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そうして迎えた三日間の試験期間を、メアリはつつがなく、それでいて平均五位を狙いつつ無事に終わらせた。
途中、相変わらずパルフェットが涙目でガイナスの文句を言ってきたり申し訳なさそうな彼に頭を下げられたり、果てにはリリアンヌとカリーナの牽制し合いに遭遇してしまい机の中に身を隠して息を潜めてやり過ごす……というアクシデントはあったものの、比較的つつがなく過ごすことができた。
通常の授業編成とは違い試験は午前中に終わり、食堂を使わずに済んだというのも良かったのかもしれない。あの逆ハーレムは見ていて気分の良いものではないのだ。
これからは外で食べるのも良いかもしれないわね……、と、そんなことを考えつつ、メアリは寮の脇にあるベンチで昼食をとっていた。長閑な空と手入れのされた草木を眺め、テスト明けのご褒美にと贅沢を極めたお弁当を広げて楽しめば、逆ハーレムの騒動もどこか別世界のように思えてくる。試験の疲れも吹き飛んでしまいそうだ。
たまに吹き抜ける風が気持ちよく、それを受けて揺れる自分の銀糸の髪のなんと美しいことか。フワリと揺れるのだ、ブンではなく、ふわりと軽く。
「メアリ様、試験はいかがでしたか?」
メアリの隣に座り、赤いジャムの塗られたサンドイッチを食べていたパルフェットが尋ねる。彼女のランチボックスは愛らしい色合いで飾られており、甘いジャムや果物、それにケーキといったラインナップにメアリが「これはデザートよ! 食事とは認めない!」と声をあげたのは数十分前のこと。
なにせメアリの弁当はコロッケがしきつめられており全体的に茶色い。不思議そうに「これは何ですか?」と尋ねたパルフェットに「聞かないでちょうだい、貴女とは体の構造が違うの」と答えたほどなのだ。
「そうねぇ、まずまずといったところかしら。貴女はどうだったの?」
「私は……今回はちょっと自信がありません」
「そうね、最近上の空ですもの。何を企んでいるのか知らないけど」
メアリの指摘を受け、パルフェットが息を飲む。
そうして顔を俯かせてしまうあたり、何かしら企んでいるのは明らかだ。それも、メアリに言えない何か。
おおかたリリアンヌ絡みだろうと、それも口止めをされているあたりカリーナが裏にいるのだろうと踏んでメアリが小さく肩を竦めた。パルフェットに箝口令を敷いたのは良かったかもしれないが、分かりやすい彼女の反応は何か企んでいると宣言しているのと同じだ。いっそ接近禁止令にでもした方が良かったのではとさえ思えてしまう。
そんなことを考えていると、パルフェットが気まずそうに「あの、メアリ様……明日からのお休みは」と話題を逸らした。
「もし明日あいていらしたら、私の家に遊びに……」
「あら、せっかくお誘い頂いたのにごめんなさい。明日はどうしても家に帰らなきゃいけないのよ」
「そ、そうですよね……隠しごとしてる私の家になんて来たくありませんよね……わ、私のこと……」
「自分で言って自分で傷つくほど脆いなら下手に深読みしないでちょうだい! 本当に帰らなきゃいけないのよ!」
グスンと涙目になるパルフェットにメアリが慌ててフォローを入れる。
そうしてコロッケを一つ彼女のランチボックスに入れるのは「大丈夫」と安心させてやるためである。いったい何を企んでいるのか知らないが、それを無闇に探る気もないし、かといって隠されているからといって彼女に対して嫌悪を抱くようなこともない。
それを察したのか、涙目ながらにホっと安堵の色を浮かべ、嬉しそうに「交換です」と笑いながらサンドイッチを一つ寄越してくるパルフェットに、メアリが思わず小さく溜息をついた。
話しかけてきた当時に比べれば多少なり気も晴れたのか気丈に振る舞うこともあり、リリアンヌ関係で何かしらの行動を起こそうとするくらいには精神面も回復しているように見える。だがいかんせんパルフェットは元々が打たれ弱い。
