その後の更に後の話※マーガレット※
マーガレット・ブラウニー、旧名マーガレット・リアドラは貴族と言えどあまり高い地位の生まれではなかった。といっても彼女の家であるリアドラ家は下級というわけではなく、あくまで中の中レベル。卑屈になるほど弱小貴族というわけではない。
かといって胸を張って社交界やエレシアナ学園に通えるかと言えばそこまで誇れるものではなく、まずまず平凡な中流貴族家系といったところである。
マーガレットはそれを不幸とは思わなかった。何不自由なく、それどころか贅沢のできる家に生まれたのだ、これを不幸と嘆くほど彼女は親不孝者ではない。
もっとも、ならば満足しているのかと問われれば、彼女は恥じることなく首を横に振った。
平凡な貴族の家に生まれた彼女は、「自分の授かったものより少しプラスしたものを子供に託せればいい」と考える欲の薄い両親と違い、幼いころから抑え切れぬ野心を胸に抱いていた。まだ貴族の格差など知らぬ幼少時からこの世界の仕組みを薄々と感じ取り、それと同時に更に上にのぼりたいと考えはじめたのだ。
そんな彼女に転機が訪れた。リグ・ブラウニーとの婚約である。
ブラウニー家といえば上流の家系、親同士がエレシアナ学園時代に学友だったことから舞い込んできたこの縁談にマーガレットは二つ返事で了承し、そして歓喜した。
ブラウニー家に嫁げる!と、そこにいっさい愛などないが、マーガレットはさして気にもとめなかった。リグ・ブラウニーに対しても恋心などは微塵も抱かなかったが、彼に嫌われぬよう、ブラウニー家の名に恥じぬよう並々ならぬ努力をした。
夫を支え、子を授かり家庭を守る。社交界では夫が誇れる女であり、子供達には無償の愛を注ぐ母である……それこそが女の役目であり、ブラウニー家を名乗れるのであればどんなことでもやり遂げよう。その覚悟と決意を胸に、マーガレットは自らを高めていった。
ここで話をブラウニー家に移す。
ブラウニー家は代々続く名家であり、社交界で言うのならば上の中レベル。エレシアナ学園を胸を張って闊歩でき、社交界では誰もが我先にと挨拶に向かうような家柄である。
本来であれば縁談は選り取り見どりで、いくら親が昔馴染みと言えど中の中レベルであるリアドラ家の娘を娶る理由がない。
とりわけ、リグはブラウニー家の唯一の子供なのだ。家を継ぐ息子には家柄に見合った女性を……と考えるのが普通である。だがその一人息子リグこそブラウニー家の抱える問題であった。
なにせ我が儘、それでいて横暴。貴族のくせに貴族を嫌う、親には理解し難い反抗期を酷く拗らせていたのだ。
寄ってくる令嬢は全てブラウニー家の家名目的と決めつけて冷たく接し、甘やかしすぎたとブラウニー夫婦が後悔するほどである。
だからこそ夫婦は昔馴染みを頼りマーガレットに婚約話を持ちかけたのだ。貴族の令嬢を毛嫌いする一人息子が、余所の女を、それも貴族以外の女を孕ませるなんてことが起こらないうちに……。
そういうわけで、双方の利害が一致してマーガレットは婚約した。
ちなみにマーガレットとリグの初めての会話は
「お前もどうせうちの家柄が目当てなんだろ」
「えぇ、そうですよ」
である。
そんな二人でも大学部まで婚約関係を続けられたのは、貴族を毛嫌いしていてもリグがブラウニー家の名を捨てられないのと、婚約破棄をされたら堪ったものではないと落ち度を作らないよう努めたマーガレットの努力故である。
やはりそこに一切、愛などない。
そんなマーガレットに二度目の、そして望ましくない転機が訪れたのは大学部。リリアンヌの転入である。
ゲームの記憶などないマーガレットは、リリアンヌもどうせリグに近付いては冷たい態度で傷つけられて去っていくのだろうと、そう考えていた。
ところがどういうわけか、最初こそリリアンヌに冷たく接していたリグが次第に彼女に柔らかな笑顔を浮かべているのだ。それどころか、彼女を囲む男達の一人と化している。
ゲームの知識を活かし、リグの貴族ゆえのコンプレックスをリリアンヌが解いていったのだ。とりわけ彼は家柄に拘らぬ愛や優しさに飢えていたので、リリアンヌにとっては楽な攻略であっただろう。相変わらず、そこには愛などないのだが。
