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数年に一度、メアリはストレートパーマをかけている。
それはもちろん脱縦ロールのためなのだが、これがなかなかどうしてしぶとく……どころではない強固さで、サロンでは『美容師殺しの合金ドリル』という有り難くない異名で恐れられていた。
それでも何度も挑むのは、変わり者といえどメアリもやはり年頃の令嬢で、緩やかなウェーブの髪型に憧れを抱いていたからである。とりわけ、大学部に進んで二年目の今は母親のような大人びた美しさ、フワリと銀糸の髪が風に揺れる優雅な姿への憧れが募る。
縦ロールにドレスは子供っぽすぎるのだ。高等部まではまさに令嬢らしくて良かったかもしれないが、流石に大学部では頂けない。
だからこそ、無駄だと分かっていてもメアリはこうやってストレートパーマをかけているのであった。果たしてこれを諦めが悪いと言うのか、健気というのか……。
「メアリ様、今回はきっと大丈夫ですよ」
安心してください!と励ましつつ、美容師がメアリの銀の髪を撫でるように乾かしていく。
それを聞くメアリは、このやりとりは何度目かしら……と考えつつも「そうね、期待しているわ」と微笑んで返した。何度目どころか二桁いきそうな負け戦ではあるが、そのたびに持てる技術全てを費やしてくれる美容師達を無下に扱うことは出来ないのだ。
なにより、美容師殺しの合金ドリルにやられて散っていった同胞達のためにも……。あぁ、思い出すと涙が……。
「お待たせいたしました、メアリ様。終わりました……」
そう言い掛け、美容師がゴクリと息を飲んだ。その音の大きさと言えば、そのまま美容師の緊張の度合いを表しているようなものだ。
だがそれも仕方あるまい。普段ならばこの言葉の最後「終わりましたよ」の「よ」と同時にドリルが巻き上がるのだ。それはもう勢いよく、ギュルルルと効果音が鳴りそうなほど、まるで今までの努力をあざ笑うかのように……。
今回もまた同じことになるのだろうと、そう心のどこかで諦めを抱きつつ、メアリは落ち着き払って美容師の言葉を待ち……。
……。
…………。
緩く巻かれたまま微動だにしない銀色の髪に、美容師とメアリが、それどころかサロン全体がシンと静まった。
「お嬢、無理なもんはさっさと諦めて、何か食べに行きましょう!」
と、そんな静まった空気をぶち壊したのはアディ。今日も今日とて相変わらず従者とは思えない態度でサロンに現れると、シンと静まった妙な空気に首を傾げた。いったい何があったのか、メアリの脱ドリル失敗は今更なことだから、こんなに静まるなんて有り得ない……。
そう異変を感じてサロンを見回してメアリの姿を探し……緩やかなウェーブを揺らす一人の女性を見つけて視線を止めた。
唖然とした表情。まるで信じられないものを見たと言いたげに目を丸くし、それどころかポカンと口を開けている。
そんなアディの姿にメアリは小さく笑みをこぼし、自慢げにゆっくりと立ち上がるとふわりと銀色の髪を揺らしながら近付き、得意げに微笑んで彼を見上げた。
「お、お嬢……」
「アディ、これどうかしら?」
「ど、どうって……」
「あら、そんなに驚かないでちょうだい。まぁ、私もちょっとはビックリしたけど」
「だ、大丈夫なんですか!?」
「どういうことよ!」
「そんなにバッサリとやられて、痛くはないんですか!?」
「ドリルに神経通ってないわよ!」
まったくもって失礼な驚き方をするアディに、メアリがそれに負けじと吠えて返す。
相変わらずな二人のやりとりにサロンも落ち着きを取り戻し、呆然としていた美容師も我に返ると満足そうにメアリの髪に視線をやった。
「メアリ様、とてもお似合いですよ」
「えぇ、ありがとう。貴方も腕を上げたわね。……本当、本当に長い戦いだったわ」
過去幾度となく繰り返された戦いを思い出し、メアリが美容師の肩を労うように叩いた。周囲のスタッフまでもが涙ながらにその光景を眺めているのは、それほどまでメアリと美容師の戦いが長かったからである。
手をかえ品をかえ、時には半日以上の時間を費やし、それでもドリルを打ち破ることはできなかったのだ。だからこそ、この瞬間の感動は容易に言い表せるものではなく、中にはハンカチで目元を拭っている者すらいる。
もちろんそれは当のメアリも同じこと。むしろ脱ドリルに誰よりも興奮し「皆に見せに行くわよ!」とアディの腕を引っ張った。
「まさかお嬢のドリルを破る不届き者が居るなんて……」
