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シンと静まり返った空気を最初に破ったのは、慌ててその場に駆け寄るメアリだった。
一人だけ大根役者が混じってる……!と心の中で悲鳴をあげて集団の中に飛び込むやパルフェットの隣に並び、周囲には気付かれないように軽く彼女を肘で突っつく。小声で叱咤すれば、もとより涙目だったパルフェットの瞳が更に潤んだ。
「何よさっきの、演技にしてももう少し上手く演じなさいよ!」
「べ……別に、演技なんかして、してません! 本当に、本当にガイナス様なんか……どうでも良いんですもん…!」
「あぁもう、この大根役者!大根にもほどがある! 煮付けるわよ!」
「に、煮付けないでくださぁい……」
小声でパルフェットを責めるも、元々彼女の精神は打たれ弱く、この状況は既に限界に近いのだろう。ついには我慢の限界だと震えながらメアリのスカートの裾を掴み「メアリ様ぁ」と情けない声で見上げてきた。
その弱々しげな表情に、メアリが小さく溜息をつく。パルフェットの大根役者ぶりに思わず口を挟んでしまったとはいえ、舞台に上がってしまったのだから仕方ない……。そう考え、チラと周囲に視線を向けるとわざとらしくパルフェットの肩を叩いた。
「パルフェットさんってば、せっかくの機会ですからちゃんと皆さんにお話ししたら?」
と、さも平然を装い声をあげる。普段より幾分声が大きいのは、勿論周囲に聞かせるためである。
そうして、まるで勿体ぶるかのように「ねぇ」とパルフェットに同意を求め、再度仰々しく声をあげた。
「せっかく、私のお兄様と会食されるんですもの、皆さんに報告したら良いのに」
と。
この発言にはその場にいる誰もが、それどころかパルフェットまでもが目を丸くさせた。なにせメアリの兄と言えばアルバート家の男児、今や王族に並ぶ権威の持ち主である。おまけに、双子のどちらかによっては次期アルバート家当主である。
そんな人物との会食、それもこの場で言うような意味での会食となれば驚くなと言う方が無理な話。あまりのことに誰もが唖然とし、はたと我に返ったパルフェットが慌ててメアリの腕を引いた。
「そ、そんな、メアリ様! いったいなにを!」
「いいから、私に話を合わせなさい」
「でも、そんなっ、私なんかが恐れ多い……!」
あわあわと震えながらも慌てふためくパルフェットにメアリが溜息をついた。
もっとも、エレシアナ学園の中でも低い位置にあるマーキス家と、対して隣国でもその権威に揺るぎのないアルバート家、両家の格差を考えれば当然の反応でもあるのだが。それでもメアリが「リリアンヌに負けたくないんでしょ」と小声で尋ねれば、涙目ながらにパルフェットがむぐと言葉を飲み込んだ。
涙で潤んだ瞳に僅かながらに光が灯るのは、臆病で気弱な彼女でもせめて一矢報いてやりたいと、そう思っているからだろう。
「……私、負けっぱなしは嫌です」
「それなら大人しく頷いていなさい。なんだったら、本当に紹介してあげるから」
そう小声で話し、メアリが改めてリリアンヌと、彼女を囲む男達に向き直る。
見目の良さがもったいないほどに彼らはポカンとし、ガイナスに至っては不安げな眼差しをしているではないか。予想だにしない大物の名前がでたからか野次馬達も我に返るやざわつき始めた。
「いいなぁ」と聞こえてきたのは先程見事な手腕を披露し乗っ取り宣言をした野心家令嬢である。婚約者の家では飽きたらず、アルバート家の男児を羨むとは素晴らしい野心ではないか。
そうして気付けば、今まで少しずつ逆転しつつあった場の空気はメアリの発言により見事にひっくり返った。
捨てられたはずの令嬢達は見事に男達に鉄槌を下し、家柄が低く哀れみと好奇の視線に怯えていたパルフェットがアルバート家の加護を受け誰より羨まれる立場に立ったのだ。見事などんでん返しである。
もっとも、パルフェットはアルバート家子息を紹介すると言われてもいまだガイナスを見つめているのだが……。
そんな逆転劇に痺れを切らしたのがリリアンヌである。
