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「忘れがちだけど、ドラ学は乙女ゲームなのよね。つまり恋愛してなんぼってわけ」
「そういや、乙女ゲームってのはそういうもんだって話してましたね」
「主人公のアリシアがイケメン達と仲良くなって、恋に落ちていく……その合間に出てきて邪魔をするのが、悪役令嬢ってわけ」
淡々と説明するメアリに、彼女の向かいで本を読んでいたアディがうんうんと頷いた。
……視線は本に落としたまま。この従者、ついには主人に顔を向けずに生返事である。
ちなみに二人の現在地は学園内の図書館。
利用者が誰も居らず図書委員が用事で席を外している今は、悪巧みをするにもってこいである。
「というわけで、アリシアの恋愛を邪魔してみようと思うの。アディ、どう思う?」
「そいつは良いんじゃないですかねぇ」
「……いいかげん本を閉じないとお父様に言いつけるわよ」
「さぁお嬢、頑張りましょう! まずは何をしますか!!」
「ねぇ、貴方の中のヒエラルキーおかしくない!? 私とお父様の差が激しすぎない!?」
これでも私アルバート家の令嬢よ!?と声を荒げるメアリに、アディが笑って誤魔化す。
「それでお嬢、アリシアちゃんの恋愛を邪魔するってどういうことですか?」
「サラッと流したわね……。まぁ良いわ、とにかく今はアリシアの恋愛よ、あの子いつの間にかフラグ立ててるんだから」
現在、アリシアが親しくしている異性は三人。
その中でもとりわけ親しく接しているのが、歴史の長いカレリア学園の中でも過去最高の優等生と謳われる生徒会長のパトリック・ダイスである。
文武両道・眉目秀麗、おまけに歴史ある貴族の家柄といういかにも乙女ゲームに居そうなハイスペックの持ち主。藍色の髪に同色の瞳という、見た目もまさにな王子様である。
ドラ学での攻略難易度が高く、初期好感度はキャラクターの中で誰よりも低い。庶民の出である主人公に対し、出会い頭に「気安く話しかけるな」とまで言ってのけるのだ。
だがそんなクールを通り越しツンドラ氷河期な態度が女性プレイヤーのハートに火を着け、ドラ学の中で誰よりも人気のあるキャラクターだった。グッズも彼の品物が一番売れ行きが良い、と聞いた覚えがある。
実際のパトリックもまた同様に、やたらと見目の良い男達が集う生徒会の中でも一番の人気を誇る。それどころか彼の人気は学園に留まらず、年頃の令嬢であれば誰もが一度はパトリックに恋焦がれると言っても過言ではないほどだ。
そんな生徒会長と、生徒会の書記と物理教師。
この三人が今のところアリシアが親しくしているキャラクターである。
といってもパトリック以外はゲームでは初期好感度が高く、どんなに低いステータスでも親しげに接してくる。実際の彼等も同様に、分け隔てなく優しい性格をしている。
大方、好奇心旺盛な書記は庶民のアリシアに対し興味を抱き、親切な物理教師は身分の違いに悩むアリシアを見兼ねて、それぞれ生活の助けを買って出たのだろう。
今のアリシアの成長具合からすれば、まずまずの進み具合といったところだろうか。
付き合い方も友人以上恋愛未満といったところで、別段誰かのルートに突入した気配はない。
ここから新たな攻略対象キャラクターと親しくなることも出来るし、必要ステータスを上げて特定のルートに進むことも出来る。まだ分岐点は先のようだ。
「褒めるほどでもないけど、順調ではあるわね。今のまま進むならまず問題ないでしょ」
至って順調、とアリシアのステータスと恋愛事情を語るメアリに、アディが感心したように頷いた。
「さすがお嬢、しかしよくそこまでアリシアちゃんのこと調べましたね」
「……あの子、最近やたらと私に話しかけてくるのよ。嬉しそうに色々と語ってくれるわ」
どういうことかしら……と視線を逸らしながら呟くメアリに、アディが答えられないと顔を背けた。
「どう考えても友達だと思われています」とは、流石のアディも口には出来ない。もっとも、メアリも薄々と感付いてはいるのだが、没落コースを目指している以上、認めてしまえば心が折れかねないのだ。
「と、とにかく! アリシアが三人と親しくしてると知ったからには、邪魔をしないわけにはいかないわ!」
『ドラ学』でも悪役令嬢メアリは事あるごとに主人公アリシアの恋愛を邪魔していた。
わざとアリシアの前で攻略対象者と親しげにしたり、自分こそがお似合いなのだと家柄含めて自慢をする。アルバート家主催のパーティーが開かれた際には、わざわざ好感度が一番高い相手をエスコートに選ぶほどである。
それどころか、ルートによっては攻略対象者と婚約までしてしまうのだ。勿論、攻略対象者がアリシアを好いていると知っていて、というより知っているからこそ。まさに形振り構わず邪魔をしてくる。
