14
もとより、メアリは変わったところのある令嬢だった。
同年代の子息や令嬢と違い贅沢にはさほど興味を持たず、家柄をひけらかすこともしない。かといって庶民的かと言えばそうでもない。年頃の令嬢らしくお抱えのデザイナーにドレスを作らせたかと思えば、デザイナーを見送った足で従業員用の食堂で野菜の皮むきをしているのだ。
貴族らしいとも言えず、それでいて庶民派というわけでもない。本人もどちらを目指しているというわけでもなく、それでも元々メアリ自身の素質と今までアルバート家の令嬢として扱われていた義務感からか、アルバート家としての立ち振る舞いを必要とされる時は誰もが手本とするような完璧な令嬢を演じきっていた。
誰よりも令嬢らしく、それでいて誰よりも令嬢らしくない。
両極端なその二つの性質をメアリはまるでスイッチのように切り替えては、状況に応じて見事に使いこなしてきた。
その結果、メアリは「変わり者の令嬢」と影で呼ばれ、それでいてアルバート家の恩恵を受けようとする者達に囲まれていた。パーティーに出向けば誰もが彼女に挨拶をし、それでいてメアリがアディやメイド達と楽しそうに話していると「従者と話して、やはり彼女は」と影で笑うのだ。
そこまで話し終え「それでも……」とアディが溜息をついた。
「それでも、普通なら親しい令嬢の一人や二人できるものだと思うんです。お嬢が変わり者でも良いと、アルバート家ではなくお嬢自身を見てくれる、そんな同年代の友達が出来そうなものなんです……でも……」
言い掛け、アディがチラとパトリックに視線を向けた。
相変わらず見目の良い彼は、まるで王子と言わんばかりの麗しさでアディからの視線を受け「俺がなにか?」と言いたげに小首を傾げた。それにあわせてサラと揺れる藍色の髪に、深い色味の瞳。まさに女性の理想を集めて具現化したような非の打ち所のなさ。
それを見て、アディが再び両手で顔を覆った。
「普通なら同年代の女の子と仲良くなりそうなものなんですが、お嬢の周りの令嬢って皆揃ってパトリック様に惚れてて……」
アディの言葉を最後に、茶会に似合わぬシンと静まった空気が漂う。
流石にパトリックもまさか自分の名がでるとは思っておらず、話を聞き終えるとヒクと頬を引きつらせた後「……すまない」と一言謝罪した。
「そんなわけで、パトリック様の婚約者間違いなしと言われたお嬢は影で令嬢達から嫉妬され学園では変わり者と言われ、それでいてアルバート家の名につられる者が後を絶たず孤立するわけでもない。と言ったややこしい状況の結果、対人感覚が歪んだんです」
「歪んだって、そんなハッキリ言わなくても……」
「いいえ、ハッキリ言います、歪んでます! だってお嬢、いまだに俺のこと従者としか考えてないんですよ!」
そう喚くアディに、パトリックとアリシアが思わず顔を見合わせた。
アディがメアリに惚れていることなど誰が見ても明らか。そのうえ、たまに「玉砕しました」と投げやりに報告してくる彼のアプローチはいかに疎い者でも気付きそうなほどに直球なのだ。
だからこそ、パトリックもアリシアもメアリが返事を保留しているのだと思っていた。
「……そうか、伝わってなかったのか」
「お嬢は『アルバート家の令嬢』としてなら人を集めることが出来るけど、一転して『メアリ・アルバート』には誰も好んで寄りつかない、現状は全て『アルバート家の令嬢』だからこそ……って、そう割り切って……歪みきったまま割り切ってるんです」
「言い直したな」
「そりゃ言い直しますよ」
盛大に溜息をつくアディに、パトリックがその肩を叩いてやる。
そんな二人を眺めつつ、アリシアが紅茶をコクと一口飲んで不思議そうに小首を傾げた。
「アディさん、告白はしないんですか?」
「そりゃ俺だって出来るならしたいけど、俺の家は代々アルバート家に仕えてきた家系だし、俺の身分でお嬢に告白なんてしたら下手すりゃ家族全員路頭に迷いかねないんだよ」
改めて自分の立場を考えたからか、再びアディが溜息をついた。庶民と貴族ですら身分の差があって難しいというのに、よりにもよって国内一を誇るアルバート家の令嬢とその従者なのだ。とりわけ今のメアリは貴族界の誰もが喉から手が出かねない程の存在で、アルバート家にとっても最高の外交カードである。
今までのアディのアプローチだって、普通ならば「身の程知らず」と処罰されてもおかしくない。
「せめて、どんなに低くても爵位があればなぁ……」
そうしたら正式に申し込めるのに、と何度目かの溜息をつくアディに、パトリックとアリシアが妙案はないものかと眉間に皺を寄せた。
真っ先に思い浮かぶのは養子縁組み。だが貴族間で養子縁組みが少なくないとはいえ、あくまで『貴族間』の話。アディがいくら優れていてもわざわざ引き取るような家があるだろうか?
