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「今日こそはあの子をギャフンと言わすのよ! 後々私が言わされるために!」
と、意気込むメアリに、隣で立っていたアディが盛大に溜息をついた。
「お嬢、今夜ぐらいは悪役を控えてはどうでしょう……」
そう提案するも、逆にメアリは「今夜だからこそよ!」と意気込んでしまう。
勿論、その意気込みもギャフン宣言も隣に立つアディにのみ聞こえるよう声を落としているのは言うまでもない。とりわけ、今夜のアルバート家は来客で溢れており、不要な発言は控えるか声を潜めなければならない。
そう、今夜のアルバート家は夜に似合わぬ賑やかさを見せていた。
それもそのはず、今夜はアルバート家主催のパーティーである。メアリの父親である当主の生誕を祝う……という名目のもと皆が集う、それはそれは規模の大きく様々な思惑が巡る祝賀会。
その規模と言えば、流石は王家に次ぐ権力の持ち主である。煌びやかに飾られた屋敷内ではこの日のために呼び寄せられた演奏家たちが途切れることなく音楽を奏で、一流シェフが腕によりをかけた料理をふるまう。まさに絢爛豪華の一言に尽きる。
もっとも、こう言った手合いのパーティーが苦手なメアリからしてみれば、金を注ぎ込んだだけの華やかさが逆に白々しくさえ思え、繰り広げられるおべっかと自慢話にうんざりというのが正直なところだ。
それでもアルバート家の娘として出席しないわけにはいかず、猫を何十匹と被って愛想を振りまいて、逃げ出したい気持ちを抑えつけて毎年令嬢を演じていた。
だが今年は違う。
今年のメアリはアルバート家の娘として出席しつつ、かつ悪役令嬢としてこの場に立っているのだ。
去年までならばこの日が来るのを疎ましくさえ思っていたが、今年だけは違う。闘志に燃えている。
――念のため言っておくが、別に父親の誕生日を祝う気持ちがないわけでもない――
「良いこと、今夜のパーティーにはあの子も呼んでいるの。そこで格の違いを見せつけてあげるわ」
「格の違い、ですか」
「そうよ、確かアリシアは貧相なドレスしか持っていなかったはず」
記憶の中の情報を手繰り寄せ、メアリがニヤリと口角を上げる。
これもまたゲーム中に起こるイベントの一つだ。
アルバート家が主催するパーティーに「どうしても」と強引に誘われた主人公が、知りあいから借りたドレスを身に纏い会場に向かう。
そうして入口で待ち伏せていたメアリにドレスをバカにされ、おまけにメアリのエスコートとして登場するのがその時点で一番好感度が高い人物……というものだ。
哀れアリシアは傷つき、涙ながらにその場を立ち去る。場違いな会場に引きずり出されドレスを貧相だと笑われ、果てには想い人を奪われ……それでも立ち去るしか出来ないというまさに屈辱の展開である。
もっとも、その後には勿論だが乙女ゲームらしい展開が待っている。
エスコート役として登場したキャラクターがアリシアを追いかけ、メアリに脅されて仕方なくエスコートを引き受けたことやアリシアが招かれていたことを知らなかったことを説明し、そして最後にドレス姿を褒めてくれるのだ。
そしてゲームの進行具合によっては、夜の公園で月の光に照らされ踊る一枚絵やお姫様抱っこという乙女ゲームならではの一枚絵が画面に表示される。キャラクターによっては星空の下で抱きしめられてキスを……なんて展開もある。
「そりゃまた砂糖を吐きそうなくらい甘いですね……で、エスコート相手に置いてかれたお嬢はどうしたんですか?」
「流石にそこまでメアリについて詳しくは描かれてないわよ。今の私なら間違いなくこれ幸いと部屋に帰って寝るけど、悪役令嬢メアリのことだから、従者に八つ当たりでもしてたんじゃない?」
「あぁ、なんて可哀想なゲームの俺」
同情する、とアディがわざとらしく目元を拭う。
が、すぐさま普段の飄々とした表情に戻って「それはさておき」と話題を切り替えた。
「それで今夜はお嬢のドレスにも気合が入っているんですね」
「えぇそうよ。ここいらで一発ガツンと私が美人聡明な令嬢であることを示しておかないと」
ふふん、と得意げに胸を張るメアリに、アディが慌てて顔を背けた。
その態度にメアリの頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。どういうわけか、今日の彼はやたらとチラチラと横目で見てきて、かといって目が合うと慌てたように視線をそらしてしまうのだ。
「どうしたの? アディ、私のドレス何かおかしいかしら?」
「いえ別に……に、似合ってますよ」
「そう、それなら良かった。久々に我儘言って作ってもらったんだもの、これで似合ってなかったら勝負どころじゃないわ」
得意気に笑むメアリに、アディがわざとらしく咳払いをした。
元来、メアリはこういったパーティーでの装いに力を入れる性質ではない。
