その後の更に後の話※カリーナ※
珍しい来客に、メアリが僅かに目を丸くさせた。
だが彼女も学友なのだからさして驚くものではない、ただ彼女が一人で来たことが意外だったのだ。
――あと、突然の訪問を詫びる礼儀正しさが珍しかった。なにせメアリの来客と言えば勢いよく飛び込んでくるか、半泣きで訪ねてくるか、どちらにせよメアリの都合などお構いなしなのだ――
そんなせっかくのまともな来客、それも表情から訳ありと見て、メアリが近くにいたメイドにお茶の用意を命じると中庭へと彼女を案内した。
そうして心地よい風が吹き抜ける中庭の椅子に座り、香りよい湯気をあげる紅茶に口をつける。そのついでにチラと視線を向ければ、テーブル越しに座る令嬢はらしくなく視線を泳がせていた。
なにがあろうと揺るぐことなく凛としていた美しさも今は見られず、よっぽどの理由があるのかとメアリが考えを巡らせる。
さて、いったい何の用かしら……。
だがメアリ同様、彼女もまた通常あり得ない記憶を所有しているのだ。考えても無駄かもしれない、そう判断し、ならば直接聞くしかないとメアリが彼女の名前を呼んだ。
「それで、今日はどうなさったの? カリーナさん」
その声に、目の前の令嬢はらしくなく視線を泳がせ、それでも最後には縋るようにメアリを見つめ返した。
「あの……突然押し掛けてしまい申し訳ありませんでした。メアリ様も忙しいのに」
「いいのよ、基本みんな突然来るから」
「……そうなんですか」
「どこかの田舎娘なんて、この間わたしが起きたら当然のようにお母様と紅茶を飲んでいたのよ。思わず悲鳴をあげたわ」
「そ、それは……」
「そういうわけだから、気になさらないで話してちょうだい」
そうメアリが促せば、カリーナが僅かに躊躇いの色を見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「あの……ランダルのことなんですが……」
「あら、彼がどうしたの?」
カリーナが口にした名前に、メアリが首を傾げる。
ランダルと言えば『ドラドラ』の攻略対象者の一人、そしてカリーナの元婚約者である。
誰より手痛いしっぺ返し――そんな可愛らしい表現で済むかはさておき――をくらい、あげくにパルフェットとガイナスの仲を邪魔しようとした人物。もっとも、今は過去の栄光も見られないほどに怯えきっている……と、よくダイス家で遭遇するとある令嬢から聞いた。
「まさか、また逃げたの?」
「えぇ、また……というか定期的に逃げてはいるんです。もちろんそのたびに捕まえて、しめつけて、責め立ててはいるんですが……その……」
「どうしたの?」
妙に言い淀むカリーナに、メアリが不思議そうに彼女の顔を覗きこんだ。
魅惑的な瞳も今は困惑の色が強く、眉間には戸惑いの皺が浮かんでいる。おまけに、メアリと視線が合うやふいと余所を向いてしまうのだ。
これはよっぽどのことか……とメアリが先を促すように、再び「どうしたの?」とカリーナに尋ねた。
「ランダルがどうしたの?」
「えぇ、その……最近、強く責め立てると」
「責め立てると……?」
「彼、なんだか……嬉しそうな顔をしている気がして……」
若干青ざめつつカリーナが告げれば、サァ……と心地よい風が吹き抜け二人の髪を揺らした。
「……責任とってあげなさい」
とは、そんなカリーナの話を聞いたメアリが数秒ほど唖然とした後に放った言葉である。
それを聞いたカリーナが慌ててメアリに向き直り、その名を呼んだ。
「メアリ様、それって……!」
「なんて恐ろしい。貴方、目覚めさせたのね……!」
「そんな! だってランダルは!」
きゃぁきゃぁと令嬢二人が喚きあう、端から見ればはしゃいでいるようで可愛くさえ見えるだろう。会話の内容はかなり深刻ではあるが。
とにかく、「責任をとってあげなさい」の一点張りであるメアリに、薄々感づいていた事実をつきつけられた気分なのかカリーナが表情を青ざめさせながら「でも……」と口を開いた。
「でも、ランダルはそんな性格じゃなかったはずなのに……」
と。
だが実際に『ドラドラ』におけるランダルは所謂『ドS』というもので、ヒロインに対してわざと無茶難題を押しつけ困らせたり無理強いをしたりと、強引な面が強く描かれていた。クールなパトリックとも俺様なリグともまた違うその性格が彼のルートをより濃厚にしていたのだ。実際のランダルも同じで、サディスティックな性格から一部の女性達の熱狂的な視線を集めていた。
メアリもカリーナも――そして実を言うとリリアンヌでさえも――「自分に優しくない男のどこが良いのだろうか」と首を傾げたほどである。
