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で、あれこれあってしばらく。
「……まさか本当に乗るなんて」
と、自転車を漕いでいたアディがポツリと漏らした。
その後ろにはカトレア学園生徒会長のパトリック。サラサラの髪を風にたなびかせ、自転車の荷台に座るその姿にすら気品を感じさせる。
ちなみに何故こんなことになったかと言えば、遡ること数分前。
玉砕覚悟でメアリがパトリックを誘ったところまさかのオーケーを貰い、揃って目を丸くしている内に気付けば学園内の空き地。別名、駐輪場。
その隅に停めてある二台の自転車をやたらと興味深そうに眺めるパトリックを横目に、ようやく我に返ったメアリとアディはどうしたものかと悩んだのだ。
本来の目的を思い出せば、ここはパトリックとメアリが二人乗りをするべきだ。例え本来のゲームのような金持ちぶりは発揮できなくとも、仲睦まじく下校する姿を見ればアリシアも傷つくはず。
だが貴族の生まれであるパトリックは当然だが自転車に乗ったことは無い。メアリも、流石にパトリックを乗せて漕ぐことは不可能。
となれば当然、メアリの従者であるアディがパトリックを乗せて自転車を漕ぐことになるのだが、果たしてこれが正解なのかどうか……。いや、そもそもの自転車通学が間違いと言われればそれまでなのだが。
「ところで、パトリック様を自転車にお乗せするなんて、もしかして俺って今とんでもないことしてるんじゃ……ダイス家から訴えられたらどうしよ……」
「気にするな。俺が乗ると答えたんだ。それに自転車には一度乗ってみたいと思っていた」
「え、それは意外ですね。自転車に興味がおありだったんですか?」
「あぁ、風が気持ちいいと以前にアリシア……いや、とある人物が話していてな」
「ははぁ、とある人物ですか」
わざとらしくコホンと咳払いをして誤魔化すパトリックに、アディが察して聞こえなかったふりをした。
隣で並走しながらそのやりとりを聞いていたメアリも同様、何事も無かったかのように風を受けて自転車を漕いでいてたが、内心ではパトリックの変化に驚きアリシアに賛辞さえ送っていた。
この生徒会長が庶民の乗り物に興味を示しているのだ、どうやらメアリが予想していた以上に――そしてきっと、純粋で少し鈍感なアリシアすら思っていないほどに――パトリックのなかでアリシアが大きな存在になっているらしい。
元のゲームはプレイヤーがアリシアとなり学園生活を送るシステムである。あくまで心情が分かるのはアリシアのみで、相手からどう思われているかは作中の会話と、あとは好感度と言う数値でしか分からないが、どうやらゲーム本編で受ける印象以上にパトリックはアリシアにベタ惚れなようだ。
冷静沈着、愛の言葉を囁く時でさえクールなゲーム上の彼とは思えないそのあからさまな誤魔化しに、なるほどこれは案外に面白いとメアリが僅かに口角を上げた。
そうしてふと前方を見れば、道の先に見覚えのある後ろ姿が見えた。
金糸の緩やかな髪を風に揺らせ、スラリとした手足を優雅に動かして歩く少女。貴族の証でもあるカレリア学園の制服を身に纏い、それでも不用心に一人で外を歩くその姿は間違いなくアリシアだ。
他のカレリア学園の生徒が徒歩で下校などするわけがなく、迎えも護衛もなしに一人で出歩くわけもない。
そんなカレリア学園らしからぬアリシアの後ろ姿に、メアリがいよいよだとハンドルを握る手に力を入れた。
ゲームのイベント通り、このままアリシアの横を通り抜けるのだ。彼女はメアリ達を見つけ、その仲睦まじい姿に傷つき、そして勘違いをしてパトリックから距離を置いてしまう。
上手くいくはず。
……上手く、いくはず。
…………上手くいくかなぁ。
本来のゲームとは微妙にシチュエーションが変わった現状に、思わず不安を感じてしまう。
元のゲームであれば今はアルバート家の馬車の中で、メアリとパトリックが身を寄せ合い親しげに座っているのだ。その光景からアリシアが要らぬ誤解をしてしまう、というのは理解できる。
だが今はどうだ。パトリックはアディと二人乗り、メアリは一人で自転車を漕いでいる。