「いや、でもアディを養子にすればメアリがついてくるわけで、それなら案外に引く手あまたかもしれないな」
「うまく行けばの話ですよ。もしかしたら振られるかもしれないし、下手すりゃ兄貴や親父の仕事を奪うことにもなりかねないし……」
だからこそ自分の想いを告げられないとアディが落ち込めば、その肩を叩いてやるパトリックと紅茶を注いでやるアリシアが困ったように顔を見合わせた。
アディが今悩んでいる身分の差という問題にはパトリックもアリシアも覚えがある。数年前、自分たちもまた同じ問題を抱えて苦しんだのだ。とりわけアディの立場は己の身分を捨てれば解決する問題でもなく、家族まで巻き込みかねないからこそより深刻である。
本来であれば諦めるべきだ。アルバート家はあまりにも大きすぎて、アディには家族を巻き込むリスクがある。
だがそれが分かっていてもどうにかしてやりたいと思うのは、パトリックとアリシアが抱えていた身分の差という問題を解決してくれたのが、他でもないメアリとアディだからである。
「でもメアリ様なら爵位とか拘らずに応えてくれるかもしれませんよ」
うなだれるアディを気遣いアリシアがフォローをいれれば、パトリックも同様に「あのメアリだからな」と続いた。
――若干、アリシアとパトリックの発言にニュアンスの違いを感じさせるが、それもまたパトリックならではだろう――
そんな二人の励ましに幾分気が晴れたのか、アディが「そうですよね」と顔を上げた。
「そうですよね、相手はあのお嬢なんだし」
「そうですよ! メアリ様ってちょっと変わってらっしゃるから、そんなに悩むことはないかもしれませんよ!」
「そうそう。友達のいないメアリが急に婚約者なんて作るわけがない。申し出を片っ端から断ってるみたいだし、このまま嫁ぎ損ねてアルバート家に残るかもしれないだろ」
「確かに、言われてみればあそこまで歪んだお嬢が大人しく婚約なんてするわけが」
「よぉし、その喧嘩全部買った!」
……。
突如割って入ってきた威勢の良い声に、茶会が一瞬にしてシンと静まりかえった。
その不穏な空気を打ち破ったのは、ギチギチと音がしそうな程ぎこちない動きで背後を振り返ったアディ。顔色の青さといったらないが、この状況を考えれば青ざめるのも仕方ないだろう。
「お、お嬢……なんでここに……」
「なんでって、アルバート家の庭園にアルバート家の令嬢がいるのは当然でしょ。むしろ人の家で茶会してるあんた達の方がおかしいのよ」
「い、い、いつから……いつから、聞いてました……?」
ゴクリとアディが息を飲む。
アリシアとパトリックも真剣な面持ちでメアリに視線を向けるのは、もちろん彼女がどの部分から話を聞いていたかによって今後の展開が大きく変わるからだ。
仮にアディがメアリへの求婚で悩んでいると打ち明けた部分から聞いていれば、少なくとも彼の悩みは解消される。メアリがどう返事をするかは分からないが、とりあえず伝えることは出来たのだ。だがその反面アディの訴えたリスクが実現してしまう可能性もある。
そんな緊張すら感じられる空気のなか、全員の視線を一身に受け、メアリが不敵に笑った。
「どこから聞いてたかって? そんなの言うまでもないでしょ」
「お嬢、まさか……」
「あんたの「そうですね、相手はあのお嬢なんだし」っていうところからよ!」
「どうしてよりによって一番誤解を生みそうなところから! 貴方って人はいつもそうだ!」