とにかく、ランダルはまさにサディスティックな性格であった。性格が歪んでいて、人が困っている様を見て喜ぶ、常に他者を見下すプライドが高い男……。
「そうです! そうですよね!」
よっぽど切羽詰まっているのか、おもむろに立ち上がるカリーナにメアリが頬を引きつらせ言い難そうに口を開いた。
「……だから、そのプライドを貴女がへし折って、更にへし折った跡地に新たなものを植え付けたんでしょ」
「怖いことを仰らないでください!」
彼女らしくなく取り乱し悲鳴をあげるカリーナに、メアリが見ていられないと顔を背ける。
だが結局のところ、つまりはそういうわけで……元がサディスティックだからこそ、カリーナのしめつけを切っ掛けに芽生えた何かが真逆の方向に振り切ってしまったのだろう。
恐ろしい……と思わずメアリが冷ややかな視線を向ければ、カリーナがその意図を察してよりいっそう表情を青ざめさせた。
そんな二人に声がかかる。
見れば紅茶のおかわりとケーキをトレーに乗せたアディが、アルバート家らしくなくそれでいて従者らしくこちらに歩み寄り……
「お嬢、カリーナ様。ケーキが焼けましたので、是非」
「アディ、来ちゃ駄目! この女は危険よ!」
「メアリ様ひどい!」
「……はい?」
「アディ、部屋に戻りましょう! この女、開けなくても良い扉を開けてくるわよ!」
「メアリ様、見捨てないでくださいぃ!」
キィキィと喚きながら警戒するメアリに、悲鳴をあげながらカリーナがすがりつく。
そんな二人の様子にアディがキョトンと目を丸くさせ「……扉?」と首を傾げた。
そうしてアディを加え、改めてカリーナが説明をする。
といっても内容は先程となんら変わりはなく、それどころか「責め立てていると時々期待するような瞳で見つめてくる」という要らん情報まで追加された。
そんな話を聞いた――むしろ聞かされた――アディの返答はと言えば
「……責任とってさしあげるべきかと」
というものであった。
これにはメアリもやはりと頷き、対してカリーナが再び悲鳴をあげる。
そんな中、ふとメアリがとあることに気付いてカリーナの名を呼んだ。
「ねぇ、ランダルは今日も逃げ出したのよね?」
「えぇそうです。でもどうせ逃げる先なんて分かり切ってますけど」
「なら捕まえて、今度こそ二度と逃げないように、芽生えたものごとへし折ってやったらいかが?」
若干頬をひきつらせつつメアリが提案すれば、それを聞いたカリーナがパっと顔を上げた。
次いで驚くほど冷ややかに、それこそアディが慌てて紅茶を飲んで暖をとるほどに冷ややかに「そうですね」と微笑んだ。その笑みのなんと美しいことか。そしてこの笑みこそ、メアリの知るカリーナの最も彼女らしい表情である。
「突然押し掛けて申し訳ございませんメアリ様。私、とっても大事な用事がありますので、これで失礼いたします」
「えぇそうでしょうね。次はぜひ時間のある時に、マシな用件で来てちょうだい。普通に、穏やかに、暖かく食事でもしましょう」
「はい、喜んで」
ニッコリと微笑んでカリーナが令嬢らしく頭を下げる。
そうして去っていく彼女の後ろ姿を見送り、メアリが盛大に溜息をついた。
でもねカリーナ、貴女……
と、出かけた言葉をすんでのところで飲み込んで、淹れ直してもらった暖かな紅茶に口をつけた。
時間は少し遡り、更に場所も変わり、エルドランド家の屋敷。
日課のランニングをすませたガイナスが優雅に本を読んでいると、「ご友人がみえています」とメイドに声をかけられた。
記憶をひっくり返しても誰かと会う約束はしていない、パルフェットが遊びに来るにも時間が早い。いったい誰が……と、脳裏に浮かぶとある人物を極力考えないようにしてメイドに言われるままに玄関へと向かい……
「ガイナス!匿ってくれ!」
と喚くランダルの姿に、うんざりとした表情で溜息をついた。
「ランダル、お前な……何度うちに来るなって言えば分かるんだ」
「ガイナス、俺を見捨てるのか!」
「あぁ見捨てる。というか既に見捨ててる。帰ってくれ、お前を家にあげるとパルフェットの機嫌が悪くなるんだ」
「ひとでなし!」
「どっちがだ!」
悲鳴じみた声をあげるランダルに、対してガイナスもつられて声を荒らげる。
だが結局妥協して庭へと通してしまうのは、一時といえど同じ穴の狢であったからだ。同じようにリリアンヌに現を抜かし、同じように婚約を破棄した身、パルフェットの強さと愛情深さで自分は再びエルドランド家を名乗れるようになったが、一歩間違えればランダルと同じ道を歩んでいたのだ。
そう考えると、どうにもガイナスはランダルを見限れずにいた。なにより、どうせそのうち……という考えもある。