ゲーム通りアリシアが「なんて仲が良さそうなの、もしかして二人は……」という勘違いをするのであれば、この場合だとメアリとパトリックではなく……。
「止めよう、それ以上考えては駄目よメアリ……自分を信じなくちゃ」
浮かび上がった絵面に寒気すら感じ、メアリが自分を窘める。
ここで自信を無くしてどうする。既に計画は動き出しているし、一度決めたからには貫くのがアルバート家の令嬢というものだ。
そう、きっと上手くいくはず。この光景に、きっとアリシアは勘違いをしてくれるはず。
……まぁ、その勘違いが多少違ったとしても良しとしよう。
要はアリシアとパトリックの仲を邪魔出来ればいいのであって、アディが巻き込まれたとしても仕方ない。彼は尊い犠牲になるのだ。
そんなことをメアリが考えつつ、まさにアリシアの隣を走り抜けようとし……。
「あら、パトリック様」
「む、アリシアか。悪いアディ、止まってくれ」
「はい!」
キィ!と軽快な音を立てて止まった自転車に、思わずメアリも倣ってブレーキを握りしめた。
「ごきげんよう皆様」
ペコリとアリシアが頭を下げる。
その挨拶はどことなく不慣れでぎこちなさを感じさせるが、アリシアの身の上と彼女の性格を知っていれば微笑ましくも見えるだろう。
現に、普段であればぎこちない挨拶をしてきた者に対し叱咤でもしかねないパトリックが、アリシアに対しては只頷いて返している。それどころか彼女に注がれる視線はどこか優しげで、冷静沈着かつ無表情がデフォルトの彼が今だけは柔らかく見える。
対してアリシアはそんなパトリックの視線には気付かず、不思議そうに三人を見るとクイと小首を傾げた。
「自転車に乗って、今日はどうされたんですか?」
アリシアが疑問に思うのも無理はあるまい。
なにせ、貴族ばかりが通うカレリア学園の中でもとりわけ名門貴族の二人が庶民の乗り物に乗っているのだ。
そんなアリシアの疑問に対し、パトリックはコホンと軽く咳払いした後、まるでこの場を任せるとでも言いたげにメアリに視線を向けた。どうやら「アリシアと話していて自転車に興味を持った」とは言えないらしい。
分かりやすいパトリックの態度に、メアリが僅かに目を丸くした。ゲームでの彼は、好感度が上がるや砂糖を吐きそうな甘ったるい台詞を吐いて女性プレイヤーを魅了したものだが、今のこの甘さとプライドの合間を彷徨っている姿もこれはこれで魅力的ではないか。
だが今はそんなことを考えている場合ではない。
なのでメアリは適当に「運動になると思いましたの」とでっち上げ優雅に笑いつつ、アリシア達から後退った。
「おほほ、ちょっと私アディと話がありますの」と、こんな感じで従者の腕を引っ張りつつ、彼女達から距離を取る。気分は仲人の「後はお若い二人で」状態だ。
そうして二人には声が届かない程度に離れると、気まずそうに他所を向くアディの足を踏ん付けた。
「いやぁ、あの二人お似合いですねぇ……ねぇお嬢、俺の足を踏んでないで、あの二人をご覧なさいな」
「聞きたいことは一つ。なぜ止めた。私の計画を知っていて、なぜ自転車を止めた」
「ははは、お嬢ほら見てくださいパトリック様ってば照れていらっしゃいますよ。まぁアリシアちゃんは素朴で可愛いし、今までいなかったタイプなんでしょうねぇ」
「……私達いっぺん話し合う必要があるようね。お父様を交えて」
「すいませんでした。いくらお嬢の計画があっても、パトリック様の命令には逆らえませんでした!」
申し訳ありませんでした!と勢いよく頭を下げるアディに、メアリが眩暈を覚えつつ額を抑えた。
確かに、従者の家系であるアディが名門貴族のパトリックの命令を無視できるわけがない。それは分かる。が、その前提にメアリの命令があるのだが、彼の中でそれはどうなっているのだろう。
あと、やはり彼の中のヒエラルキーがおかしいことになっている気がする。そりゃアルバート家の当主であるメアリの父親が最上位に位置するのは当然だが、その娘がパトリックよりも下に思われている気がする……。
と、そんな疑惑の視線をメアリが向けると、流石にこれは不味いと思ったのかアディが誤魔化すように笑った。
「ほらお嬢、二人が呼んでますよ。機嫌直して戻りましょうよ」
ね、とアディが笑いかける。
