28
その日、アルバート家の屋敷は朝から大忙しだった。
もちろん娘であるメアリの結婚報告のパーティーが開かれるからで、ばらまいた招待状とそれが無くても結婚相手を一目見ようとツテを使って訪れる者と、予想される来客数はそこいらの令嬢が束になってもかなわないほどである。
となれば当然、それに見合った飾り付けや設備、もちろん料理や酒も十二分に用意しなくてはならない。来客数に比例して準備も慌ただしくなり、もとよりアルバート家に仕えていた者は勿論、引退した者も今日という日だけはと遠方から集い、加えて親族やダイス家をはじめとする各家、果てには王宮からも人手を借りるという、猫の手すらも既に借りてるような有様だった。
そんな中、アディはどこへ行けばいいのか分からず、せめて邪魔にならないようにとあちこちを彷徨った挙げ句、従業員用の食堂に来ていた。
普段ならば従業員のみが使用するこの場所も今日だけは臨時の調理場と化し、見慣れぬシェフが食堂に似合わぬ豪華な料理をテーブルに並べている。それを慌ただしく運ぶ者も居れば、材料が足りないとどこかから怒声があがる。
まさに戦場と言えるこの光景に、パーティーの規模を見せつけられているような気分に陥り青ざめたアディが撤退しようとし……ふと、一人のメイドが棚の上にある瓶をとろうと背伸びをしているのに気付いた。
その危なっかしさに、思わず彼女の名前を呼んで駆け寄っていく。
「待って、俺がとるから」
「あら、アディ」
「この瓶で良いの?」
「悪いわね、ついでにその奥にある瓶もとって貰える?」
「はいよ」
小柄なメイドは必死になっていたが、アディならば背伸びをすれば届く高さだ。もっとも、メイドだっていくら小柄と言えど脚立や椅子でも持ってくれば余裕で手の届く高さである。「横着だなぁ」と笑いながら言われた通り――そして次々と増えていく――瓶をおろしていく。
そうして、結果的に棚の上にあった半分近くの瓶を下ろし終えると、メイドが息を飲んで「あぁ、なんてことを!」と声をあげた。
「私ってば、アルバート家のお方に何て事を!」
「……うわぁ、白々しい」
「ど、どうか無礼をお許しください……!」
今の今まで「あれも取って、それも取って」と指示を出していたくせに、思い出したように低姿勢になるメイドに、周囲の者達まで「彼女を許してやってください!」と茶番にのってくる。
その白々しい態度に呆れつつも、この冷やかしこそ彼等の態度が変わらない証だとアディがクツクツと笑えば、誰からともなく同じように笑みをこぼし始めた。
「なんだよアディ、もっとそれっぽく振る舞ってくれよ」
「あぁ、そうだな。今度は上手くやるよ」
と、そんな会話を交わす。
まったくもって彼等の態度はアルバート家の者への態度とは思えないが、むしろそれがアディには嬉しく、有り難いとさえ思えていた。
そうして普段通り変わらぬ雑談を続けていたが、そのうち一人また一人と持ち場へと戻っていく。中には用事を思い出したのか慌ただしげに駆けていく者や、持ち場の上司に咎められて謝罪しながら走っていく者さえいた。
その忙しそうな後ろ姿に申し訳なさが浮かぶが、先程ビンを取ったメイドに「主役なんだからシャキッとしな!」と背中を叩かれ、丸まりかけていた背中を慌ててのばした。
そしてとうとうアディが一人になると、喧噪のやまぬ食堂内をゆっくりと見回し、小さく溜息をつき……
「で、お嬢はいつからそこで豆のサヤ取りをしていたんですか?」
と、食堂の一角で延々とサヤ取りをしていたアルバート家の令嬢の元へと向かっていった。
「あら、もう劇は終わり? 第二幕はないの?」
「みんな忙しいんです」
「私だって忙しいのよ」
ちゃんと働いてるわ、とメアリが訴えつつ、手にしていたマメをカゴに放った。