困った子に懐かれたものだと溜息をつきつつ「本当に大事な用事があるのよ」と念をおしてパルフェットを宥めた。
他の日ならまだしも、明日はパトリックと、それにあの後から来たアリシアにまで「絶対、急ぎで、帰ってくるように」と迫られたのだ。いかにメアリがアルバート家の令嬢と言えど、あの二人にあそこまで強く言われれば頷かざるを得ない。というか、二人の有無を言わさぬ微笑みを見る限り、下手に逆らえば王家の文様を背負った馬車が朝っぱらから寮の前で待ちかまえていそうである。
いわゆる強制帰国。
少なくともアリシアにはその権力があり、パトリックは行動力を持った男だ。二人合わさったなら何をするか分かったものではない。だからこそ帰らなくちゃいけないのよ……とメアリが真剣な表情で訴えれば、話を聞いていたパルフェットがあまりの規模の大きさに頬を引きつらせながらコクコクと頷いた。
「でも、そこまで重大な用事って何ですか?」
「そりゃ、これだけのことなんだから決まってるでしょ。私……」
説明しかけ、メアリがふと言葉を止めた。
その様子にパルフェットがどうしたのかと首を傾げ、それでも「楽しいことなんですね」と柔らかく微笑む。まるで自分のことのように嬉しそうに笑う彼女に、今度はメアリが首を傾げた。
「楽しいって、どうして?」
「だって、メアリ様が嬉しそうに笑ってらっしゃるんですもの」
クスと小さく笑うパルフェットの言葉に、メアリが目を丸くし自分の頬に触れた。どうやら無意識に笑っていたようで、それを指摘されて思わず頬が熱くなる。
だがここで素直に嬉しいとも言えず、誤魔化すように「そんなことないわ」と言いながら自分の顔を扇ぎ……その手を止めた。
重要な用事だ。
とても、それこそメアリの人生を大きく左右させる重要な用事。
だけどそこに不安や躊躇いは一切ない。何度考えたって、この決断に間違いはないと断言できる。
明日、私はアディと……。
そこまで考え、メアリは自分の表情が僅かに緩んでいることに気付き慌てて咳払いをした。
そうしてフンとすましてさも冷静を取り繕い、
「重要なのは当然よ、だって結婚するんですもの」
と言い切れば、それを聞いたパルフェットが目を丸くさせ、食べていたサンドイッチから真っ赤なジャムをスカートに垂らした。
そうして何事もなく――あの後、再三パルフェットに相手が誰かと聞かれ、のらりくらりと躱し――約四日ぶりのアルバート家である。
まったくもって変わりようのない景色に感慨深いものなどあるわけもなく、メアリが自分の荷物を片手に屋敷の扉を開けた。こうも早い期間で帰ってくると久しぶりという感情も湧かないが、それでも国外に留学していたアルバート家令嬢の帰還である。
「ねぇ、ちょっと誰か一人くらい迎えに出てくれても良いんじゃない!? 寂しくて泣くわよ!」
扉を開けた瞬間そこまで吠え、メアリが言葉を飲み込んだ。
なにせアルバート家は慌ただしく、今も目の前をメイドが一人駆け抜けていったのだ。これは確かに迎えには出られないわね……とメアリが頷きつつ、ならば自ら荷物を運ぼうとし
「お嬢!」
と、聞き慣れた声に顔をあげた。そこに居たのはアディと、その隣には相変わらずテキパキと指示を出すパトリック。
「お嬢、いつ戻ってらしたんですか?」
「つい今さっきよ」
「迎えに出られず申し訳ございません。あぁ、荷物まで持たせてしまって」
「いいわよ別に、自分の荷物だし。それより相変わらず凄いことになってるわね」
バタバタと慌ただしく屋敷を出入りする者達を眺めメアリが圧倒されたと言いたげに一息吐けば、パトリックが当然だと頷いて返した。
「今回の結婚は異例の早さで進めてるからな、それも関係者には箝口令を敷いてるし。慌ただしくなるのは仕方ない」
「やっぱりパーティーの時まで内緒にしておくのね。サプライズ好きのお母様が考えそうなことだわ」
