12
メアリの発言に重く異質な空気が漂う。
それでも中には勇気のある者もいるようで、逆ハーレムの一人がゆっくりと近付くやメアリに対して食ってかかるように……とまではいかないが、それでも「……メアリ嬢」と声をかけてきた。
端整な顔付きと鮮やかな色合いの髪と瞳、いかにも『正当派王子』といった出で立ちである。確か紳士的な態度と柔らかな眼差し、そして誰に対しても崩さない丁寧な態度が人気で、ゲームでも実際でも主人公のことを「お姫様」と呼ぶようなキザな一面もある男だ。
そんな彼は恐る恐ると言った様子だがメアリ達の会話に割ってはいると、ガイナスから引き剥がすようにリリアンヌを抱き寄せた。「きゃっ」と可愛らしいリリアンヌの声が上がるが、その表情がいかにも「私を取り合わないで!」と言いたげでメアリが心の中で呆れたと溜息をついた。
「メアリ嬢、流石に今のは失礼が過ぎませんか?」
優しげな声色でメアリを咎める男の言葉に、早々と乗り換えたリリアンヌが困ったような表情で彼を見上げる。助けて、とでも言いたげなその表情は男の庇護欲を刺激するのだろう。男の瞳が活気付き、奪われて堪るものかと他の男達も立ち上がる。
それを見たメアリが今度は心の中ではなく実際に溜息をついた。
女を護りたいと思う男は立派だ、頼りにされて勇み立つ気概は立派だと思う。だが相手を間違えれば、それは只の見当違いの愚鈍でしかない。
「あら、失礼とはどういうことかしら」
「先程の言葉です。彼女に対してあのような言葉、流石に言い過ぎかと思いますが」
「そうかしら?」
しれっと言い切り視線すら合わせず、それどころか関心がないと言いたげにメアリが肩にかかった髪を払う。そのあからさまな態度に、愚鈍な王子が僅かに眉間に皺を寄せた。この態度は目に余るとでも言いたいのだろう。
――内心ではメアリが「これぞ悪役令嬢!」と興奮しているのだが、そんなこと誰も知る由もない。誰かさんがいれば「お嬢、活き活きしてますね」と言ってきそうなものだが、生憎と彼は不在なのだ――
そんなメアリと王子を見比べリリアンヌが更に擦り寄るのは、彼ならばメアリに対抗出来ると考えたからか。対してガイナスは逆に「少し落ち着け」と王子を制する始末で、確かにリリアンヌからしてみれば天秤にかけるまでもないだろう。
だがこの状況、冷静に考えればガイナスの方が正論である。
なにせ相手にしているのは他でもないメアリ・アルバートなのだ。いくら只の一生徒のように生活し家柄を誇示しなくても、すぐ泣く令嬢に対しフォローを入れているところを多々目撃されようと、やたらと経営学の時に意欲的に授業を聞いていようと、メアリはアルバート家の令嬢である。
自国は勿論、この国においても勝てる家はない。仮にリリアンヌが正しくても、王子の言い分が正しくても、このエレシアナ学園においてアルバート家の名は全てを覆すのだ。
「男を侍らすしか能のない庶民の女が、このメアリ・アルバートに挨拶もなしに声をかけてきたんだもの。一言いってやるのが身分のある者のとるべき行動じゃなくて?」
「そんな、彼女は……」
「貴方達にとってのお姫様かもしれないけれど、私にとっては庶民の女よ。それにここはエレシアナ学園なのよ、身の程知らずが通っていたら学園の品位を落とすとは思わない?」
リリアンヌを冷ややかに睨みつけ、メアリが言い切る。
だが事実ここはエレシアナ学園。言ってしまえば貴族界の縮小版。余所の学園ならまだしも、貴族や豪商の子息令嬢が通う家柄重視の学園なのだ。庶民のリリアンヌはカーストでは最下層にあたり、当然だがトップにはアルバート家のメアリがいる。
身分から言えば気安く声をかけることなど出来るわけがなく、言わずもがな男を侍らしているからといって許されるものでもない。
メアリの言わんとしていることを察したのか、それともエレシアナ学園の本質を思い出したのか、王子が小さく息を飲んだ。そうして視線を泳がせるのは、貴族らしく自分の家柄とメアリの家柄を比べたからである。否、比べるまでもないと考えたからか。
「そ、それは……確かに、そうなんですが……」
「理解していただけたみたいで嬉しいわ」
良かった、とメアリが有無を言わさぬ口調で押し通し、わざとらしく微笑むと他の男達に視線を向けた。
最初こそリリアンヌを庇おうと、そして自分こそリリアンヌを抱き寄せようとしていた彼等もアルバート家の名の重さに足を止め、メアリがチラと一瞥すると僅かに肩を震わせた。