嘆くアディに、メアリがキョトンと目を丸くする。
帰ってこいと五月蠅いから帰ってくれば「あのメアリ」だの「嫁ぎ損ねる」だの、果てには「大人しく婚約するわけがない」だのと暴言三昧だったのだ。それに対して文句を言ったつもりが、いったいどういうわけかアディが嘆いて、パトリックとアリシアが溜息をついて彼を宥めている。おまけに、二人から注がれる視線の冷ややかさと言ったらない。
これにはメアリもさっぱり意味が分からず「ねぇ、いったい何なのよ!」と声を荒げた。
そうしてメアリも茶会の席につき、改めて「で、何の話してたの?」と三人を見回した。
彼らはみな一様に視線を泳がせ、怪しいことこのうえない。何か隠しています、と宣言しているようなものだ。
そんな中、痺れを切らしたパトリックがコホンと咳払いをして重苦しい空気を破った。
「アディが爵位を欲しがってて、その話をしてたんだ」
「爵位?」
なんでまた、とメアリがアディを見上げる。
「なんでも爵位が無いと出来ないことがあって、どうしてもそれがやりたいんだと」
なぁアディ、とパトリックが紅茶を飲みつつアディに視線を向ければ、メアリもそれに倣って視線を向ける。
真っ赤になったアディはその視線を受けつつも「えぇ、そうなんです……」と小さく頷いた。
「爵位がないと出来ないこと?」
「そうなんです……出来ないと言うか、今の俺の身分じゃ許されないと言うか……」
「やめときなさいよ、そんな偏った思想。ろくなもんじゃないわよ」
あっさりと言い切るメアリに、アディが溜息をつく。話を聞いていたアリシアと促したパトリックも同様に、メアリに冷め切った視線を向けた。
メアリからしてみれば、まったくもって訳の分からない居心地の悪さである。
思わず「な、何なのよみんな……」と呟けばその声が情けなく揺れるが、自宅に帰ったのにここまでアウェー感を味わわされれば誰だってこうなるというもの。
そんなメアリの心境を察したのか、アディが宥めるように「お気になさらず」と声を掛けた。
「ただの俺の我儘なんです……でも、どうしても俺は諦められなくて……」
ジッとメアリを見つめて訴えるアディに、メアリが調子を狂わされるとでも言いたげに「貴方も物好きね」と悪態をついた。――それに対してパトリックが内心で「本当に物好きで悪食な男だよ」と呟いたが、言葉にしなかったあたり流石はパトリック・ダイスである――
それでも真剣に「爵位ねぇ……」と考えを巡らせるあたり、なんだかんだ言いつつ協力する気はあるようだ。だがやはりメアリでも難しい問題のようで、自然と彼女の眉間にシワが寄る。
「養子縁組みって手もあるけど、基本あれは貴族間だし。そもそも、アディを余所に出すのはお父様が何て言うか……」
「あ、あのお嬢、無理ならいいんですよ」
あまりにメアリが悩むものだから、アディの中で申し訳なさが勝る。好きな人に告白をするためにその本人を悩ませたのでは本末転倒もいいところだ。
だがそんなアディに対し、メアリは「安心なさい!」と明るい表情で彼を見上げた。
「貴方が爵位を欲しいって言うなら、なんとしても叶えてあげるから!」
「お嬢、ありがとうございます……その気持ちだけでも、俺は……」
「それに、いざとなったら私と結婚して、アルバート家に入れば良いわけだし!!」
お父様も説得してあげるから!と明るく笑うメアリに、アディは勿論アリシアとパトリックまでもが言葉を失った。