15
その茶会は、結果的にメアリの
「もう良いわよ! せっかくあんた達が食べたいって言うから遠回りしてアップルパイ買ってきたのに!」
という喚き声と、次いで放った
「私一人で食べてやる!」
という何とも言えない捨て台詞、そして厨房へと去っていく彼女の後ろ姿を眺めつつ、誰もがみな筆舌に尽くしがたい表情を浮かべて解散となった。
その翌朝、数日ぶりの自分のベッドで眠っていたメアリは、扉の外から聞こえてくる騒がしさに無理矢理夢の中から引きずり起こされた。あと、若干の胃もたれも起床の要因である。
「なによ朝っぱらから、人が寝てるって言うのに……」
と、文句を言いつつ手元の時計を見れば時刻は既に昼近くで、これには思わず「あら」と声が漏れてしまう。
そうして誰にでもなく誤魔化すようにそそくさとベッドからおり、身嗜みを整える。普段ならばメイド達がやってくれることなのだが、聞こえてくる騒々しさから考えるに、どうやらそれどころではないようだ。
――もっとも、いかに大事が起きていようがアルバート家の令嬢の身支度を後回しにしていいわけがなく、この件に関してメアリはメイド達を叱りつける権利がある。……が、さっさと自分で身嗜みを整えてしまうので権利を行使することはないのだが――
そうして手早く着替えを済ませ緩やかなウェーブの髪を整え、外の様子を窺うようにそっと扉の隙間から顔を覗かせた。一人のメイドが慌ただしげに通りかかったのは丁度その時である。
「あらメアリ様、今起きたんですか?」
「まさか!このメアリ・アルバートともあろう者がこんな時間までグースカ寝てるわけがないじゃない!」
「はいはいそうですね。おはようございます」
「……いつも思うんだけど、皆もうちょっと私への態度を改めてみない? 円満な雇用関係を継続させるためには定期的にお互いの関係を見直すことが必要だと思うの」
「それで、目覚めのお飲物は紅茶で宜しいですか?」
「もう十分目覚めたわよ。それより、この騒々しさはなに?」
「ダイス家のパトリック様がお見えになっています。それで……」
言い難そうにチラと視線を向けてくるメイドに、メアリがいったい何だと首を傾げた。
そうしてパトリックが居ると聞いた大広間へ向かい、メアリは再び首を傾げる。それどころか、目の前の光景にキョトンと目を丸くさせてしまった。
なにせパトリックが慌ただしくあちこちに指示を出し、それを受けたアルバート家の使いが彼同様に慌ただしく動き、隣ではアディが見てわかるほどに戸惑っているのだ。
いったいどうしてパトリックは他家の使いに指示を出しているのか、それとも自室で寝ていたと思っていたが、いつの間にかダイス家に移動していたのか……それにしたって、アディのあの戸惑いようは尋常ではない。
と、そんなことを考えつつ、メアリが近くにあった椅子に腰をかけた。彼らに話しかける前にひとまず状況を把握しようと、そう考えたのだ。あとあまりに慌ただしい空気にどう声をかけていいのか分からないというのもある。
「司祭様とは連絡がついたか?」
「いえ、それが出かけているようで、一ヶ月は帰ってこないとのことです」
「一ヶ月……よし、手紙の用意をしてくれ。戻ってきてもらえるよう俺の名前で一筆書くから急ぎで届けて欲しい」
「はい!」
「あと届けが必要なのは」
「あ、あのぉ……」
手際よく何かの段取りを進めるパトリックに、その隣であたふたとしていたアディが恐る恐るといった様子で声をかける。
その様子をメアリは眺めながら、それにしても司祭様にまで話をするとは、随分と大事だこと……と、まるで他人事のように用意された紅茶をすすった。
「あの……やっぱり本人抜きに話を進めるのはどうかと思うんですけど……」
「アディ、どうした」
「いえ、なんかこう……大事になりすぎてる気がしまして」
しどろもどろながら止めようとするアディに、パトリックがその肩を叩いた。諭すような二人の姿は五歳の年の差がまるで逆転したかのようである。