「それと、皆さん話に加わるのは構わないけれど、その前に名乗って頂けないかしら? 私、留学生だからあなた方の名前が分からないの」
お前達なんか知らない。
このメアリ・アルバートにとって、名前を覚える価値もない。
そう暗に訴えれば、誰もが気まずそうに顔を背ける。
そんな重苦しい空気を打ち破ったのは、リリアンヌが逃げるように走っていく足音と、次いで彼女を追う男達の足音。エレシアナ学園には似付かわしくない慌ただしさに、メアリが「嫌ね、みっともない」と鼻で笑いながらわざとらしく肩を竦めて見せた。
その仕草、まさにプライドの高い令嬢である。それも見事なまでに嫌みな性格を表している。
誰が見ても納得の悪役ぶりだったわね、アディに見せてあげたかったわ……と内心で自分自身に賛辞を送りつつ、メアリが優雅に肩の髪を払った。
そうして改めて一息つくも、周囲は未だシンと静まり返り気まずい空気が漂っていた。中には数人そそくさと退室しているのは、この空気に耐えきれなかったからだろうか。
だがメアリは変わらず椅子に腰を下ろしたまま、平然と、それどころか何も無かったかのように鞄から本を取り出して読書を始めた。リリアンヌの後を追ってやる義理もなければ、重苦しいこの空気を気遣って退室してやる義理もないのだ。
そう言いたげに開いたページに視線を落とすと、唯一残っていたガイナスが気まずそうにパルフェットに視線を向けた。
「……パルフェット」
「ガイナス様……」
互いに何か言いたいことがあり、それでもこの場の空気に気圧されて口に出すのが躊躇われるのだろう。
困惑の表情で見つめ合う姿はまさに似たもの同士。お似合いじゃない、とメアリが心の中で皮肉った。
「パルフェット、少し話がしたいんだが……」
「え、えぇ構いません。あ、でも……」
チラとパルフェットがメアリに視線を向けた。彼女の心境からすればガイナスと話がしたいが、だからといってこの場にメアリを置いていけないと考えたのだろう。
だからこそメアリに一言……と口を開きかけ、何かを思い出したのかムグと噤んでしまう。そうしてジンワリと瞳に涙を浮かべるのは……。
「あのね、今更私が貴女の身分との違いをどうこう言うわけ無いでしょ!」
「メアリ様ぁ……」
「良いからさっさと行って来なさいよ」
それを聞いたパルフェットが潤んだ瞳を一瞬丸くさせ、パァと表情を明るくさせた。少なくともメアリには見限られていない、それが今の彼女の支えになっているようだ。
そんな分かりやすい表情の変化にメアリは小さく溜息をつきつつも苦笑を浮かべ、ガイナスに向き直った。
「あ、あのメアリ嬢、申し訳ありませんが少し彼女と…………」
「……な、なによ」
「あの、ガイナス・エルドランドと申します」
「知ってるわよ!!」
この大真面目共が!とメアリが喚き、なんとも調子が狂う二人を相手に溜息をついた。そうしてガイナスに対し
「私、しばらくここで本を読む予定ですから」
と告げるのは、勿論「きちんと送り届けろ」という意味で、流石にこれは通じたのかガイナスが頷いて返した。
そうしてメアリが読書に耽ってしばらく、再びガイナスとパルフェットの姿が現れ、残っていた生徒達がやにわにざわつき始めた。だがメアリがコホンと咳払いをするとそれもピタリと収まるのだから呆れてしまう。
もっとも、いまだに残っている者など殆どが野次馬でしかなく、それでいて当事者達に直接話を聞く勇気のない小物ばかりなのだ。現にカリーナをはじめとする今回の件に真っ向から立ち向かう決意をした者や、勝手にやってくれと無関係を決め込んだ者達――出来ればメアリもこの部類に入りたかった――はさっさと移動している。
「あの、お待たせしましたメアリ様」
「あら、私本を読んでいただけで貴女を待っていたわけじゃないのよ」
「そ、そうですよね……ごめんなさい、私ったら……」
「お・か・え・り・な・さ・い!」
再び瞳に涙を浮かばせるパルフェットにメアリが慌ててフォローを入れる。相変わらずの打たれ弱さではないか。
だがそんなパルフェットも戻ってきた時には泣いている様子もなく、それどころか少し晴れやかにさえ見えたのだから、少なくともガイナスとの話し合いは穏便に済んだのだろう。悪目立ちをしてしまったが、結果的に見ればリリアンヌやその取り巻きを先に排除出来たのだから良かった、とメアリが僅かに安堵をもらす。
そうしておもむろに立ち上がり
「それじゃ、少し早いけど次の授業の教室に向かいましょう」
と移動を促すのは、当然これ以上野次馬達に餌を与える気がないからだ。
