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パトリックの――至極正論な――怒声に三人が目を丸くさせ、食堂の壁にかけられている時計を見上げる。気付けばいつの間にか随分と時間がたっており、そろそろ準備の頃合いである。
「そうね、そろそろ私たちも準備しようかしら」
「えぇ、そうですね」
机の上のものをあらかた片付けメアリが立ち上がればアディがそれに続いて腰を上げる。と、そんなアディの肩を、妙に嬉しそうなパトリックがポンと叩いた。
キラキラと輝かんばかりの彼の笑顔は、そこいらの令嬢であれば向けられただけで顔を赤くさせ、中にはその眩しさに気絶でもしていただろう。
だがパトリックの笑顔に耐性があり、それどころか彼がこの笑顔を浮かべている時はろくなことがないと知っているメアリとアディは怪訝そうな表情を浮かべた。
「……パトリック様?」
「アディ、今日は頑張れよ」
「あ、はい……もちろんです」
「みんなお前に……いや、『貴族界をひっくり返しかねない、メアリ・アルバートが選んだ正体不明の結婚相手』に注目してるからな!」
楽しそうに笑うパトリックに、アディがヒクと頬をひきつらせる。
「なにせあのメアリが、俺との婚約を破棄して以降すべての申し出を蹴っていたメアリ・アルバートが選んだ男だからな。国内中の貴族や学者達も、ここ最近はその話題ばっかりだ」
淡々と話すパトリックに、対してアディがその表情を青ざめさせていく。
だがその話は事実であり、現に結婚相手を早く知ろうと招待時間もまだだというのに既に人が集まっている。みな一様に「パーティーが始まればゆっくり話せないから」だの「是非手伝わせてほしい」だのとそれらしい口実を口にしながら、屋敷内に結婚相手らしき男がいないか目を光らせているのだ。
中にはアルバート家のメイドや使いを呼び寄せて「金を払うから教えてくれ」と頼み込んでくる者もいる始末、それほどまでに今日の結婚発表が重大とも言える。誰より早く情報を掴み、結婚相手とその家に取り入ろうと考えているのだろう。
もっとも、もとよりアルバート家の従者であるアディが屋敷内に居ても誰も婚約者とは思わないだろう。ましてやメアリと二人きりでお茶を飲んでいたとしても「相変わらずだ」としか思われないはずだ。
むしろアディを捕まえて「メアリ嬢の夫は誰なんだ」と迫る者もいるかもしれない。……というより、実際に居た。
それほどまでに注目の的であり。そして今日が発表の場……と考えればアディが青ざめるのも仕方ない。今まで従者の身分だった自分が貴族界の注目を浴びるのだ。それも、貴族界をひっくり返しかねない人物として……。
サァと音立てて青ざめていくアディに、パトリックは爽やかな笑顔のまま
「あぁ、そうだ。国内から注目どころじゃないな。諸外国からも客が来るそうだし」
と、要らんフォローをいれてきた。
それに対してよりいっそう真っ青になったアディがようやく口にした言葉が……
「実家に帰らせていただきます!」
これである。
「アディ、貴方実家ってすぐそこじゃない! 帰っても戻ってこれるし、むしろ貴方の家族全員うちにいるし!」
「アディさん大丈夫ですよ、私でも今は普通に王女務まってますから。注目されるのは最初のうちです!」
「そういえば、高等部の生徒会メンバーも来るらしいな。『あのメアリ嬢がいったい誰を選んだんだ』ってここ最近はその話ばっかりだ」
「追い打ちかけるんじゃないわよ、このいじめっ子! アディ、とりあえず配膳台の下から出てきなさい! 料理長がものすごい形相でこっちを睨んでるから!」
大丈夫だから!と宥めるメアリに、アディが渋々といった様子で出てくる。
そうしてパトリックを恨めしそうに睨むと「素敵な祝言ありがとうございました」と告げるのだ。その口調の恨みがましさといったらない。
もっとも、言われたパトリックはなお楽しそうに笑い「どういたしまして」と返すのだから、メアリもアリシアも呆れたと肩を竦めた。