もっとも、そんなこと思いも知らぬマーガレットはリグの変わり様に目を疑い……そして同時に不味いと表情を渋らせた。
せっかくブラウニー家との縁を作れたのに、それをあんな女に奪われてしまうのか……と。
そう危惧するマーガレットが動き出したのは、実を言うと誰よりも早かった。全てを知って慎重に動いていたカリーナですら気付きも……そして考えもしない早さである。
リリアンヌの逆ハーレムに加わった哀れな息子の姿をブラウニー夫妻に見せつけ、彼等が養子縁組みを考えはじめた頃にこう告げた。
「婿を取り、必ず立派な男児を生むとお約束いたします!」
と。それはなんとも無茶な話であったが、マーガレットは見事彼等の首を縦にふらせ、ブラウニー家の養女として迎え入れられた。
夫婦が彼女の野心を買ってくれたのだ。それをマーガレットはこれ以上ないほどに喜び、ブラウニー家は勿論、自分の野心を咎めることなく送り出してくれたリアドラ家にも報いようと、そう心に決めた。
そんなマーガレットの三度目の転機が……今この時、アルバート家のパーティーである。
「メアリ様、私もちょっと行ってきます」
「どうしてかしら、貴女の『行ってきます』が『狩ってきます』にしか聞こえないの。というか、先陣きって行くかと思ってたわ」
「私、人の獲物はとらない主義なんです。他の方々の動きを見てからにしようと思いまして」
「良識のある狩人だわね。何か困ったことがあったら言いなさい、協力してあげる。私、実は貴女のガツガツしたところ嫌いじゃないの」
「お義姉様と呼んで頂いても構いませんが」
「恐ろしいこと言わないでちょうだい」
そうメアリ・アルバートに言われ、マーガレットはクスクスと笑って会場へと向かった。
あちこちで令嬢達が意中の相手に声をかけ、とりわけパトリック・ダイスの人気といったらない。
そんな中、マーガレットは会場内を見渡し、その壮観さに思わず溜息をついた。流石はアルバート家の屋敷である。どこもかしもこ格調高く、それでいて成金めいた嫌らしさを感じさせないセンスの良さ。
王家と並ぶ権威と、そして長く続く歴史と威厳をこの屋敷が物語っているのだ。
羨ましい……とマーガレットが窓からメアリを見つめた。パルフェットとなにやら話をする彼女は流石アルバート家令嬢といった美しさと佇まいである。
それを眺め、やはりアルバート家の子息を…と考えたマーガレットが庭へと戻ろうとし、その途中でぼんやりと佇む少年を見つけて足を止めた。
マーガレットが彼を気にかけ、近付いて声をかけたのは全くの偶然である。彼を知っていたわけでもなければ、目があったわけでもない。もちろん呼ばれたわけでもない。
ただなぜかその少年が気になり、話しかけてみようと思ったのだ。そしてこれがマーガレットの運命を大きく変えるのだから、この偶然はもしかしたら彼女の野心が引き寄せたのかもしれない。
「せっかくのパーティーなのに、浮かない顔ね」
そう穏やかに声をかければ、少年がはたと我に返ったように振り返った。
柔らかな髪が揺れ、深い色合いの瞳がマーガレットをとらえる。幼いながらに精悍さを感じさせる美しい少年だ。
だがその顔はどこか暗く、マーガレットが「どうなさったの?」と声をかけると視線から逃れるように俯いてしまった。
綺麗な顔が台無しだわ……と心の中で呟きつつ、少年を刺激しないようゆっくりとその隣に並ぶ。先程までの彼の視線を思い出して辿るように顔を上げれば、目の前にはアルバート家の屋敷が佇んでいた。
その豪華さたるや、格の違いを見せつけられているような錯覚にすら陥りかねない。だがそれと同時に、同じレベルに立ちたいと、この屋敷の扉を堂々とくぐり、そして同格の屋敷にメアリ・アルバートを招きたいと、そう思えてくるのだ。
我ながら呆れてしまう……と胸の内に燃える野心を小さく笑えば、隣にたつ少年が「ぼく……」と小さく呟いた。
年の頃なら10か11あたりだろうか、美しい外見と声変わり前のよく通る声が似合っており、芸術品を眺めているような気分にさせる。
「どうなさったの?」
「こんな立派な家に堂々と通える人が羨ましいんです」
「あら、どうして?」
「僕、兄が二人いて……兄達はとても立派で常に堂々としていて、それなのに僕はこういった場でも緊張しちゃって、どう振る舞えばいいのかわからないんです」
