、アディがおやと視線をメアリに戻した。
今まではアリシアが走ってくれば叱咤して突撃されるか逃げ損ねて突撃されるかなのだが、どういうわけか今日に限っては意気込んで待ち構えているのだ。
これはもしやアリシアのスピードをいかしたカウンター攻撃でもする気なのでは……と危惧し、慌ててメアリとアリシアの交互に視線をやった。――ここで二人の抱擁を想像しないあたりアディにも問題があるのかもしれないが、なにせアリシアのスピードが尋常ではないのだ。もはや『走り寄る』の域は越えている――
「お嬢、あまり危ないことは……」
「安心なさい、危険なことはしないわ。ただ今日こそ決着をつけるのよ!」
そうメアリが意気込むのと同時に、トップスピードにまで加速したアリシアが「メアリ様!」と声をあげて飛びかかる。……が、すんでのところでメアリが後ろに飛び退いた。
「見切った!」という勝利の宣言。本来ならメアリを抱きしめるはずのアリシアの腕が宙を掻く。
「よ、避けた!?」
「見なさいアディ! 今日こそ私の勝ちっ……」
私の勝ちよ、と言い掛けたメアリが途中で言葉を飲み込む。
避けたはずが背後からのびる腕に腰を取られ、しかもそれが徐々に締め付けているのだ。この感覚は間違いなくアリシア式挨拶、でも本人は今まさに目の前にいるのに……。
いったい誰が!?と慌てて振り返ったメアリの視界には、涙目で自分に抱きつくとある令嬢の姿。言わずもがなパルフェットである。
「メアリ様、ごきげんよぅ……」
「パルフェットさん!? まさか、あっちは囮だったというの!」
「アリシア様が、メアリ様は挨拶しようとすると逃げるから捕まえなきゃダメなんですって、だから、だから私……!」
「私だって別にゆっくり近付いてくる人にはちゃんと対応するわよ!」
だから泣かないでちょうだい!とパルフェットを宥めつつ引き剥がし、後ろで唖然としているガイナスに押しつける。
次いでアリシアを睨みつければ、彼女は相変わらず太陽のような明るい笑顔で「本日はお越し頂き……」と今更ながら上品な挨拶をしてきた。
真っ白なドレスにはふんだんにレースがあしらわれ、一目見ただけで質の良さが分かる。愛らしさと気品を感じさせるその姿に、メアリが僅かに見とれるようにほぅと小さく息をついた。今まで幾度も読んだ物語、そのたびに思い描いていた『お姫様』そのものなのだ。
だがそんなお姫様も長くは保たないのか、一瞬にして表情や仕草が普段のアリシアに戻り、「お待ちしてました!」と元気よく抱きつけばメアリが我に返って「やめなさい!」と叱咤して引き剥がす。
「ことあるごとに抱きつくんじゃないわよ、みっともない!」
「あ、メアリ様! パトリック様が今日の料理について話があるって言ってましたよ!」
「ひとの話を聞きなさいっていつも言ってるでしょ!」
メアリが声を荒げるも、アリシアがそれで反省する様子もない。まったくもっていつも通りのアリシアではないか。
もしかしたら場の空気に飲まれて泣いてしまうかも……と心配していた自分が馬鹿らしく、メアリが溜息をつきつつ周囲を見回した。
アリシアがここに居ると言うことは、つまりパトリックも居ると言うこと。さっさと押しつけてしまおうとその姿を探せば、一角からキャァと黄色い声があがった。確認するまでもない、王子様がいるのだ。
純白のアリシアに合わせた白の正装、彼の藍色の髪と瞳がより濃く映え、これに感嘆を漏らさない女性はいないだろう。メアリとて純粋に、嫌みでも軽口でもなく、自分の王子様が隣にいても「かっこいい」と心から思えるほどなのだ。
「アリシア、ドレスで走ったら危ないぞ。転んだらどうするんだ」
「えへへ、メアリ様の姿が見えたら嬉しくなっちゃいました」