パトリックなりの祝い方なのだろう。対してアディも同じようにクツクツと笑っているあたり、男の友情なんてそういうものなのかもしれない。
「ひねくれてるわねぇ」
「あら、メアリ様がそれを仰いますか?」
クスリと小さく笑うアリシアに、メアリがキョトンと目を丸くし「言うようになったわね」と睨みつけた。
そうして主役二人も準備に取りかかったのだが、身支度とは男より女の方が時間がかかるというもの。とりわけ結婚発表の準備となれば尚更である。
一人先に支度を終えたアディが再び手持ち無沙汰で屋敷の中をうろついていると、覚えのある声に名前を呼ばれて振り返った。見れば、カレリア学園高等部で生徒会を務めたメンバー。メアリの言葉を借りるならば『ドラ学の攻略対象者達』である。
それぞれが家紋を背負った正装を身にまとい、集団でこちらに歩いてくる様は圧巻である。現に、あちこちから令嬢達の熱っぽい溜息と黄色い声が聞こえてくる。
「本日はお越しいただき、まことに有り難うございます」
深々と頭を下げるアディに彼等が片手で返す。「ご招待いただき…」と続かないのは、勿論アディがアルバート家の従者だからである。
発表されたら彼等の態度も変わるのだろうか……と、そんなことを考えつつ「何かお飲物でも」と無意識にもてなしの体勢にはいる。その染み着いた従者精神に、少なくとも自分はもう少し自覚すべきかと小さく苦笑を浮かべた。
「パトリックがもう来てるって聞いたんだが」
「はい、パトリック様でしたら今は旦那様と話をされています」
「メアリ嬢は?」
「お嬢……メアリ様は現在サロンにて準備中です」
「そうか……ところでアディ」
「はい?」
どうしました?と首を傾げるアディに、元生徒会メンバーがニヤリと悪戯気な笑みを浮かべる。次いで副会長にガシリと肩を掴まれてしまうのだから、これには嫌な予感しかしない。
「おまえはメアリ嬢の結婚相手が誰か、当然知ってるんだよな?」
「……え?」
「まさかあのメアリ嬢がアディにも秘密で、なんて考えられないしな」
「いや、あの、知ってると言えば知ってるんですが……」
「やっぱり。で、誰なんだ? 聞いても言いふらさないし、発表まで大人しくしてるからさ」
だから教えてくれと食い下がる彼等に、アディがどうしたものかと言い淀んだ。
彼等は純粋に好奇心から聞いているのだろう。あのメアリ・アルバートが誰を選んだのか、過去に一度メアリに痛い目にあわされたからこそ、そして彼女が申し出を断る時の文句に使っているパトリックを知っているからこそ、『メアリ・アルバートがパトリックではなく選んだ男』が誰なのか知りたくてたまらないのだ。
教えたところで情報を漏らしたり、ましてや取り入ることもしないだろう。約束すれば大人しく発表の時まで待ってくれるはずだ。
だがそれが分かっていても教えることが出来ずアディが有耶無耶に誤魔化していると、再び覚えのある声が聞こえてきた。
一様に振り返ればパトリックの姿。それに気付いた生徒会メンバーが揃って意識を彼に向け副会長が肩を離すので、アディが小さく安堵の溜息をついた。
「なんだパトリックか。せっかく後少しだったのに」
「おまえ達、どうせアディを問いつめて結婚相手を聞き出そうとしてたんだろ」
まったく、とでも言いたげに彼等を窘めるパトリックの姿はまるで生徒会長様の再来で、先ほどメアリに「いじめっ子!」と言われていたのが嘘のようである。
「パトリックはどんなに頼んだって教えてくれそうにないから、アディに頼んだのに」
「どうせそう出るだろうと思ってたんだ。まさかアディ、こいつらに教えてないよな」
「そんな、言えるわけがありません」
アディが首を横に振って身の潔白を訴えると、パトリックが満足そうに頷いた。
そのやりとりに、結局聞き出せなかったと元生徒会メンバーが不服そうな表情を浮かべる。もっとも、いかに不服そうでも彼等の見目の良さが崩れることはなく、拗ねたような表情に今度は「可愛らしい」と黄色い声があがるのだが。
