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それでもなんとか――アディには最終奥義「お父様に言うわよ!」を繰り出し、アリシアは傍観を決め込んでいたパトリックに無理矢理押しつけ――メアリは隣国にあるエレシアナ学園への留学を果たした。
この学園はカレリア学園の姉妹校であり、貴族や豪商の子息令嬢が通う教育機関である。姉妹校だけあり内装の雰囲気や金のかけ具合もカレリア学園に似ており、生徒達の会話内容もどこか聞いたことのあるようなものだ。やれ次の茶会ではどうの、やれ今度は何を買っただの……そういった自慢話は趣味ではないメアリからしてみればうんざりしてしまうものではあるが、逆に言えば対応の勝手が分かるし馴染みのあるものだ。
生涯これを建てる意義が理解できないだろうなと思いつつ毎日眺めていた理事長の銅像や有名デザイナーの手がけた芸術的らしいモニュメントも門のところにあり、これには安堵さえ覚えてしまう。もっとも、理事長の銅像もモニュメントもカレリア学園に建てられているものとは別物なのだが、メアリからしてみれば理解不能な代物として一括りである。
これなら早く慣れそうね……と、そう心のどこかでメアリが安堵していると、前を歩く理事長が愛想の良い笑顔で振り返った。
薄くなった彼の頭皮が窓からの明かりを反射させ、メアリが僅かに目を細める。その胸中を言いようのないものが過ぎるが、これはいったい何だろうか……何かが引っかかるような、はっきりとしない感覚だ。
「二年から転入してくる女子生徒がもう一人いるんです」
「あら、そうなんですか」
「授業の殆どは選択制ですが時折クラス単位で授業を受けることもあるので、せっかくだと思い同じクラスにいたしました」
「お気遣いありがとうございます」
コロコロとメアリが愛想よく笑い、理事長のあとを歩く。同時期に転入生とは珍しい話ではあるが、それでも一人だけ浮く心配が無いのは有り難い話だ。同じクラスに配置してくれたのも理事長なりに気を使ってのことなのだろう。
それが分かって、有り難いと感謝して、それでも言いようのない胸騒ぎがするのはどういうことか。
理事長の頭がキラと光るたびに何かを思い出しそうになり、それでもどこかで引っかかって出きらない。あと少し、ほんの僅かな切っ掛けで全てがハッキリできそうなのに……。
もどかしい……と、そうメアリが心の中で呟くと、ほぼそれと同時に理事長が足を止めた。
どうやら転入先の教室についたらしい。見れば小綺麗な扉の窓に人の影が見える。何やら盛り上がりを見せているが、あいにくと扉の作りが良いせいで聞こえてこない。
そんな教室の様子を伺うよう理事長が扉をノックすると、扉がガラと開いて若く爽やかな男が顔を覗かせた。
「理事長、わざわざありがとうございます」
「いや結構。ところで、もう一人のお嬢さんは来ているのかな?」
「はい、少し迷っていたようですが。これから自己紹介をさせようと思っていたんです」
ちょうど良かった、と苦笑する教師にメアリが優雅に頭を下げた。
随分と若く見えるが、エレシアナ学園で教鞭を振るっているのだから相当学のある人物なのだろう。外見はやたらと見目が良く些か軽めに見えるが、人を見た目で判断しないのがメアリの主義である。軽そうな男といえど、案外に学問一筋だったり根はしっかりしているかもしれない。――決して「人は内面が大事!」等と綺麗ごとを言うわけではない。単に自分が「動かず喋らず取り繕えば見事な令嬢」であることを自覚しているからだ。だからこそ、「人は見た目で判断できない」と言い切れる。良い意味でも、悪い意味でも――
「はじめまして、メアリ・アルバートともうします。一年の期間ですが、ご指導の程よろしくお願いいたします」
スカートの裾をつまみ上げ優雅に頭を下げるメアリに、教師が「流石アルバート家の令嬢だ」と苦笑を漏らし、次いで応えるように自らも名乗った。
聞けば若くして学者の地位に立ち、若者達を導くべく教師の道を選んだのだという。簡単そうに語るが彼の瞳に迷いはなくしっかりとした意志が見られ、やはり見た目の軽さだけで判断は出来ないとメアリが心の中で呟いた。……まぁ、その途中で通りかかった女子生徒から黄色い声をかけられ、それに対して爽やかに笑って手を振る態度はやはり軽くもあるが。
どうやら若く見目の良い彼は女子生徒達の憧れの的らしい。確かに、爽やかで甘い顔つきにスラリとしたスタイル、若いながらも年上の貫禄もあり、おまけに教師という立場では年頃の少女が惚れるなというのも無理な話だ。もっとも、メアリからしてみれば「かっこいい先生」ぐらいの認識なのだが。
「もう一人の転入生も中にいるから、一緒に自己紹介してくれるかな」
「えぇ、勿論です」
まるで紳士が女性に扉を開けるかのように、教師がメアリを教室内に招き入れる。
それに対しメアリは小さく会釈をして、ゆっくりと教室内に足を踏み入れ……
「みなさん、私リリアンヌと言います、よろしくお願いします!」
と、まるで星だのハートだのと言ったマークが飛び交いそうなほど可愛らしい――それでいて同性からは「声帯どうなってるの?」と聞かれそうな――声で元気に挨拶をする少女と。
「やっぱり来たわね……」
と、まるで宿敵が登場したかのように不穏な空気を漂わす少女。
果てにはやたらと見目の良い男子生徒数名に、メアリは一瞬目眩を覚えかけた。
「メアリ様、なにかあれば遠慮なく私どもに申し伝えてください」
それでは、と深々と頭を下げる理事長に、メアリが「待って……」と呼び止めかけ、彼が頭を下げたことで自分に向けられる頭部のてっぺんに目を細めた。
とりわけ薄いその部分に光が反射する……。その瞬間、メアリは自分の中で引っかかっていたものがストンと落ちる音を聞いた、
またも思い出したのだ。
この世界は、相変わらずまるで乙女ゲームなのだ、と。