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『ドラ学』で人気を博したゲームメーカーは自社ブランド第二弾を発売した。
タイトルは『ドキドキラブ学園2偽りの花嫁と悠久の愛:通称ドラドラ』
前作の流れを汲んだ王道乙女ゲームとしてこちらも人気が出た作品である。また『ドラ学』と違い大学部を舞台にしただけあり、恋愛シーンが前作より濃厚になっていたと記憶している。また前作と違い今作では攻略対象者達に婚約者がおり、略奪愛が描かれているのだ。
アディが聞けば「略奪愛とか言う割には相変わらずダサいタイトルですね」とでも言いそうなものだが、内容に見合ったタイトルをつけるより続編を臭わせてユーザーを誘導したかったのだろう。
ゲームの内容としては
『上流階級の学園に通うことになった庶民のリリアンヌが、そこで魅力的ながら悩みを抱える異性達に出会い、彼等が抱える問題に共に立ち向かいながら真実の愛を見つける……』
というものだ。相変わらずの直球王道シンデレラストーリーである。ちなみにここで挙げられる『彼等の問題』とは殆どが家柄とそこからくる婚約問題であり、結果的に婚約を解消させることが『真実の愛』として描かれている。
前作との大きな違いがこの『攻略対象者の婚約者』であり、ゲームを進めるには彼女達とぶつかり時に理解し合う必要がある。つまり今回のライバルキャラは複数、それもただ最終的に倒せばいいというわけではないのだ。
前作でメアリ一人に悪役を押しつけた結果、全ルート漏れなく登場し主人公に次ぐ登場回数になったことから制作陣営も考えたのか。
もっとも、一時は乙女ゲームなんだから女キャラクターを増やすくらいなら攻略キャラクターを増やせと非難の声も上がったのだが、結果的に見ればストーリーの幅も広がり、特定のライバルとは友情イベントもあったため男性ユーザも確保でき成功に終わっている。
そこまで思いだし、メアリが眉間に皺を寄せた。
おかしい、仮にここが『ドラドラ』めいた世界だとしても、メアリ・アルバートが居るわけがないのだ。
前作からのプレイヤーが楽しめるようにと多少の関連性や細工が仕掛けられてはいたが、あくまで『ドラドラ』は『ドラ学』と同じ世界観の、それでも別の場所で繰り広げられるストーリーである。唯一つの要素を抜かし、前作キャラクターが描かれることはない。
ファンディスクにすら出番の無かったメアリに至っては言うまでもないだろう、使い捨てと言ってしまえば聞こえは悪いが、敗北した悪役令嬢に用はないのだ。
それを自覚しているからこそメアリはなぜ自分がここにいるのか分からず、それでも混乱を悟られぬよう当たり障りのない自己紹介をして頭を下げた。
そうして促されるままに席に着いたのだが……。
右を見ればフワフワの柔らかな髪をした少女が、そのイメージのまま可愛らしい笑顔と甘い声で「道に迷っちゃって」と自分のドジっぷりを周囲に話している。
対して左を見れば、端正な顔つきの美しい少女が「どのルートに入るつもり……」とブツブツと呟いている。
そんな二人は時折目があうとニッコリと微笑みあい、そしてほんの一瞬、それこそ間に挟まれなければ分からないほどの一瞬、互いに鋭い視線を交わしあうのだ。それはそれは、バチバチと火花があがりそうなほど熱く、それでいて身震いしそうな程に冷ややかな視線である。おおよそ、年頃の、それも初対面の少女が交わしあう視線ではない。
運悪くその交差地点にいるメアリは意味深な視線が交わされるのを感じつつ、小さく溜息をついた。
アディを連れてくれば良かった……と、あれだけ大口を叩いておいて、早々に後悔しはじめていた。
たぶん、転入生のリリアンヌも、そして彼女を意味深に睨みつける令嬢カリーナも前世の記憶があるはずだ。
そう考えつつ、メアリは食堂の隅に陣取り優雅に昼食を進めていた。