じれったそうに送られる視線に、パルフェットを連れたメアリが心の中で舌を出した。
結論から言えばパルフェットはガイナスに振られてしまった。婚約破棄の申し出もあったという。
それでも二人の話し合いは穏便に進み、胸の内を全て話したガイナスが頭を下げたことで、パルフェットも婚約破棄の覚悟を決めたらしい。
「ガイナス様、悪いのは自分だって何度も頭を下げてくださったんです」
「そんなの当然じゃない」
「困ったことがあれば何でも言ってくれって、気が済むまで殴ってくれても構わないって」
「で、何発いったの?」
「殴ってないです! それに、リリアンヌさんはガイナス様が抱えている悩みを理解し、ガイナス様を癒してさしあげたそうなんです。だから今度は彼女を支えたいって……。私、ガイナス様が悩んでらしたなんて気付きもしませんでした」
婚約破棄を恨むどころか自分の不甲斐なさを悔やむようにパルフェットがうなだれる。話し合い、頭を下げられ、ようやく事態を受け止められたとはいえ、直ぐに傷が癒えるわけではないのだ。
とりわけ、二人の仲は良好だったのだから、相手の悩みを気付けなかった自分の非すらも感じているのだろう。それもよりによって横から割り込んできた女にそこを突かれ、果てには奪い取られたのならば尚更だ。
ハァ……と深く溜息をもらすパルフェットに、メアリがチラと横目に彼女を見つつ眉間に皺を寄せた。
リリアンヌはガイナスの悩みを理解できて当然なのだ。
なにせ彼女も前世の、そしてゲームの記憶を持っていて、全ての男を陥落させているあたり前世でのやりこみ具合は相当なものなのだろう。難易度の低いガイナスルートなど彼女にとっては悩むまでもなく、パルフェットを抜きにガイナスを落としにかかったに違いない。
だからこそ、ガイナスだけに留まらず最難関である逆ハーレムルートを進んでいるのだろう。
前作には無かったこのルートは難易度は過去最高、誰もが攻略サイト頼みに進める程だった。その難しさといったら無く、一つの選択肢のミスも失敗に繋がりかねない。もっとも、その難易度が逆にコアなプレイヤー魂に火をつけ、中には意地になって自らハーレムエンドを目指す猛者や果てにはプレイ回数が三桁を越えたと誇る者さえでる始末で、おおよそ乙女ゲームとは程遠い盛り上がりを見せていた。
そんな鬼畜とすら言える難易度に対し、逆ハーレムエンドの内容は
『男達皆がリリアンヌを囲み、争いもしない、奪い合いもしない、一夫多妻ならぬ一妻多夫』
というご都合主義を極めたような内容だった。お花畑にも程がある、と誰もが粗を挙げてはそう評価していたものだ。
だがそれでも攻略対象者達が一挙に揃った一枚絵は見応えが有り、主人公を囲む光景は乙女ゲーム好きには勿論、男達が並ぶ光景は別の趣味でゲームを楽しんでいた者達にとって至高の一枚絵とさえ言われていた。
故に挑む者が後を絶たず、逆ハーレムルートにだけ用意された『ちょっとしたおまけ』が更にプレイヤーの意欲を高めていた。
おまけ……そうだ、逆ハーレムエンドには確か……。
そこまで思い出し、メアリがハタと顔を上げた。
リリアンヌの狙いが逆ハーレムエンドなのは明らか。それもパルフェットとの和解を省いているあたり、ゲームの記憶を頼りに大分急いで攻略を進めている。
もしも仮に、彼女の狙いが『ハーレムエンドの先にあるもの』だとしたら……。エンドの先にあるものを目的にしているが故に、攻略を急いでいるのだとしたら……。
それこそまさに不毛な話ではないか……と、メアリが小さく溜息をついた。
「メアリ様、どうなさいました?」
考えを巡らせていたメアリに、不思議そうにパルフェットが声をかける。
その声にメアリがハタと我に返って顔をあげれば、先程はじまったばかりの授業が大分進んでいた。どうやら随分と長く考え込んでいたらしく、メアリが雑念を消すようにフルと首を横に振る。他のことならまだしも、リリアンヌのことを考えて授業を蔑ろにするなど冗談ではない。
今はとにかく授業を聞かなくては、とメアリが改めて教壇に視線を向けると、見目の良い教師が――言わずもがな担任であり、彼もまた攻略対象の一人である――小難しい専門用語の説明をしつつ、それを交えた甘いセリフを吐いては最前を陣取る女子生徒達から黄色い声援を送られていた。もっとも、キザなそのやりとりの最後にチラとリリアンヌに視線を向けてウィンクするあたり、彼も既に手遅れなのだ。
もっとも、彼に関して言えば授業を蔑ろにしなければどうでもいい、というのがメアリの心境である。