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「パルフェットさん、ごきげんよう」
メアリが振り返りつつ挨拶を告げた。
相手を確認する前に名前を呼んだが、案の定というか当然ともいうか、そこに立っていたのはパルフェットだ。
彼女はスンスンと洟を啜り手にしていたハンカチをぎゅっと握りしめ、か細い声で「ごきげんよう」と挨拶を返してきた。
ハンカチで目元を拭い、スカートの裾を摘まんで頭を下げ、もう一度ハンカチで目元を拭う。社交界で良しとされる挨拶と比べると余計な動きが入っているが、彼女の所作は自然で流れるように美しい。
泣き虫な彼女は、ついには『泣いている』という状態で優雅な所作を見せる域にまで達していた。
そんな相変わらずな泣きっぷりに、今更指摘する者などいるわけがない。
アディは近くを通りがかった給仕に椅子と紅茶の追加を頼み、疲れたのか地面に座ろうとするロクサーヌを抱き上げる。アリシアは上機嫌でパルフェットに挨拶をし、次いで自分の腹部に手を添えると「ぽこぽこ蹴って挨拶してます」とパトリックと顔を見合わせて笑った。
「今日はいったいどうしたの? ……まぁ、いつもさして理由なく来てるわけだけど、念のため今日も聞いておくわ」
新たに設けられた席に座るよう促しメアリが問えば、パルフェットが応じて席に座り「ロクサーヌ様にお会いしたくて」と返した。
――正確に言うのであれば、椅子に座り、涙を拭い、出された紅茶を一口飲み、涙を拭い、ケーキを一口食べ、ふると一度震えた後の返答である――
「ロクサーヌに?」
「はい、実は……。私とても不思議な夢を見たんです。夢の中で私はお茶をしていたんですが、ケーキスタンドにいつのまにかもちもちの白いパンが置かれていて……!」
「もちもちの白いパン」
「夢から覚めて気付いたんです。あのもちもちの白いパンはきっとロクサーヌ様の可愛いおててに違いない、ロクサーヌ様が私を呼んでいる!」
涙目ながらにパルフェットが熱く語る。その勢いにメアリは若干仰け反りつつ「そうなのね」と返した。
以前よりパルフェットは見た夢を何かとメアリに紐付けて会いにきていた。やれ夢の中でご飯を食べていたらお皿にコロッケが飛んできただの、生クリームが渦巻き始めただの、飛んでいた鳥が丼に着地しただの……。
きっとメアリ会いたさを拗らせた結果なのだろう。そして最近では、それにロクサーヌ会いたさが追加されている。
困った子ね、とメアリが肩を竦めた。もっとも、肩を竦めつつも表情は和らいでしまう。
発端がなんにせよ――もちもちの白いパンでも――、友人が会いに来てくれるのは嬉しいのだ。
被害者と言えば、わけの分からない理由で起こされ付き合わされるガイナスくらいだろう。パルフェットを追うように現れた彼は、困ったと言いたげに苦笑しながら朝方の事を話している。
その話の最中しれっと「隣で寝ていたら」と話すあたり二人の仲は良好。ガイナスの表情にも振り回される事への喜びしか見られない。
「夢に見るほどにロクサーヌの事を想ってくれているのね。ぜひもちもちのおててを堪能してちょうだい」
アディに抱かれていたロクサーヌを両腕で受け取り抱き直し、メアリが穏やかに微笑んで告げる。
涙目だったパルフェットが瞳を輝かせ、席を立つといそいそと近付いてきた。……なぜかアリシアまで近付いてくるが、これもまた相変わらずなので指摘する気にはならない。
そうしてメアリが抱きかかえたロクサーヌの左手を彼女達に差し出す。
小さな手だ。大きく開いてもメアリの手の半分程しかない。
それでもきちんと手の作りをしているから不思議なものだ。指にはきちんと関節があり、指の先には小さな爪。手のひらを軽く突っつけばきゅうと指を曲げて握りしめる。
小さくても立派な人の手だ。そしてなんて愛らしいのだろう。
これには愛娘を眺めるアディはもちろん、パトリックやガイナスまでもが表情を緩めている。
「なんて可愛いもちもちおてて……」
とは、涙目で震えながらロクサーヌの左手を擦るパルフェット。
軽く擽ればロクサーヌがキャッと高い声で笑い、時折は指を掴んでくれるのだ。その瞬間に愛おしさでパルフェットがふるりと震える。
その隣では、アリシアがロクサーヌの腕をむにむにと触っている。赤ん坊とは手も可愛らしいが、腕もぷくぷくとしていて可愛らしい。
そうして二人はロクサーヌの手と腕をひとしきり愛でると、満足したと言いたげに席に戻った。
アリシアが椅子に座り直すとふぅと一息吐き、そっとティーカップを手に取ると紅茶を飲んだ。風を受けて揺れる髪を片手で押さえ、次いでメアリへと向き直ると「お待たせいたしました」と上品に微笑んだ。
「ビックリするくらい優雅に戻ってきたわね」
「ロクサーヌちゃんを愛でて、今の私は身も心も満ち足りています。それで、何のお話でしたっけ?」
「アルバート家の屋敷を半分壊して更地にしようって話よ」