転入して数日間こそあのアルバート家の令嬢だと誰もがメアリを囲んでいたが、三ヶ月経つ頃には誰もがメアリを普通の一生徒として扱っていた。勿論、学園の風習だけあって家柄を重視し敬われる場面も多々あったが、あくまでメアリは「話してみると普通の令嬢」だったのだ。
取り巻きになるつもりだったのか終始つきまとっていた連中も、金魚の糞に撤しても得はないと判断したのか徐々に離れていった。その変わり身の早さはなんとも貴族らしく、気付けばメアリの鞄を持っていた少女は今は別の令嬢の荷物持ちをしている。
その反面、アルバート家の令嬢と言えど普通の少女だと分かるや気さくに話しかけてくる者もおり、人間関係で言えば平均的と言えるだろう。パトリックを独り占めする令嬢として陰で女子生徒の嫉妬を買っていたカレリア時代を考えれば、至って順調とさえ言える。
それでもこうやって食堂の隅で一人で食事をしているのは、メアリ自身が今の話題にうんざりし、そればかり話す学友達に距離を取り始めていたからだ。現に今もあちこちで同じ話が聞こえ、メアリがうんざりしつつ内心で溜息を付けば、やにわに食堂内がざわつき始めた。
おいでなさった、とメアリが嫌悪を込めて小さく呟き、まるで誰かに同意を求めるように隣に視線を向け……そこが不在であることに一瞬目を丸くした後まるで誤魔化すように慌てて食堂の出入り口に視線を向けた。
そして、メアリを含む食堂内の視線が集められた出入り口から颯爽と現れたのは、見目の良い男子生徒達を侍らせたリリアンヌだった。
転入してからというもの、リリアンヌは首尾良く学園内のトップに君臨する男子生徒達を魅了していった。それはもう、まるで彼等の悩みを事前に知っており、それに対して最善の回答まで知っていたかのような手際の速さである。
そうして三ヶ月がたった今、学園内でプリンスと呼ばれていた男子生徒の半分近くがリリアンヌの虜になり、果てには見目の良い教師――言わずもがな、あの担任教師である――までも彼女を囲む始末。その男子生徒達と教師が『ドラドラ』の攻略対象キャラクターなのは言うまでもない。
そう冷静に分析しつつメアリが所謂『逆ハーレム』な集団を眺め、一口サイズに切ったソテーを口に運んだ。カレリア学園の姉妹校だけありエレシアナ学園の食事レベルも高く、このソテーも流石は一流シェフといった出来の良さだ。口に含むだけで濃厚な味が広がり、舌の上で柔らかな白身魚がゆっくりとほぐれていく。
食べさせてやりたいけど、そのためには馬車に乗せなきゃいけないのよねぇ……、とそんなことを考えながらもう一口含む。濃厚でそれでいて諄すぎない味わいは食の止めどころを失わせる。もう一口、もう一口……と無意識に銀食器が皿の上で踊るのだ。この味わい、誰とは言わないが二皿ぐらい余裕で平らげそうなものである。
そうして気付けば見事に食べ切っており、さてデザート……とナイフをスプーンに持ち替えようとした瞬間、カタン…とメアリの向かい側に食事の乗ったトレーが置かれた。
顔を上げれば、見覚えのある少女が一人。
パルフェット・マーキス、メアリのクラスメイトの一人であり、柔らかなそうな栗毛に大きな瞳、童顔と小柄さが相まってまるで小動物のような愛らしさに溢れた少女だ。
彼女もまた『ドラドラ』の登場人物の一人である。それも、食堂の一角を陣取る逆ハーレムの一人、ガイナス・エルドランドの婚約者。ゲームの役割で言うのならば、ガイナスルートのライバルキャラクターである。
今まで何度か挨拶ぐらいなら交わしたことはあるが、別段これといって親しいわけでもない人物からの接触に、メアリが目を丸くし周囲を見回した。昼時とは言え食堂内は比較的空いており、メアリの周辺もいくつか空席が見られる。これといって詰めて座る必要性は感じられない。
だというのにわざわざ目の前にトレーを置くパルフェットにメアリが視線を向ければ、彼女は困惑したような表情を浮かべ「座ってもよろしいでしょうか……」と消え入りそうな声で許可を求めてきた。