真実の愛を唱っていたはずが気付けば全てがひっくり返り、自分を囲んでいた男達が青ざめている。これはまずいと、このあとの展開を考えてそう判断したのだろう。男達の影から出てくるとズイとメアリに詰め寄った。
「メアリ様はもう関係ないんじゃありません?」
そう言い放つリリアンヌの台詞に、メアリが眉間に皺を寄せた。
……参った。パルフェットを助けるために飛び込んだは良いが、リリアンヌを引きずり出してしまった。これではトリを勤めるはずのカリーナの出番を奪ってしまったようなもの、せっかく律儀に順番を決めていたようなのに……。それに、カリーナの話は始まってすらいないのだ。彼女がなにを用意していたのか気になる。
ここで「ちょっと待って!最後まで見せて!」なんて言ったら続きを再開してくれないかしら……。
と、リリアンヌに詰め寄られてもまだ他人事である。というか、事実その通り他人事、無関係なのだ。
「そうねぇ、確かに私別に関係ないのよね。色欲女に男を奪われたわけでもないし、むしろ一途な男に愛されて、こんな愛憎劇とは無縁の脳内お花畑状態だし」
チラとメアリが逆ハーレムの男達に視線を向ける。
いまだ青ざめたままの者、メアリの発言に不快そうに表情を歪めるもの、それどころではないと慌てるもの……と、様々だ。唯一ガイナスだけが申し訳なさそうに俯いている。ここで顔を上げれば、いまだパルフェットが見つめていることに気づけそうなものなのに……なんとも不器用な男だ。
「そんな状態だから、復讐劇に参加する理由もないのよね」
ふいに視線を移し、カリーナを始めとする令嬢達に視線を向ける。
いまだ男達を睨んでいたり、三行半を突き付けたので最早男たちに用はないとメアリを見つめていたり。野心家令嬢に至ってはパルフェットに対して羨望の眼差しを向けていたりと様々である。
「それに、こんな茶番を見るほどの野次馬根性も持ち合わせてないし」
そう、今度はどこを見るでもなく告げれば、周囲で見ていた生徒達が慌てて顔を背けた。中には咳払いをする者までおり、その白々しさと言ったらない。
そうして順繰りに視線を向けたメアリが、最後にリリアンヌに向き直った。
「貴女の言うお話では、確かに私は関係ないわ」
「そ、そうでしょ、なら……」
どうして邪魔をするの、と語尾を濁しつつ訴えるリリアンヌに、メアリが冷ややかに笑った。
リリアンヌの言うとおり『ドラドラ』においてメアリ・アルバートは無関係だ。もう出番のない、前作の悪役令嬢。
リリアンヌがゲームの知識を利用して逆ハーレムを築こうが、対してカリーナが没落を回避するために奮闘しようが、まったくもって関係ない。出番など用意されていない。
だからこそ、今この瞬間まで我関せずと傍観に徹していたのだ。
でも……
「困ってる友達を放っておくなんて、出来るわけがないでしょ」
ゲームだの前世だの、最早関係ない。
友達のパルフェットが困っているのだから、それを見過ごすのはメアリ・アルバートのプライドに関わる。
「この間気付いたけど、私、案外に友達って言うのに弱いみたいなの」
そう言い切ってやれば、リリアンヌの瞳に困惑が浮かぶ。それと同時に焦りの色も見えてくるのは、このあとのことを考えているからなのだろう。早くメアリを退場させなければと、そう焦っているのだ。
だからこそ余裕を失っていたのか、ザワと周囲がざわついた瞬間、その中に女子生徒の黄色い声を聞き、リリアンヌが表情を歪めて視線を泳がせた。普段の温厚な美少女でも、柔らかく微笑んで男を癒す天使でもない、只一人の焦った女。眉間に寄った皺と歪む口元、焦燥感を隠すこともないリリアンヌの様子に誰もが疑問を抱き、彼女の視線を追う。そうして彼女の見つめる先、野次馬達の中で藍色の髪がふわと揺れた瞬間、リリアンヌがカッと目を見開き……
「なんなのよ、もう出番なんてないんだから……私の邪魔をしないでよ!」
と、ヒステリックに声を荒らげ、リリアンヌがメアリを突き飛ばした。
「きゃっ」とメアリが声を上げ、突き飛ばされた衝撃で尻餅をつく。
それと同時に聞こえてきたのは
「メアリ!」
と名を呼んでくる聞き覚えのある声と
「「パトリック様!」」
と、彼を呼ぶリリアンヌとカリーナの声、そして
ガチャン
と、何かが割れる音だった。