といっても年頃の少女らしく着飾ることは好きだし、貴族の娘らしく贔屓にしているデザイナーは数人居る。洒落た服を着れば心が弾み、褒められれば嬉しくなる。この超強力形状記憶縦ロールが無ければ、髪形だって色々と変えていただろう。
だがアルバート家の娘と言う肩書を背負う彼女にとって、パーティー用の装いというのは飽きるほど着尽くしたものなのだ。勿論ドレスは何着どころか何十着と持っており定期的に新調もしているが、それでも趣旨が同じならばデザインがそう変わるものでもない。
主賓を立てるため華美にならず、それでいて華やかさを出し、まだ年若いのだからと肌の露出もそこそこに抑え、アルバート家の令嬢として気品を感じさせ、一目で高価だと分かるように……と、こんなところだ。おかげで、何十着とあるドレスもどこか似通って見える。
だが今夜は違う。
今夜のメアリのドレスは、胸元が大胆に開いた大人びたデザインのドレス。それもフリルやレースといった飾りもなく濃紺一色、髪飾りもそれに合わせてわざわざ新調したのだ。
今まで着ていたいかにも『名門貴族のお嬢様』といったドレスとは真逆のそのデザインは、『ドラ学』で悪役令嬢メアリが着ていたものである。立ち絵でしか描かれていなかったそのドレスをなんとか思い出しデザイナーに伝え、今日に合わせて作ってもらった。
勿論この大胆なドレスにはデザイン段階で両親からのストップが掛かったのだが、それでもメアリは必死に説得をした。
悪役令嬢メアリ様なら我儘の果てに癇癪を起して強引に通そうものだが、今までさほど我儘を言ったことのないメアリにとっては中々に骨の折れる作業ではあった。
――『さほど我儘を言ったことのない』といってもメアリが聞き分けの良い真面目な娘だったわけではない。極端に面倒臭がりで事なかれ主義で、おまけに物事の基準がどこか貴族離れしていたため我儘に発展しなかったのだ。
例えば、遠い地方にしかない高級食材の料理を毎日食べたい、それも鮮度抜群じゃないと嫌だ、と訴えれば我儘になるが、どこの世界に毎食コロッケを我儘として扱う貴族が居るというのか。いや、毎食コロッケも健康管理的には問題ではあるが――
とにかく、そんなメアリの珍しい我儘に対し、両親は困りつつも何とか諦めさせようとし……その結果、ドレスを纏った彼女の姿を見て逆に両親が折れた。
似合っていたのだ。それも、両親でさえ見惚れてしまうほど。
『今までの彼女らしくないドレス』を着たメアリは、普段とは違う魅力を放っていた。
大胆に開かれた胸元は彼女のキメ細かで美しい肌を惜しげもなく晒し、濃紺一色のシンプルさがスタイルの良さを際立たせる。
着る前に散々「はしたない」と言われていたが実際の姿にそういった雰囲気はなく、むしろ見る者に気品さえ感じさせた。大胆だからこその威厳と、見せつけることへの絶対的な自信。
大人びたドレスをメアリは完璧に着こなしていたのだ。勿論、本人は自分が着こなせることも知っていた。何度もゲーム画面で見てきたのだから。
もっとも、メアリにとっては見慣れた姿でも周囲は違う。とりわけアディの反応は面白く、お披露目時には飲んでいたコーヒーを吹き出してテーブルクロスを一枚台無しにしてくれたほどだ。
「対してあの子は、確か薄ピンクのドレスを着ていたはずよ。知り合いのお古だとかで、型落ちしたデザインのもの」
「型落ちはともかく、確かにアリシアちゃんはピンクが似合いそうですもんね」
「ただ、なんかこう……野暮ったかったのよねぇ」
「そりゃまぁ、お嬢からしてみれば型落ちドレスは野暮ったいでしょうよ」
「そういうんじゃないのよ。こう……言い得ぬ野暮さがプンプンしてて、筆舌に尽し難い有様よ」
ゲームキャラクターの服のセンスが壊滅的……なんてのは比較的よくある話だ。
とりわけ『ドラ学』は「庶民出身の主人公が華やかな世界に……」というシンデレラストーリーなのだ。いかにパーティー用のドレスと言えど、ここでアリシアに華美なドレスを着せたらプレイヤーの気持ちが離れかねない。
乙女ゲームの神髄は、たとえその正体が女王であろうが神子であろうが、平凡な女の子がイケメンにモテることなのだ。多少野暮ったさを感じるぐらいが感情移入しやすくて丁度いい。
だからこそ、そんなアリシアと対極にあたるメアリは大胆なドレスを着ていたのだろう。見栄の為に自分の色香を振りまき男を利用する彼女は、ドレスの大胆さもあってかやたらと厭らしい女に描かれていた気がする。
そんなことをメアリが考えていると、前方からアリシアの姿が見えた。
ふんわりと柔らかなラインにリボンとレースをあしらった薄ピンクのドレスを身に纏い、慣れない靴なのか緊張した足取りでゆっくりと歩いてくる。
金色の髪にはドレスと同色の大きなリボンが飾られ、レースとフリルの飾られた胸元には花のコサージュ、腰のラインを出すための腹部のリボンはギッチリと硬く結ばれ、更に片手にはレースの日傘……。
『ドラ学』発売当時、「あれは無いだろ」と物議を醸したドレス姿である。
何と言うか、こうやって実在の姿を目の当たりにすると改めて思う。
あれは無いな……と。