「えぇ、構わなくてよ」
ひとまず動揺を悟られないようにし、メアリが微笑んで返す。
だがパルフェットはメアリの手元を見ると何かに気付いたように表情を強ばらせた。
「あ、あの……誰かご一緒でしたか?」
「いえ、私一人ですけど、どうなさったの?」
「あの……でも、コップが……」
チラとパルフェットがメアリの手元に視線を向ける。
そこにはメアリ一人に対してコップが二つ。これを見れば誰だって同席者が居ると思うだろう。
だがメアリはそれを察しても尚「私一人です」と言いのけた。パルフェットの表情が訝しげな色を含みはじめるが、それを察したメアリが着席を促すように「どうぞ」と声をかける。
「気になさらないで」と質問される前に先手をうっておくのは、勿論「つい癖で二人分の飲み物を用意してしまった」等と言えるわけがないからである。
そんなメアリの心情など知る由もなく、パルフェットは僅かに困惑の色を残しつつ、それでも促されるままにいすに腰を下ろした。
そうして再び食事が始まるわけだが、これといって何を話しかけてくるわけでもないパルフェットにメアリが心の中で疑問符を浮かべた。
いったい何なのかしら、そう疑問に思えど直接尋ねるのも気が引け、メアリがチラと彼女の様子を窺い……怯えるような息詰まった表情に心の中で合点がいったと溜息をついた。
彼女はガイナス・エルドランドの婚約者である。が、そのガイナスと言えば今まさに噂の渦中であるリリアンヌが築く逆ハーレムのひとりなのだ。
つまり彼女は婚約者を転入生に奪われた哀れな令嬢。それも『彼女を囲む男達の一人』として奪われたのだ。
これを不名誉と言わずに何というのか。彼女の居心地の悪さは想像に難くない。おまけにパルフェットのマーキス家は貴族の中でもそう高い位置にあるわけでもなく、言ってしまえばガイナス・エルドランドと婚約したことによりエルドランド家に引き上げられていたようなものだ。
ゆえにそれを失った今彼女を守るものはないに等しく、注がれる好奇の視線は他の婚約者を奪われた令嬢達より容赦がないのだろう。現にチラチラとパルフェットに視線を送る者や冷ややかに笑う者が視界に写り込み、メアリが気だるげに溜息をつき……
コホン
と、一つ咳払いをした。
その瞬間慌てて顔を背ける生徒達の情けなさと言ったらない。所詮は悲劇の令嬢を影で笑うような性質の者達なのだ、メアリ・アルバートにかかればこの程度である。
もっとも、パルフェットまでもがビクリと肩を振るわせて怯えた様子を見せたのだが……。
「あ、あの、私もしかしてお邪魔でしたでしょうか……」
「いえ、違うの! 大丈夫、気になさらないで」
涙目になりながら慌てて席を立とうとするパルフェットを宥め、ひとまず彼女を落ち着かせる。
メアリからしてみれば自分とは真逆の……それこそ言ってしまえば扱いに困るタイプだとは思えど、今の彼女の状況を考えると追い出すようなことは出来ない。
だからこそメアリは落ち込んだ表情で食事を勧めるパルフェットに視線を向け
「何も聞かないから、もう少し美味しそうに食べたらいかが?」
と言ってやった。彼女の食事中の表情と言えば、まるで人生最期の食事を、それも酷く不味いものを何とか飲み込んでいる…といった様子なのだ。優雅さの欠片もなく、苦行にさえ見える。
事情は分かるがシェフに失礼だと言ってやれば、パルフェットが小さく溜息をついた。
「そう、ですよね……」
と、ポツリと呟かれる声のなんと弱々しいことか。それでも周囲の生徒達は好奇の視線を送るのを止めず、食堂の一角ではまるでそこだけ花畑のようにキャッキャと賑やかな声が聞こえてくる。
正面には陰鬱とした表情で食事を進める少女。送られてくる視線にヒソヒソ聞こえてくる囁き。脳天気な女の笑い声とそれをもてはやす男達の声……。
うんざりとした表情でメアリは溜息をつき、デザートの最後の一口を頬張った。