「今この瞬間、このサロンにおいて誰よりも不届き者はあんただと思うんだけど。それより、屋敷に戻るわよ、新しい髪型を皆に見せるんだから!」
「そんな! ドリル装備しないで外にでて大丈夫なんですか!?」
「えぇ、とりあえず無礼がすぎる誰かさんの首の皮一枚を叩き切るくらいは出来るわね」
「さ、さぁ参りましょう! きっと皆ビックリしますよ!」
ほら!と今度はアディがメアリの腕を引っ張る。
それに対してメアリは溜息をつきつつ、歩く度に軽やかに揺れる銀色の髪に、隠しきれず小さくはにかんだ。
そうして、屋敷の中で新しい髪型を披露したわけなのだが……。
予想していた「どちら様ですか?」から始まり「メアリ様、少し横になられたらいかがですか?」と労られ、果てには「どこで落としたんですか、探してきますよ」と気を使われる始末。
これには流石のメアリもダメージを喰らうと言うもので――決してドリルがなくなって防御力が落ちたわけではない――屋敷を一回りし終える頃には見て分かるほどに肩を落として陰鬱とした空気を纏っていた。
サロンを出たときの勢いは既に無く、若干涙目になっている。これにはアディも「しまった」と己の迂闊さを悔やんだ。
「まさか全員が全員、ドリルの話しかしてこないとは思わなかったわ……」
「み、みんなノリが良いだけで本気で話してるわけじゃないですよ」
「あたりまえでしょ! 守衛なんて私の姿を見るや『まだ届いていませんよ』って答えたのよ! あれが本気なら、今すぐ奴に解雇通知を叩きつけてやるわ!」
キィ!と怒りを露わに喚くメアリに、アディがとりあえず落ち着かせようと「まぁまぁ」とメアリを宥める。
まるで動物を宥めるようなその動作が逆効果なのは言うまでもなく、メアリが更に不満げにアディを睨みつける。……が、どういうわけか差し出されたアディの手を取った。
それどころか、今までの怒りはどこへやら、ニッコリと微笑むのだ。緩やかに巻かれた銀糸の髪が揺れ、もとより美しかったメアリの魅力に大人びた妖艶さを追加させる。
普段のメアリらしからぬその態度に、思わずアディがビクリと肩を振るわせた。
「お、お嬢……?」
「貴方の気持ちは受け取ったわ」
「え、それって……!」
「守衛より先に解雇通知をこの手で受け取りたいってことなのよね! 待ってなさい、叩きつけてあげる!」
「ドリルが無くなって心の余裕まで無くなった!」
「この期に及んでまだ言うか!」
本気でクビにするわよ!と怒鳴るメアリに――むしろ、ここまで言われてもまだ本気ではないのも問題な気もするが――アディが誤魔化すように笑い、そっと手を伸ばしてメアリの髪に触れかけ……直前で手を止めた。
先程までの冗談めいたやりとりはどこへやら、いつのまにか愛おしむような表情で、それでも躊躇いがちに眉尻を下げて、アディがメアリの顔を覗き込む。
「あの……髪に触れても良いでしょうか?」
「え、えぇ別に構わないわよ」
改めて許可を求めてくるアディに、メアリが何を今更と言いたげに頷いて返した。
それを受けてアディの手がそっと銀の髪に触れ、柔らかく巻かれたウェーブを撫でる。ガラス細工でも扱うような慎重なその手つきに、メアリがくすぐったそうに小さく笑った。
「すごくお似合いです……とても、お綺麗ですよ」
「あ、あらそう…ありがとう」
まるで自分のことのように嬉しそうに賛辞を贈るアディに、メアリもまた照れくさそうに微笑んで返した。改めて言われるとどうにも気恥ずかしさが勝る、それも、こんな風に触れられながらでは尚更だ。
指の背で撫でられ、時に指に絡めて、愛おしむように触れられるその感触がくすぐったく、妙に心地良い。それでいて心のどこかでもどかしいような恥ずかしさもあり、言い表しにくいその感覚にメアリが瞳を細めた。
今まで味わったことのない、この甘くしびれるような感覚は何なのだろうか……。と、名も知れぬ感覚に酔いしれつつ、メアリが自分の銀色の髪に視線を移す。
あそこまで強固だったドリルの面影はもうない。誰もが驚くほどの大変身だ。――といっても、髪型以外は特に変わってはいない。大変身だとメアリ自身が思えるぐらい、周囲のドリル(故)への反応が大きすぎたのだ――
そうして、アディの指に撫でられ柔らかく揺れる髪を眺め、これなら……とメアリが嬉しそうに笑い、ついうっかりと
「これだけ変わったんですもの、隣国の学校に留学したら誰も私がメアリ・アルバートだって気付かないかもしれないわね」
と、口にしてしまった。
しまった、と思ったときはもう遅い。
髪を撫でていたアディの手が、それを聞いてまるでピシリと音がしそうな程に硬直した。