「初耳なお話!!」
アリシアが声を荒らげる。
それに対して「お嬢! ……じゃなくて、メアリ!」と待ったをかけたのはアディだ。
「なに隙あらば更地計画を進めようとしてるんですか! 屋敷を壊すのは諦めてください!」
「うまいこと王女様の賛同を得て一気に進めようとしたのに……。ロクサーヌ、お父様は貴女のために屋敷を壊そうとするお母様の事を怒るのよ。酷いお父様ね」
「あぁ、もう、そうやってすぐロクサーヌを盾にする……。そうすれば俺が強く出られないと知ってて、ずるいですよ」
唸るように訴えながらアディがメアリを睨みつける。悔しそうな表情に、メアリがしてやったりと笑んだ。更地計画は止められたものの、勝負には勝ったというところか。――もっとも、アディは敗北こそしたものの「更地は駄目ですよ」と釘を刺すのは忘れないが――
「ロクサーヌを盾にすれば……なんて言ってるが、今も昔も、アディがメアリに強く出たところなんて見たことが無いがな」
「パトリック様、追い打ちはさすがに……」
麗しくも意地の悪い笑みを浮かべるパトリックを、ガイナスがこれ以上はと宥める。
それを聞いたアディがばつが悪そうに唸り、アリシアとパルフェットが楽しそうに笑った。
賑やかなその茶会の光景に、メアリは胸の内が温まるのを感じて柔らかく笑んだ。
腕の中のロクサーヌに視線を落として「楽しいわね」と話しかければ、キャァと声があがる。嬉しそうににこにこと笑い、右手を自分の顔の横でパタパタと動かす。小さな体を活発に動かす様の愛らしさと言ったらない。
ロクサーヌを見つめていると自分が母親になったのだという実感が湧く。暖かく、これ以上ないほどに幸せな実感。
アディと二人でロクサーヌを育て、守り、成長を見届けるのだ。もちろん、家族や友人達も側にいてくれる。
あぁ、なんて幸せなのかしら。
メアリはうっとりと目を細め……。
「……そういえば、そろそろ来る頃ね! アディ、時間を確認して!」
次の瞬間、母親気分もどこへやらアディへと向き直った。
彼は胸ポケットから時計を取り出し、コクリと一度頷いた。
「お嬢の……いえ、メアリの言う通りそろそろ来るでしょうね」
「ふむ、今回はどうしようかしら。悩みどころだわ」
メアリが真剣な面持ちで考え込む。対してアディはきっぱりと「俺はもう決めました」と告げた。
この話にパトリックとアリシアが顔を見合わせた。見目麗しい夫婦が、こちらも真剣みを帯びた空気を纏って一度頷き合う。
「メアリ、俺達もその話にのっていいかな」
「あらパトリックも? 良いわよ、人は多い方が楽しいもの」
「メアリ様、メアリ様! 私も!」
「はいはい。……あんた結構こういうの強そうね」
パトリックとアリシアが楽しそうに参加を告げる。それを受け入れるメアリとアディもまた楽し気だ。
そんな四人に対して、頭上に疑問符を浮かべるのはパルフェットとガイナス。
先程からメアリ達が何の話をしているのか分からない。そもそも何が来るというのか……。
パルフェットに至ってはすっかりと怯えてしまい「何ですか、何が来るんですか……」と震えながらガイナスの手を握っている。――常に震えているパルフェットだが、今は恐怖という珍しく真っ当な理由で震えている――
そんなパルフェットの怯えに気付き、メアリは彼女に向き直った。
「そろそろ来るのよ」
「来る……。いったい何が来るんですか、メアリ様ぁ……」
「それはね……」
メアリが勿体ぶるように一度話を止める。
張り詰めた空気にパルフェットの震えは最高潮。ガイナスが片手は手を繋ぎもう片手は肩に触れてと宥めてやっているが、彼もまたこの空気に当てられてゴクリと生唾を飲んだ。
「何が来るのか……。それはお兄様達よ! お兄様達は二時間以上ロクサーヌと離れていられないの。だから今頃屋敷の中を探し回ってるはず! さぁ、誰が一番にここに辿り着くかを賭けましょう!」
大勝負よ! と楽しそうにメアリが宣言すれば、パルフェットとガイナスが揃えて目を丸くさせた。
その横ではアディ達が予測をしだす。メアリも遅れは取るまいと「私はラングお兄様に賭けるわ!」と告げておいた。先程は外してしまったので、今度こそ当てたいところだ。
「メアリ様、お兄様で賭け事なんて……そんな……」
「一着を当てた人には次のお茶会でのメニュー決定権が与えられるのよ。ケーキスタンドの上から下まで全て自分好みに出来るの」
「私、ルシアン様に賭けます!!」
カッ! とパルフェットが目を見開き、高らかに宣言した。
つられてかガイナスまでもがロベルトの名前を口にする。
「ふむ。私とパトリックはラングお兄様、アディとアリシアさんとガイナスさんがロベルト、パルフェットさんがルシアンお兄様。面白い具合にばらけたわね」
楽しみ、とメアリが笑う。
それとほぼ同時に、こちらに歩いてくる人影が見えた。
章タイトルを変更しました。
『8章』→『アルバート家の小さな小さなご令嬢』