もっとも最終的にはそれらも含めて糾弾されるわけで、となると没落を目指すメアリがそれを真似しないわけがない。
「今日あの子は市街地に遊びに行くって言ってたわ。なんでも、転校してくる時にお世話になった人に挨拶をするんだとか」
「それもまた本人から聞いたんですか?」
「……聞くどころか、一緒に行かないかと誘われたわ」
「うわぁ……」
「止めてよ引かないでよ泣きたくなるでしょ! 今はとにかく妨害よ! 確かゲームの中で市街地で起こるイベントがあったはず」
何だったかしら、とメアリが記憶を引っくり返す。
確か市街地で見られる一枚絵が何枚かあり、その中にメアリが関係していたものがあったはずだ。
記憶の限りでは相手は生徒会長パトリック。絵の中で彼はメアリと馬車に乗っていて……。
「思い出した! 私とパトリックが馬車に乗ってるのを、たまたま主人公が見つけるのよ!」
ゲームの中でも、今と同じように主人公アリシアは市街地へ向かう。
その途中、メアリとパトリックを乗せた馬車が彼女の横を走り抜けるのだ。身を寄せ親しげに話す二人の姿にアリシアは傷つき、もしや二人は付き合っているのでは……と勘違いまでしてしまう。
といっても、パトリックのルートを進めればそれが単なる思い過ごしであることが判明する。メアリがアリシアに見せつけようと画策し、半ば脅すように彼を馬車に誘い込んだだけなのだ。
詳しくは語られていないが、大方ゲームのメアリは家柄を楯にパトリックに迫ったのだろう。「貴方と私の御家、どちらが大きいか分かってらっしゃる?」とでも言えば、彼は黙って頷くしかないのだ。
「なるほど、確かにそれは妨害になりますね」
「でしょ。そういうわけだから、パトリックを誘って市街地まで行くわよ!」
幸い、メアリとパトリックは顔見知りである。互いに名門貴族の生まれであり、学園で出会うより先に社交界で挨拶を交わしているのだ。
それどころか、パーティーがあればエスコートを頼む関係ですらあった。代々アルバート家とダイス家は親しくしており、互いの家柄を考えればそういった関係になってもおかしくはない。おまけに、メアリもパトリックも誰もが羨む美貌の持ち主なのだ。
「パトリックとの付き合いは長いし、『少し話がしたいの、馬車で送っていくわ』くらい言えば着いてきてくれるでしょ」
「……馬車で、ですか。ところでお嬢」
「なぁに?」
「俺ら、自転車通学ですよ」
……。
…………。
「そうだったわ……!」
ガクン、とメアリが膝から崩れ落ちた。
貴族の令嬢らしからぬ体勢ではあるが、絶望感がヒシヒシと伝わってくる。
「誰よ、王家に次ぐ貴族の娘に自転車通学なんて強いるのは……」
「言っちゃあなんですが、お嬢ご自身ですよ」
「だって馬車だと大通り通らなきゃいけなくて50分もかかるのよ? 自転車なら小道抜けて15分なのに! とんだタイムロスよ!」
「まぁ確かに、ここいらは馬車が通り抜けられない細い道が多いですからね」
「非効率、ナンセンスよ!」
喚きながら訴えるメアリに、アディが溜息をつきつつも同感だと頷いた。
メアリ家の豪邸からやたらと大きな馬車で学園まで行くとすると、その途中にある小道の入り組んだエリアを大きく迂回する必要がある。おまけに、学園内の正門前は生徒達の送迎用馬車で溢れかえっており、乗り降りするのにやたらと時間がかかるのだ。
対して、自転車ならばアルバート家の裏手にある使用人用駐輪場から裏門を出て小道をかっとばし、学園の空き地に自転車を停めるだけである。所要時間は約15分。どちらが効率的かと問われれば、断然後者である。
だがあくまで自転車は庶民の乗るものだ。貧相な庶民は小回りの利く自転車で忙しなく動き回り、裕福な貴族は馬車でまったりと……が常である。貴族の令嬢が自分で自転車を漕ぐなどもっての外。
「しくったわ。悪役令嬢はどんなに非効率でも自転車になんか乗らないのよね……」
「お嬢、自転車通学三年目にして言いますが、普通の令嬢も自転車に乗りませんからね」
「なるほど、だからうちの学園に駐輪場が無いのね。今この瞬間ようやく納得したわ」
「で、パトリック様はどうします? 俺、アルバート家から馬車とってきましょうか?」
「…………いいえ、このまま誘うわ!」
「誘うんですか!? 自転車ですよ!?」
「乗せるわ!!」
たとえ拒否されるのが分かり切っていても、敵前逃亡だけは許されない!そう訴えるメアリに、アディが呆れたように出かけた言葉を飲み込んだ。
相手はあの生徒会長パトリックなのだ。馬車ならまだしも、庶民の乗り物である自転車になんて乗るわけがない。
つまりメアリは玉砕覚悟で挑むわけで、ならばここは何も言わずに骨を拾ってやろう……と、そうアディが心の中でメアリの墓標を立てていると、廊下の先からカツカツと足早に歩く足音が聞こえてきた。