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エレシアナ学園に戻るため馬車に乗り込もうとしていたメアリが呼び止められ、ふと振り返れば父親の姿。
多忙であまり見送りに出て来られない父にいったいどうしたのかと首を傾げれば、彼はコホンと咳払いをしてメアリに視線を落とした。アルバート家当主、と考えれば誰もが畏縮しそうなものだが、娘であるメアリは今更緊張も何もない。応えるように真っ直ぐに見つめ返し「お父様、どうなさったの?」と首を傾げた。
「ダイス家のパトリックから聞いて耳を疑ったよ、どうやらエレシアナ学園でとても親しい友達が出来たらしいじゃないか」
「えぇ、出来たわ。というか何で耳を疑うのかしら」
「良い子なのか?」
「えぇ、とても良い子よ」
「お前は変わりも……気が強いところがあるから、泣かせていないか心配だな」
「泣かせるとか以前に泣いてる子よ」
「そうか……」
メアリの説明に若干の疑問を抱いたような表情を浮かべつつ、アルバート家当主が再びコホンと咳払いをして話を改めた。
「メアリ、大事な友人がいるのなら、招待状は直接自分で渡しなさい」
「直接……?」
どうして?と不思議そうにメアリが首を傾げるのは、招待状をばら撒く準備が既に整っているからだ。
上質の紙に美しい文字を走らせアルバート家の家紋を刻んだ封蝋で綴じた招待状は、数日後には国中どころか諸外国の各家に届く予定である。……結婚相手はいまだ隠したままだが。
「アルバート家令嬢の知り合いではなく、メアリの友達なんだろう、それならきちんと手渡しするんだ」
せっかく出来た友達なんだから、と念を押してくる父に、メアリが数度瞬きを繰り返した後、言わんとしていることを察して照れくさそうに「そうね」と頷いて返した。
アルバート家令嬢の結婚報告ではなく、只のメアリが友達に結婚の報告をするのだ。嬉しくて、そして照れくさい。
そんなメアリを微笑ましく見守り、次いでアルバート家当主が彼女の横に立つアディに視線を向けた。元より主従の関係があり、そのうえ義父という新たな関係が上乗せされたからか、妙に緊張した面持ちで背筋を正している。
「アディ、お前も親しい者には招待状を渡して良いんだぞ」
「……旦那様」
「結婚相手を隠すとは言え、お前にも招きたい友人がいるだろう。流石にばら撒けとは言えないが、親しくしている友人には是非来てもらいなさい」
「旦那様……!なんてお優しい!」
一瞬にして義父に瞳を輝かせるアディに、対極的にメアリの目が死んだ魚のように濁る。兼ねてから彼の当主贔屓を気持ち悪いと思っていたが、関係が新しくなって改めて『とても気持ちが悪い』と思う。
――おまけに、最近ではこの初期症状がパトリックにも見受けられ、メアリは以前より増してうんざりしているのだ――
だがそんな義父の気遣いに対し、アディは「お心遣いありがとうございます」と深々と頭を下げた後、困ったように眉尻を下げて「ですが…」と続けた。
「ですが、その……俺の友人は…」
「アディ、貴方さては友達が居ないのね!」
「お嬢と一緒にしないでください」
「アディ!?」
「メアリ、何でも自分を基準に考えるものじゃないぞ」
「お父様!?」
二人からバッサリと容赦なく切り捨てられ、メアリが胸元を押さえる。これは流石に傷付いた……と自己回復のためにしばらく口を挟むまいとアディの続く言葉を待つと、彼は少し言い難そうに視線を泳がせた後、ゆっくりと口を開いた。
「俺も、何人か呼びたい友人はいるんです。ですが……」
「何か問題があるのか?」
「その……俺の友人はみんな他家で働いてまして、今回のパーティーを聞くや『アルバート家は金払いが良い!』って、喜んで手伝いに応募してるんです……」
みんな当日会場に居ます、と遠い目で告げるアディに、アルバート家の二人が揃えたように視線を逸らした。
予定されているパーティーの規模はかつてないほどで、通常アルバート家で勤めている者達では手が足りず、故に他家から給仕やメイドの手伝いを募っていた。
貸す側の家も、これでアルバート家に恩を売れると喜んで手伝いに寄越してくれる。使われる側も、元より評判のいいアルバート家が更に祝い事なのだからと給料を奮発しているわけで、これで飛びつかないわけがない。
それがまさかアディの友人だなんて……とメアリが視線を逸らしつつ、それでもなんとか
「頼りになるわね」
と精一杯のフォローを入れた。
そんな気まずい空気を破ったのは、アルバート家当主の咳払いである。アディの件についてあえて触れず改めてメアリに向き直り、仕立ての良い上着の内ポケットから招待状を取り出した。
「メアリ、エレシアナで友達に渡してきなさい」
「ありがとう、お父様」
そう仲睦まじく親子で微笑み合い、メアリが一通の招待状を受け取る。
一通の。
……そう、たった一通。
「お父様、私もう少し友達が出来たのよ」
「な……一人じゃないのか!?」