情けないと俯く少年に、マーガレットが穏やかに微笑んだ。
なんて可愛らしいのだろう……と、胸に湧き上がる感情に思わず口角があがる。だがそれと同時に「三男か」と冷静な考えも浮かぶあたり、流石はマーガレット・ブラウニーである。
ブラウニー家の名は伊達ではない。家柄的にも、名乗るまでの過程においても。
「本当は一番上の兄が家を継ぐはずだったんですが、ちょっと……あの……理由があって、今は二番目の兄が継ぐことになったんです。そんな二人を見ていたら、僕は何もしないでいいのかなって……」
「お兄様にかわって家を継ぎたいの?」
「まさか、そんな」
慌てたよう首を横にふるあたり、この少年に兄を蹴落とすような意志はないのだろう。
だが、それでもと彼は顔を上げ、深い色合いの瞳でアルバート家の屋敷を見上げた。風が彼の藍色の髪を揺らせば、幼い顔つきが愛らしさと精悍さを混ぜ合わせた少年特有の魅力を漂わせる。
「兄に取って代わろうとか、そんなことは思っていません。でも、それでも……僕も兄達のように何かを背負い、煌びやかなこの社交界で臆することなく堂々と胸を張っていたいんです」
そう言い切る少年の姿は幼いながらにも『男』を感じさせ、マーガレットが気圧されるように小さく息を飲んだ。少年のような愛らしさと、そして瞳に宿る強い意志……。
だが次の瞬間には表情を気弱なものへと変えてうつむいてしまうのは、純粋に兄達への憧れを募らせ、そして募らせるあまり幼い自分への憤りを感じているからだろうか。先程のは一瞬だけ灯った炎、見逃してしまいそうな程に小さく、不安げに視線をそらす彼の藍色の瞳の中には既に炎の面影は見られない。
だからこそ、その炎が燃えさかる糧になりたいと、彼が何かを成し遂げ背負っていくのを傍らで支えたいと、そう心から思えたのだ。
だがそれと同時にマーガレットの中で制止がかかるのは、野心を買ってくれたブラウニー家と自分を送り出してくれたリアドラ家に報いると決めたからである。あまり低い家の息子を婿入りさせるのは両家に申し訳が立たない。
そんなことを考えるぐらいには、野心家でありながらもマーガレットは義理堅い女であった。両家のために、両家に恩を返すために、両家が納得するような婿を捜すのが自分の責務だと考えていた。
望ましいのは、ブラウニー家と同格、もしくはそれより上の家系の息子。
それこそが恩返しに、そして自分を見限ったリグへのあてつけにもなる。
だがそんな男がそうそういるわけがなく、マーガレットが小さく溜息をついて目の前の少年を見つめた。
王子様が迎えに来てくれる、などという夢を見たことはない。
王子様が居さえしてくれれば、こちらから迎えに行くのに……。
そんなことを考え、マーガレットがふると首を横に振った。今は目の前の少年の悩みを聞いてあげなくては。
自分の野心を否定する気はないが、それで他者の相談を蔑ろにするのをマーガレットは良しとしない。
だからこそ改めて少年に向き直り、彼の瞳をじっと見据えた。吸い込まれそうな藍色の瞳は悩みの色を映しつつ、それでもどこか強い意志を感じさせる。
「確かに貴方はお兄様方に比べたら未熟かもしれないわ」
「そうですよね……」
「でもね、それは貴方が幼いから。だから当然なのよ。むしろ貴方はその年の差を当然とせず『今のお兄様』を見上げている、だからその未熟さは素敵なことなのよ」
「素敵……?」
キョトンと少年の瞳が丸くなる。
慰められるか叱咤されることは想像していたが、まさか未熟さを素敵と褒められるとは思わなかったのだろう。予想外だと言いたげなその表情にマーガレットがクスリと笑った。
「自分を未熟だと思い、お兄様達との差を見つめ続けている限り、それは貴方の伸びしろよ」
「伸びしろですか?」
「えぇ、変わらず理想を追いかけていけば、貴方は今よりもっと、今のお兄様達の年齢になる頃には比べられないほど素敵になれる。私が保証するわ」
だから自信を持ちなさい、と自分のことのように胸をはって宣言するマーガレットに、少年が圧倒されるように唖然とした表情を浮かべ……次の瞬間、ポッと頬を赤くさせた。
その反応に、「あら可愛い」とマーガレットが口元をおさえる。彼の反応と表情はマーガレットへの特別な好意を分かりやすく訴えており、その胸に真っ直ぐに向かう感情がどうしようもなく愛らしいのだ。