「しかし、ここまできっちり口止めしてるあたり、よっぽど意外な人物なんだろうなぁ」
「意外?」
元副会長の発言に、パトリックがオウム返しのように尋ねた。
だが誰もが『意外な人物』だと思っていたようで、異論を唱えるようなパトリックの反応におやと首を傾げる。
「そりゃ、あのメアリ嬢が選んだ人物なんだ。それに発表まで信憑性の高い噂が一つも上がってこないときた。相当意外な人物なんだろうって皆言ってるぜ。パトリックだって聞いたときは驚いただろ?」
「驚く?俺が? そんなまさか」
肩を竦めてパトリックが笑う。その態度に誰もが驚くような表情で彼を見つめた。
仮にも元婚約者。それも、幼少時からお似合いだと持て囃されていたのに。
「だけどパトリック、君はずっとメアリ嬢と婚約するって言われてたじゃないか。その君が驚かないって……」
「俺とメアリがお似合いなんて、周囲が勝手に言ってただけだ。俺はずっと、メアリには彼しか居ないって思ってたよ」
クツクツと笑みを浮かべて楽しそうに話すパトリックに、誰もが頭上に疑問符を浮かべる。
彼がここまで言う人物がまったく思い浮かばないのだ。当人を目の前にしても、そしてメアリとアディが常に一緒に居たことを知っていても、それでも気付かないのだからパトリックがさらに笑みを強め、それをみたアディが苦笑を浮かべつつ溜息をついた。
片や楽しそうな、そして片や呆れたと言わんばかりの二人の様子に聞き出すのは無理と諦めたようで、アルバート家夫人に挨拶に行くかと面々が去っていく。
それを見送り、アディが難は去ったと安堵の息を吐いた。
「……パトリック様、楽しんでません?」
「そりゃ、これを楽しまずになにを楽しめって言うんだ」
「なんて性格が悪い……これが令嬢達の憧れる王子様だもんなぁ。正体知ったら、半数近く逃げていきますよ」
「アリシアさえ居てくれれば良い」
「ごちそうさまです」
「そもそも、令嬢達の憧れる王子様って言っても、おまえのたった一人のお嬢様は俺に憧れる様子一つ無かったけどな」
ニヤリと笑って横目で見てくるパトリックに、アディが不意をつかれたように顔を赤くし、誤魔化すようにコホンと咳払いをした。
そうして改めて一息つき、いまだクツクツと楽しそうに笑うパトリックに向き直る。
誰もが焦がれる――もっとも、彼が言うとおりメアリだけは焦がれることはなかったが――理想の王子様。藍色の髪が揺れ、同色の瞳が「どうした?」と言いたげにアディをとらえる。
誰もが焦がれる彼は、どんな身分の令嬢だって虜に出来る魅力と才能と権威を持ちながらも、自分を追いかける田舎出身の少女の手を取った。
家を捨てることも厭わずに……。
「貴方と寄り添う幸せそうなアリシアちゃんを見て、俺の欲がおさえきれなくなりました。お嬢を誰にも渡したくないって……俺だけを隣に置いてほしいって、とっくの昔に諦めていたはずなのに、強くそう思うようになったんです」
「……アディ」
「ありがとうございます、パトリック様」
家柄ではなく気持ちを求め、政略ではなく愛を選んだ。
今までの全てをなげうってでもアリシアの手を取ったパトリックが、そして嬉しそうに彼に寄り添うアリシアの姿が、嫁いだ先でも仕えられるならと諦めていたアディの『従者』ではなく『男』としての願望に再び火をつけた。
誰にも渡したくない、叶うかもしれない、と、そう思うようになったのだ。
それが今日のこの瞬間に繋がっているのだとしたら、その切っ掛けであるパトリックに感謝しないわけがない。
そう正直に伝えるアディに、パトリックが照れくさそうに頭を掻いた。
「気にするな、俺だって何度も助けられてる」
「パトリック様……」
「それにさ」
パトリックがアディの肩を叩き、彼らしい――そして『誰もが焦がれる冷静な王子様』らしくない――悪戯気な笑みを浮かべた。
「俺は『アディ応援し隊』の隊長だからな」
パトリックの言葉に、アディがキョトンと目を丸くする。
その反応が楽しかったのかパトリックがクツクツと笑い、改めて「おめでとう」と友人として祝いの言葉を告げた。