「その驚愕をやめて。私だって友達ぐらい作れるのよ、一人じゃないわ」
「そうか、メアリも大人になったな。それじゃあ、友達みんなに渡して来なさい」
そう言いながら――そして若干の驚愕の色を残しつつ――再び招待状を差し出す父に、メアリが優雅に微笑んで受け取った。
その数、二通。
おまけに「一通は学園長に渡しておいてくれ」という一言付きなのだから、これは実質一通である。
これには流石にメアリの堪忍袋の緒が切れるというもので「お父様ひどい!」と叫びながら父の上着から招待状を引ったくって馬車に飛び乗った。
「見てなさい!当日は私の友達でいっぱいにしてやるんだから!」という捨て台詞のなんと情けないことか……。
「それで十通くらい奪ってきたんだけどね、よくよく考えるとそんなに渡す相手も居ないのよね」
「と、とても賑やかで……その、楽しそう…ですね」
メアリから渡された招待状を大事そうに両手で持ちながら何とかフォローを入れようとするパルフェットに、紅茶を飲みながら家でのやりとりを語っていたメアリが溜息をついた。
去り際に奪ったものと事前に渡されたものを合わせると招待状は十通。あそこまで啖呵を切った以上、これを捌けないのはメアリ・アルバートのプライドに関わる。
「そういうわけで、カリーナ組の皆さんにも是非来ていただきたいの」
「変な名前を付けないでください」
メアリの隣に座っていたカリーナが優雅に紅茶を飲みながら冷ややかに言い放つ。それでも招待状を受け取る際には礼儀正しく頭を下げるあたり、呼び名こそ不服だがパーティーには来てくれるのだろう。
「きっと楽しいわよ」と彼女にだけ分かるようにニヤリと笑って言ってやれば、メアリと同じように『ドラドラ』の記憶のあるカリーナが苦笑を浮かべた。
そうして、カリーナ組の他のメンバー――言わずもがなゲームのライバルキャラクターであり、あの日元婚約者たちを崖下に突き落とした令嬢達である――にも配ろうと立ち上がり……ガッ、と勢い良く背後から肩を掴まれた。
「メアリ様、是非私もお祝いに駆けつけたく思います」
と、背後から獲物を狙う狩人の気配を漂わせながら、それでもさも令嬢らしく優雅に述べるのは野心家令嬢である。カリーナとはまた違った冷ややかな空気に、メアリが頬をひきつらせた。
「なぜかしら、まったく気持ちが感じられない」
「まさかそんな、私ちゃんとメアリ様をお祝いしつつ、いい男を探そうと考えてますわ」
「割合は?」
「1:9です」
「もうちょっとオブラートに包みなさいよ」
「包んだ上での1:9です」
「貴女のその態度、普通なら不敬罪にでも訴えてやりたいんだけど、妙に実家にいる時と同じ気持ちにさせるのよね」
相変わらずの野心家ぶりに盛大に溜息をつきつつ、メアリが振り返って野心家令嬢に招待状を手渡した。
元々彼女にも渡す予定だったのだ。それでも一連のやりとりを終えてから渡すのは様式美というもので、これがまた実家にいるのと同じ気分にさせる。
この手のタイプに弱いのかしら……とそんなことをメアリが考えていると、招待状を開けたパルフェットが「エスコート不要…?」と小さく呟いた。どうやら招待状に書かれている一文を読んだらしく、貴族のパーティーらしからぬその説明書きに、メアリが小さく笑って頷いた。
「えぇ、今回のパーティーはエスコート不要。一人で来てくださっても、お友達同士で来ていだいても構わないわ」
「そうなんですか。随分と変わってますね」
「パトリックと話してたのよ。エスコートなんて形を作らずに、想った相手の手を取れるようにするべきだ……って」
貴族界からしてみれば異例のことかもしれないが、ダイス家の嫡男でありながら庶民だったアリシアの手を取ったパトリックと、アルバート家の令嬢でありながら従者のアディを選んだメアリ、なんとも二人らしい話である。
それを察したパルフェットが小さく「エスコート不要…」と呟いて背後に視線をやったのは、今日も今日とて彼女の背後に構えて荷物持ちと化しているガイナス・エルドランドが気になるからである。そんな分かりやすいパルフェットに、メアリが苦笑をもらして彼女の肩を叩いた。
「勿論、エスコートして欲しい方がいるのなら誘っても良いのよ?」
「そ、そんな! 私、そんな……ガイナス様になんてエスコートしてほしくありません! 一人で、一人で行くのが不安だっただけです!」
「あら、それなら当日はお兄様に迎えに行ってもらえるようにお願いしておくわね」
「ひゃっ! そ、そ、それは……それはダメです!」
あわあわと見て分かるほどに狼狽えだすパルフェットに、メアリが堪え切れないと笑い出す。そんなメアリにカリーナが溜息をつき、野心家令嬢が獰猛な瞳を輝かせて再びメアリの背後に回った。
そして勿論、ガッ!と勢い良く肩を掴む。
「メアリ様、私も一人で行くのが不安です」
「私は貴女という狩人が家に来ることのほうが不安だわ」
と、これもまたエレシアナ学園の様式美と化していた。