「いいかアディ、よく聞くんだ」
「……はい」
「相手はあのメアリだ。言質は取ってあるんだから、あとは徹底的に外堀を固めろ!」
「権力と行動力を持ち合わせた人ってこれだから恐ろしい……」
真剣な瞳で恐ろしいことを言い放つパトリックに、アディが頬を引きつらせる。
そんな二人のやりとりを見守っていたメアリがおやと首を傾げた。今パトリックは自分の名前を口にしていたような……。つまり、この騒動は自分に関係しているということか。
「ねぇちょっと、いったい何の話をしてるの?」
流石に自分の名前が出れば放って置くわけにはいかず、メアリが腰を上げて彼らの元へと向かった。
アディが驚いたような表情ながら「おはようございます」と頭を下げる。対してパトリックは「やぁメアリ、朝から邪魔して悪いな」と爽やかな挨拶をしてくる始末。寝起きの令嬢、それも令嬢の家においてこの挨拶なのだから随分と我が物顔である。
「とりあえず礼儀として言っておくわ『どうぞごゆっくりなさってください』、それで、どういうこと?」
「どういうって?」
「この騒ぎよ」
訴えるようにメアリが周囲へと視線を向ける。
慌ただしく書類を持ってくる者も居れば、入れ替わるように部屋を出て行く者。パトリックから手紙を託された者が飛び出すような早さで部屋を出ていったが、彼は司祭の元まで早駆けでもするのだろうか。
そんな騒動を一瞥し「これ以外に何がある」とメアリが視線で訴えれば、パトリックがさも当然といったように「手続きをしてるんだ」と応えた。なんとも的を射ない回答である。
「それぐらい見れば分かるわよ。で、何の手続きなのよ」
「君の」
「私の?」
重要な部分をわざとはぐらかすようなパトリックの回答に、意味が分からないと言いたげにメアリが眉間に皺を寄せる。冷やかしに焦らされているような気がして気分が悪いが、それすらもパトリックにとっては楽しいのだろう。この慌ただしさの中、その渦中であろう彼はそれでもどこか嬉しそうに指示を飛ばしているのだ。
そんな二人のやりとりに見かねたアディが盛大にため息をつき、申し訳なさそうにメアリの顔を覗き込んだ。
「お休みのところ起こしてしまい、大変申し訳ございませんでした。全て取りやめますので、ご安心ください」
「別に十分休んだからいいけど……それで、何の手続きだったの?」
あまりにもアディが素直にそれもどこか辛そうに謝罪してくるので、メアリが調子を狂わせながらもそれでも尋ねれば、彼の表情がよりいっそう悲痛そうに歪んだ。眉間に皺を寄せ、メアリの視線から逃れるように顔を背ける。
冗談混じりで視線から逃げる時とは違う、そのこちらの胸まで痛めかねない表情にメアリが不安げに彼の名を呼んだ。こんな痛々しげな表情を見たことがない、それ程までに大事なのか……。
「アディ……?」
「……です」
「うん?」
「俺と、貴女の……」
「私と、貴方の?」
今一つハッキリしないアディの言葉に、メアリが問うように彼を見上げた。いったい何をそんなに辛そうにしているのかと、気遣いすら感じられるメアリの視線にアディがわずかに戸惑いをみせ……意を決したかのように口を開いた。
「俺と貴女の、結婚手続きです!」
と。
自棄になったようなその荒い声にメアリが驚いたように目を丸くする。
そうして半ば呆然としたまま、アディとパトリック、そして周囲でこちらの様子を窺っている者達へと順繰りに視線を向け、最後に再びアディへと向き直った。
「それなら、別に止めなくても良いんじゃない?」
キョトンとしたメアリがさも当然のように言い放った言葉に、アディが膝から崩れ落ち、パトリックが「だから言ったろ」とその肩を叩いて宥めてやった。
どんなにパトリックが手早く進めても、たった一日では処理しきれないものはある。
とりわけメアリはアルバート家の令嬢で、それも今や貴族界の優劣をひっくり返しかねないほどの重要人物なのだ。そんなメアリの結婚となれば元々必要とされている司祭達はおろか、あちこちに届け出や根回しが必要となってくる。
