9―5
『ドラ学』の後半は物語の進みが早く、前半の平和な学園生活が一転すると言っても良い。
なにせ主人公の正体が王女だと判明するのだ。そこから一悶着あり、卒業式ではメアリに追い打ちをかけ、そしてエンディング……と、矢継ぎ早に物語が進んでいく。
その転機とも言えるのが、このデートイベントだ。といっても内容自体極平凡的な恋愛イベントの一つに過ぎないが、それでもこのイベントにはプレイヤーに対しての『仕掛け』が行われていた。
「仕掛け、ですか?」
どういうことです?と紅茶を飲みつつアディが首を傾げる。
対してメアリは「いいこと」と前置きをしてケーキを一口含み……「あら、美味しい」と僅かに目を丸くして手元のケーキに視線を落とした。
休憩と説明の為に入った喫茶店、適当に選んだケーキではあったが、これが程良い甘さと果物の爽やかさで後引く味わいではないか。アルバート家専属のパティシエと並ぶレベルである。
思わずメアリの思考がケーキでいっぱいになり、説明もどこへやら「ねぇ、貴方も頼んだら」とアディに声をかけた。
メアリ・アルバートと言えど所詮は人の子、それも年頃の少女。偶然出会えた至高のデザートに意識を持って行かれることもある。
それが分かっていてもなお、アディが先を促すようにコホンと咳払いをした。
その意味を察して、メアリが「失礼」とハンカチで口元を軽く拭った。
「それで、仕掛けってなんのことですか」
「このデートイベントはね、誰の、どの、エンディングに行くかの分岐点なのよ」
「そのエンディングだの分岐点だの、ってのはどういうことですか?」
ちゃっかり店員を呼び寄せてケーキを頼みつつ、アディが首を傾げる。
メアリも「私ももう一つ」とおかわりを注文しながら、アディの視線を受けて頷いて返した。
通常なにも知らずにプレイしていれば、このデートイベントも通常通りの恋愛イベントの一つと判断されるだろう。
待ち合わせの描写で攻略対象者に私服を褒められ、市街地を背景に幾つか会話をし、そして「楽しかった、また行こう」と微笑まれて終わる。誰のデートイベントであれ、そんな簡単なものだ。
だがこのデートでだけは途中でメアリが登場し、主人公の目の前でデート相手を誘ってしまう。何も知らずに進めていたプレイヤーもこの変化に「おや」と首を傾げるだろう。
といっても今まで繰り返されていたパターンの一つでもあり、メアリは断られ不服そうに主人公に嫌味を言って撤退する……と誰もがそう考えるはずだ。
……だがあくまで、それは問題なくゲームを進めていれば、の話。
例えば、夜会でパトリックルートに入っていることに油断して彼との好感度上げを怠ったり、欲を出して他の相手とばかり親しくしていたり……と、恋愛が主軸のゲームでありながらあちこちふらふらとしていれば、ここで痛い目を見ることになる。
言わずもがな、攻略相手がメアリに着いていってしまうのだ。
「え!? なんで着いていくんですか! だって悪役令嬢メアリでしょ? 大人気なくて我が儘で、どこにでも湧いて出てくるような嫌な令嬢じゃないですか!」
「貴方が驚く理由も分かるし、確かに嫌な令嬢よ。でも流石に同姓同名を前にそこまで言うことないでしょ! 罰としてケーキを半分寄越しなさい!」
「お嬢と悪役令嬢メアリは別物でしょう。なにより食べ過ぎです!」
「ケーキとコロッケは別腹よ!」
訳の分からない理論を述べてくるメアリに、アディが「食べ過ぎると夕飯が入らなくなりますよ!」と嗜める。
傍から見れば仲の良い兄妹かもしくは付き合いの長いカップルにでも見えるだろう、少なくとも主人と従者には見えるまい。
そんな長閑なやりとりのあと、アディが自分のケーキを守るように手元に寄せ、「それで」と話を改めた。
「それで、どうして攻略相手が悪役令嬢に着いて行ってしまうんですか?」
「そりゃ好感度が低いからよ。たとえ一度ルートに入ったとしても、他の男に現を抜かせば嫌われる、当然じゃない。ゲームの世界も現実も、好かれるのは楽でも好かれ続けるのは難しい物よ」
「……だからって、何も悪役令嬢に着いていくこともないじゃないですか」
「メアリに着いていった、というより『アルバート家の令嬢』に着いていった方が正しいわね」
「それが無ければあの女には誰も着いていかないわ」とあっさりと言い切り、メアリがケーキを口に含む。
相変わらずゲームのメアリに対して他人事のような口振りだが、現にまったくの他人だと割り切っているのだから仕方あるまい。