彼女の手元におかれた『サヤを取り終えたマメ入れ』のカゴが既に3つ並んでいるあたり、ずいぶんと前からここに居たのは明白……とそんなことを考えながらアディが近付けば、その横を一人のシェフがひょいと通り抜けた。
そして「もらっていきますよ」とマメが入ったカゴを三つ持って行く。もちろん、空のカゴを置いて……。
「お嬢、本当にいつから居たんですか……」
「思っていた以上に、私は今日が楽しみだったみたい」
返答代わりに呟かれたメアリの言葉に、向かいの席に座ろうとしていたアディが椅子にかけた手をピクリと揺らした。
楽しみだった、というメアリの素直な言葉に、今更な話だが嬉しくなってしまう。
「そ、そうなんですか……?」
「えぇ、自分でもビックリするほど早く起きたのよ。それでね……」
今朝方、メアリは自分でも驚く程早い時間に目を覚ました。
外を見ればようやく日が昇りはじめた頃で、このペースならば二度寝どころか三度寝もいけそうな時間である。
ならばともう一度ベットに入り、布団をかけて、目を閉じ……そして「何て事なの!」と一人の部屋で驚愕した。
眠れない。
眠気があっという間にどこかに行って、到底眠れる気がしない。
それどころか微かに聞こえてくるざわつきが「今日がその日だ」と訴えているようで、ベットの中に居ることすらじれったく感じられる。
これではまるで遊びに行く日の子供じゃない……と、そう思えど逸る気持ちは抑えきれず、「うるさくて目が覚めた」だの「昨日早く寝たから」だのと早起きの言い訳を用意しつつベットから下りた。勿論、メアリ・アルバートたるもの、たとえ結婚式と言えど興奮して早起きした等と子供じみたことを口に出来ないからだ。
だが屋敷の中はそんな言い訳を聞く余裕も無いと慌ただしく、誰もがメアリに挨拶こそすれど「後で紅茶を持って行きますんで!」だの「後で遊んであげますから!」と蔑ろ状態だった。
そうして、ふらふらと屋敷の中をさまよった挙げ句、食堂にたどり着いたわけである。
アルバート家の令嬢、それも今日のパーティーの主役が居場所がなくて食堂の隅というのは切ない話ではないか。だがメアリの父親と兄達はあちこち慌ただしく指示を出し、母親はパーティーの装いだの紅茶だお茶だのと忙しそうで声をかけれずにいた。
準備をしようにもドレスは決まっているし、髪を整えるのはまだ早い。下手に外に出れば、今日まで隠し通してきた結婚相手の情報をいち早く得ようと待ちかまえている者達に捕まりかねないし、かと言って部屋で大人しくは出来そうにない。
そんなメアリを見つけたメイドが
「メアリ様! 暇ならマメのサヤとってくれません!?」
と尋ね
「まかせて!」
である。
「つまり居場所がなくてここでサヤ取りしてたんですね」
「そりゃ今日のパーティーが大規模で大変なのは分かるわ。でもね、ちょっとあの蔑ろぶりはどうかと思うの。……あと、遊んであげるって言ってきた奴の名前と顔は既に私の解雇リストに記入済みよ」
「その解雇リストってまったく実現してませんよね」
「えぇ、だって貴方の名前が一番上にあるんですもの」
そんな雑談を交わしつつ手際よくマメのサヤをとるメアリに、アディが溜息をつきながらも自分もと手をのばした。
結局の所、アディもまたやることがなくてこの場所に来たのだ。
「ところでお嬢、妙に手慣れてますね」
「私がこの作業をいつからやっていると思ってるの? たまに手伝う程度の貴方とは年季が違うのよ」
「まったく誇れませんよ……まぁでも」
不敵に笑い、アディが立ち上がる。
そうしてどこかへ行ったかと思えば、戻ってきた彼の手にはナイフと、それに野菜の入ったカゴがあった。それらを手に座り直すと、手早くナイフで皮を剥いていく。
その手際の良さに、メアリが感心したように「あら」と声をあげた。
「なかなかの腕前ね。かなりその道に通じていると見たわ」
「そりゃ俺は以前から雑用を頼まれてますからね。野菜の皮むきだけじゃなく、庭師の真似事だって出来ますよ」