まったく、と言いたげにパトリックが小さく溜息をつき、走ったことで少し乱れたアリシアの髪を優しく撫でて整える。
そんな二人の美しさと言ったらない。愛しそうにアリシアを見つめるパトリック、彼に撫でられて嬉しそうに微笑むアリシア、周囲からも暖かな視線が寄せられ、幸せだと言葉にしなくても伝わってくる。
その光景にメアリが柔らかく瞳を細めた。……が、それに対して目を丸くさせたのがいち早くメアリの異変に気付いたアディ。次いでアリシア達も不思議そうに首を傾げる。
なにせメアリが微笑んでいるのだ。
それも穏やかに、柔らかく、誰もが見惚れてしまうほど美しく、まさに貴族の令嬢といった優雅さで。そしてその反面、メアリを知る人から見ればなんとも作り物めいた笑みである。
「メアリ、どうした?」
と彼女の顔を覗きこむのは、今まで幾度となくこの笑顔を見てきたパトリック。
気乗りしないパーティーで、面倒な人に話しかけられて、まったく興味のない自慢話を聞かされて……いつだってメアリはこの微笑みで優雅に対応していたのだ。「面倒くさい、帰りたい」といった裏にある感情を全部押し隠すための笑顔、いわば仮面である。
それが分かるからこそ、どうして今ここでその表情を?とパトリックが疑問を抱く。
だかそれを尋ねるより先にアディが「その、すいません……ちょっと失礼します」とメアリの肩に手を置いた。
「その、えっと……アリシアちゃん、どこか空いてる部屋ないかな?」
「空いてる部屋ですか? この階なら、今日はどこも使ってませんけど」
「そっか、それなら適当に一室借りるよ」
そう告げて、アディがメアリの手を引いて去っていった。
そうして空き部屋に入るも、変わらずメアリはまるで麗しい令嬢といった微笑みを浮かべていた。
「アディ、どうしたの?」
「どうしたも何も……」
盛大に溜息をつき、アディがメアリに手を伸ばす。
ポンと軽く頭に手を置き、ゆっくりと髪を指で絡めて頬を撫でる。次いで肩を優しくさすり、まるで上から順に解きほぐすように触れると、最後にその手をメアリの背に回してグイと腕の中に引き寄せて抱きしめた。
突然の抱擁にメアリが目を丸くさせる。だが次の瞬間にその瞳がじんわりと涙をため、背中を軽く叩かれると同時にボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。
「な、なによ……私がっ、私がせっかく、我慢してたのに……!」
「こんな日まで意地を張ることないでしょ。あの場で泣けば良いじゃないですか」
「いやよ! わ、私があの子を泣かすって、そう決めたんだからぁ……!」
グズグズと泣きながら自分の胸元にしがみついて訴えるメアリに、アディが苦笑を浮かべて背中を撫でた。どうやら我慢の限界が近かったようで、堰を切ったように泣き出すメアリの声はしゃっくりが混ざり、なんとも優雅とはかけ離れている。
「まだ泣かすだのなんだの言ってるんですか?」
「そうよ、私がっ、あの子を泣かすんだからっ ……で、でも、今日のあの子は、あんなに綺麗で……パトリックも、嬉しそうで……だから、私、私……!」
「はいはい、分かってますよ」
宥めるような柔らかい声でアディがメアリの背中をさすり、服を掴んでいる手を解いて指先にキスをする。そうして頬を撫でながら涙のあとを拭ってやると、コンコンとノック音が部屋に響いた。
カチャンとドアノブが動き、そっと開いた隙間からこちらを伺うように顔を覗かせたのは……
「メアリ様、アディさん、どうなさいました?」
と、不安気な声色のアリシア。
彼女は部屋の中の光景にキョトンと目を丸くさせ、顔をあげたメアリの表情を見るやつられるように紫色の瞳に大粒の涙を溢れさせた。
「メアリ様……メアリ様ぁ!」