それになにより、今話すべきはこのデートイベントなのだ。悪役令嬢メアリも絡んでいるとはいえ、結局のところ彼女は分岐を示すための一要素でしかない。
このデートイベントにおいて、メアリは誰がデート相手だろうと登場し、そして似たり寄ったりの台詞で誘い出そうとする。
その全てが彼女の父親を、ひいてはアルバート家を楯にしているのが今のメアリからしてみれば哀れにも思えるのだが、糾弾イベントを終えた彼女の立場を考えれば納得でもある。
きっと悪役令嬢メアリなりに自分の立場の危うさを感じ、だからこそ形振り構わず奪おうとしているのだろう。……もっとも、初期からそんな性格だったと言われれば、それもそうだと頷かざるを得ないのだが。
そしてそんなメアリに対して攻略対象者達はと言えば、勿論主人公を優先しメアリに断りを入れる……というわけでもない。
これが所謂分岐点。
三つのエンディング、そこに繋がる別れ道の一つ。
「つまり、この場で攻略対象が悪役令嬢メアリ様を選ぶのも一つのエンディングってことですか? ん?それだとアリシアちゃんは?」
「言っておくけど、攻略対象がメアリを選んでも二人がくっつくわけでもないわよ。攻略対象者からの好感度が低いと、相手は渋々メアリを優先してデートは中断……ってこと」
勿論、その後はそれなりのフォローが入る。謝罪と共にプレゼントを贈られたり、夜中に会いに来てくれたり……と、しっかり恋愛要素も含まれている。
結局のところ悪役令嬢メアリは現時点でほぼ全てのキャラクターから嫌われているのだ。対して、いくら低かろうと攻略対象者も主人公に対してそれなりに好感は抱いているわけなのだから、ここで一転してメアリへ心変わりというわけでもない。
ただ、主人公よりアルバート家の令嬢を優先せざるを得なかっただけのこと。そしてそれを優先させてしまうくらいには、好感度を上げきれていなかったということだ。
「例えば、パトリックのルートに入っていたとしても、主人公が他の男にふらふら目移りしてると、あの後パトリックは仕方なくメアリを優先したってわけ」
「なるほど。アリシアちゃんを断って、『アルバート家令嬢が伝える当主様の誘い』を優先するってことですか。それなら納得です」
「そこにメアリへの好意はないわ。ただ彼の立場と、主人公への好意を天秤にかけた結果よね」
天秤の傾き、攻略対象がメアリを――正確に言えばアルバート家を――優先した結果、行き着く先は『バッドエンド』だ。
といっても『ドラ学』はあくまで全年齢対象の乙女ゲーム。尚且つ『ドキドキラブ学園』等と言う若干オツムが緩めのタイトルである。バッドエンドと言っても後ろ暗かったり鬱的な展開があるわけでもなく、単なる『恋人未満』な終わり方、所謂『友情エンド』に近い。
パトリックの場合で言うのなら、卒業式でメアリを没落させ王女として君臨するアリシアに対して、彼が「お互い国の為に頑張っていこう」と微笑みかけて終わるのだ。
そこに恋愛感情は無く、あくまで友情と王女に対しての忠誠心のみである。バッドエンドと呼ぶには些か聞こえは悪いが、それでも恋愛ゲームとしては中々に辛い終わり方である。
――中には爽やかに笑いかけながら「国外に留学することになったんだ、応援してくれるよな!」とまで言いのけるキャラクターも居り、その爽やかで迷いのない友情っぷりがある意味でプレイヤーをドン底に叩きつけるのだ――
「つまり、さっきパトリック様はアリシアちゃんを優先したってことで、ゲームで言うならバッドエンディングは回避ってことですか」
「そういうこと。あの子がパトリック一筋だったってことね」
「で、三つのエンディングの内、残りの二つも好感度っていうので決まるんですか?」
「それはまた後で、その時が来たら教えてあげる」
せっかくだから私達も買物しましょ、と立ち上がるメアリに、アディが不満そうに彼女を見上げ、残っていたケーキを慌てて口に含んだ。
ニヤリと笑うメアリの表情は『自分だけが仕掛けを知っている』という裏側に立つ楽しさを微塵も隠しきれていないのだ。大方、アディに対しての説明も勿体ぶっているのだろう。
――そうでなければ、もう買う物が無いメアリが「買物しましょ」なんて言い出すわけがない。彼女の性格を考えれば、この後なにか無ければ直ぐに帰っていてもおかしくないのだ――
そんなメアリに対して「なんて性格の悪い」と思いつつも従うほかなく、アディが口に詰め込んだケーキを無理矢理に紅茶で流し込んで後を追った。