「といっても王家に関しては今アリシアが伝えに行ってるから、あとは司祭様と数名の伝達だけなんだがな」
「流石パトリック、仕事が速いわねぇ」
「う、うわぁ……想像以上のスピードで外堀がガチガチになっていく……パトリック様おっかねぇ……!」
のんびりと紅茶を飲みつつ淡々と話すパトリックに、メアリが感心したと言わんばかりに彼の手腕を誉める。アディだけが現状についていけないと言いたげに顔色を青ざめさせた。なにせパトリックがさも平然と口にする人物達は従者のアディならば話しかけるのもおこがましいと思える人物、アルバート家令嬢とダイス家嫡男だからこそ平然と名前を口に出来る人物である。外堀を固めるどころの話ではないのだ。
ちなみに、数時間前まで慌ただしくしていたパトリックがなぜ今は優雅に紅茶を飲んでいるのかと言えば、先述の通り今日中にできることに限界があるからだ。といっても今日中には無理だと諦めたわけではなく、今日できることは既にやりきっただけのこと。さすがはパトリック・ダイス、その手腕と徹底さと言ったらアディを真っ青にさせるほどである。
「それでメアリ、次の休みはいつだ?」
「休みねぇ、エレシアナは明日から三日間テスト期間で、そのあと試験休みがあるけど」
「よし、それじゃ帰ってくるのは四日後だな」
「あのね、私の話を聞いてた? 試験休みよ、試験を頑張った人が休む日なのよ?」
「それなら頑張らなきゃいい」
「有無をいわさぬ徹底ぶりね……」
未来の暴君だわ、とメアリが嫌みを言いつつ紅茶を飲み干す。
もっとも、文句こそ言いつつ拒否しないあたり、四日後に帰ってくる気はあるのだろう。それを見て取りパトリックが予定帳に記入すれば、青ざめていたアディが控えめながらにメアリをジッと見つめていた。
そんな中、一人の使いが書類を手にパトリックへと駆け寄る。それを見たパトリックが「失礼」と一言残し去っていけば、彼の背が扉の向こうへと消えるのを見送ったメアリがクルとアディに向き直った。
「今の内に貴方に言っておきたいことがあるの」
「えっ、言っておきたい……こと、ですか……」
「そうよ、パトリックやアリシアに聞かれたらマズいのよ、だから今の内に」
そう念を押すメアリの真剣な表情に、アディが思わずゴクリと息を飲む。つい先程まで結婚の手続きをしていたのだ、流れから言ってその話題でないわけがない。
断られるのか。
文句を言われるのか。
もしや「結婚はしてやるけど身分を忘れるな」と念を押されるのか、いや、もしかしたら「結婚はするが愛はない」と言われるのかもしれない……。
あまりに突拍子もない展開故に何を言われるのか分からず――しかも、相手はメアリであるため本当に何を言われるのか見当もつかない――アディが震えそうになるのをそれでも何とか押さえ、意を決して「何でしょうか」と続きを促した。
「今の内に言っておくわ」
「は、はい……」
「厨房にアップルパイが残ってるから、パトリックに知られないうちに食べちゃいなさい」
「は……はい……?」
アップルパイ?とアディが目を丸くさせる。なにせアップルパイ、それは昨日あなたが自棄になって食べたアップルパイですか?隣国で有名な店の、あのアップルパイですか?……と視線で訴えると、メアリがコクンと頷いた。
「昨日全部食べてやろうと思ったんだけどね、流石に四人分は無理だったの。で、一人分残してあるから、パトリックやアリシアに見つからない内に貴方が食べちゃいなさい」
「……三人分は食べたんですか」
呆れたようにアディが返せば、メアリが自慢気に「美味しかったわ!」と胸を張った。
それに対して何と答えればいいのやら、はぁ…と盛大に溜息をつき、アディがメアリに視線を向けた。
「……良いんですか、このままだと本当に俺が頂いちゃいますよ」
と。
あえて何がとは口にせず言えば、メアリがその意味などまったく理解していない満面の笑みで「頂いちゃいなさい!」と返した。