それと同時に彼を支えたいと、時に力になり、時に見守り、誰より近くで彼の成長を見届けたいと思える。相手の家柄も知らずにこんなことを思うのはマーガレットの人生では初めてであった。――他者が聞けばなんとも分かりやすい話なのだろうが、リグとの割り切った関係を続けていたせいか、マーガレットはこの愛しさの名前を知らずにいた――
そこまで考え、ふとマーガレットがこの少年の家名はおろか、名前すら聞いていないことを思いだし、チラと少年に視線を向けた。もしも彼がブラウニー家と並ぶような、負けず劣らずな家系であったとしたら、その時は私……と、そこまで思いを馳せ、さも「名前を呼びたいけれど分からない」と言いたげに口を開いた。
その仕草で少年は察してくれたようで、「申し訳ありません」と慌てて頭を下げる。女性に失礼をしてしまった、と、そう考えたのだろう。そんな様子もまた愛らしく、マーガレットが微笑んで返した。
「名乗らずに自分の話ばかりして、申し訳ありませんでした。僕はバーナード、バーナード・ダイスといいます」
「バーナード……ダイス?」
聞き覚えのある家名に、マーガレットがオウム返しで尋ねた。
といっても聞き損ねたわけではない、彼の澄んだ声は心地よいほどハッキリとマーガレットの耳に届いた。だが「まさか」という気持ちが強く、信じられないのだ。
「貴方、ダイスって……」
「はい」
はっきりと頷いて返す少年……バーナードに対して、マーガレットはキラキラと視界が輝く錯覚さえ覚えた。
ダイス家といえば国内はおろか近隣諸国でも知らぬ者のいない、名家中の名家。もとよりアルバート家に次ぐ権威を持つ家であり、嫡男パトリック・ダイスが王女と正式に結ばれればより高みに登る。今やアルバート家に次ぐ家柄ではなく共に肩を並べているとメアリ・アルバートが笑いながら話していたのを覚えている。
上の上、どころではない。ブラウニー家ですら雲の上に感じられる、貴族の中でも飛び抜けた家柄。
バーナード・ダイスはその三男。なるほど、だから長男が家を継がず、次兄が……と考え、マーガレットがそっとバーナードの手を握った。まだ男になりきれていない細い指がピクリと揺れる。だが振り払うことも手を引くこともなく、見れば彼の美しい顔が更に赤みを増していた。
「私ってば、ダイス家の方とは知らずとんだご無礼を……」
「いえ、そんな。僕の方こそ名乗らず申し訳ありません。あの……お名前は?」
バーナードの問いかけに直ぐには答えずニッコリと微笑めば、彼がより頬を赤くさせて見惚れるように見つめてくる。
今までリグ・ブラウニーを引き留めるために美貌に磨きをかけていたが、全てはこの瞬間のためだったのね……とマーガレットが内心でごちた。そうして触れた手に僅かに力を入れて優しく握り、特上の微笑みで
「私、マーガレット・ブラウニーともうします」
と返せば、藍色の少年が澄んだ声で小さく名を呼んでくれたのが聞こえてきた。
それが嬉しく、より一層魅力的な笑みを浮かべて
「私に話をして少しでも気が晴れるのなら、どうぞ何でもお話ください」
と誘えば、赤くなったバーナードがコクリと小さく頷いた。
「あら」
とメアリが呟いて、ドレスで覆われた自分の肩を撫でた。なにかが下りたようにスッと肩が楽になったのだ。
対して、そんなメアリを「どうした?」と眺めていたパトリックがブルリと肩を震わせる。
「なにかしら、肩が楽になったわ」
「なんだ? いま何か寒気が……」
かたや不思議そうに肩を撫で、かたや窺うように周囲を見回す。そんな二人に、周囲はいったいどうしたのかと首を傾げた。
・・・・・・・・・
ダイス家での用事をすませたメアリとアディがバーナードに声をかけられたのは、あの日から数ヶ月後。
昔から馴染みのある年下の少年に声をかけられ、さらに話を聞いてほしいと言われれば断るわけがない。なので通された客間で淹れてもらった紅茶を堪能しつつバーナードに視線を向ければ、彼は言い難そうにそれでもゆっくりと口を開いた。
「メアリ嬢……あの、女性ってどんなものを貰ったら喜ぶんでしょうか……」
顔を赤くさせしどろもどろな口調で尋ねてくるバーナードに、メアリとアディが思わず顔を見合わせた。