そうして感極まったと言わんばかりに部屋に飛び込み、そのままの勢いでメアリに抱きつく。普段であれば叱咤したり逃げようとするメアリも、今だけは抵抗もせずアリシアの名を呼ぶと素直にその抱擁を受け止めた。
――多少アリシアの勢いがよすぎてメアリごと背後にあるソファーに突っ込んでいったのだが、流石は王宮のソファー、軽やかな音を立てて受け止めた――
そうして二人で盛大に泣き出す姿はまるで子供のようではないか。
そんな二人にアディが苦笑を浮かべていると、再度ノック音が響いた。次いで顔を覗かせたのはパトリック。
メアリとアディに続いてアリシアまで戻ってこないことに心配したのか、それでも彼は藍色の瞳で部屋の中の光景を――自分の最愛の伴侶と友人が抱き合って大泣きしている光景を――見るや「そういうことか」と溜息とともに笑みをこぼした。
「いったい何があったのかと心配したんだけどな」
「申し訳ありません。どうにも意地を張って我慢してたみたいで」
「メアリらしいよ」
クツクツと笑みをこぼすパトリックに、アディが「確かに」と肩を竦める。
そうして改めてパトリックに向き直ると、コホンと一度咳払いをした後「おめでとう」と祝いの言葉をかけた。
普段のアディらしくないその口調に、アリシア達を眺めていたパトリックが「うん?」と顔を上げる。アディはいつだって、アルバート家に婿入りした今だって、態度こそ皮肉を言ったり冷やかしてきたりとラフになったものの、言葉遣いは決して従者らしさを忘れることなくいたのに。
「どうした、アディ」
「いえ、あの……お嬢とパトリック様は幼少の頃からの付き合いですから、そのぶん俺とも長いわけで」
「あぁ、そうだな」
「ですから、無礼を承知で、いち友人として祝いの言葉を贈らせていただきました」
照れくさいのか明後日な方向を向いて告げるアディに、パトリックが僅かに瞳を丸くさせ……ついで、嬉しそうに藍色の瞳を細めた。そうして返す「ありがとうな」という言葉も、まったくもってダイス家の嫡男らしくも、ましてや王女と結婚する男らしくもない。
長く親しんだ友人の会話。だがそのやりとりのなんと恥ずかしいことか。
眼前の二人のように抱きしめあって派手に泣き喚いて祝い祝われあうこともできず、アディとパトリックが誤魔化すように「さて」と一息ついた。
そうしておもむろにスカーフを取り出すと
「とりあえずドレスの死守をしようか」
「そうですね。放っておくとドレスのレースで鼻をかみそうですし」
と互いに頷きあい、いまだグズグズびぃびぃと泣いているそれぞれの最愛の女性を宥めにかかった。
「アリシア、白いドレスなんだからそんなに泣くな。化粧がついたらどうするんだ」
「だって、だってメアリ様がぁ……!」
「ほらお嬢も、シミになったら目立ちますよ」
「な、泣いてなんか、泣いてなんかないんだからぁ!」
抱き合いグズグズと鼻をすすっていたメアリとアリシアが今度は自分に抱きついてくるので、これにはアディもパトリックも苦笑を浮かべて顔を見合わせた。
※ちょっと汚いお話です。ご注意を※
「アリシア、そんなに泣くと目が腫れるぞ」
「だってだって(びぃびぃ)」
「お嬢、そろそろ泣き止んでくださいよ」
「泣いてなんかないぃ…(ぐずぐず)」
「とりあえず二人ともドレスで鼻をかもうとするな。あ、こらアリシア、テーブルクロスもダメだ。だからってカーテンに近付くな」
「ぐすんぐすん」
「これはもうタオルが必要か…待っててくださいね、直ぐに持ってきてもらいますから」
「ぐすんぐすん」
ガシッ×2
「「……は?」」
「鼻がむずむずします……ぐすんぐすん」
「……いい布があるわね…ぐすんぐすん」
「いやいやいや、ちょっと落ち着けアリシア!」
「お嬢、それはまずいです離して!」
「「ぐすんぐすん(ずびっ)」」
「「……やめっ!!」」
合掌