そうしてランダルの愚痴を聞き続けてしばらく。
エルドランド家の庭に「いたわ、あそこよ!」と高らかな声が響く。
その瞬間ランダルの肩がビクリと跳ねるのだが、対してガイナスは微塵も動じることなくそれどころかさっさとテーブルの茶器を片しはじめた。
バタバタと数人の足音が近付き、屈強な男達がランダルを捕獲し縛りあげる。その間もガイナスは慣れた手つきで茶器をまとめ、先程の声の主が現れる時にはまとめた茶器をメイドに手渡し、綺麗さっぱりテーブルを片付け終えていた。
「ごきげんよう、ガイナス様。いつものことながら騒がしくしてごめんなさいね」
「いいや気にしないでくれ。そのうち貴女が捕獲に来るだろうと思って、あいつの話も右から左へ聞き流して考え事をしていただけだ」
「あら、それなら良かった」
上品に笑いつつ、紐で縛ったうえに猿轡をかませたランダルを馬車に放り込むよう命じるのは、もちろんカリーナである。
相変わらずの美しさだが、その優雅さも美しさも今のガイナスにとっては恐怖でしかなく、直視し難いと思わず視線が泳ぐ。
「お詫びにケーキを買ってきたの、是非パルフェットさんと食べてちょうだい」
「ありがとうございます……」
思わず敬語になりつつケーキの入った箱を受け取る。
そうして優雅に挨拶をして去っていくカリーナを見送りガイナスが溜息をつけば、まるで入れ代わるかのように一台の馬車が停まった。
見覚えのある馬車。マーキス家のもの、もちろんパルフェットである。
ひょこと馬車から降りてくる愛しいその姿に、ランダルの相手で疲労を、そしてカリーナを相手にしたことで寒気を訴えていたガイナスの胸の内がホワと暖まった。
「ガイナス様、どうなさいました?」
「いや、ちょっとランダルが来ていただけだ」
「まぁ! またあの方が来ていたんですか!」
ムゥと頬を膨らませるパルフェットに、ガイナスが慌ててフォローをいれる。
家にはあげていない、話も聞き流した、そして最後に「カリーナ嬢が回収していった」と告げれば、友人の名にパルフェットの顔がパッと明るくなる。どうやら機嫌が直ったようで、それを察したガイナスが安堵し、渡されたケーキを掲げて見せた。
「カリーナ嬢がケーキをくれた。一緒に食べよう」
「はい!」
途端に瞳を輝かせ「紅茶を淹れてもらいましょう」と嬉しそうに近くにいたメイドへ駆け寄るパルフェットを見守り、ガイナスが小さく溜息をついた。
最後に見たランダルは見るも無惨で、紐で縛られ引きずられていく姿に過去の栄光は影も形も見られない。同じ男として哀れの一言につきる。
そして勿論ランダルがそこまで堕ちるほど、カリーナが彼を徹底して責めているのも知っている。……知っているが。
と、ガイナスが今頃馬車の中でカリーナに踏みつけられているであろう友人の姿を思い描いた。
離れた場所でメアリとガイナスが揃えたように溜息をつく。
でもねカリーナ、貴女……。
でもなランダル、お前……。
あんなに嬉しそうな表情を見せられて、いったいどうしろって言うのか……。
これはもう放っておくのが一番だと判断し、メアリもガイナスも、自分を呼ぶ愛しい人のことを考えるべく頭を切り替えた。
※田舎娘の話※
「あら、おはようメアリ」
「おはよう、お母様」
「おはようございます! メアリ様!」
「おはよう、アリシアさ……ひあぁあ!なんで貴女がうちにいるのよぉ!」
「えへへ、メアリ様とピクニックに行こうと思って朝から遊びに来ちゃいました!」
「ひとが寝てる時間に来るなってなんべん言えば分かるのよ!『ニワトリが鳴いたら朝』っていう田舎思考はさっさと捨てなさい!」
「私だってニワトリが鳴いてちょっと待ってから来たんですよ。ねぇキャレル様、私そんなに早くなかったですよね?」
「メアリ、後でアディにお礼を言っておきなさい。彼、貴女の部屋の前で必死に彼女を引き留めてたから。物凄い攻防戦だったわよ」
「夫の愛を感じるわぁ……」
「それじゃメアリ様、ピクニックに行きましょう!」
「嫌よ。勝手に行ってちょうだい。私は朝食をとるのよ、ねぇ誰か用意を」
「メアリ様、ごちそうさまでした」
「食べたのね!?」
「えへへ、美味しかったです! さぁ、メアリ様いきましょう!」
「なんで朝っぱらからひとの家に押し掛けて、挙げ句にひとの朝食を食べるような田舎娘とピクニックになんか行かなきゃいけないのよ!」
「でも、コロッケたくさん作ってきましたよ?」
「…………ふむ」
そうして
「貴女、紅茶の淹れ方はまだまだだけど、コロッケだけはうまくなってるわね」
「メアリ様に満足していただけて嬉しいです」
「渡り鳥丼屋のサイドメニューにしてあげる」