「まったく誇れないわねぇ」
先程の焼き直しのようなやりとりに思わずどちらともなく笑い出す。
そうしてしばらくは他愛もない会話をしながら作業を進めていると、バタン!と勢いよく食堂の扉が開かれた。
「メアリ様! おめでとうございます!」
と、この慌ただしく戦場と化した食堂内で、それでも隅々まで響く元気の良い声。言わずもがな、アリシアである。
金のレースが施された黄色のドレスに銀色の髪飾りを付け、その鮮やかさは彼女の性格もあってかまるで太陽のように見える。……もっとも、メアリからしてみれば太陽光がきつく「うるさいのが来た」とこの日においても毒を吐いた。
「ごきげんようアリシアさん、こんなに早くどうなさったの? 田舎育ちって時間の感覚も違うのかしら」
「えへへ、メアリ様とアディさんのパーティーが嬉しくて、早く起きちゃったんです!」
「うぐっ……そ、そうなの。田舎は朝が早いって言うものね」
アリシアの発言に一瞬ひるみつつ、それでもとメアリが返す。
が、その頬が赤くなっているのは誰が見ても明らかで、アディが「まったく変わらない」と溜息をついた。
「メアリ様もアディさんも、いったい何をしていたんですか?」
「なにって……」
チラと二人が手元に視線を落とす。
片や豆、片や野菜が握られているその光景に、つられて視線を向けたアリシアが状況を察したのか「私もやります!」と意気込んだ。
「え、アリシアちゃん! 流石にそれは……!」
「アディさん、私を誰だと思ってるんですか! 田舎育ちの王女ですよ! 豆のサヤ取りも野菜の皮むきもお手の物です!」
胸を張って宣言し、アリシアがメアリの隣に腰を下ろす。
そうしててきぱきと作業に取りかかるのだ。その手際の良さといったら無く、メアリとアディが思わず目を丸くして顔を見合わせた。
「誇れないわね」
「誇れませんねぇ」
と、そう呟きあう二人をアリシアが「二人とも、手が止まってますよ!」と叱咤した。
そうしてしばらくは三人でせっせと下準備をしていると、再び扉が勢いよく開いた。
そこに居たのは眉目秀麗な青年。着飾った姿がなんとも様になっており、まるで夢物語の王子様のようではないか。……ひきつったその表情さえなければの話だが。
おまけに
「なんでこんな所にいるんだ……」
と唸るような声色で歩み寄ってくるのだから、まったくもって残念である。
もっとも、睨みつけてくるその顔付きも凛々しく、余所の女性が見れば一瞬で虜になりそうなものだが、この場においてその視線を受けているのは既に虜になっているアリシアと、平然とその視線を受けるメアリとアディだけである。
「あらパトリック、貴方も早く起きたの?」
豆を片手に優雅に朝の挨拶をするメアリに、パトリックが更に頬をひきつらせる。
「パーティーが始まれば君たちはもちろん俺も落ち着いて話が出来ないと思って、早めに挨拶に来たんだ」
「まぁ、わざわざ有り難う」
「ところが、屋敷内を探してもサロンを探してもどこにも居やしない。お茶でもしているのかと思って庭園を隅々まで探し回ったって言うのに……!」
なんでこんなところに……とパトリックが肩を落とす。
確かに彼が落胆するのも仕方あるまい。いったいどこの世界に、自分の結婚披露パーティーの朝から従業員用食堂で下準備に励む貴族の夫婦が居るというのか。それも、自分の恋人である一国の王女まで居るのだから、怒鳴る気にすらならないのだろう。
「で、いったい何をしていたんだ?」
直視しがたい現実に頭痛でもおこしたか、額を押さえながら溜息混じりに尋ねるパトリックに、問われた三人が揃って顔を見合わせた。
そうして順に
「豆のサヤ取り」
「野菜の皮むきです」
「その両方をこなしてました!」
と、さも当然のように答えれば、今まで耐えていたパトリックも限界が来たのか
「そんなことしてないで、自分の準備をしろ!」
と、食堂内に怒声を響かせた。