ぎこちないその笑みはご機嫌取りなのが明らかで、メアリが怒る気力も失せたと溜息をついて「まぁ良いわ」と話を終えた。
そうして、パトリックとアリシアの元へと戻っていく。
――ここでアディを問い詰め、主人として彼を叱咤し、場合によっては処罰を……としないところがアディの態度を後押ししているような気もするのだが、今はそれを気にしている場合ではない。……と、こうやって後回しにし続けているから今に至る気もするのだが――
「お待たせして申し訳ありません」
ニッコリと微笑み、メアリがパトリックとアリシアに話しかける。
どうやら会話が随分と弾んでいたらしく、声をかけられるまで気付いていなかった二人はメアリの登場にはたと我に返ったようで、アリシアは嬉しそうに、パトリックはどこか恥ずかしそうにメアリに視線を向けた。
「ではパトリック様、参りましょうか。ごきげんようアリシアさん、また明日、学園で」
「あぁ、その件なんだが……」
アリシアに別れの挨拶を告げたメアリに、パトリックが待ったをかけた。
それに対して勿論だがメアリが目を丸くするわけで、いったいどうしたのかと視線で問えば、パトリックがコホンと一度咳払いをした。
で、どうなったかと言えば、こうなった。
「やはり自分で漕ぐとまた違った感覚だな。これは確かに良い運動になる」
「凄いですパトリック様、一度で乗れるようになるなんて。それも、私を乗せて!」
「そうはしゃぐな、乗馬に比べれば楽なものだ」
楽しそうに風を受け走る二人を横目に、メアリが盛大に溜息をつく。
ついでに八つ当たりでアディの腰を肘で小突けば、「うぐ…」という声が聞こえてきた。
「試合にも負けて勝負にも負けて、おまけに賭けにも負けた気分だわ」
「お気持ちは分かりますが。お嬢、大人しく掴まっててください」
「そうね、これで落とされたら惨めにも程があるわ」
はぁ……と溜息をつきつつ、メアリがアディの腰に腕を回す。
ちなみに、今のメアリはアディが漕ぐ自転車の後ろに座っている。所謂二人乗りと言うやつだ。
その隣には、パトリックとアリシアが二人乗りで並走しているわけで、傍目から見れば貴族らしからぬ、それでいて若者らしい光景に映ることだろう。
現にパトリックとアリシアは楽しそうで、それでいて時に自転車が揺れるとアリシアがパトリックに抱き付いて……と、観ていて甘酸っぱさすら感じられる。
それに対してメアリとアディはと言えば、メアリは死んだ魚のような瞳を浮かべ負け台詞を呟き、アディは背後から漂う負のオーラに引きつった笑みを浮かべている。
パッと見はどちらも仲睦まじい男女ではあるが、よくよく見ると二台の差は天と地である。なにせ後者から漂う負のオーラが尋常ではないのだ。
それでもしばらく走ると目的地の市街地に着き、どちらともなく自転車を止めた。
「送っていただきありがとうございました、パトリック様。メアリ様もアディさんも、ありがとうございました」
深々と頭を下げるアリシアに、メアリが「気になさらないで」と微笑んで返した。
心地よい風に吹かれ、幾度かアディの腰を小突き、時に父親を楯に彼を脅し、そうして敗北を受け入れたその笑みは傍目から見れば気品すら感じさせるだろう。……よく見れば、いまだ目は死んでいるが。
とにかく、そんなメアリの胸中など知る由もなく、アリシアは嬉しそうに笑い、それを見るパトリックもどこか満足そうだ。
純粋無垢な少女と、それを見守る王子様。まさにそんな光景に、毒気を抜かれたメアリが誰にも気付かれないよう小さく溜息をついた。完敗だ、むしろ挑む前に負けたようなものだ。
更に、何を思ったか――大方、アリシアを目的地まで届けるためであろう――パトリックまでもが「ここで結構」と言ってのけるのだ。
これでは妨害どころか、二人乗りを堪能させた揚句に市街地デートまで見届けたようなものではないか。完敗どころではなく、パトリックのセコンドに着いて応援した気分にすらなってくる。
そうして、楽しげに話しながら去っていく二人の背を、メアリが死んだ目のまま見送った。
「何がしたかったのかしら、私は……」
そう呟いたメアリの言葉に、流石に今回は自分の責任もあると感じたのか、アディが気まずそうに顔を背けていた。