「と言っても流石に身内だけでは済ませられることでもないからな、この件は君の親族一部と俺のとこを初めとする上位貴族の当主周辺、あと両陛下をはじめ一部の王族と近隣諸国の王族。それに各関係機関の最高権力者には伝えてある」
「あら、意外に結構な人数になったのね。なんだかちょっと恥ずかしいわぁ」
「うわぁ、思っていた以上に外堀がガッチガチになってる……おっかない、パトリック様本当におっかない……」
パトリックの挙げた人選にメアリはさも当然と言いたげに、対してアディは真っ青になって返す。
そうしてしばらくは他愛もない会話をしていると、メイドが一人パタパタと駆け寄ってパトリックに耳打ちをした。
どうやら誰か来たらしく「大広間に通してくれ」だの「書類を預かる」だのと話をしている。メイドの緊張した面持ちを見るに相当な位の人物なのだろう。
「悪いな二人とも、もう少し待っててくれ。準備が出来たら呼ぶから」
そう告げて、パトリックがメイドのあとを追ってどこかへと向かっていく。
残された二人はその後ろ姿を呆然と眺め、パトリックが見えなくなるとどちらともなく顔を合わせた。
メアリとアディの結婚のための慌ただしさだというのに、当の二人が置いてけぼりをくっているのだ。どうしましょうか、とでも言いたげな表情をしていると、また一人メイドが駆け抜けていった。
「……呼ばれるまでお茶でもしましょうか」
「そうですね。……ところで、あの、お嬢……」
歩きだそうとしたメアリをアディが呼び止める。
随分としどろもどろなその口調に振り返ったメアリが不思議そうに首を傾げて彼を見上げた。
「良いんですか?」
「何が?」
「このままだと、俺と結婚しちゃうんですよ?」
それでも良いのかと改めて確認をとってくるアディに、メアリが何を今更と肩を竦めた。ここまで手続きをすんでいるのにと彼を見上げれば、返事を請うような、それでいて不安だと言いたげな表情を浮かべている。アディらしくないその気弱な態度にメアリが小さく笑みをこぼした。
いったい何を今更、もうここまで話が進んでいるのに。
いや、それだけじゃない。だって本当に、何を今更……。
「どこまでだって私についていくって、私の隣が自分の居場所だって、そう言ったじゃない。その気持ちに変わりはないんでしょ?」
「はい、勿論です。俺はずっと貴女と居ます」
「それなら、婚姻届の上でも私の隣に居てちょうだい」
ね、とメアリが屈託なく笑う。
その笑顔にあてられたアディは僅かに瞳を細め「はい」と一度深く頷いた。
「お嬢、順番が変わってしまいましたが、俺は……俺はずっと貴女のことが……」
「それに、何かやりたいことがあるんでしょ? 目的のためなら手段を選んでちゃダメよ!」
「…………はい、そうですね」
相変わらず屈託無く純粋な笑顔で出鼻を挫いてきたメアリに、アディが力なくその場にしゃがみ込んだ。
たまたま通りがかりにその会話を聞いていた者が「頑張れよ」とその肩を叩くが、それがまた心を折ってくることなど言うまでもない。
「アディ、どうしたの?」
「いいえ、なんでも……手段を選んで没落しそこねたお嬢からのアドバイス、参考にさせて頂きます……。そう、手段なんか選んでられません!」
ガバ!と勢いよく立ち上がったアディに、メアリが目を丸くする。
先程のアドバイスが役に立ったのなら幸いだが、それにしてもアディの吹っ切れ具合が尋常ではないような……と、訝しげに思いつつ、メアリが再度「どうしたの?」と尋ねようとし、二人を呼ぶパトリックの声に振り返った。
どうやら準備が出来たらしく、パトリックがこちらに来いと手招きをしている。
「お嬢、行きましょう!」
「えぇ……でも大丈夫? 貴方、なんか目が据わってるように見えるけど」
「気のせいです!」
まったくもって気のせいではない異様な空気を纏うアディに、メアリが何も言えずコクコクと頷いて彼の後を追った。
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