これはつまり、そういう質問なのだろう……と。
そしてバーナードが純粋であるのを知っているからこそ、真面目に答えなくてはと互いに頷きあった。
「そうね、女性への贈り物ほど難しいものはないわ」
「メアリ嬢は、何を貰ったら嬉しいですか?」
「コロッ」
「バーナード様、お嬢だけは参考にしちゃいけませんよ」
すかさず割り込んでくるアディに、メアリがハッと我に返った。
危ない、ついうっかりと本音が出てしまった。これで参考にでもされたらバーナードに申し訳がない。と、自分を窘める。
そんな二人の様子に気付くこともなく、バーナードが今度はアディに視線を向けた。
「アディは、最近メアリ嬢に何をあげたの?」
「俺ですか?」
この質問に対し、メアリとアディがキョトンと目を丸くさせ、まるで内緒話をするかのように顔を寄せ合った。
緊急会議である。
「……最近って言うと、昨日コロッケを買って帰りましたけど、あれは贈り物に数えますか?」
「貴方さっきひとのこと参考にするなって言ったばっかじゃない」
「そりゃお嬢を参考にさせられないと思ったからですよ。でもここ最近の記憶をひっくり返したところでコロッケしか贈ってません」
「それってどうなの?」
「じゃぁ何か欲しいものがあるんですか?」
「お腹がすいたわ」
「コロッケじゃないですか」
そうブツブツと声をひそめて話し合い、メアリがコホンと咳払いをした。
そうして改めてバーナードに向き直り、彼の藍色の瞳を見据える。
「バーナード、貴方だれか大事なひとができたのね」
柔らかく微笑みながら問われ、バーナードの頬が赤くなる。
それでも否定も誤魔化すこともせず頷いて返すあたり、やはり彼は素直で純粋な性格をしている。そしてそれほど大事な女性ということなのだろう。
「はい、とても大事に思っています」
「貴方にとって代わりのない程に大事なのね」
「彼女の代わりなんて、考えられません」
はっきりと断言して返すバーナードに、メアリが「それなら」と続けた。
「それなら私達の意見を参考にしたらだめよ。代わりのない世界でたった一人の女性なら、なおさらね」
微笑みながら説くメアリに、バーナードが何かに気付かされたようにハっと息を飲んだ。
次いで僅かに俯きつつ、「そうですね」と照れ臭そうに笑う。
――その瞬間、アディが小声で「お嬢、素晴らしい誤魔化しです」と呟いたが、もちろんバーナードに届くわけがない――
そうして彼はこちらが微笑ましく笑みをこぼしてしまいそうなほどの愛らしさで「自分で考えて、自分で贈ります」と答えた。その藍色の瞳の清らかさといったらない。
「貴方にそこまで想われるなんて、よっぽど魅力的な方なのね」
「はい、彼女はとても綺麗で、優しくて、大人の女性の魅力にあふれた方なんです」
「あら、年上なの?」
「エレシアナ学園の生徒で、メアリ嬢と同じ学年です」
「へぇ、お嬢と同い年ですか。そりゃ結構としが」
「その年頃の女性なら交換日記なんて良いかもしれないわね。離縁状を表紙にデザインした、お洒落な作りの交換日記を顔面に叩きつけてやりなさい」
「交換日記、ですか?」
「えぇ、一切の接触を禁止したうえで、父親を通してやりとりをするのよ」
「申し訳ございません。お嬢、ごめんなさい、もう黙りますからそれだけは許してください」
途端にあたふたと慌てて謝りだすアディに、バーナードがいったいどうしたのかと首を傾げる。
そうして再度メアリがコホンと咳払いをして場を改めた。
「その素敵な女性の名前を教えてもらってもいいかしら?」
「はい……」
その名前を口にすることすら嬉しいのか、愛おしむように瞳を細めたバーナードが「彼女の名前は……」とゆっくりと口を開く。
その様子にティーカップに口をつけたメアリが柔らかく笑みを浮かべ
「彼女はマーガレット・ブラウニーといいます」
というバーナードの言葉に、思わず紅茶をふきだしかけ、グッとこらえた。
流石はメアリ・アルバート。いかに不意打ちの名前と言えど紅茶を吹き出すような無様な姿は晒せない。
もっとも、寸でのところで飲み込みケホケホと咳こんだ後、思わず
「あの女、ついにやったわね……」
と呟いてしまったのだが、幸いバーナードには届かなかった。